さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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さようなら品川駅港南口と喫茶ダリ、つか令和です🔥

言いたいことはダジャレでではなくて、ほんとに疲れ気味だということです。ほんとに連日つかれつかれ言っていますがマジほんとにヤバイつかれなのです。いつもとはちょっと違うかもしれないです。「私いつもならば、真面目な筈なのに 急にキョロキョロして今度だけは違うみたい」という歌詞が森高千里さまの「ザ・ストレス」にありましたが、まさにそんな感じです。今度だけは違うみたい、そんな感じなのかもしれません。

やはり、仕事で何も考えていない、そしてタイピングもしなくなったせいか、いろいろスキルが落ちているような気がするのです。文章がちょっと痴呆めいてきているのと、なかなか伝えたいことが文章で伝えられないな、と感じています。しかし長文になってしまう。混乱しているのです。

ああ、やはり疲れています。

 

疲れの原因ですが、働いている会社が移転となることにも起因していると思います。もうバレバレなので隠す必要もないのですが、僕の会社は品川区ではない港区の品川駅でした。そうなんです。品川駅は港区なんですよ。今話題の「高輪ゲートウェイ」は港区なんですけどね。品川区の駅は、大崎と五反田なのです。。どうでもいいですね。

品川は、東京の前の会社でも一緒でした。そうです。合わせて2年。最初の頃は1年と3ヶ月でした。今度の移転はちょうど1年です。何か面白いですね。偶然というか。

今の会社を決めた理由は89.5%くらいが「正社員の内定が出た」ということと、その前に働いていた場所だということと、時間も一緒だったということです。10時始業なので、その時間の山手線は新宿からだとけっこうガラガラ、ということもわかっていたのです。狡猾でしょうアハハ。。

やはり文字を打っていると楽しいですね。気分がよくなってきました!

 

さようなら品川駅港南口

品川駅は、高輪口というプリンスホテルなどがあるちょっとハイソサエティなところと、地獄の長い通路を通ってやっとの思いで辿り着く港南口というところがあり、僕は港南口でした。長い長いつらい通路をみんなで行進!はつらいのですが、そこを出れば、狭くて汚い高輪口とは違って(ごめんなさい高輪ゲートウェイさん)広い広場と、沢山の飲食店が待っているのですああ!!

そして横に連なる2つのビル群…公園を挟んで橋でつながっていて、その橋が好きでした。

 

2つのビル群をつなぐ橋、名前はわかりませんが、歩く所は木で出来ていて、とても素敵なのです。この下には公園があり、ここのビル群の会社の管理費から運営をされています。人工的ではありますが、とても美しいです。今は新緑が眩しく、オフィスを出てちょっと緑を感じるだけで、ラリックスああ間違えました意図的に。リラクスができます。これは意図的ではないのです。

イスとテーブルが自由に使えるところもあるのです。天気が良い日は、ここから歩いてすぐのところにある「クイーンズ伊勢丹」で安いお弁当を買って、食べるのが好きでした。風が強い日が多いので、苦戦をしながら、でも空を眺めながら食べるお弁当は楽しかった。

この「桜鳥のチキンフライ弁当」は税抜き510円です。塚田農場プラスというところの弁当で、鳥の臭みがなくて、美味しいのです。

ちょっとした水場もあったりします。水場が好きなので、ちょっとしてても僕には嬉しい。子供も「みずだー」と喜んでいたりして、和んだりしました。僕も「みずだー」とか言ってさわぎたいな。。なんて。

こんな感じでオフィスのすぐ近くにゆっくり座れる場所が、たくさんある所は、ここ品川駅港南口が初めてでした。駅前とか駅直結とかそういうところも良いのですが、このような環境の中で、違う会社だけど2年も働けてよかったです。

僕は最初の会社の後、実家に帰らされてしまい、ずっと品川で働いたときのことを、山奥で思い出したりしていました。全然違う景色なのに、同じ緑なのに、気持ちはこんなに変わるんだな、ということも、感じていました。またここで働けて嬉しかったけど、人生はそんなにラクなものでも、会社というものはそれほど楽しいものでもない状況であることは、前回、ここに書いてしまった通りです。でも僕にとっては良い思い出の場所になりました。

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夜もくるったように美しい街でした。街〜運命の交差点(名作)

いとおしい「喫茶ダリ」ともお別れ

最初の1年間の最後に発見をして、でも行けなかった港南口の駅前にある「喫茶ダリ」に、この1年間、毎週のように通いました。

かなり時代が止まっているビルの地下のきついきつい階段(でもエレベーターも奥にある)を下っていくと、喫茶ダリがあります。

 

入り口すぐのところにある、このふんわりとしたイスの席、最初にここに座ってわー最高ここさいこーと思った席、僕のお気に入りの席です。ちなみにこの衝立の横の席はゲーム機のテーブル、麻雀ゲームのテーブルです。昭和・・!!

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僕のお気に入りメニューはランチの追加メニューの和ミニパフェです!いつものランチセットにプラス200円くらいでこれが食べられます。あとケーキもあります。

かわいいイチゴのケーキです。リアルいちご付き!

ダリは喫茶店です。食べ物はそんなにとてもおいしいとは言えませんが、なんといってもここは他にはないもの、僕を癒やしてくれるものがありました。お店にはたくさんのサラリーマンがきています。漫画(たくさんあります)を読んだり、スマートフォンを見たり、ノートパソコン(テーブルが広いので最適)を広げたり、寝たり、本を読んだり、好きにしています。そういうのも楽しいです。

 

あとは、店員さんです。Googleの口コミでも言われていますが、店員さんは女性の方たちで、みなさん優しく、そしてとてもお美しいです!!見とれてしまうほど。。ここに男性客が多いのは、実はそれ目的なのかもしれない??です。ほんとうに優しいんですよ。僕にも話しかけてくれたりして!

ああ、そして、僕に話しかけたくれた人が、この前、最後の勤務になった事を他のお客様との話しているのを聞いてしまいました。会計のときに、「僕も今週で最後です><」と話しかけて、なんと売り物のビスコ!を頂きました。ああ、良い経験でした。会社ではアレですが。そういうところだけではなくて。

僕は常に「ダリ不足」だと思うと「今日はダリ不足だダリへ」と行っていたのです。

世界のmaemuki on Instagram: “調子が悪いなと思ったら原因はダリ不足だと気づいたので、お昼は品川の昭和そのもの喫茶ダリにてハヤシライスとフルーツパフェとヒーコーみーのーしました! 今日はパフェを食べながら、ひたすら罪悪感を感じていました…まだダリ不足かのかもしれません 次はケーキに挑みます #喫茶ダリ…”

ああ、それがもう満たされなくなってしまうなんて。信じられないです。毎日ダリ不足です。「ポスト喫茶ダリ」は新しい所にはもしあっても、近くにはないと思います。。困りました。喫茶店どころか、食べるところもロクになさそうなのです。地獄…!富士そば吉野家、それも遠いです。。。高そうな店ばかりになりそう。。

いやだいやだ。モチベーションが下がりました。

しかし、僕は長野県上田市上田映劇でも依存症のようになってしまって、その次の標的が喫茶ダリだったのではないかと気づいてしまいました。結構依存症のケがあるのかもしれません。過去には会社にけっこう依存をしていた事もありました!しかし結果は裏切りの血舞台(デザビエ)となって終わりました。。

今回も別れがありました。しかし、別れは別れ。けっこうさっぱりしている俺がここにいるーなのです。そう、問題はもっと大きなところにある。

つかれ

 

つかれです。

つかれなのに、連休、世間は連休なのに。

僕は週5で出勤です。なれないオフィスで!なれない土地で!なんていうことだろう。

とりあえず、帰りに新宿東口改札出てすぐ!の愛しい「BERG」で連日ビール飲んだくれることにします!!

終わり

LUNA SEA「Déjàvu」1992年5月21日 15歳の時に初めて聴いた時から26年。この曲がやっと理解できました


LUNA SEA「Dejavu」

本当はLUNA SEAの「IMAGE」をレビューをしたかったけれども、今さらそのアルバムのレビューなんて、たくさんあるのだろうと感じたので、止めにしました。

 

しかし事実上の1曲めとなる「Déjàvu」この曲のプロモーションビデオをYoutubeで発見をして見直して、感じることがありました。

僕はこの曲の事を、よくわかっていなかった。何が言いたいのか、デジャブというものは、理解していはいたけれども、何がどうデジャブなのか、わからなかった。

わかるとかわからないとか、どうでもよかった。まだ僕は高校1年生だった。でも僕は何かをいつもわかりたい、わかりたいとずっと考えていた。

僕がLUNA SEAを好きになったのは、まだインディーズだった頃。Xが最盛期の時だった。クラスで人気で僕も好きだった。でも、それは自分にとって不満だったのかもしれない。雑誌の広告で見たLUNA SEAを見て「これは売れる」と思った。もうアルバムは出ていて、売れていたのだとは思うけれども、雑誌しか情報が無い、メディアでの露出が無い中で、そのような判断をして、エクスタシー・レコードに通販をして、わざわざ彼らのCDをなぜ買ったのか、僕はずっとわからなかった。

「dejavu」どこかで見たような風景が見えてしまうということ。

まだ、子供だったからその時は何も見ていないのだったのだと思う。その時はまだ何も知らない、純粋な子供だった。

だからわからなかったんだろう。

そう気づいた。

未来、過去、今、

人々のドラマ

シナリオはいつもdejavu

傷つく事も できない私が

繰り返す

 26年経って、この曲を聞いた時、あの時の自分の気持ちをこの曲に見ることができた。

未来、過去、そして今。僕はずっと自分を繰り返してきた。きてしまった。傷つくことはできたけれども、本当は傷なんてついていないかもしれない。

そうして、僕はまた繰り返していく。それは、自分だけではない。自分を取り巻く人々たちも、そうなのだろう。

僕は、確実に歳を重ねた。見えることは多くなった。そして見えないことも増えてしまったように感じる。それも、dejavu。また傷つくことも、繰り返してしまう。傷ついていないから。ほんとうは。

 

この曲は、ラブソングのように聞こえるかもしれないけれども、そうではないのだろう。

人間。

人間が人間としてただ生きる様を描いた、それだけ。何の主張も無い。

人間って何だろう。僕は最近、ずっとこんな事を考えてしまっています。

人間とは何か。それは人間にとっての命題であり、己を鑑みることができるというのは、人類の特権の一つであると思うのです。

そして、「人間とは」とは、芸術や、表現活動の根源たるものだと考えさせられます。

 

1992年5月21日。「IMAGE」の発売日、この日、当然だけど自分は生きていたんだ。発売日にCDを買うことってこういう特権もあるんだなあと実感しました。

あれからもう26年。

 

僕は高校1年生の頃から、内面は何も変わっていない、まだ子供なんだろう。聴くたびにそう思います。未来、過去、今、シナリオはいつもdejavu。

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【祈快方】岡村孝子「はぐれそうな天使」来生たかお先生作曲の名曲です!


「はぐれそうな天使 '90」 岡村孝子

岡村孝子さんが白血病であることが発表されました。

急性骨髄性白血病は、原因は不明で、予防策も無いようです。でも、必ず死に至る病気ではないようです。

他にはない、すばらしい声を持つ人です。そしてとても優秀なソングライターでもあります。復帰して、また活動をしていただきたいですね。

岡村孝子さんは、前述の通り、シンガーであり、ソングライターでもあります。超有名なあみんの「待つわ」も彼女の作品です。その後、ソロデビューをして、「夢をあきらめないで」スタンダードソングとして定着をしました。

そんな岡村孝子さんが、唯一、他人の曲を歌った曲があります。

それが「はぐれそうな天使」です。これは今井美樹が出演をしたCMにて流された曲です。そして、作詞は来生えつこ、作曲は来生たかお来生たかお先生です!!

元々、この曲は来生たかお先生の曲として、リリースがされた曲です。提供をしたのではなく、カバーでした。薬師丸ひろ子の大ヒット曲「セーラー服と機関銃」も、実は元々は来生たかお先生の「夢の途中」という曲だったのです。それがいつのまにか、薬師丸ひろ子が同名映画の主題歌として、タイトルを変え、詞も一部変えられて、ソロデビューシングルとなったのです。

 

この「はぐれそうな天使」は歌詞、メロディはそのまま。アレンジは変わっています。

もともと、歌詞は「女言葉」のものです。だから女性が歌っても違和感はないです。「セーラー服と機関銃」は「男言葉」ですよね。そういえばそうでした。

そして、たかお先生の優しい控えめなメロディ、でも内なる激しさも感じさせるメロディが、岡村孝子によく合っていると思います。まるで本人が作った曲のようです。

こーいーしーたーらー のところはレコーディングのバージョンではメロディの下にハモりが入っていて、すごくきれいです。

そして「はぐれそうな天使」という悲しい恋の行方を、海のほとりでひっそりと涙を流しているさまが見える、来生えつこ先生の歌詞も素晴らしいです。

こういう、シンプルで聞きやすい、ポップス・ソングは最近見当たらないような気がします。流れるようなメロディと、心に残るシンプルなフレーズ、自然の風景と重ね合わせた心象風景のような歌詞。いとおしいですね。。

 

どのような経緯で岡村孝子がこの曲をカバーすることになったのかは、不明ですが、とりあえず、とても良いコラボレーションだと感じました!来生先生大好き!

 

岡村孝子さんの快方をお祈りいたします。

 

完全つかれ宣言します

つかれが止まみません。仕方ないです。先々週末は千葉勝浦に行き

Instagram post by 世界のmaemuki • Apr 7, 2019 at 8:28am UTC

先週末は長野県上田市に行ったのです。

これはもう使われていない上田市民会館です。ここは高校3年生の時に、吹奏楽班!で定期演奏会を行った、班!を引退した時の思い出の場所なのです。もう使われていないんだなあと感慨に深まるのと、思い出にひたりました。かわいい後輩たちから花束などをもらった僕はすごく泣いたりしたのです。ほんとうに。涙もろいんですよ。最近は涙を出す動作をするのがくせになるほどです。涙はでないのですが、常に泣いているのです。

やはり疲れています。きわめて淡々とここまでタイピンをしている事がそれを表しているでしょう。つかれています。完全つかれ宣言です!

 

こんなにたのしい週末が続き、さぞ平日もリアル充実かということやはり、そんなことは全くないのです。ひどいことばかり。ああやめますね。自分の価値を下げるようなことは書いてはいけないのです。気分が乗ってきたので(だいたひかる風)↑の最後の定期演奏会であったこと、また自慢くさくなるのですうがご容赦ください。つかれているのですから。

この日、僕はやりたい放題、もうこの世の主人公のような活躍ぶりでした。仕方ないでしょう。事実上3学年をメインで学生指揮者をやるというような異能の才能の持ち主だった、なんて自分で書いてはずかしいですね。賛美歌のやぶきさんんみたいになってしまったけど、いいでしょう。やぶき姫はこのブログのセレブレティなのですから。かぶるということで。

殆どの曲、コンクールでやった曲は先生が指揮をしましたが、それ以外、ポピュラー、クラシック、全部、僕が指揮をしたんですよ。更にピアノ、そして「GSメドレー」ではエレキギターなんかも弾きました。

ラストの曲はムソルグスキーの「展覧会の絵」でした。僕の指揮はよかったのかはわかりません。でもがんばったのです。最後「キエフの大門」では感動しました。

終演の後、僕に恥ずかしそうに話しかけてくれた人がいたのです。「すごかったです・・天才です天才・・・」と言っていました。「ああありがとうございます。あああなたは」とおききすると「上田高校の○○です。握手してください」ときたのです。

上田高校・・・!学区内ではトップクラス。まさに進学校です。僕の高校は上田高校→上田染谷丘高校→上田東高校←ここなのです。これは、頭の良い順で、つまり3番目というイケてない学校だったのです。当然吹奏楽のレベルも、こうなって、いないように、せめて上田染谷丘高校には負けないように!この時は頑張ったのです!!

そして、「上田市民会館」での演奏会も、班史上初めてだったと思います。僕らはもっと狭い上田文化センターでそれまでやっていたのです。上田高校と上田染谷丘高等学校は、市民会館でした。僕はそれが悔しかった!!だからここでやりたいと申し出て、かなった演奏会なのです。

だから嬉しかった。ほんとうに。知らない人、しかもレベルの違う学校の人にそんなことを言われて、吹奏楽班の活動が終わったなんて。

 

そんな

輝かしい過去ばかり

思い出している

悲しいおじさんなんです。

とりえあず、明日は、何もしないことにします。

やることは、朝8時からの「朝だ!生です旅サラダ」をみることです。楽しみです。。だめだ終わりですごめんなさい。つかれているのです。ああ

 

はるやすみ第二弾 上田市で桜と上田映劇でパーティと映画を3本観て支配人さんくんと交流!!

なぜ、僕が二週連続週末の旅、遊びに行ったのか。それにはちゃんとした理由があるのです。それは、僕の今はたらいている会社は祝日休みではないのです。普通に土日だけ休みなのです。もちろん、ゴールデンウィークも…

実は、そうしないように、そうならないのように早いうちから動いていたのに、こりゃだめだとわかったので、ならば早めに春休み気分を味わいたかったのです。プレ・ゴールデンウィークの気分だったのです。そうなのでした。

さて愚痴はそこそこにして🔥今回は、僕の故郷でもある上田市に1泊2日行って参りました。目的は今は、上田市にある上田城跡公園にて、桜まつりが開催されているので、そこで桜を見ることと、上田映劇の定期上映再起動2周年パーティーに出席をして、映画も観ることでした。

気分を盛り上げるために、こんな写真も撮ってしまいました。北陸新幹線です。最初の頃は「長野新幹線」だったのですよ。開通後すぐに乗る機会があったのですが、もうガラガラで…大丈夫かなと思いましたが、金沢までつながったので、少しは乗客は増えたようです。

指定席は満席だったので、早めにホームに行き並び、普通に座れたので、買った駅弁も食べました。今回は焼鮭とクラッシュサーモンと、こぼれいくらの弁当です。お値段は1280円くらいでした。味は美味しかったですよ。普通に。鮭不足だったので満足しました。食べたい時に食べたいものを食べられる、良いことだと思います違いますか?

 

ごめんなさい。やはり連休普通に出勤ということでテンションが下がってしまっています。しかしこの時はウキウキウォッチング(オヤジギャグはずかしい)だったのです。

これは軽井沢駅手前のトンネルを抜けた後の光景です。

トンネルを抜けると、そこは雪国だった。これは川端康成の雪国の有名な節ですが、軽井沢の手前でほんとうにそのようになっていました。前日に降雪があったようです。川端康成の雪国なんて、「邦ロック」とか抜かしているクソ若者たちは知らないのだろうな〜無教養め!!

ごめんなさい。怒りがとまりません。なんて恥ずかしいのだろう。

しかし、大丈夫です。この後、早速「予測をしていた通りの満足感」が得られたのです。

上田駅前です。見てくださいこの青空!しかも寒いどころか暑いのです。なんというなという!ここは山に囲まれた盆地なのです。まだ寒くても良いはず!!なのにああ。

そして予定どおりに、市がやっている無料レンタサイクルも借りられました。ここは駐輪場で借りられて、いつも自分は100円を払って止めていた場所でした。今日は自転車で夜の19時まで市内を移動することにしました。上田ではずっと自転車に乗っていたので、懐かしい気分炸裂ファーウェイファー・アウェイです。

ちょっときつい上り坂(真田坂というらしいですよ定かではないのですが)を登って、ついたところは、北国街道柳町というところです。

ああ、いちおう上田のことを説明しますね。僕は実家が山山山の上スキー場の横!だったので、高校に通うために一人暮らしをするために、住んだところが上田市でした。山解放をされたところ、そして友だちはあまりいなかったけど吹奏楽班(部)でものすごく楽しかった高校生活、そして、2017年と2018年にまた舞い戻り、ここでも山解放をされ、また一人暮らしを始めたところです。そして最後の最後に心のふれあい〜♪があったところなのです。

岡崎酒造という有名な酒屋があり、そこは「サプリ」などで知られる

漫画家おかざき真里さんの実家なのです。つい最近、この飾りがかけられるようになりました。

ここにきた主目的は柳町屋というところの、長門牧場のソフトクリームです!!長門牧場というのは長門町というもうなくなった町、僕が住んでいた町にある牧場のことです。

nagatofarm.com

そこのソフトクリーム!ここは一応同じ町だけどとても遠いところにあるので、あまり行くことはありませんでしたが、ソフトクリームと牛乳の美味しさは覚えていました。上田にまた住んだ時も、よく行っていました。ほんとうに美味しいのです。濃厚かつスッキリ、甘いのですが後に残らないのです!

ここで、通りがかりのおばあさまに声をかけられて、写真を撮るようにお願いをされたので、ちゃんと撮ってあげました。ごめんなさい。いい人アピールをしてしまいました。実は、僕が身につけた、都落ち長野生活で身につけたスキルの一つが「お年寄りと仲良しになる」ということなのですよ。ああまた自慢をしてしまいました。

自慢をしたら、気分がよくなってきました!!

 

その後は、上田城跡公園に桜を観に行きました。

やはり咲き頃(こんな言葉ない!)で満足しました。映らないようにしているのですが、たくさん人がいましたよ!「新宿御苑みたい…」とかちょっと思ってしまいました。でもほんとに多かった。そして新宿御苑には無い、露店も沢山出ていました。お堀を囲んだ道にも出ていて、人も沢山で、そこを歩くのは止めにしました。露店ってどうなのでしょう。祭りだから仕方がないけど、そこだけではなくて、至るところに出ているのです。。縁日じゃないんだから、と思ってしまいました。ごめんなさい。自然を尊ぶ清らかな気持ちを、感じてくださいね。僕の気持ちを。ああ。

上田城跡公園の桜まつりの動画ですうーんfabulous!#桜#桜ファビュラス

この女性のマネをして、僕も座って、しばらくぼーっとしていました。このあたりには桜がないので、人がいなかったのです。風がそよそよ、気温も良く、空もきれい。ああー和むナゴムレコードといえば人生ピエールたき・・こかいん・・とかどうでもいい思考を巡らせながら、ぼーっとしました!

この後はひばりやというラーメンやでほたてラーメンバター乗せを食べました。かなり変わった味でした。具はアボガードとかが入っていました。チェーン店とか、このあたりの市街にはないんですよね。国道沿いはチェーン店だらけなんですけど。良いことだと思います。

この後は、最後の最後に心が通じ合った、同じアパートに住む、老年だけど若い心の持ち主の方の家に行きました。その方の電話番号を教えてもらったのですが、なくしてしまったので、ひとまず訪ねましたが、ちゃんと家にいました。

その方は今は身体を壊してしまって、仕事はせず、家にずっと1人でいる人です。しかし、部屋はものすごく整っていて、センスの良いものがたくさん、そして本がきれいに山積みになっていました。音楽も好きで、いろいろ教えてもらったり、筒井康隆の「ジャズ小説」という面白そうな本を教えてもらいました。ここに書いてあるジャズのレコードを集めたいと話していました。僕が本に興味を持ったので、その本をあげるよと言ってくれましたが、やはり固辞をしました。レコードを買うために必要ですもんね。今度買って読んでみます。

ジャズ小説 (文春文庫)

ジャズ小説 (文春文庫)

 

 その後は、いよいよ上田映劇です。パーティーの前に、1つ映画を観る予定でした。

こんな感じで2周年を記念するものもありました。もり立ててます!

中に入ると、すぐに愛おしい、いや、そんなことは思わない!親しみを感じる支配人さんがいました。「お久しぶりです!」と握手を求めてきてくれました。

「💖💖💖💖💖💖💖💖」となりそうでしたが、心を抑え、握手に応じました。

この日は「モンテ」という映画をみました。映画に関しては、また別にレビューをしたいと思います。

イラン人監督による、山の厳しさを描いたという知識だけを持って見ました。山の厳しさ・・・山の厳しさ!!!ああ!!そんなものわざわざ映画で見る必要が!この僕にあるのか??という問いかけが止みませんでしたが、見ているうちに面白くなりました。実はここで「カメラを止めるな!」を去年の9月に観て以来、映画を見ていなかったのですが、ここで散々映画を散々沢山見てきた「勘」が徐々の戻ってくるのを感じました。素晴らしい映画でした。

映画が終わり、外に出るとやはり支配人さんがおられました。

「映画どうでしたか」ときかれると「いや💖💖💖💖💖💖あの」となりそうでしたが、真面目に「すごく面白かったです」「難しい映画ですよね」「あ、僕はここで散々鍛えられたので💖」と言うと、微笑んでくれました💖💖

💖はもうやめときますね。この後、この映画の監督アミール・ナリデさんが登壇をし、トークショーがありました。非常にやわらかな人柄で、話の内容も興味深かったです。それはまたこんどにしますね!

この後は、ホテルにチャックインしました。

週末なので高いかな?と思いましたが、結構安かった?です。そして建物は古いけど部屋はきれいでした。お風呂も広かったです。

上田映劇の恒例食事イベント「映劇ごはん」の2周年記念ポップコーンとベルギーワッフルと、「ルヴァン」という有名なパン屋さんで買ったパンの写真です。これは1日以内に全部食べきりましたよ!ポップコーンは「映画といえばポップコーン」という亜米利加的な考えに即し、翌日に上映中にぱくつきました。

この後は自転車を返しに行き、上田映劇でパーティーに参加しました。

上田映劇の支配人さん、そして同じ高校、長野県立上田東高校出身の後輩!がスピーチをしています。もうはーとまーくは止めにします。「ハートマークはやめにする」なんてアイドルみたいで恥ずかしい。自重します自重!

宴は進みました。

更に上田映劇を支える人たちによるトークショーもありました。貴重なお話がたくさん聞けてよかったです。ほんとうに愛されている劇場なんだなと感じました。そして気がついたのですが、僕はけっこう定期上映開始直後に来ていたということがわかりました。2017年上田映劇の一番の常連だった、ということは支配人さんにしつこくきいて確認はとっていたのですが💔でも僕は2018年の2月に東京に戻ったのです。せつないけど、また記念の日に来られてよかったな!と思いました。

この後、念願だった、あああの「あの人とツーショットさつえい」に挑み、成功をしました。これはアップロードなどはしません。Googleフォトにはアップロードが自動的にされてしまいましたが、決してあげないのです。

この後、少し知らない人と話して、自分が支配人さんと同じ高校の出身だった、2017年にここで沢山映画をみました、というような事を話したりしました。

その後は、ちょっと疲れてしまったので、ホテルに戻ることにしました。

しかし、トークショーで支配人くんさんが、言っていたことを思い出してしまいました。

二年の中で、一番うれしかったことはなんですか?という質問に「上田映劇を来て知らない人同士が交流をしているのを見るのが、とても嬉しかった」と言っていたことを思い出しました。残ってもっと交流をしたらよかった。

でも、僕は今、皆さんと違い、もう東京に住んでいるんだ、、という気持ちもありました。切ないですね。ああ、なんて映画的なんだろう。ああ、この気持ちは永遠に消えないのです。映画が続く限りですああああ!

 

そんなせつない夜は、あまり眠ることができずに、朝を迎えました。泊まったホテルは安いけど朝食が良いという評判もあり、楽しみにしていました

感じのよいおばあさまが味噌汁とご飯をついでくれたりする中、ビュッフェの基本である、食べ切れる量を、少しづつ取るという高級ホテルで学んだマナーを守りつつ🔥おいしく頂きました。もちろん完食ですよ。ふふふ!

 

この後、昨日悪かったなという思いを抱え、朝9時半からの上映「マチルド、翼を広げ」という映画を観に行きました。

上田映劇につくと、支配人さんくんが、いつものように1人カウンターに佇んでいました。なつかしいなあ。これだよこれ!なんて思ってしまいました。ハートマークはだしませんよ。日曜日の朝ということで、僕がとりあえず最初の客のようでした。

いろいろ大変なんだろうな。変わっていないですよ。とも言っていました。変わっていないということ。僕にとっては正直うれしいけど、それは良くはないことなんだろうなと思いました。

実は、前の日の映画上映中に、ノイズが混入するというトラブルがあったのです。その禊として、無料鑑賞チケットを頂きました。この日は早速、それを出して鑑賞をしたのですが。この後の映画も見ようとその瞬間に決めました。ちょっとでも力になれれば、なんていうのは、言い訳です。ほんとうにまた映画を観たくなったのです。ほんとうです。でもこれも言い訳ですね。

上映前の時間、また僕はいつものように、愛しい上田映劇の中の徘徊したりしました。

あったかい灯油ストーブ。ほんとうにあったかくて。最初の頃はこれがなくて、ひたすら寒い上田映劇でした。この前に立ってあったかいなーと思うのは僕にとって新鮮で楽しい出来事なんですよ。

映画「マチルド、翼を広げて」は、また感想は書きますが、フランス映画らしいフランス映画でした。いろいろそうでした。その感想も支配人さんとシェアしました。前日の「モンテ」よりもわかり辛かったです、という上級者気取りの感想を言ってしまったのですが、彼はそれを悟ったのか、わかってくれました。嬉しいな。こういうのが都内の映画館ではない、ということが、全然映画館に行かなくなった理由だったんだとも思いました。

その後は、「世界一と言われた映画館」というドキュメンタリー映画を観ました。これは山形県酒田市にあった伝説の映画館「グリーン・ハウス」の栄華と大火による消失に関する、映画でした。また感想は書きますが、この映画をここで観られてよかったな、と思い、それも支配人さんくんにその感想を言いました。嬉しそうにうなずいてくれました。僕も嬉しかった。

ああ、なんだか怪しい感じになってしまいましたが、とてもよい休日になりました。

 

ほんとうに、映画を久しぶりに2日に3本も観たけど全然平気でした。そして、まだ観たい映画もありました。帰り際の後には、人気映画「まくこ」の上映で、人が沢山来ていました。それを見届けて、サッと挨拶を済ませ、静かに映画館を去りました。

 

帰り際には、暖かった上田はもう寒さが見え始めて、雨も少し降って来ました。明日は仕事です。早めに東京へ帰ることにしました。

 

僕のはるやすみはこれで終わりました。いろいろうまくいかなくて、現実逃避をしたかったのですが、現実に活かせることが2週にわたって沢山沢山ありました。素晴らしい休日になりました。それもこれも、人との交流があったからです。僕は今まで、一人旅が多かった、誰ともほとんど話さずに終わったということもありました。ほんとうの旅の楽しさというのもの知った、改めて知ることができた、ということ。それが収穫でした。

僕に優しくしてくれた人たち、ありがとう!ございました!!みんな愛してます🔥

 

終わり