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さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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Alone Again (Naturally) / Gilbert O'Sullivan 英語がわからない自分が本当の意味を知ってしまった曲

ギルバート・オサリバン

いろいろショックを受けた曲がありましたので書きます。

その曲はギルバート・オサリバンの「Alone Again (Naturally) 」という曲です。

www.youtube.com

曲名やアーティストは知らなくても、この曲はなんとなく聴いたことあると思います。CMとか。アニメ映画「めぞん一刻」の主題歌だったとのこと。

どこで流れても、似合うような、そんな親しみやすい曲です。イージー・リスニングという言葉がこの曲がリリースされた時(1972年)にあったのかはわかりませんが、その言葉に相応しい、優しい曲。の、ように聴こえます。まるで、ひだまりの中で、あたたかさに包まれているような・・・

 

タイトル「Alone Again(Naturally)」と、あります。アローン。それがアゲイン。またひとりぼっち。そして、ナチュラリー。自然に。また自然にひとりぼっち。

本当の歌詞はどんな曲なんだろう、英語が苦手なので、ネットで検索してみて、その結果に僕は唖然としました。

こちらのサイトで歌詞が翻訳されていましたので、御覧ください。

blog.livedoor.jp

 

こ、これは・・・

歌詞を要約すると

 

まじうつだ→よっしゃやってやる→飛び降り自殺しよう→みんなにわからせてやる→心が傷つけられたみじめさを→結婚式で彼女は俺を置いてきぼりにした→みんなざわめき→「やべー捨てられたぜあいつ」→「引くわー帰ろうぜ」→みんな帰っていく→また、ひとりぼっちになった。そうなってしまった・・

 

昨日はハッピーだったのに・・→まじ疑ってなかったよ→でも今現実に傷ついている。ズタズタだよこのああ→おお神よなぜ僕を見捨てた?→本当にまたひとりぼっちになってしまった!!→世界にはもっと俺より傷ついている人たちもいる→そして彼らも俺もも、ひとりぼっちのまま。どうしたらいい?ひとりぼっちでどうしたらいい??

 

またひとりぼっちだよ。自然になってしまった。

 

過去のことを思い出す。→お父さんは死んだ。俺は泣いたよ。→そして母さんはその後65歳で死んだ。→なぜ神様は父さんを奪って孤独な生活を始めさせるようなことをしたのか?→母さんを励ましたけど、母さんは口数が減っていって、そして死んだ→僕はずっとずっと泣き続けた→またひとりぼっちだね。またひとりぼっちだ。当たり前のように・・・

 

 曲のイメージとは全く違う、一人の男の壮絶な人生の悲哀のブルースともいえる、そんな曲だったのです。ショックでした。表面的なものにだまされて、この曲の本質が見えていなかった。英語がわからなかったからです。日本でCMやBGMでこの曲を採用している人も、まさか開始すぐにビルからの飛び降りを考えているうただとは思ってはいないでしょう。

もしかしたら、自分が知っている「英語の曲」で、僕が認識している意味とは全く違うものがあって、それは英語を理解していないと、わからない。「損をしている」のではないかと思ってしまうのです。

外国のものが好きになると、やはりそのものの「母国語」の情報が一番充実しています。そして英語もです。日本には無い情報がそこにある。インターネットには特にそれがある。それは目の前にぶら下がっているのに、自分は理解できない・・

 

なにはともあれ、物事をもっと深く理解したいという、「欲望」を発見できたので、良かったです。

そして僕もアローン、アゲイン、ナチュラリーです><

 

おわりです

 

 

「愛してくれなかった人達へ」服部祐民子 【懐かしシリーズ】

服部祐民子 懐かしシリーズ

www.youtube.com

 

愛してくれなかった人達へ

愛してくれなかった人達へ

 

 

自画像

自画像

 

 

 昔住んでいた、高校時代そのときだけに住んでいた時に、今住んでいる状況です。

そうすると「その時に聴いていた音楽」を思い出したくなるのです。

田舎だけど、田舎の中の都会だった、今も田舎としても都会といえるかもしれない(本物の都会をその後知ってしまったので)その地で、思い返そうとして、思い出した曲がありました。

それは「服部祐民子」です。

1997年にシングル「愛してくれなかった人達へ」にて、デビューしました。

最初に聴いたのは、ラジオだったと思います。当時はもちろんインターネットは普及しておらず、あとはテレビとラジオでした。服部さんはテレビで見ることは、その時はなかったです。その後上京、上埼後に、テレビ埼玉でお見かけしたかもしれません。

www.youtube.com

そこで聴いたのが「愛してくれなかった人達へ」という曲です。

当時18歳でしたが、こういう「暗いタイトル」の曲がどうしても気になってしまう時期でした。今も若い人はだいたいそうなんじゃないかと思うのですが、最近よく聴く曲には、そういうタイトルの曲はない、ような気がするのですが、自分が知らないだけかもしれません。「病んでいるキャラ」を演じている少年少女達は何を聴いているのでしょうか。心配になります。そういう気持ちを込めて書いたこのブログのTOP10に居続けているのは、もしかしたら・・・なんて思うのです。気のせいでしょうか。

maemuki.hatenablog.com

 「愛してくれなかった人達へ」は、そんなに暗く、病んでいる曲ではありません。

「僕を愛してくれなかった人達に今日でさよなら告げよう」という、前向きな曲なのです。

が、しかし、主人公は、不器用な人間で、何かをいつも落として、胸を痛めている。そしてそばに誰もいない。傷をかぶって、無理に笑っていて、疲れた・・。結構辛い状況ですが、凄くわかる。誰でもわかると思います。わからない人は偽善者だといってもいいかもしれない。

そんな普遍的な悲しみを、独特の「暗い声」で歌われると、すごくズドーンとするのですが、案外そうではありません。この曲の主題が「僕を愛してくれなかった人達」へ「さよならを告げよう」という曲だからだと思います。

 

この曲が収録された1stアルバム「自画像」も買いました。

もう持っていなくて、音源もありません(当時はPCなんて持ってなかった・・)

 

「最近の服部さんはどうなんだろう」と思って、例の如く、wikipediaを見てみました。

服部祐民子 - Wikipedia

今は故郷の岩手に帰って、歌詞の中の「君」とご結婚されて、お子様もいるとのこと。良かったです。良かった。良かった。同じソニーレコードの「橘いずみ(現:榊いずみ)」も幸せになっている。きっと2人共幸せなんだろうな。きっと。

 

そして「新しい曲を聴いてみよう」と思い聴いてみました。

なんとなく、なんとなく聴いてみた曲が「きて」しまいました。

www.youtube.com

6枚目のシングル「アドバルーン」です。

この曲を聴く前にwikipediaに気になることが書いてありました。

高校卒業後、上京して都内の家電量販店に勤務。寮に住み込みながら楽曲制作。

 歌詞を読むと、おそらく、おそらくですが、その頃の情景がここに描かれていると感じました。きっとそうです。

歌詞:アドバルーン

http://j-lyric.net/artist/a052b2c/l020ff4.html

「君」と電話するその一時だけが楽しみ、あとはかつての明るさを忘れて、死んだような暮らしをしている。お昼休みに一人でデパートの屋上でアドバルーンを見つめていた。離れた「君」は頑張って頑張ってというけれど、何も頑張ることがなかった。

おそらく主人公は、「東京で働くためだけにやりたくない仕事、入りたくない寮に入っている人」(門限は11時など)だと推測されます。そしてそれは服部祐民子さん、その人です。

こういう、「働いている人の歌」は、あるようであまりないと思います。なぜならば「働くこと」はその人にとって苦痛なことだったからです。服部祐民子さんもおそらくそうだったんだと思います。

 

実は(また自分語り)自分も、この地から抜け出す方法として「全寮制の東京での仕事」を探していました。親に東京で新しいアパートを借りることは許してくれない、それならば、全寮制の仕事で。と考えていたのですが、許してくれませんでした。

もし、働いていたのなら、どうだったんだろう。

この「アドバルーン」を通して、その現実が見えたような気がしました。

 

そして、この曲も最後は前向きな感じで締められています。

「退屈も憂鬱も 見方を変えたなら幸せ 忘れた頃に振り向いて 笑いとばせるさ」

 

僕は自宅を得て、そこから働くことができました。そこは東京ではありません。

しかし、とりあえず、街で働くことはできそうです。

本当は・・・とどうしても考えてしまいます。でもいつかその日々が終わることを祈って、生きていきます。

 

ということで、僕を愛してくれなかった人達へ。バイバーーーーーイ!!!

【昨日聴いた音楽】「TOMOVSKY」と「尾崎裕哉」

尾崎裕哉 トモフスキー

全く音楽的に違うお二方ですが、僕は確かに昨日この2人の音楽が強く心に刺さったので、ここに記します。

 

まず、TOMOVSKYさん。

カステラというバンドブームの中にいたバンドを解散して、ソロ活動を始めるにあたり「ロシア人を意識して」本名の「大木 知之」からトモフスキーに改名した人。ロシア好きなので気になります。

双子の兄は「The ピーズ」の大木温之さん。「とどめをハデにくれ」などのヤケクソ系ロック、カステラもたぶんそんな感じだったと思う。やけくそ系双子の兄弟。いいなあうらやましい。僕は姉妹とは疎遠になりそうです。

 

気になってはいた。トモフスキー。アルバムのタイトルで「ネガチョフ&ポジコフ」というのがあった。「そこまでロシアなんだ」と感心したのです。ネガチョフ、ポジコフ。「さわやかネガチョフ日記」にまた変えようかな。あ、まえむきだからポジコフかーなんて。。 

ネガチョフ&ポジコフ

ネガチョフ&ポジコフ

 

 テレビ神奈川でよく流れていたので、そこで見てはいたけどまだ作品はちゃんと聴いていない。昨日、なぜ聴いたその2曲に辿り着いたのかはよくわからない。たぶんそのタイトルに感じるものがあったのだろう。


疎遠/TOMOVSKY

www.utamap.com

わざわざ連絡することも無いので、連絡したいけど、できない。そしてそれが「新しい疎遠」が生まれてしまうかもしれない。という曲。非常にだるい感じでそんな歌詞を切々と歌われても、ほとんど人が「ふーんそうなんだ」と思うだろうけど、突然に今までいた街を離れて、また新しい街で新しい生活が始まったばかりの人間にとっては、他人の歌とは思えない。

「いつかこんど いつかこんど いつかなんてずっとこない」

ほんとうにそうなんだ。疎遠。この曲のYoutubeに「so end...」と書かれていてハッとした。疎遠、so end ほっておいたら、so end 

でも、疎遠になっているかはどうかは、本当は自分で決めることではない。あーあ。

疎遠とは疎遠になりたい。でもどうしても身近だあ〜 

「疎遠」は「39」というアルバムに入っている。おそらくその時のトモフスキーの年齢だと思う。僕は「40 」だから、同世代の曲だと思うと、なんだか感慨深い。

みんなもう自分とは違う生活を送っている。はぐれたしまった人が、それを感じることがある年齢だと思う。

39

39

 

 

そしてもう1曲「過去のドレイだ、生きた化石だ」


TOMOVSKY 過去のドレイだ、生きた化石だ

 

www.utamap.com

過去の奴隷。僕の今をそのまま表している。

歌詞を読んでいただければそのままの僕がわかります」とだけ書いて終わらせたいほどに、同じことを考えている。

いつも今と、いつかを比べている。

昔ながめてた未来と今を(今、高校3年間だけ住んでいた街でひとりぐらしをはじめました)

いつか吸い込んだ空気を今日のをくらべてながめている。

 

かつて知ったるけど、知らない街になってしまったその街で、迫り来る現実と対峙して、よろよろと歩く。ひたすら歩く。

「いつか見ていた未来が、ここにある今ではなかったはずなのに」

そんな自分がこの曲から浮かびます。

「ここよりスゴイ 場所をしってる これよりスゴイ夜を知ってる これよりスゴイ気持ちを知ってる 今日よりすごい 景色を知ってる」

 

残酷だけど、そのとおりのことを日々感じています。やはり素晴らしいところにいた。素晴らしい体験をした。最高の気持ちを味わった。そして、日本ではないところ、ここではない日本でも、スケールの違う景色もみた。みてしまった。みてしまった。

 

まさに、過去のドレイ。今日を生きる化石になってしまった自分。

 

どうしたらいいんだろう。

過去は消せない。過去から逃げても追ってくる。それがスゴイものだった。自分の中では。それは他人からの評価でも、伝わってくることさえある。いいことなのに、厳しい状況。

この曲の救いは「曲調が楽しげで楽観的」だということ。トモフスキーの声質もあると思う。僕なんかがこの歌詞で作曲したらドロドロでやばいことになって誰もきいてくれないと思う。だからいいなーと思いました!

 

ここで、気分を変えて、最近気になっていた「尾崎裕哉」について紹介します。


尾崎裕哉「サムデイ・スマイル」Official Music Video

彼を見たのは「ミュージック・ステーション」でした。

その日は、大人数の出演で、さらに大人数のグループが多いという状況でした。

そこに佇む彼の姿と歌はまさに「イノセントの象徴」のような存在のようにうつりました。

尾崎裕哉 - サムデイ・スマイル 歌詞 - KKBOX

 

彼の詩は、とってもまっすぐストレートド直球です。

しかし、なぜか僕のこころ、弱ったこころだからもしれませんが凄く響きました。

今は幸せではないけれど、いつか幸せになれる。いつか笑顔になれる。そう信じていこう。あまりにもわかりやすい言葉ですが、アイドルや「J-POPアーティスト」が惰性的に書いた歌詞とは違うように、僕は感じてしまった。

それはもしかしたら散々彼につきまとう、「呪い」のようになってしまった存在のことがあるのかもしれない。そして、その歌詞の中で励まされている、光を失くした「僕ら」は彼と、その人に向けてのメッセージだから、と気づいたのです。

しかし、ミュージシャンとして一人で立ち向かってく彼は、どうしてもそれと対峙しなければならない。隠して、その存在がいなかったようにすることも出来たけど、それが出来ない、してはいけない、立ち向かっていって、もう無くなったその存在に向けて、強い強いメッセージを送る。顔をくしゃくしゃにして、まるで、その人のような必死な表情で。

たんなる「メッセージ・ソング」ではないのです。2人、そして2人の周りの人たちに向けて、具体的なメッセージ・ソングなんだと。

気づきました。

 

というわけで、今後も僕は過去のドレイから脱却するべく、なんとかかんとか立ち直りたいです!さらば過去><

 

【お花見文化】お花見の妄想

文化

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(撮影まえむき 京都にひとりぶらり旅をしたときの写真です!)

 

もうすぐ春ですね。

ほらね春が来た

春なのに。

お別れですか。

 

おはようございます。さわやかまえむき日記のさわやかまえむきです。

さわやか「トラウマ」から変えたのですが、あいかわらずそのことに対して、特に何の反応もありませんでした。

「ふーんそうなんだ」という声すら聴こえてきません。「ふーんそうなんだ」というのは、僕がかつて働いていた会社の社長様のモノマネのネタなのですが、それをやることも、なくなったと、ふと思い出したのです。

「ふーんそうなんだ」深い言葉です。そして、今日のテーマは「お花見」ですが。

これに関しても、「ふーんそうなんだ」以外、特にありません。

 

春というものは、僕はとても好きな季節です。春が来て、寒い季節が終わる。

それは心の解放を意味するのです。「解放を・・・!(hyde)」

そして、花が咲き乱れます。あたたかい空気の中で、赤白黄色、そして・・桜も色づく。

 

そして人々は「花見」と称して桜の下に集います。

桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!とはおもわない人たちが(梶井基次郎の文章です)集まっているのです!桜の樹といえば、屍体。そうなのです。

 

それよりも、桜を見るというより、ブルーシートを引いて酒のんでどんちゃんさわぎ!そして「さくらーさくらーんいま〜まいおどるぅ〜」などと、森山直太朗さくら(独唱)をみんな合唱したりするような、さわやかくそまえむきな集い、それが「花見」なのです。違いますでしょうか?しょせん酒飲みのための集会なのです!

 

そのような場所に行った記憶は、もちろんあります。

僕は今や、「究極のスタンドアローン」状態ではありますが、かつては「東京のちょっと有名な企業で働いているOL的な意味でリア充というか平凡なOL的な男」だったのです!当然花見とか、パーテーとかにも行ったことがあります。

しかし、「会社の花見」には行った記憶はありません!断った記憶ならあります。

ただし「二子玉川ちかくの多摩川河川敷での豚の丸焼きパーテー」には行った記憶があります!オシャレでしょう?うっとり・・・

今や、長野の上田城でお堀の鯉を毎日一人で眺めるまいにち・・。田舎で孤独・・。

 

「一般的な花見」が嫌いな理由は、まず集団行動であるこということです。

知っている人との集団行動も基本的に苦手なのですが、次から次へと、知らない人がやってくると、恐怖。恐怖です。

(例:知らない知り合いの知り合いの男性との会話)

「んちわー オオヤマです」

「(誰だろう?あいさつしておこう)こんにちわ!まえむきです!」

「あーどうもー(なんだこいつぱっとしねーな)」

「あ、あの今日はどなたに誘われてききたのですか?」

「ジェイジェイに誘われて。あ、自分ネットシンクのものです(こいつ情弱っぽいから知らないだろうな)」

「ジェイジェイくんとはいつも仕事してました。ネットシンクのオオヤマさん。よろしくおねがいします(全然知らない会社だ・・・でも悪いから知ってるふりしなきゃ)」

「まえむきさんは会社で何やってるんですか?企画ですか開発ですか」

「・・・どっちもともいえないのですが・・(QAなんて知らないだろうな・・)」

「あ、自分トイレ行ってきます。」

「はい」

「ジェイジェイ、なんだよあいつ、まえむきとかいうの、お前の会社変なやつばっかりだな。イメージと違うと思うよ。」

「そんなことないよ。うちの会社、昔CAに「11階の秋葉原」って言われてたし、問題ないよ。」

「お前の会社の受付の美人の子が来てたからそこに移動しよう」

「俺もいくわ」

 

 

(みんないなくなっちゃった・・・。さくら、きれいだな・・)

 

https://www.instagram.com/p/BQ0Si75D8Wy/

 

こんなことが、あるかもしれません・・・

うつですね・・・

行きたくない!

 

とうぜん、知らない人と出会えること、それが花見、知人との花見の醍醐味ともいえるかもしれません。が、

知っている人と話すのは得意なのですが、知らない人と話すのが、あまり得意ではないのです!くつうです!

ただ、「知らない男性たち」は特に苦手ですが、「知らない女性たち」は結構得意かもしれません。

(例:知らない女性たちとの花見での会話)

「はじめまして、まえむきです」

「はじめまして。まえむきさん、わたしえみかです。こちらはよしこです。同じ会社でふたりともデザインやってますー」

「デザインなんですね。デザインの人ってオシャレで可愛い人多いですよね。二人ともかわいいです。」(これで余裕だな・・)

「わあーお上手ですね!」

「本気で言ってますか?」

「よしこ、よしなよ〜たぶん、本気じゃないとはおもうけど。。。」

「本気ですよ!僕はいつだって本気でマジでピュアなんです」

「ピュア!」「マジもピュアもそんなことばひさびさー」

「僕もそうですよ。さいきんピュアなんて言葉マジつかってないです。和久井映見のドラマ以来です。」(ちょっと古かったかな)

「あったあった覚えてるーっていうか小学生のころだったかも。あんまり覚えてない」

「よしこちゃん、若いんだね。私中学生だったかも。。。そういえばまえむきさんはおいくつなんですか」

「18歳なんです。こころはまだ処女です」

「!」

「本気でいってますか?」

「えみか、、まえむきさんはピュアだから・・。まえむきさんはピュア」

「(まえむきうなずいて)ところでみなさん、桜でも、見ませんか?」

「そうでしたね。今日は花見だったーー」

「実は、わたしえみかとよしこと、その他もろもろで”やけざけおとめだコノヤロー会”っていうのをやっているんです。まえむきさんも参加されませんか?まえむきさんは確か男性だと思いますが、残念ながら乙女的であるとお見受けしましたので参加していただきたいです。やけばちに中目黒で開催しています」

「中目黒!それはそれは・・・参加します」

「さすが、中目黒に反応するなんて」

「はい。友人が中目黒に住んでいたので、家にいくついでに花見の季節なので見に行ったら、中目黒で桜を見たい人たちが集結していて、ものすごい数の人たちが、わざわざ埼玉県や千葉県から中目黒に集結していたんです。東急は神奈川に繋っているのに」

副都心線乗り継ぎで埼玉、しかも東武東上線ともつながるようになりました。つまり中目黒は埼玉とひとしい、というのが私達の考えです」

(まえむき:なんだかすごい人達だな・・坂戸とか東松山以北の人たちなんだろうな・・僕はふじみ野に住んでたから、ちょっと彼女らより格が上なのかもれない・・)

「ありがとう。よしこ。説明してくれて。まえむきさん、その点についても中目黒で話し合いましょう」

「わ、わかりました」

 こんな楽しい異性達のふれあいもしたいのです。なぜ僕は異性と気が合うのでしょうか。

基本的に異性はみんな「意識が低い」人が多いという認識です。それは失礼かもしれません。「意識が高い」女性の人は、女子に嫌われる傾向があると、過去に体験したからです。

そして「意識の低い男性」は、誰にでも嫌われがちですが、「意識の低い女性」は、好きではないけど、相手をしてくれます。

 

花見とは関係なくなってきました。

 

花見とはおとなの世界だけではありません。子供も、そして老人も参加します。

こども。こども。

実は、僕こどもが大好きなのです。子供がいたこともあります。

それは妄想なのですが・・・息子、ディール・サジタリウスは死んでしまいました。ディッセルドルフの外れにあるサナトリウムで・・

は、やめましょう。最近、大島弓子の読みすぎで、頭が完全に少女化しているのです。

そして、「子供と仲良くしたい」という気持ちはいつもあるのです。その近づきの手段として「花見」は最適です。

こどもは「外」が大好きで、もちろん「桜」も大好き。純粋に花見だけを楽しむのです。穢れた酒なんて液体(僕は酒が飲めません)を口にしたりしない、おこにあるかもしれないおかしには興味はあるかもしれない。僕もおかしだいすきー

 

こどもと触れ合う機会があって、「子供と仲良く出来る方法」を編み出しました。

それは、「自分が子供と同化する」ということです。もちろん、それは言葉だけではありません。すべてをすべてを子供と同化、同レベルの人間になるのです。

赤ちゃん様でしたらお口を開けてわあわあと言って両手を上げて何かをやっていたら、自分もそれをやれば、気にしてくれます。もし笑ってくれたなら、成功です。

しかし、引きも重要です。その喜びを持続できるのかできないかのか、見極めが大事なのです。おそらくその引き際を知っているのは母親です。母親が仲良しの人だったら、そっと「ソフトな拒絶」を遠回しにしてくれます。こちらもそれを察知してパッと引きます。

でも、赤ちゃんから離れていても、顔が見えていればまたチャンスがあるのです。

顔を見て、目を合わせることができたら、そのまま、口と頬を動かすのです。あとはおめめをパチパチ、そしておめめパチパチと口ぐにゅぐにゅ。これの合わせ技。

これで赤様は喜んでくれます。

 

そして赤様との「会話」もできます。「ばあばあ」といったら、ちょっと違った様子で「ばあばあ」と自分もいうのです。そしたらまた違う「ばあばあ」が返ってくる。返って来ない、そして「泣き出し」の可能性も・・・そしたら引くのです。

あとは「動きの同調」もあります。よくわからない動作を赤様がしたら、同じ動きをするのです!そしたら、なんらかの反応をしめしてくれます。

また、最終的に「体験の同調」ができると良いと思います。たとえば「ママに怒られて泣く」のです。まえむき「ママーおかしたべたいよお〜わーん!」赤さま「うえええ〜」母親「・・・」

その時真の友情が目覚めます!

 

でも、実際におこさまと触れ合える機会はありません。

ショッピングモールのフードコートで遠くから見守るだけ。

目をあわせようと、母親様にみつからないように、ひたすらスキを探して・・・。あやしい。あやしいおじさん!それは「気をつけて」の対象「知らないおじさん」なのです。こんなにやさしいおじさんなのに。「知らないおじさん」は敵なのです。

 

そして子供らにとって僕が「知っているおじさん」であっても、親に敵認定されると、会えません。

そんなことを体験してしまって、またうつです〜(T_T)

本格的にはなしがそれました。「おこさまとはなみがしたい」というのが言いたかったことです!

 

このブログもそろそろ引かないといけません。

しかし、サクラの季節はこれから。

ということで次回(次ブログではありません)の桜シリーズは「サクラ」の話を書こうとおもいます。

 

終わり!

 

【テレビの感想】ドラマ「カルテット」最終回 感想 やっぱりカルテットが好き

カルテット テレビの感想

 

みなさんこんばんわ。

カルテットの最終回を書くためだけに、ブログを復活させました。

嘘です。もちろん嘘です。いままでも、このブログでは嘘ばかりついてました。

しかし、住んでいるところが軽井沢。ではなく隣のところ。

そして、「別荘」に住んでいたこと。

そして、無職であること。これは事実でした。

 

しかし「無職」以外の事実からは離れてしまったのです。

そしたらまあなんでしょう。ひとり離れて、軽井沢からはすごく近いようで遠い、でも高級な手段を使えばあっという間という複雑な場所でひとりで、今日、カルテットの10話、最終話を見たのです。

今日、私の新しい家にインターネットがつながったのも、なんかの縁だったのかもしれません。

 

本日の演目に、私は満足しました。

最近の「カルテット」はほんとうにほんとうに、本筋から離れた「終わったドラマ」の追憶のような。音楽でいえば、モーツァルト亡き後に弟子たちが未完だった「レクイエム」を勝手に補足して楽章作った、その楽章だけを聴いているような。ああ。なんだかクラシックマニアのような事を言ってしまって恥ずかしいです。ようするに、「近い、というかそのものには違いないのだけれどもどかしー」ということです。

 

そして、なぜ今日満足したかというと、「4人」の出番が多かったからです。余分なものは前回で抹殺されましたね。ありすとか!また出てきたけど。

そして演奏シーンもありました。それは、僕が予想していた「軽井沢大賀ホール」で行われました。

 

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maemuki.hatenablog.com

 ここの夜景は本当にうつくしくて、しかし当日は寒くて立つことすら辛かったのです。

今年の3月上旬ごろは、さぞかし寒かったでしょう。その会場をソールドアウトをするために俗物達を利用して、彼は集結し、そして彼らは去っていった。そして俗物達が去ったあとに「ドラゴンクエスト」の序曲を演奏するという、わかりやすいオチ。いいんです。いいんです。それでいいんです。

 

僕は前2回を見るたびに、過去のあるドラマを思い出してました。

それは、昔、90年代に放送されていた「やっぱり猫が好き」というドラマです。

この「カルテット」にも出演しているもたいまさこ室井滋小林聡美、「恩田三姉妹」が、彼女たちが住む家の中だけで繰り広げられるコメディ、というにはあまりに愛らしすぎる、そんなドラマでした。ドラマでもないかもしれない。実際には三谷幸喜が係わっていたので、もちろん脚本があってのことだと思います。

それは自然に繰り広げられ、三姉妹が会話をしているかのようなのですが、会話ではなくて、セリフなんだ。と当然ながら気づいて、それは3姉妹の女優としての才能、スタッフの才能があるからだと。

 

「カルテット」の4人だけ、あの別荘での会話でも、それが感じられて、それが楽しかった。リラックスした世吹さんのファッションの可愛さ、家森さんのオレンジのラインが入った青のジャージ。そして、意味がありそうで、絶対なかったと判明した、数々の伏線などない、「ほめやかし」すべてがオトナの掟だったのです!!きづきました!

そういうところも含めて「カルテット」と「やっぱり猫が好き」は共通点がある、状況的なものだけではなくて、類似したものだと、私は思います。

 

ひとつだけ気になるのが、「手紙」の主です。

5年前に聴いた「カルテット・ドーナツ・ホール」の演奏を酷評し、あなたたちの演奏と存在が煙突の煙のようだ。煙なのに、なぜ音楽をやるのか。なぜ生きているのか。人間なのか。それに対する答えは明示されることはなく、終わったように思いましたが、その主の「なぜですか」の言葉が繰り返されたのが、頭から離れません。

 

なぜやめないのか

なぜつづけるのか

 

個人的に、耳に痛い言葉です。

そう言われたことはないのですが、そういう場所に行ったことがないからかもしれません。カルテットのメンバーはそこに行こうとした。

 

というわけで最終話は僕の「やっぱり猫が好きでカルテットも好き」な難解な欲望だ満たされました。

「死と乙女」も少しわかり易すぎましたが、鬼気迫る真紀さんと世吹さんの表情には感じさせるものがありました。「彼女は死んだ」「乙女は死んだ」「もう誰も生きていない」

 

そしてエンディングのテーマ「おとなの掟」が車の中でのリップシンクで再現されました。この曲でリップシンクをしたのは、PVではありましたが、それ以外では初めてです。「そう人生は長い 世界は広い 自由を手にした僕らは グレー」という歌詞の意味が、わかったような気がします。海を4人で「カルテットドーナツホール・カー」にのって、巡業先へ向かいます。彼らは自由を手にした。

それは幸福かもしれない、そして不幸になるかもしれない。

 

「カルテット」はどうしても、どうしても、自分の状況に当てはめて見てしまいました。だからあまり客観的な印象でないから、離開できないかもしれない。

それでも「そんな人」がいたんだ。ということを分かっていただけたら、届いた!届いてほしいのです!

 

あー

Youtubeで「やっぱり猫が好き」を見て、寝ます!

終わり!

 

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