さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら kyopon2017@yahoo.co.jp



「思いつめたポップバンド」 Eins:Vier「恒常の欠片 e.p」

  1. f:id:maemuki:20180519225331j:plain

    Eins:Vierの先日リリースされた、リメイクアルバム「Searching Red Light」と共に、初期のレアシングルを集めた6曲入りの「恒常の欠片」が配信限定としてリリースされました。
  1. 僕は、いつも使っているApple Muisicにて聴きました。
     
    まず、TRASH OF TEARSタムタムのリズムボックスの音がフェードインで始まり、続いてバスドラムの音、そして広がるギターのサウンド。一瞬、まったく別のバンドを聴いているような感じがしました。しかしこれはEins:Vierである。当然に。しかし、これはまったくもって80年代のUKギター・バンドそのものの音です。
    彼らのルーツとしてあるものが、1曲めにとても濃く表れていた。曲展開もいわゆる「J-POP」のようなものから、かけ離れたものです。インディーズのレアなシングルにしては、あまりにも先を行き過ぎていない、当時の音です。そして「ヴィジュアル系の元祖」としての音ではない。完全に違うジャンルの曲とサウンドです。曇り空ばかりの陰鬱極まり無いロンドンの風景、しかし遠くに緑ばかりの公園が見えるような。美しい曲でもある。
    具体的に、そのような例としてのバンド名を挙げられなくて残念だけれども、80年代の音楽を学習しようとして、たくさん聴いていたようなサウンドを、彼らもやっていた、ということに改めて気づかされてました。しかし、そのような音楽を好む界隈の人たちに彼らの音楽は、届くことはなかったのかもしれない…とも。思いました。
     
    2曲め、IN YOUR DREAMはアルバム「Risk」に入っていた曲。そして「Searching Red Light」に入っています。しかし、聴いた感触は当然まったくちがうけれども、一番古いはずなのに、僕はこのバージョンが一番好きなのかもしれない、と感じました。Hirofumiの声が優しく聴こえるような気がします。歌い出しなど特に。そしてバンドの要のひとつ、Yoshitsuguのギターも前に出て聴こえるような気がします。音が絞られていて、鮮明に音と色彩がよく滲みでていますような気がします。それは、この「恒常の欠片」全編に言えることです。サビは右に左に、ミュートの掛かったエフェクトのフレーズが華麗に暴れまわります。すてきだなーと思いました。
     
    SHY BOYはこれも「Risk」に入っていた曲です。これもこのバージョンのほうが好きです。理由はよくわからないけれども、「Risk」のSHY BOYはそれほど好きと言う曲ではありませんでした。Lunaのベースもよくよく聞こえます。力強く、シャイボーイの内に埋めた強さをベースで表現しているような気がしました。前のバージョンよりも、身軽になっている様な印象を受けました。
     
    MY ONLY GIRL FRIENDは、初めて聴く曲です。こんなすてきな曲を隠していたなんて。タイトルの通りに真っ直ぐだけど、まっすぐ過ぎて線が弾けない、ようなポップソングです。「思いつめたポップバンドになりたい」というHirofumiが「SHOXX」のインタビューでメジャーデビュー前後の際に発言していたことを、思い出しました。どんな暗いかなしい映画にも、この曲のような煌めきに空間があるということ、を考えました。花の中で、白い蝶を追いかけ回すような、事を思い出すような曲だと感じました。
     
    NURSERY TALEもRiskに入っていた、そして「Searching Red Light」に入っています。そして、このバージョンが一番好きです。なぜならばYoshitsuguの神憑りてきなギタープレイが良く聞こえるからです。銀粉や金粉や粉砕ダイアモンドを撒き散らすようなAメロのバックの密やかなフレーズをはじめ、ディレイを調整し、拍が遅れて音がでるように調整をした場所のすばらしさ。その場面の最後には、それを利用してハモるのです。歌にあわせて高揚をあらわすように。そして、サビの部分では、他のバージョンにはない、ボーカルに深い深いリバーブがかかっています。この童話のような、神話のようなこの曲に旨く嵌っていると感じました。より幻想的になり、曲の深さも音響だけでなく、高めていると感じました。
     
    そして最後CRASH OF THE WALLは、そもそも80年代のロックの始まりは、パンクだった。The Smithもパンクの流れだった、ということを知らせてくれる曲です。パンク。壁を壊せ。そして彼ららしい、知的な暴力性の現れた曲だと思います。そうです。Eins:Vierは軟弱なように聴こえて、力強い音楽である。それは精神性でも表れている、と感じました。
     
     
    最後にタイトルの「恒常」とは
    こうじょう
    恒常
    1. 一定で変わりがないこと。
       
     このような、意味があるようです。一定で変わりがない。まさにその通りです。
    音楽を続けるということで、一定で変わりがない、といえる欠片を最後に示せたということは素晴らしいと思います。おそらくこれが最後の音源になるかもしれない。
    そんなことはないのかもしれないけど、いずれにしても「思いつめたポップバンド」に相応しい、最後だと思います。
    終わり。
     
     
    Eins:Vierの「恒常の欠片 - EP」をApple Musicで
恒常の欠片 - EP

恒常の欠片 - EP

  • Eins:Vier
  • ロック
  • ¥1500

 

 

maemuki.hatenablog.com

maemuki.hatenablog.com

 

 

【港区OL日記】MPBとスイカのスクリュードライバー

https://www.instagram.com/p/BiwlWSiHob1/

#朝の風景

普通に社会の中に埋没しつつある、自分がいます。だからブログも更新できません。なかなか、でも、音楽を聴いてたりはしているのです。

最近は「MPB」が好きです。わかるかな?Brazilの音楽なんですけど、アップルミュージックで「MPBリスト」みたいなプレイリストがあるのです。それを全部ダウンロードして、シャッフルして、山手線で聴いたりするのです。

www.youtube.com

Djavanという大物アーティストらしい、人の曲が気に入って何度も聴いたりするのです。アップルミュージックはちょっと使いやすくなって、そのアーティストの作品一覧に行きやすくなったりアルバムに行けるようにもなったり。どんどん広がっていきます。プレイリストから、アルバムまでいけないクソ仕様も、なくなりました。

 

サヴタージという言葉を「ラテン音楽」に関する本にて、知りました。ポルトガル語で、波を前に思い馳せるような、時を表すような言葉。とてもすてきですよね。海がみたいなあ、海が好きなのに。まだ遠い。

でも、会社は海の近くだった。でした。

www.youtube.com

エドゥ・ロボも大物らしい。作品はシンプルで装飾が少ない。リズムが主役であるブラジルの音楽をよく表していると思う。暑いリズムなのに、どこか涼しげに感じるのは、そこにないものを、求めたいという心が表れているのかな、と。ないものに対する情熱は、熱も感じられる。終わらない夏。

https://www.instagram.com/p/Bi3lQ_an3mQ/

Instagram post by 世界のmaemuki • May 17, 2018 at 6:27am UTC

 

2つのビルが橋で繋がってる風景。下には緑がある。偽物の緑。でも木はもちろん本物。土はあるけど、少ない。でも木の葉っぱは風に揺らめいて、いつも音を奏でている。都会なのに、確実に自然がここにはある、といつも感じています。

港区。東京都港区。俗物たちがたくさん蠢いてる港区。でもここには、働いている人達もたくさんいる。改札からまっすぐ列をなして、乱れず、惑わず、ひたすらにまっすぐに。

こういうものを、俗物といって、バカにするのが、若い人たちなのだろう。大人というものをバカにしている。ほんとうは、こんな街で頑張ってはたらけないことが、くやしいのではないのか。僕はずっと大人だった。子供が嫌いだったから。なんて。

僕は都会で働いている自分に酔いしれているのではないのか?

俗物といえば、MPBというものをまだ良く知らないのに、こんなブログを書いている自分なんだろう。仕方ない。MPBというものが、自分のもっとも好きな要素を集めたものだと気付いたからだ。ほんとうに。この「アルトゥール・ヴェロカイ」という人をまったく知らなかったけど、このサウンド、曲の素晴らしさ。僕の好きな要素もたくさんつまっている。ギター、ピアノだけではない、管弦を使ったアレンジ。もちろんラテン音楽には必須のパーカッションたちも。嗚呼パーカッション。僕はパーカッションが好きだ。ボンゴ、コンガ、トライアングル、クラベス、ティンバレス、ああティンバレス!好きだティンバレス!!マラカス、タバサ、タンバリン。。

そしてMPBの、まだ理解できていない、飲み込めていないコード進行に、力の抜けたボーカル、分厚いコーラス。最高だ。もう単純なロック・ミュージックあんて聴けないよ勘弁してくれ。

https://www.instagram.com/p/BimK1JwHyVY/

いろんな再会と再開を前にした時、人はどんな反応をしめすのだろう。某僕のような人物は、別にねそんなことね大したことはないよ、なって言うのだろう。

しかし、信じられないようなうれしい再会と再開には、素直によだれをたらす某僕だっている、いた。このPIZZAマルゲリータの前に。

わからないだろう。このピザがどんなにドラマ性を孕んでいるのか。他人にはわからない。誰にもわからない。

これにありつくまでにもドラマがあった。ただのマルゲリータでも。わからないのだろう。ほんとうはたいしたことではないけど。このマルゲリータが美味しかった、それだけでいいだろう。そのことを書いて、人に「ああ」と思わせるには僕にはまだ読書量が足らないのだ。どうしたらいいんだろう「エキナカ」にある本屋で何かを買おうか。明日は中野区の図書館にまた行こうか。嗚呼。ああ。

https://www.instagram.com/p/Bi4bh-DHyUW/

この「スイカスクリュードライバー」にも、ドラマがある。それは過去のドラマだ。過去のドラマ。ああ、そう。いつもドラマは過去だった。過去について話すとき、どうしても「じまん」めいてしまう自分を恥じてしまう。深田恭子が祖父の言い伝えで「自慢はよくないよと言われたので、謙虚さを忘れないようにしています」と言っていた。恥ずかしい。僕の話はだいたい自慢ばかり。のように思えてきた。

「スイカスクリュードライバー」がなぜ自慢に結びつくのか、さっぱりわからないに違いない。けれども、それを明かすと自慢になってしまう、からやめるんだ。やめる。

でも、大したことではない。ほんとうに。ほんとうに。

https://www.instagram.com/p/Bi019SbHSYq/

田舎からやってきた男が、田舎くさいマクドナルドのビックマックをテイクアウトして、都会くさいガーデンテラスで、それを食す。ついこの間まで、マクドナルドに行くには、登山が必要だったのに!!!

人生というものは、面白いものである。でも自慢ではないのです。ほんとうは、楽しくてたまらない。こんな自分が。ものすごい逆転劇。また、ここに帰ってこられた。最後に働いていた街で、違う会社だけれども、ほとんど隣りの場所で。あんまりないことだと思う。あるのかな?田舎だったらありそうだけど。いや、ない。そんなことはない。そして例のピザもまたありつけた。しかし、そこはこの前まで「ランチ休業」だったのだ。しかし、しかし自分が働きはじめてすぐに、再開をした。再開2日目に向かうと、「満員でもうすぐラストオーダー」だった。しかし、入れた。オーダーできた。神さまはいると思った。

「スイカスクリュードライバー」は、はじめてのタイ、バンコク、はじめての五つ星ホテルフォーシーズンズ・バンコクにてはじめて飲んだ、スイカのジュースの味を思い出した。それだけのこと。それだけのこと。

僕は、ほんとうに愚かだと思う。でも、まったく愚かだとはほんとうに思っていない。

僕は楽しい。そして明日は映画を観に行く。少しだけ、自分を忘れたいから。

 

終わり…

 

 

【映画の感想】早稲田松竹でゴッホの映画とついでに「ネルーダ 大いなる愛の逃亡者」を観ました!

くだらないわ

一人で映画

ロンリネス ロンリネス

 

www.youtube.com

 

タンポポの名盤「TANPOPO 1」の「ONE STEP」という歌詞にこのような節があります。僕はいつも一人で映画、くだらないわロンリネスロンリネスなのです。でも「映画とは一人で観るもんだぞおおクソ」と尊敬する大槻ケンヂさまが仰っていたので、僕もそうしています。

今日は、「早稲田松竹」に行きました。前だったら、歩いてこれたところですが、今日が初めてでした><

目的は、見逃していた「ゴッホ 最期の手紙」を観るため。でした。

 

ゴッホの手紙」という本があり、僕はそれを読みました。 

ゴッホの手紙―絵と魂の日記

ゴッホの手紙―絵と魂の日記

 

弟のテオドルス・ファン・ゴッホにあてた、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが書いた手紙を収録した本ですが、ほんとうにくるったような長文の手紙が、たくさんたくさんあるのです。そこには、彼の本当の姿、苦しみが感じられるものでした。僕はあまり美術には明るくありませんが、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは好きで「ゴッホ展」にも行ったりしました。ゴッホの絵が展示してあったりすると、ずっと見たりします。

まったく、生きている頃には、評価されなかった。評価がされ始めた時に、死んでしまった。この映画は、彼が死んだ直後から物語がはじまり、「ゴッホ風」の絵を若い画家が直筆で描いた絵を用いてアニメーションと実写で表現をしていました。

実際に、死んだ後の話。「最期の手紙」を巡って、サスペンスみたいな話になっていました。「ゴッホの手紙」についても、たいした言及もなく、ちょっと???と思いだして、もう冷めてしまいました。ほんとうは「ゴッホの手紙」の様な風景が、「ゴッホ風」の絵を用いて描かれるのかな?と思い込んでいましたが、実際には、彼が生前にくらしていた風景を、「ゴッホ風」に描いていて、そこには生々しい人間模様があるだけでした。アニメーションと実写が交互になるので、バランスも悪く、それぞれ美しいのですが、どっちかにしてもよかったのでは?と思ってしまいました。

あと、音楽がまったく心に残らなかった。まあ、そういうものなのかもしれません。映画としては、さみしいですが。。

ゴッホの手紙」から、引用をした記事がありますので、これは「ゴッホの手紙」のごく一部ですが、紹介しておきますね

maemuki.hatenablog.com

 

そして、「早稲田松竹」は入れ替え制ではなく、入場料を払えば、後の映画も観られるということで、そのまま次の映画も観ました。全然タイトルもわからないまま、みました。

みたのは「ネルーダ 大いなる愛の逃亡者」という映画です。

https://www.instagram.com/p/BirKC8dHt_I/

 ほんとうに、何も知らないで観始めた映画でしたが、すぐに引き込まれました。テンポが良く、物語がサクサク進んでいきます。ネルーダは詩人、そして自由人で快楽主義者、そして共産主義者で議員。かなり大衆に支持をされている。だけど、政府には嫌われており、命も狙われている。しかし、詩のちからは強く、揺るがないものがある、ということがわかりました。

ほんとうに快楽主義者で、裸のたくさんの女性をはべらせていたり。しかも、酒と詩集!を片手に、なにやら楽しんでいるのです。

この映画の主役のひとつは「詩」です。ネルーダの詩が、台詞の中や、独白の中で、たくさん使われていました。

そして、もう一人の主役が、警察、警部補で、「美男の警部」として紹介されていました。彼は、実は警察のトップの隠し子だった。母は売春婦だった。そして敵であるネルーダの詩に心酔をしていた。

ネルーダを消すという、国家の通りに警察の犬として従わなければいけない。そのような彼とネルーダが対峙をきっかけに、ネルーダは彼のことを詩にします。そして、詩によって、お互いが通じあうような、描写がされていきます。そして最後は詩の通りに。。民衆のちから、正しいものが、勝った、という内容でした。

こう書くと、固い映画のように思われるかもしれませんが、エンターテインメント性の高い映画でした。メッセージ性もありましたが、気にならなかった。

そしてネルーダが、ノーベル文学賞を取った人だ、ということは映画が終わった後に知りました。それは映画の中では触れられてはいなかった。そこがエンドではない、そんな映画でした。

素直に、僕は時間を忘れて、映画を楽しむことができました。

 

早稲田松竹は素晴らしいところです。来週も旧作のコーエン兄弟の「ファーゴ」と「スリー・ビルボード」という映画が上映されます。その2つが計1300円で観られるなんて!「スリー・ビルボード」は予告編が流されていましたが、かなりくるった映画のようです!たのしみ!

映画が楽しめる場所が、上田映劇以外で、やっとみつかりました!!

でも、また上田映劇にも行く予定です!楽しみ!映画って素晴らしい!!