さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら kyopon2017@yahoo.co.jp



So end Network Service

www.youtube.com

結局のところ、Social Networkの世界も現実とは変わらない。そういう事を映画「ソーシャル・ネットワーク」で感じたことを思い出しました。

Facebookマーク・ザッカーバーグをモデルにした映画、最後の場面はFacebookの元にサービスのためにネタにした振られた女をFacebookで見つけて、友達申請を送るところ、で終わりました。その後については描写されていなかった。

デヴィッド・フィンチャーは、必ずしも「ソーシャル・ネットワーク」に好意はもっていないのかな、これは単なる「ソーシャル・ネットワーク賛美」の映画ではない、と感じました。

僕はその映画を、配給会社の試写室で見ました。当時働いていた会社は「ソーシャル・ネットワーク」のサービスはまだ開始はしていなかった(実際にはInstagramの亜流みたいなサービスはありました。もうないですが)会社の社員が招待されて観たのです。既に公開後でした。

僕はその前に「ソーシャル・ネットワーク」が売りの会社にて働いていました。

 

実際に、そのサービスはもうあまり使われておらず、その後の会社の「SNS」ではないけれども、世間ではそのように捉えられているものが、後継となりました。世界的にはFacebookInstagram、そしてTwitterになった。

その間はとても短く感じた。居場所と居るべき場所がどんどん変わっていった。その度に「顔」も「社会」も変わっていった。

そして、自分が、どこの誰なのか、「ソーシャル・ネットワーク」の中で、見つけられない。また、変わるかもしれない場所に、また自分がいるのか。自分の行き場所がこの先どこになるのかわからない。

 

マーク・ザッカーバーグもそう思っているかはわかりません。サービスの創始者なのだから、まさか否定はしないでしょう。結局のところ、ネタにした女が自分のサービスに嬉々と登録していた。

しかし、もしかしたら、その「友だち申請」は拒否されたのではないのでしょうか。

 

結局のところ、「ソーシャル・ネットワーク」というものは、ネット上の幻想でしかない。僕はそう思います。今、僕が孤立をしているからかもしれない。

何千ものつぶやきの中に、光るもの、それは現実に起きていることだけです。その取っ掛かりとなるべきものなのに、そこで完結してしまう。そこだけしか見えなくなってしまう、と考えています。

 

ソーシャル・ネットワーク、社会、そして会社。みんなつながっている。そこから逃れること、人の輪からは、逃げられないのです。

そして居場所がなくなったら、疎遠になる。

So end Network Service

SNS」という略の意味を、僕はこう捉えました。

ソーシャル・ネットワークは新しい「疎遠」を産みだすサービスだと。

 

そこに「個」があるかぎり、孤立はうまれる。社会と同じです。

でも、ここは自由です。僕だけの空間です。ここにいることが、今、一番楽しい。

また、大人になったんだと考えるようにします。