さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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【まえむきの夢】人前でピアノを弾きたいーー

僕のささやかな夢、までとはいかない願望があります。

それは「人前でピアノを弾く」ということです。

 

そんなに難しいことではありません。

都内にはグランドピアノがあるライブハウスがある。そこに出演する。

今は無理だけど、きっと叶うはず。

もちろん、今のままではまだ技術が足りません。

 

普通の「ピアニスト」としては、とても、いろいろ足りません。

しかし、自分には武器があります。それは「即興演奏」です。

 

むかしから楽譜見てピアノを弾くことが苦手でした。

ピアノを始めたきっかけは、保育園の時、当時住んでいたマンションにあった「足踏みオルガン」があって、それを習ってもいないのに普通に弾いていた僕を母がみて「ピアノを習ってみる?」と聞かれたことがきっかけです。

それから名古屋に引っ越して、今度は一戸建てになり、本物のピアノを買ってもらいました。そしてピアノ教室にも通いました。

 

「ピアノが弾ける男子」というのは、当時からメジャーな存在ではなく、マイノリティです。小学校低学年では、あまり良い扱いを受けなかった記憶があります。

「男のくせにピアノとか、オカマかよ」なんて言われたりしました。「男だけどピアノを弾いたらだめなんだ」と思いましたが、家で弾けば誰にも何も言われません。

気にせずに、弾いていて、近所に住んでいる小学生の兄妹の家にいってピアノを弾いて驚かれたりとか、後はピアノ発表会で大きなステージで弾いたり。良い思い出もありました。

そして長野に引っ越して、ピアノとは距離ができてしまいました。

家が宿泊施設ということもあり「いつでも弾ける」ものではなくなってしまいました。

そして、ピアノ教室に通うことも難儀となり、それは言い訳かもしれませんが、以前のように行かなくなったことでモチベーションも下がってしまいました。

しかし、中学校では「合唱コンクール」で伴奏をしたり、音楽室でグランドピアノをこれみよがしに弾いたり、あとはXが当時大人気でYOSHIKIの影響で「ピアノが弾ける男はかっこいい」という風潮が出て、一気にヒエラルキーが上昇しました。

 

楽譜がなくてもなんでも弾けたので例えば「なんか弾いてー渡辺美里のマイ・ジェネレーションとか」とか言われると「あーあれね渡辺美里なんて好きじゃないけどーこれでしょ」とサッと弾いたり出来ました。「ええすごい。どうなってるの。明星の付録とかで楽譜見たの?」とか言われましたが、見てません。

自分では何の努力もしてないし、すごいと思わなかったのですが、廻りの反応が嬉しかったです。

 

高校になるとさらに勘違いはエスカレートして、グランドピアノの練習室がなぜか音楽室にあったので、昼休みは友達がいないのでそこで昼食を食べながらピアノを弾いて、ヒット曲やろくに弾けもしない誰でも知ってる曲、ショパンの「革命のエチュード」などをガン弾きしたりしてました。自分の存在をアピールしたかったのです。

 

短期大学のピアノ科に入ったときは自分よりうまい人が沢山いて、出鼻をくじかれましたが、ひとつ覚えていることがあります。

学校の入り口の吹き抜けのところにグランドピアノがあり、開放されていました。そこではものすごく上手い同級生の男がいつも独占して、クラシックの曲を弾いてました。

うまいのでみんな聴きます。でも僕は負けたくなくて、その時流行っていた曲を自分なりに大袈裟にアレンジして弾いたところ、わんやわんやの大喝采です。その場で適当に弾いただけなのに。試験やコンクールでは彼にいつも負けてましたが、勝つことができたと思ってしまいました。思い上がりも甚だしいです。

 

あと思い出深いのが、学生時代に学校の紹介でふじみ野の「サンマルク」でピアノを弾くバイトをやったことです。数回です。

この時は「なんとなく店の雰囲気合った感じであまり大きくない音で弾いてくれ」という注文でした。「合ってればいいんですよね?」「そう、あんまり頑張らなくていいよ。たまにうるさいって苦情がくるから」と言われました。

「雰囲気に合わせればいい」ということで楽譜は持たず、まずはショパンノクターン9の2などをなんとなく、弾いて、そのうちに誰でもしってるようなクラシックの曲を適当に、あとはいい感じのジャズの有名な曲(虹のかなたにとか)を抑えめに、しかしところどころ華(細かい和音とかトリルとかです)を入れて、好きに弾きました。

ホールのアルバイトの子が「いつもと違いますね」と声をかけてくれました。いつもは皆さん楽譜を見て、同じ曲をずっと弾いているとのこと。「楽譜とかないんですか」と聞かれて「ないんですよ。まずいですかね」「いえいえ、いいんですよ。いい感じです。」と言われて嬉しかったです。

小さな子ども抱いたお母さんが僕が弾いている横にきて「ピアノのおにいちゃんおじょうずね〜たっくんすごいねえ〜」などと声をかけてくれたり。ほんとうに幸せを感じた瞬間です。

 

それからバンド時代はキーボードでバンドのサポートなどをやったこともありましたが、なぜかドラムが中心でした。ただし、レコーディングでキーボードを弾いて、しかも歌も歌って、トランペットも吹いたり、それがCDになって嬉しかったり、しました。そのバンドはすぐ首になりましたが。

それがそのバンドの録音です。僕の汚声ボーカルは入っていない曲です。 トランペットとドラムとキーボードは僕です。大活躍!ですがすぐクビーー


ハーモニー・ハッチ Harmony Hacth「Keep Eating」

 

あとは社会人時代に、社員全員の前でグランドピアノで「トゥーランドット」を弾いたこと。あれは本当に最高の思い出です。

 

そして一度だけ、前にも書いたかもしれませんが「kamifukuoka」というユニットでピアノのあるライブハウスでライブをしました。

この時が、「人前でピアノを弾いた最後」です。もうかなり前です。

この日の事は忘れません。はじめて人前で「本気の自分」を出せました。

上福岡のマンションでひたすらに自分に入り込んで弾いていたあの頃の自分が蘇ったのです。あの感覚・・。

小さなライブハウスでしたが、大切な出会いもあり、その縁は今でも続いています。

 

もう一度、人前で演奏をしたい。それが僕の願いです。

もし、東京でそのことが実現できたらこちらで告知しますので

もしよかったらいらしてください><

 

また、大きな夢があります。

「フランスではピアノが開放されている街がある」という噂を耳にしました。

www.youtube.com

僕が見たのはテレビ番組でしたが、こんな感じで行われているようです。

素敵だ。行ってみたい。

そして弾きたい。フランス人を前に。

僕はフランスにあこがれています。最近はフランスの「ミシェル・ルグラン

に特に憧れています。

 

今日はひまだったので、一日中ルグランを聴いてました。

彼が自分の曲をソロで好き勝手(かはわかりませんが)に弾く「ルグラン・プレイズ・ルグラン」というアルバムがあるのですが、狂うほどにかっこいいので、狂ったように聴いてます。

https://play.google.com/music/m/Bkdjylvtqokjkyqqruyku47x47q?t=_-_

 

長野の山奥ですが、ルグランになったつもり、そしてフランスの街角で弾いているつもりでピアノをさらっと弾いてみました。

曲は名曲「シェルブールの雨傘」です。

恥ずかしいのですが、御覧ください。まだまだです。生卵ぶつけられるかもしれません(カルテット!)いいわけですが、今日はじめて弾きました。

www.youtube.com

 

今のところ時間があり、真夜中でも音を出せるのでもっともっと練習したいです。

今は夢を見ることさえ、夢かもしれないというような混乱の状況ですが、

やはりピアノが好きで、僕にはこれしかありません。

そう感じた一日でした。ここ最近鬱なブログが続いていたので、たまには僕的に明るい話題を載せたいと思い書きました。

 

成果の発表もここではなく、クラシック音楽ならば「おいでよプーランク」に載せたいと思います。あと、サウンドクラウドに歌付きのトラックを、音痴でマイクがないので辛いですが、いつか載せたいです。

というわけで、「将来的な自己宣伝」でした。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

涙が終結してもまた流れて This Mortal Coil 「It'll End In Tears」

 

It'll End in Tears

It'll End in Tears

 

 

ここのところ、ずっとこのアルバムの音楽が、あたまに流れている。

なので、この音楽を聴く。ディス・モータル・コイル。80年代のバンドというかユニット。4ADというレーベルのオーナーが所属するレーベルの「歌姫」を集めて作った趣味性の高いユニットだが、イギリスでは大ヒットした。

一番ヒットして、評価の高いアルバムが「It'll End In Tears」

日本語だと、「涙の終結

涙が流れるのが止まった。素晴らしいことだ。うらやましい。

僕はここのところ、涙が止まらない。それは「目の中からの涙」だけではなく、心の中にも溢れていて、溜まっていて、とても苦しい。以前はこころの中のかゆみを感じることがあったが、身体の中なのでかけなくて辛かった。ちょっとおかしいと思うかもしれない。身体の中なんてかゆくならない。そして心に涙なんて出ない。おかしいのだろうか。病気だからだろうか。でも違うと思う。お医者さんに「心の中がかゆくて、涙が溢れている」なんて言わない。

 

このアルバムは「4AD」らしく、深いリバーブのかかったバックトラック。コクトー・ツインズの美しい女性ボーカルの神々しい歌声も相まって、現実感に乏しい。


This Mortal Coil - Song To The Siren (Official Video)

 

現実があまりにつらい。涙はとまっても、心の中の涙が止められる見通しも当面立たない。

 

僕は山の中で孤独な日々をこれからもずっと送る、けれども死なない、という、ある意味の完璧な絶望そして、完全な孤独、孤立を手に入れてしまった。

なんでこんなことになったのか。それは自分が悪いからだ。

自分が悪い?

自分を悪くしなければ、赦される?

誰に?親に?

くそな人生だ。やはり泣きたい。

 

このアルバムの歌は常に優しい。そして僕は英語がわからないから、何を言っているのかわからない。しかし、暗闇の中から、優しく問いかけてくるサウンドと歌声は、まるで自分の内面の情景のように思える。

同じ闇、同じつらさ、声に出ている。


This Mortal Coil - Kangaroo (Official Video)

 

世の中には「幸せそうな人」が「幸せそうな歌」を「幸せそうな人への歌」を歌う、商業的なタイアップ、金銭の授受を目的した音楽がみたいなのがほとんどだ。テレビから流れてくるのは、そんなのばかりだ。

世間から疎外されてしまった自分には辛いもの以外何者でもない。

 

しかし、僕はそういった簡易に手に入る「普通の人のための音楽」が嫌いで、または「普通の人のための音楽」から、「普通ではないもの」を見つけるのが好きだった。

 

こういう状況の中で、どうしたらいいのか。

 

僕はひたすら、死んだような山の中から、生きている街へとアラートを送り続けようと思う。

僕は危機的なんだよ。限界だよ。

直接的ではなく、なるべく美しく、隠しつつ、「本当の自分」が、普通に見えないように。それをここで書いているんだから底の浅い考えだけど。「たすけて」と叫んでも、本当の「たすけて」は誰にも届かない。そう思っている。なぜならば、他人は自分ではない。自分は他人ではないから。

 

This Mortal Coilを聴いていると、闇の中でうなだれて、力をなくしている自分が浮かび上がる。闇には靄がかかり、よく顔がよくみえないから、自分ではないかのかもしれない。

it'll end in tears

涙の終結 

いつくるんだろうか。

www.youtube.com

 

Another day 

今、僕が一番望んでいること。

この日々を止めたい。自分の人生だから、自分で生きれるはず。

でもそれができない。情けない苦しい。

 

現実的に、僕の涙は一生止まらない。

せめて、その涙が消化されるように、生きていきたい。

いつか、この悪夢から覚めるように。

涙は終結しても、またやってくる。そして終結する。

そしていつかはそれは終わるだろう。音楽と同じように。

 そして、アラートに気づいてほしい。そのアラートにあなたがきづいても、何も対価はもとめない。

心の中に、そっと置いておいてほしい。

 

元気だけどうつな働きたいニートmaemukiより。

【テレビの感想】 2017年2月14日 ドラマ 「カルテット」第五話の感想 絡まった糸

本日はバレンタインデー。軽井沢いや、軽井沢の隣の市で寂しく凄く孤独な男の私には、関係のないこと。本当に何も関係ない。あんまり興味なさすぎて本当に意識してなかったのに。なんとブログをいつも読んでくださる方から、素敵なメールと共に、スターバックスのギフト券という「プレゼント」を頂いた。

https://www.instagram.com/p/BQfizWyjjYT/

ブログをご覧になってくれてる方から暖かいメールとプレゼントをいただきました!今日はバレンタインでしたね!嬉しいです!ほんとうにありがとうございます。ここは見ててくれてるのかナ?いつもインスタントコーヒーばっかりでスタバなんてものは久しく口にしてません!しかし奇跡的にいつもいくイオン佐久平店にスタバがあるので行けます!おやはイオンのことを未だに「ジャスコ」と呼んで悩み深いですが、ほんとううれしいです!\(^-^)/

なんて嬉しい。ドラマと関係なくて申し訳ないが。そんなドラマ的なこともあるんだな。今は何もなくなった人生なので。すごく嬉しい、そんな感情は非現実なほど嬉しいのです。

 

本日はバレンタインデー。その事は最初からわかっていたことなので、絶対その話、女性キャストが男性キャストにチョコ云々、みたいな事が絶対にあるはずなのに。

特にこの日について触れることはなかった。それどころか、やはり波乱に波乱。もつれた糸と意図が、絡まってしまう。

冒頭、質問に対してカルテットが同時に答えてしまい、よく聞こえない。「ひとりずつ話して」と終わるのだが、「同時に話して何言ってるか聞こえない」というのがこの回の大きなモチーフになっていることに、後々気づくことになった。

 

弦楽器が4つ。整えられた音符の楽譜があって、練習をして、相手に伝わる。

同じ譜面を見ていても、どこかが合っていないとメチャクチャにしか聴こえない。

 

「音楽のドラマ」ということで、どうしても音楽的な断片をそこに発見しようとする。

自意識過剰だろうか。

 

カルテット・ドーナツホールに、「夢のような話」が舞い込んでくる。松たか子演じる巻は謙遜しつつも「うれしかったですね」と一人ひとりの夢を語り合う、なんだかぬるい展開に。しかしこれはやはり厳しい伏線へのひとつだった。

別荘の持ち主、別府司が弟に別荘を出ることも含めて「カルテット」をビジネスとして成立させろと迫る。巻の秘密にすずめが迫る。秘密を探る。でも、巻は秘密じゃないようにしている。不思議だ。すずめは逆の疑いをかけるようになる。

 

「カルテット・ドーナツホール」がここで大きなフェスティバルを開催するので演奏してほしいと言われたホール。あそこは実際に軽井沢にある、「大賀ホール」です。

私はそこに一度だけですが、行ったことがあります。

軽井沢大賀ホール - Wikipedia

ソニー名誉会長の潤沢な資産から作られた最上のクラシック音楽のためのホール。

軽井沢を舞台にしたクラシック音楽のドラマに、ここが出てこないわけがないと思っていたけれども、やはり出てきて、そして大きな意味を持っている場所のように扱われていた。

ここのホールは素晴らしい。音響だけでなく、視覚的にも、陽の光が客席に降り注ぐように。ちょうど昼過ぎの公演(バッハコレギウムジャパンによるヘンデルのオラトリオ「メサイア」の公演でした)だったのですが、曲が進むに連れて、窓から光が差し込んでその光とバッハ・コレギウム・ジャパンという世界に誇るバロック音楽専門のオーストラによる演奏、素晴らしかったです。

当時のレポートもこのブログにあります。

【タスケテ日記】20151219 バッハ・コレギウム・JAPANのコンサートに行ってきました! at 軽井沢大賀ホール - さわやかトラウマ日記

 

この日のもう一つの見どころは「コスプレ」でした。

コスプレが商業的なものとして扱われていて、これをみたセンシティブなアニヲタ様が刺激されてバッシングを始めないかと思いましたが、満島ひかりのメイド姿のコスプレ姿のあまりの可愛さに、キュンキュンしてしまって大丈夫かなと思いました。

家森さんのコスプレは…正直可愛いと一瞬思いました。病気かもしれません。

そして、変なピアニストの大袈裟なセットと衣装のミニチュア。「これが見られるのか」と思いましたが、やはり、出ませんでした。見たかった。

当て振り」を強要されて、もちろん反抗して、結果受け入れたのだが、いろいろ「普通に厳しい」現実となり、普通にがっかりで終わった。

プロデューサー的な人が「時間がなかったのでこのまま練習したい」と言ったところ「この後スポンサー様と飲み会に行く」と断れる。そして

注文に応えるのは一流の仕事

ベストを尽くすのは二流の仕事

三流は明るく楽しく、お仕事をすればいい

と諭される。

彼らは「芸術」としてカルテットに関わっているのに、それらはイベント主催者には関係がない。あちらは商業、こちらは芸術そんなことは普通気づくはずなのに。

なぜ?

 

それはカルテットのメンバーが純粋だから、世間しらずだから。だから、お互いに秘密を持って、守って、だけど同じ家で暮らし、楽しく話して、「夢の話」なんてしたりする。そして「おとな」だった巻真紀がそれに気づいたのか、メンバーを「商業」に折れろと説得する。

 

もう一つの今日の大きなポイントは、吉岡里帆演じる来生有末が、松たか子の「秘密」を探ろうと必死になるところだった。そこにはかつては秘密を探っていたすずめもいた。だんだんと、糸が絡んでくる。めちゃくちゃになる。そして二声が同時に発音され、止められ、発音され、最初に見た風景だ。

吉岡里帆の演技は最初はいつもの通りの「頭悪そうな若い女の子」だったのだが、徐々に徐々にクレッシェンドで狂気が沸いてくる。この場面はノーカットだったと思う。

松たか子満島ひかりと比べたら、まだ浅いキャリアだけど、堂々と渡り合って、正直怖くなった。ゼクシィのCMで見慣れた彼女だが、結構良い女優になるかもしれない。

 

今後どうなるのか。

今日の、一番の見どころはやはり、四人で「自分たちは三流以下だ」と気づいたのか、(志のある三流は四流とプロデューサー的な人の一言あり)街角で演奏し始めた時。照明がきれいな街角で、聴衆はまず外国人がノリノリになる。そしてカルテット、特にすずめがノリノリ。

美しい風景だった。結果として彼らの芸術は受け入れられたのだ。

 

今日は珍しく家に両親がいるのだが、僕が部屋で「カルテット」を見ていると、酔った父親が部屋でテレビの画面をみて「お、見てるな」と言った。「あ、カルテット」

家にはもう一つテレビがあってそこで見ていたのかな。「あの、さっき出た教会な。あれテニスコートの横」と言った。軽井沢にはテニスコートは山ほどある。どこなんだろう。実は両親が普段いる「軽井沢」ではないけど地名に軽井沢がついている家にはテニスコートがある。まさか、家の近くで。。

と思ったけど、まずない。あそこの廻りは森しかない。

 

もしかしたら「カルテットドーナッツ」に会えるかもしれない。

そんな夢みたいなことあったらいいのにな。

いろいろなさそうであった今日の五話。よかったです。キュンキュンしました!

ここまで読んでくれてありがとう!

詰めこまれた「勝利の前」SAYAKA「Doll」

自立したい。

僕は今、無職です。なんどもなんども書いているように。

なんとか社会復帰して、普通の人生を歩みたい。

 

そのために、今の働けない山奥から引っ越して、街に出る必要があります。

僕には普通免許がありません。これもなんども書きました。毎回テンプレートで「家が山」「免許がない」「うつ」とか書いて置いたほうがいいかもしれません。

 

その状況を打破するため、格安の公営住宅の抽選に親が申し込んでくれる。抽選にあたるかどうかわからない。

そしてそこに入ることになっても、問題が山積みである。

それを考えるとうつになる。でも考えなくてはいけない。透明で透き通った真実がそこには見えている。長野にいては、自分が不幸になるだけ。ここにいても、楽しいことなど何一つない。半年いて辛いことばかりだったからじゃない。ここいては自分は幸せになれない。僕の幸せは、普通に働いて普通の収入を得て、普通に人と付き合い、笑い、話をする。普通のことなのに、それが今、全て無い。それを手にしたい。そして音楽をやりたい。それも大袈裟なことではない。ピアノを人前で弾きたい。それだけ。それだけ。それだけのために、働いて暮らしたい。

 

望むことさえ、許されない状況なのかもしれない。それでも、

自立したい。そしていつか、「勝利」したい。彼女のように。

 

今日は神田沙也加がSAYAKAと名乗っていた頃に残した唯一アルバム「Doll」のレビューです。

彼女は、「勝利」をした人です。そして自立している。

羨ましい。経済的な自立はもちろんだけど、彼女は自分が生まれながらに背負ってしまった十字架、という例えば陳腐だろうか。「生まれながらに、松田聖子神田正輝の娘だった」とはっきり言ってしまった方がわかりやすいだろう。そう、逃れられないレッテル。二世。彼女は日本を代表する大スターの子供。二世。

二世はすごい。ぼくはそう思う。だって絶対に自分がなれないものだから。金持ちに憧れることはいくらでもできるし、まああまり憧れないけれども、「二世」だけは絶対になれない。

 

だからこそ、「二世」は世間の注目を集める。人と違った結果、それは自然と知名度を得ることになり、環境も整っていて、特に才能も無いのに「デビュー」もできてしまう。それでやっかみの対象となる。本人たちは「他人には想像できない苦しみ」を抱えながらもそれぞれの人生がある。そしてある人は成功し、親と同じ職業で成功し、あるいは失敗して、犯罪に走ったりする。

 

「新しい時代の二世」が立て続けに出てきた時期がある。90年代後半。宇多田ヒカルだ。母は藤圭子。それはデビュー曲「Automatic」が大ヒットして「天才」と言われた後に発覚した。その前から親子でユニット活動をしていたので、隠していたわけではない。ただ、売りにはしなかった。その必要がなかったからだ。

そしてDragon Ash降谷建志。彼も父親が有名な俳優だった。実は僕はそのことを世間に知られる前に知っていた。Dragon Ashはインディーズで活動していて「かっこいいバンドが出てきた」と評判になっていたころだった。更に彼らが「二世同士」で遊びのバンドを組んでいて、そこにトライセラトップス和田唱がいた、なんてことも知っていた。

 

SAYAKA」は2002年、CM出演などを経て2002年にシングル「ever since」で「ソニー・ミュージック・エンタテイメント」からデビューした。ソニーといえば松田聖子

所属事務所は松田聖子が設立した事務所「ファンティック」今でもここに所属している。

と、いうことでここでSAYAKAがこの時点では「普通の二世」。よくある「親の七光り」でデビューしたという烙印が付けられても仕方の無い状況だった。そういう声もあった。デビュー曲の内容については後述するが、パッと聴きは「なんか普通の曲だな。やっぱり声はちょっと聖子ちゃんに似てるかな」と思ったりした。その程度だった。

 

その後、アルバム「Doll」を発表後、いろいろあって、「神田沙也加」に戻ってその活躍についてはここで書くほどでもないくらい成功して、それは本人の実力で勝ち取った、と世間に認識された。それは素晴らしいことで誰の力、誰の名前も借りずに本人の力で「名声」を勝ち取った。母とは疎遠との噂もあるが、所属事務所は以前のまま。しかし、「母の名前」など、彼女にとっては必要のないものになった。

 

Doll

Doll

 

 

「Doll」には、彼女のその当時の戸惑い、迷いが詰め込まれているアルバムだ。

そのタイトル。お人形。自分のこと?それとも美しいお人形が好きだったから?

飾られた、意思のないお人形、それが私、というのはあまりにもありきたりな推測だろうか。

このアルバムの1曲目、3rdシングルの「水色」を当時、偶然に歌番組で見た。そこで彼女への見方が変わってしまった。

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この番組だったかどうかはわからない。しかし見たものには字幕がついていた。

彼女の中の心の中をそっと、そして全てを見せたかような歌詞。

そして、怒りを感じる。か細い声なのに、哀しいメロディなのに。その暴力的なもまでの感情が、どこに向かれているのか。おそらく自身ではない。

「最終章のページ、憧れたその、その手の中にある」

下世話だけど、どうしても浮かんでしまう。あの人の顔。お母さん。松田聖子

二人の確執が伝えられることもあったがどれも「ジェフ君」「ビビット婚」レベルのゴシップのような薄っぺらい記事なので信用できない。

 

彼女の歌には、他の人には計り知れない苦労がにじみ出ている。

アルバム次の曲、シングルも3rd「水色」の次の曲だった「上弦の月

ゆったりとしたテンポのソフトなロックチューン。SAYAKAはロック志向だと思う。この後に組んだユニットでもそんな感じだった。ギターが好きなのか、それとも。

この曲も隠せない悲しみの曲。

しかし、この後は明るい感じの今日が続く。「なんだSAYAKAちゃん病んでないじゃん」と無責任なことを思ったりする。

しかし強烈なリマインドが7曲目に待っていた。デビュー曲「ever since」

最初聴いた時は「普通だな」と冷めた感想を持った曲だ。でも、あらためて、一通り彼女の軌跡、そして今の成功を思って聴くと、ものすごく壮大なドラマのテーマのように聴こえる。

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デビュー曲にして、すでに深い深い迷いを感じて、それから抜け出そうともがいていたい彼女の姿がそこにあった。

「壊れかけた夢 拾い集めたら そう立ち上がって ずっと前をだけを見て 進んでいけばいいよ」

傍から見て、恵まれていて、楽にデビューできたかもしれない。でも、そうじゃなかった。彼女にしかわからない葛藤がそこにあった。

それをわかる人、が一番そばにいた。

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今のところ「実力だけで、親の名前だけではなく、勝利を掴み取った」彼女。

本当のところはどうかはわからないが、いつかまた一緒にこの曲を歌ってほしいと思う。

 

僕も壊れかけた夢を拾い集める旅に・・・出たいです!

ここまで読んでくれてありがとう。

 

 

【書評】「ラオスにいったい、何があるというんですか?」村上春樹

こんばんわーーーーーーーー

ーーーが多いのは鬱の証拠ですーーーー

ーーーーなんかーーーーーいいですねーーーーーー

遠いーー遠いところへーーー繋がっているみたいーーー

 

遠いところへ行きたいどこか遠いところへ

あの空の彼方へ行きたいなー

このブログの真の歌姫森高千里様の名曲「風に吹かれて」(オリコン1位)の歌詞ですねー本当に良い曲だな〜ほんとうに遠いところへ行きたいですーー

というのもわたくし、当面「自然が美しい都道府県ランキング」「県民が幸せそうな県ランキング」で上位を占める、聖なる地NA・GA・NOに抑留、いや滞在が決まりそうです。

毒の地、悪なる東京へなど、帰りたくなかったのでちょうどいいです。

長野さいこー!佐久さいこー!佐久鯉佐久鯉佐久へ来い!(CMでやってました)

佐久は最高です!なんてったって日本で唯一の「モン・サン・ミッシェル公認の教会」があるんですよ!!

www.youtube.com

モンサンミッシェルのウエディングを、佐久で!

これがテレビから流れて来た時は「嫌だ嫌だ遠いところへ逃げよう」と思いました。

しかもちょうどお友達がリアル・モンサンミッシェルへ旅行中で、Instagramにその画像を上げていて「まじ格差ーー」とうつになったりして、ハッピーな毎日です><

 

今日は、村上春樹の「ラオスに一体何があるというんですか?」の書評です。

私達の佐久には図書館があって、たとえ市内でも気軽にはいけない気高い離地にあるのですが、お車ですと気軽に行ける距離です。僕は免許がないのですが><

そこで借りたのがこの「ラオスに一体何があるというんですか?」です

 

 僕はビビっときました。タイトルを見て。

まず前に書いたような気がしますが、村上春樹の紀行文は好きでした。

しかもラオス!実は僕は・・・ラオスに行ったことが!あります!自慢です!!

maemukiバブル期」のころ、「バンコク行きすぎて飽きちゃったぁ〜新しいところどっかいこうかなぁ〜」と思って行ったのがラオスです。ルアンプラバン。世界遺産の街…。素敵…。自然と寺院に癒やされる・・って感じです!くされOLですね。そんな過去の自分がうらやましー

そこでノーベル賞別に欲しくなさそうなのにファンが騒いでるかわいそうな村上春樹さんが、紀行文を書く!こりゃー読みがいありそうですよ!

でも、開いて最初は「ボストンで暮らした時の話」でした。あら、と思うとラオスに関してはいくつかある中の1項目で、ほんと一部分でした。

他にはフィンランドアイスランドポートランド、ニューヨーク、ギリシャなどなど。素晴らしいところ、金持ちの匂いがプンプンする感じで、タイトルを「一体なんでラオスがタイトルになっているんですか?」と変えたほうがいいかもしれないような、内容です。

とにかく彼が真の「リア充」であることが、端々に感じ取れます。世界的に著名な作家。アメリカの田舎街でもサインを求められて、向かう場所はオフィシャルなガイドがついたり。

また、グルメです。真のグルメ。文章でその美味しさが伝わってきます。ほんとうに美味しそう。世界各地の美味しい物の特徴が手にとるように描写されてます。

また、ネコ好きです。どの街にいってもネコが気になるようで、その土地のネコからその土地の歴史や民族まで推し量るという高知能っぷり。でもネコが甘えてくると嬉しいみたいで、奥様が嫉妬するほどとのこと。なんだよ幸せそう。リア充だなはるきん。

 

冒頭はマラソンで有名な「ボストン」なのですが、その風景の描写の見事なこと。

見たことがないけれども、鮮やかな風景が浮かんできます。写真よりも伝わってくるかもしれません。また、意外にアスリートであり、旅行した各地でジョギングに挑んでいます。それは職業柄運動不足になりがち、ということで毎朝のジョギングは怠らない。そこで見る風景も美しいとのこと。あーなんて作家的!

 

肝心のラオスのところですが、まるで旅行ガイドのようですが、「◯◯行って楽しかった」というよる「◯◯行って楽しかったと思うためにはこうしろ」というような、完全に上から目線、何だか逆ギレのような文章で、面白かったです。

そしてラオスが「世界最貧国」だと認めながら、ルアンブラパンで過ごしたのは最高級ホテル。そこで優雅に読書をする姿も本にありました。

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この他にもはるきんのキュートなフォト満載で、春キチにはたまらないですね!

前に読んだ村上春樹の紀行文「辺境 近境」よりまともなところを旅しているので(前はメキシコの僻地とか村上家所有の無人島とかメチャクチャでした)なので、純粋に楽しく読めます。特にアイスランドの項目は興味深いです。世界から一番離れた国。火山の国。あー行ってみたいなー

感想はその一言につきます。

僕は旅行記が好きです。だってそこに行った気になれるから。その人がその地で感じたこと。旅行という特殊な状況で何を思って、何を見たのか。とても楽しいです。

そして楽しいのが、自分が書いた旅行記です。

というわけで宣伝ですー

maemuki.hateblo.jp

すみません。

といわけで当面夢見る乙女状態継続なので、どんどん更新しますよーーー

あと「おやすみプーランク」もよろしくです!みんなの大好きなクラシックのブログです!!

poulenc.hatenablog.com

ではどもです。