さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら kyopon2017@yahoo.co.jp



新宿東口「ベルク」初来店から24年、この店が来た事がない、批判をするネットの人達へ

今日は、新宿にちょっとした買い物にでかけて、終わった後に、どしゃぶりの雨が降っていました。そうだ、ベルクに行こう、と思いました。

ちょうど夕飯時ということもありました。土曜日の新宿駅の地下は人いきれということばが浮かんでしまうほどに、特に「東口改札」の出口付近、ベルクの近いところは、何かがあったのか、というような人が密接して動くのが辛いような、蒸した状態でした。

こんな時でも、そこに向かう、向かいたかった理由がありました。

 

ベルクに対して、店長のツイートが発端として、炎上を起こしているような事を知りました。はてなブックマークでも、たくさんのブックマークがされ、コメントは、目を覆いたくなるようなひどいものでした。おかしいです。ベルクは大企業の経営するところではありません。東口改札左に曲がってすぐのところにある、というところが大きな特徴のところ、それ以外は、ほんとうに普通の個人経営の飲食店です。

 

僕が初めてベルクに行ったのは、高校生の時でした。僕はその時長野県在住の高校生でした。学校の講習会や、ピアノのレッスン、吹奏楽コンクールの全国大会を聴きに来る目的で、上京をする機会があり、当時はまだ有料トイレがあった横のところにあったベルクにふと入ってみました。そこで食べた「ベルクドック」の味に、僕は感動をしました。なんてことのない、ホットドックです。

https://www.instagram.com/p/BnAHJRCnJ5A/

ケチャップもマスタードもかけない、かけることはできるけれども、これだけで充分なんだということを感じました。パンは香ばしく力強く、ソーセージは、滋味あふれる味がひろがります。この2つの味を基本として、いろいろな味のハーモニーが感じられるもの、だと感じました。そしてコーヒーも、他の安いコーヒーショップのコーヒーはもう、お湯にしか感じられないと、思ってしまいました。

 

それはもう24年くらい前のことになります。その間、ずっとここに通い続けていたわけではありません。新宿に行くときは、誰かに会うか、何かをする時です。だから、このようなちょっとした際に寄るような店には寄れなかった。いつでも寄れるからまた、と、あそこを通り過ぎるたびに思ってしまっていたのかもしれません。

そして、自分はずっと埼玉県上福岡市という僻地に住んでいました。貧しい時代でした。なぜかベルクに行くということを、しなくなった。ほんとうにお金がなかったからなのかは今となってはわかりません。でもここは基本的に今でも充分に安いお店です。コーヒーは税抜きで200円、ベルクドックは税抜きで280円です。他も安いです。

その後に、更に後悔することがありました。上福岡市を脱出した後、自分は新宿区の大久保に住みました。山手線の内側、新大久保で、職安通りも歌舞伎町も近いところです。だから、ベルクにもっと来られたのに、殆ど行かなかった。会社は新宿より西にありました。山手線の最寄りは新大久保でした。新宿駅には、あまりよらなかった。歩いて新宿駅まで行けても、地下まで降りることは、ほとんどなかった。

 

そして、その後、僕は長野に「都落ち」をしてしまいました。

地方で暮らす中で、東京が恋しくなり、新宿が恋しくなり、まず思ったこと。また、ベルクに行きたい。ベルクは、日本に1つだけしかない店です。チェーン店は、東京にあるものが、長野にもある。でも、ベルクは、あそこ、新宿東口改札すぐのところにしかないのです。またベルクに行きたい。できれば、今度は通勤途中に毎日のように行けるようになりたい。そう思うようになりました。

 

そして、今年の2月に僕は再び東京に来ました。その前にも家探し職探しで、東京に来た際には、ベルクに行きました。久々の東京を感じられるお店でした。僕は家と職が決まり、新宿に毎日バスで行き、山手線に乗るという生活になり、毎日のようにベルクに行けるようになりました。なので、毎日ではないですが、毎日のように行っています。そのような経緯が僕はあります。

 

初めての来店と思しき男女が隣になった時に、モーニングセットを食べて「おいしい」「おいしいね」「朝から美味しいものを食べると元気がでるね」「そうだね」なんて会話も聴こえてきたり、します。ほんとうです。

ベルクは特別に美味しい、グルメの祭典のようなところではありません。普通においしい、ただ普通においしいのです。それが重要です。でもそんな普通であるというところは、もう少なくなってしまう、自分が知らないだけかもしれないですが、街は確実に変わっています。それは、新宿もそうだと思います。

ベルクに来るお客様は、ほんとうに老若男女さまざまです。サラリーマンも、学生も、女性も、お年寄りも、いろんな人。いろんな職業の人達がいる。そして、常連ばかりでは、もちろんありません。場所が場所です。いろんな人が入ってきています。

 カップルも、友達同士、男性の友達同士、男女混合のグループ、そしてひとりの人も。

みんながニコニコしているわけではありません。自分がやりたいことをやっている。ビールを軽く立呑をする人も、スマートフォンをずっと見ている人、分厚いハードカバーの本を読んでいる人、「お金2.0」を読んでいるような人も、そんな人たち。

ここは、新宿という街を表すそのものだと、行く度に感じています。ダイバーシティ、多様性、アルバイトの募集には「信仰と思想は髪型は自由」と明示されています。

こんな良い場所に来たことがない人、来たことがある人が、ネット上の否定的な反応を見たらどう思うのだろう。

今日も、ベルクは大混雑でした。当然の如く。ネットとはかけ離れた世界がそこにはありました。ネットの世界と現実の世界はここまで違うんだということ、改めて感じました。

インターネットでは、否定的な「引き」があるものが共感を得た場合に、数字としてそれが明確化されて、それが確信を得た結果、それが更に増幅されてしまうということがあります。しかし、現実的には、全くそれとは違う世界が構築されていることもあります。それらは直情的ものであるからにして、瞬間的であり、すぐに忘れさられます。すぐに、あっという間に火は消えてしまう。そのようなことが、インターネット、WEBの世界ではたくさんたくさんありました。

僕が働いていた会社でも、そのようなことがたくさんありました。ユーザーの方々の時も、自分達がその標的となった時も、当事者のほんとうの姿については、誰も知らないのに、手軽な憎悪をだけがネット上だけで、増幅していくこと。虚しい世界です。

 

最後に、店内に貼ってある店長が書いた「ベルク通信」の中の文章にこのような件がありました。

b.hatena.ne.jp

このはてなブックマークの中で「今度こそルミネに追い出されるぞ」のようなものがありましたが、ルミネの現社長はベルクの常連だそうです。

 

終わり

【悲しい哀しい】glass thread「グラスレ」が終了…か?

www22.big.or.jp

主に90年代後半から、2010年代前半までのヴィジュアル系インディーズの情報のデータベースを構築していた、グラスレ、glass threadがアクセスできなくなりました。

このブログでも、たびたびリンクを貼っていたりしていたところです。

途中で、「V系離脱」をしていた自分には、とても勉強になるサイトでした。

 

何気なく、バンドのトップページから、メンバーの変遷をたどって、そのバンドの前のバンドの詳細を知り、この人はこの人ともこんなバンドをやっていたんだ、そしてそのバンドの人が、あのバンドの人ともやっていた、そして今は、これをやっている、のようなことを知ることができました。それが永遠のように続くけど、途切れてしまったら、ちょっと戻って、また別のところへ、のような。それが楽しくて、ずっと見続けていられました。更新がなくなった後も、ずっと見続けられていたサイトでした。

移り変わりが多いヴィジュアル系のシーンにおいて、貴重なデータベースだったと思います。

今、現在はvkdbでもそのかたちを取っているので、それはまだ見ることはできます。が。

 

グラスレには、自分がほしい情報がもうひとつありました。

それは、各バンドのシングル、アルバムのディスコグラフィー、収録曲名、作詞者、作曲者が出ていたことです。

このバンドは誰々が多く作詞をしている、作曲をしている、そのような情報が見られたサイトでした。どれだけ、このカオス極まりない世界を、知る手がかりになったことか。

そんな、グラスレがなくなってしまった。もしかしたら杞憂かもしれないけど。

 

このページを運営していたのは、ふかださんという方です。もちろん個人の善意による運営でした。面識は無いのですが、Twitterでの繋がりはありました。

覚えているやり取りは、僕がここに書いたAKB48のシングル全曲レビューの中の「言い訳Maybe」の中で「ロボショップマニアを思わせるギターのフレーズ」と書いたところに「懐かしいなロボショップマニア!」というような感想をくれたことです。AKBもロボショップマニアも知っているなんて意外だな、と思いました。ちなみに「ロボショップマニア」というのは、非ヴィジュアル系極まりない、いわゆる渋谷系のバンドのことです。

 

もしかしたら、もうグラスレの存在を知らない「ヴィジュアル系好き」の人もいるかもしれない。今のバンドの情報はもう載っていなかったから。

でも、ヴィジュアル系の歴史をインターネットに残していた、貴重なサイトでした。利益にもならず、手間だけがかかるものを、ここまで、残してきてくれたこと。ただただ感謝とおつかれさまでした、それだけです。ふかださん、ありがとう。ヴィジュアル系のために、尽くしてくれて。

ああ、杞憂だったらいいのですが・・・。

おわり

 

町田樹 2018/10/06 「そこに音楽がある限り」に寄せて

今日、開催されたジャパン・オープンにて町田樹が出演し、演技を披露しました。選手としての引退を経て、ショーへの出演などを経て、きょうが最後の活動、スケーターとして完全な引退をする、ということです。自分はテレビにて鑑賞をしました。

 

「DOUBLE BILL そこに音楽がある限り」と題し、2曲の演技が披露され、シューベルトの「楽興の時 D780 No.3 ヘ短調」とエルガーの「愛の挨拶」が選ばれていました。

 

「そこに音楽がある限り」と題した理由は、彼が音楽に関して、基礎的な知識を保有しているのでは、と感じさせてくれた事が過去にあり、記事にしました。

maemuki.hatenablog.com

 このタイミングで「音楽」を強調してくる意味は、何なのだろう。フィギュアスケートは、基本的にスポーツである、ということ。なのに。あえてここで「そこに音楽がある限り」という意味は何なのだろうな、考えて演技を見ました。

シューベルト作曲、前述の記事の「継ぐ者」は同じシューベルトの「4つの即興曲」の第3曲でした。「継ぐ者」は原曲のタイトルなどではなく、町田樹みずからが付けたものです。そこには彼の音楽そして、フィギュアスケートに関して、そして彼自身の哲学が込められていたものだと感じました。

 

この曲は、自分も昔、ピアノで弾いたことがある曲です。

音楽的に、「楽興の時 第3番」は、短いながら展開のある曲です。3部構成で短調の部分と平行調である長調に調を変える、わかりやすくいうと、メジャーコードからマイナー・コードに変調し、またメジャーに戻る、という音楽的な物語がある曲です。

それをうまく演じきれていたのか、正直、何度もみないとわからないと感じました。しかし、この曲の一番大事なところ、曲の終わりに向かって、同じフレーズが3回繰り返されるところにて、彼は3回同じ動作をして、そして、見事なトリプルジャンプを飛んだ、それは、この曲において、たったの1回のジャンプのための動作でした。そしてラストは優雅だけれども力強いポーズにて、終止をしました。そこが非常に音楽的だな、と感じました。

続くエルガー作曲「愛の挨拶」は誰でも知っている曲だと思います。ヴァイオリンの優しいメロディが流れる、そこがいちばん印象的な曲です。この曲の手の動きが、まるでヴァイオリンのよう、というのはあまりにも浅はかな表現なのかもしれないけれども、手の動きではなく、足の動き、滑りもヴァイオリンのようであったと感じました。

そして、流れていた、音楽も動きも、振り付けも。

最後に、彼の表情が明るく、笑みを浮かべていたのが、印象的です。演技中に「顔」の演技をすることは、あまりなかったと思います。いつも思いつめていたような、それこそ「学者」のような、表情だったような気がします。だから、これは演技の表情ではなく、心からの笑顔なのかな、と感じ、それが嬉しく思いました。

 

そして、穏やかな曲の流れと共に、終わりました。最後、ピンスポットの照明から、フェードアウトをしてそこから去っていったのは、偶然だったのかもしれません。が、そこが印象的でした。

 

付け加えて、彼が、このままフィギュアスケート界の表から去ってしまうことで、非常に惜しいと感じることがありました。この間の平昌冬季五輪の時のことです。

この日に出演をしていたネイサン・チェンのフリープログラムに対して、彼はテレビ東京の番組の解説で、このような事を言っていました。

「平昌五輪のフィギュアスケートの大きなトピックが2つあり、それは、日本人選手が金銀独占をしたこと、もう一つは、ネイサン・チェンがフリープログラムで史上初めて6本の4回転ジャンプを成功させたことです」と言っていたことです。ネイサン・チェンの偉業に関しては、大事な事に違いありませんが、あまりマスコミ上での言及がされることはなかったこと感じました。

そして、ネイサン・チェンに関して、もう一つ、大事なことを言っていました。「平昌五輪の印象的な演技」として、やはりネイサン・チェンのフリープログラムをあげ、

「この演技の中間部分で使われているストラヴィンスキーの『春の祭典』はモダン・ダンスコンテンポラリーダンスを理解した上で、表現をしようとしているのではないか、、彼は今後、技術面と表現面でも評価されるのではないか」と言及していたことです。

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は、現代音楽、のみならず音楽学会そして、舞踊においても、重要なものの一つです。僕もネイサン・チェンの演技をみて「あっ」と感じました。しかし、僕が感じたのは音楽だけ、舞踊などの観点で見ることはなかったので、さすがだなあ、と感じました。そしてネイサン・チェンが、ジャンプだけではない、ということを、柔らかに指摘をしてくれたこともです。

 

バレエ「春の祭典」初演の振り付けは、ニジンスキーです。ニジンスキー

羽生くん、エフゲニー・プルシェンコの「ニジンスキーに捧ぐ」も彼に解説をしてほしかった、なんて。

 

こんな視点を持つ人が、フィギュアスケートの表からいなくなってしまう。非常なる損失では、ありますが、彼の学びを通して、いつかまた貢献してくれる、つもりなのではと期待をしています。

 

フィギュアスケートと音楽は、寄り添うものです。きょうの彼のスケートは、ひたすら流れていたように感じました。基本的にフィギュアスケートは最初から最初まで滑り続ける、流れるもの。しかし、音楽もフィギュアスケートもいつかは終わってしまうものです。そこに音楽がある限り、継ぐ者も、途切れない。そんなメッセージを、僕は感じました。

f:id:maemuki:20181006213040j:plain

「ぼく」の遺書と絶縁状 ぼくのりりっくぼうよみ「僕はもういない」

f:id:maemuki:20180922223452j:plain

 

ぼくのりりっくぼうよみが、活動を停止し、引退をするというのを、テレビで見ました。彼はインタビューで明るく笑顔で、別の道へ行くと話しをして、若干の恐怖もあるけれども、それも前向きに受け止めているという話をしていました。明るく終わるんだな。20歳の彼らしいな。まだ、希望に満ちあふれているのかな

 

なんて、思っていました。

しかし、AppleMusicにてぼくのりりっくぼうよみの新しい曲が配信されていました。それが「僕はもういない」です。

タイトルだけで、もう、これがどのような曲か、僕はわかってしまいました。そしてそのとおりでした。非常に冷静に冷徹に、今の彼の気持ちをそのままに、曲にしています。そして、歌いだしが

盗まれてしまったアイデンティティ 

焦げる千日 価値も何もない  

 千日というのは、メジャーデビューの頃だと思います。

 

千日がたち、そうなってしまった。価値も何もなかった。彼が嘘をついていたのかは、わかりません。どこかで歯車が壊れてしまって、自分の知らないところで、それがぐるぐるまわされているかのような所にいた、そのようなことが言いたいのかな、と思いました。

 

しかし、あまりにも正直すぎます。

彼はまだ若い、ということもあるかもしれませんが、だからこそ、これが正直な人間の姿なのかもしれない。

 

だから「僕はもういない」と諭すために、この曲を作ったのかな、と考えました。

そして、自己弁護もなく、ただただ自分をさらけ出しています。最後だから、できたのでしょう。もう後先を考えなくてもよくなった。絶筆になることを覚悟していたんだと思います。

 

音楽とはそもそも、このような、個人的なものであるもの、と僕は考えています。個人的な気持ちを音楽に反映させるもの。しかし、いつの間にか音楽が「他人の接点を探るためのもの」になっているような気がします。だけど、最後に彼は「ありがとう」「また会う日まで」なんて事は言わずに、「僕はもういない」とともに、自分の本心を打ち付けた。

そして、最後のオリジナルアルバム「没落」がリリースされる。

 

彼の曲に「Be Noble」という曲がありました。

www.youtube.com

Be Noble 

高潔であれ。気高くあれ。この精神には共感できます。気高くありたい、自分らしくありたいからこそ、正直な気持ちを曲にぶつけた。それは「ぼうよみ」ではすまされるものではない。そもそも彼はもう「棒読み」ではなくなっていたということもあります。

甘ったるい共同幻想を残さず、すべてを終わりにする。僕はもういない。

これは、死を決意した「ぼくのりりっくぼうよみ」の遺書であり、全てに対しての、絶縁状であると感じました。そのような生々しい生き様をそのままに音楽に反映できる人、僕よりも半分しか生きていない若い人が、音楽シーンからいなくなるのは、さみしいけれども、それも仕方がない。

おじさんも高潔でありたいと、感じています。

 

maemuki.hatenablog.com

 

L'Arc~en~Ciel「As if in a dream」 ヴィジュアル系史上に残る「まるで夢のような」名曲をレビュー

 

f:id:maemuki:20180920221918j:plain

この間、このブログを長く読んでくれている御方にコンサートに誘われ、その前に少し歓談をしました。その中で、昔、リアルタイムで聴いたアルバムについての話の中で、こんなことを話しました。

「L'Arc~en~CielのDUNEは凄かった」

「インディーズとは思えないクオリティ」

「まずアルバムの音質も演奏も凄い」というような事です。

その御方のお年は存じ上げないのですが、おそらく自分と同年代の方で、そして僕と同じく「DUNE」のアルバム直後に聴いた人でした。

発売から、もうかなり時間が経ってしまいました。そんな時間を過ごしてきた人と、同じ感想をわかちあえたということ。素晴らしいと思います。

 

DUNEの最後を彩ったこの曲は、今でも全くいろあせないどころか、Classicな面持ちさえ感じさせる、まさにエヴァーグリーン、時を経ても色あせない、という立場である彼らを象徴する、曲であると思います。

「DUNE」についてはこのブログでも触れましたが

maemuki.hatenablog.com

いかんせん内容が薄くて恥ずかしいです。今日は反省の意味をこめて、ちゃんと「As if in a dream 」についてレビューをします。

 

前奏からしてまるで夢のよう (〜1:07)

まず、この曲の短い前奏から、曲の特徴を大きく表現しています。ミュートを効かせたディレイで幅をつけたギターが細かく音符を刻みます。コードはD、ですが、ベース音、一番下の音はAに固定をして、その上で左から「ミ」の音が繰り返されます。立体的な音の演出に成功しています。どこか浮遊感を感じるのはそのせいです。

そのままDから、F#になります。ベース音はAのまま。そしてコードを行き交う中で、Kenの少し歪んだギターのアルペジオが徐々に表れ、クレッシェンドをして、次の場面に行きます。この手法は、Shutting from the skyでも、ありました。そして、Aメロでもつかわれる、特徴的なデーデーっデーというリズムの第2前奏になります。SAKURAのドラムが間と間に主張してきます。そこで、うすいシンセサイザーの音色も挟まれます。

ビートが入り、ギター・ソロが始まります。ここでのききどころはTetsu(当時)のベースです。ギター・ソロへの対旋律のような、ベースのフレーズを奏でています。このベースのフレーズがギターでも良いくらいに、音楽的な先導を得ているフレーズです。Tetsu(当時)は改めて凄いベーシストであるなということがわかります。そして、フレーズの最後は、SAKURAとのコンビネーションにて、16分音符というベーシストにはむつかしいフレーズで、Aメロへと導入されます。普通、このような細かいベースのフレーズは、あまり聞こえないはずですが、ドラムのおかげもあるのか、ちゃんと聞こえてすごいな、と。そして、曲を素晴らしきものへと、導いていると感じます。

 

Aメロでの「天衣無縫な鮮やかさ」で夢の中にいざなわれる…(1:08〜)

前述の「ジャ ジャ ジャーン」とhydeのボーカルと「愛しい 安らぎは 夕暮れと共に 失われ」という印象派な「自然」のある歌詞が融合した瞬間から、「隙間を広げた」という高い音程のボーカルのフレーズと共に、kenの躍動的な上昇するアルペジオのギターのフレーズが、舞い上がっていく瞬間、まさに、夢の中にいるような、気持ちになれます。

特に、自分が好きなフレーズは、2回めのAメロにある、次の言葉です。

光の点滅が尾を引いて 後ろへ流れては消えてゆき

あなたの所から少しづつ 遠のいているのを教える

 この言葉だけ、では伝えられない風景が、音によって、表現されていると感じました。光の加減で、人の心象を表現する。ここにはない、風さえも感じてしまうような。

そしてそれに寄り添う繊細なサウンドも。

 

このような表現は、それまでの、いわゆる「日本のロック」にはなかったもの。あったとしたら、いわゆる「女性のポップス」にはあったのかもしれない。日本のロックバンドは、やはり粗野なイメージがあったと思います。あくまで当時の話です。時代が違う頃です。

しかし、先程「印象派」という言葉を出しましたが、それは「自然を愛で、そこから人の感情を表現する」という手法なのですが、それは絵画、クラシック音楽によってあったものです

L'Arc~en~Ciel「DUNE」には、それが感じられるな、と改めて思いました。

とまどい、まどろみから「ほんとうのサビ」までの流れは夢のように(2:14〜)

この後みじかい「とまどい」のような場面になり、そのまま、いわゆる「サビ」のようなものになります。ここは、もしかしたら「サビが弱い」と言われてしまうかもしれません。僕も最初はそう感じた記憶がありますが…。これはこの後の流れによって解決がされました。

この「As in in a dream」の大きな特徴の一つであるのが、独特な曲の構成です。

サビのようなところ、には間奏が待っています。kenのギターをソロを中心としたもの。ギター・ソロを弾くにあたり、楽譜があったかどうかはわかりませんが、楽譜にはとらわれない、どこかラフなギター・プレイが彼の持ち味であります。

そして、この曲の一番の聞き所が、次であります。

まるで、うそのような、エレガントな激昂のhydeとSAKURAの夢の音楽のバトル(3:33〜)

ここがこの曲の一番の聞き所だと思います。間奏、Kenのやはり印象的な散文的なアルペジオによる盛り上げを経て、Aメロに戻る、はずが、Aメロの構成を生かして、全く違うもののようになっています。抑制的であった、この曲の主人公の彼が、今までは隠していたかのような、歌詞の無いフェイクを歌い上げ、野生的なのかもしれない、本能の一面を見せます。しかし、激しくも美しい。それを表しているのが、ここでボーカルにバトルを突きつけるような、しかし野生と真摯が絡む、SAKURAのドラムです。まばゆい光を太鼓からたたきつけられるかのような。そして「足をとめて」からのBメロ、先程とは同じ、はずなのに、様子が違う感じが伺えます。何かがあったんだ、と感じました。

 

このほんの一瞬の表現、このようなもの。刹那的なものが、彼らの魅力なのかな、と感じました。

「ほんとうのサビ」から「ほんとうの夢」まで(4:13〜)

このような経過を経て、同じ「サビ」のはずなのに、全く違うようなものに聴こえて、しまう、こと。こういう構成になっていたんだ、と聴くたびに思ってしまいます。1回めの「サビ」は「サビのようなもの」であった。ほんとうのサビはここなんだ、と。hydeのボーカルも1回めと、フレーズも違えば、表情も違います。何かに気づいてしまったかのように。

物語性、というのでしょうか。5分30秒の中で、音楽の中で、短い「夢」の中に入っていくかのような世界が表現されています。構成を持って、ちゃんと完結をするかのように。

そして、最後は、力が抜けていくかのように、終わっていく。

しかし、最後だけ、激しくなっていく。ドラム。まるで、一人だけ抵抗をするかのように。凄いもの、を残していきながら。余韻を残して、曲は終わります。

 

L'Arc~en~Cielの凄いと思ったところは、ずっと変わりません。それはオリジナリティです。独自性。こんな音楽性を持つバンドは、それまでにはいなかった。いちばん、バンドに必要なものが、最初の最初からあった。

そしてもう一つ重要なこと。それは演奏力です。「DUNE」の時、バンドのオリジナル・メンバーはhydeとTETSU(当時)だけ。kenまだ加入して間もなく、SAKURAは本当にレコーディング直前に入った。とは、思えない連結力が音源から感じられた。それは、演奏力があったから。そして、「何か魔法のようなもの」がそこにあったこと。それが何のなのかは、わかりません。誰にもわからないけど、「DUNE」の発売の1993年からもう25年も経ってしまった。それだけは事実であり、彼らが未だに存在していて、人気も保っているということ。それも事実です。

 

maemuki.hatenablog.com