さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


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ゴールデンボンバー「キラーチューンしかねえよ」"ルサンチマン"を本当に感じている人達は誰なのか

 

キラーチューンしかねえよ

キラーチューンしかねえよ

 
 
  1. 恨み(の念)。ニーチェの用語では、強者に対し仕返しを欲して鬱結(うっけつ)した、弱者の心。

 

ゴールデンボンバーさまに関して、前々から思っていたことがあり、ここに記すことにしました。

まず、僕は彼らに関して発言をすることが「非常にこわい」です。なぜならば、彼らは彼らが作り上げた「ゴールデンボンバー」という名の宗教の基である、ということからです。

僕は「宗教マニア」です。宗教を信仰することはないけれども、理解はしています。

宗教というものは、その人の根幹となるものであり、価値判断の基準になる。そしてそこから反れたものは「悪」となる。

どこかで心の中で疑うこともある、私の信じているものは、間違っている、または良くないダサいのではないか、しかし、宗教というものは信望するもの同士で集う、キリスト教徒でいえば、協会で、ユダヤ教でいえばシナゴーグイスラムで言えばモスク。

そのような信ずる者たちが集う場所は、「集会」ならぬ「ライブ」があります。しかし時間は限定的であり、だからこそ宗教の集会というものは、価値が高いものとされ、そして集金の貴重な機会でもあります。

そして、日常的な信仰を深める場所が宗教には必ずあります。現代にはおいてネットがそこにあたります。SNSです。ゴールデンボンバーだけではありません。一つの価値観がそこで共有され、共感を得る。それが数字になってバリューも目に見えてわかる。私は間違っていないんだ。そのような事が日々に積重なる。素晴らしい事です。

そして、ゴールデンボンバーが他と違うところは、「ツッコミどころが沢山ある」ところ。ツッコミどころしかない、といっても良いでしょう。そこがあるから、心の中の戸惑いすらも、集団の意識合致による正当化に結びつき、忠誠を高めているものと考えます。

 

僕はゴールデンボンバーをバンドとは認めません。

当然です。バンドというもの、楽器を弾くということは、とても大変なことです。

やった事がなくても、わかるはずです。ギターやベースがいかに「重い」か。重量だけではありません。実質的に、お金、気苦労も手間もかかるのです。

それを捨てて、パフォーマンスに走る。それはいいのです。音楽は自由。日本は自由が認められている国なのです。

でも、バンドではない。バンドを自称しているのかはわかりません。でも「ミュージシャン」としても当然認められません。

ただ、X Japanの映画「We are X」をみたゴールデンボンバーのメンバーが感動し「同じヴィジュアル系として尊敬する」のような事を仰っていました。並んで比べるのはあまりにも失礼だと感じます。この前の紅白歌合戦X JapanYOSHIKIが生命をかけて演奏していたのを見て、それを思い出しました。

 

そして納得がいかないのは、彼らに「ルサンチマン」があるという言質です。

realsound.jp

 

ゴールデンボンバーは「弱者」ではない。です。今や「強者」のもっともたるもの。過去がそうだったのかもしれませんが、散々言われているように、もう十分に活躍しています。歌番組、紅白歌合戦だけではなく、数々のメジャー企業のテレビCM、「ちびまるこちゃん」の「おどるポンポコリン」いくつも成功を収めている。

まぎれもなく「強者」であります。

 

そして、批判を一切許さないファン達も沢山いる。批判をされればされるほど、燃え上がってしまう。まるで新興宗教です。それも仕方ないです。

 

でも、「ファンが彼らのどこを支持しているのか」は僕からは見えません。「面白いから」なのでしょうか。実際に面白いです。面白い面白いアハハ。面白い以外になくてもイイとは思います。そんな「バンド」はいなかったということは事実なのです。

 

gendai.ismedia.jp

 

僕がもっと「ああ」と感じているのは、インタビューで出ているのは「特典商法あるなし」「CD売れない」云々のそんな話ばっかりだということです。

音楽自体についての話が、全くない。

音楽に関するインタビューなのでしょうか。それとも「バンド運営ノウハウ」のインタビューなのでしょうか。メインは新しいアルバム「キラーチューンしかねえよ」の話なのではないのでしょうか。

この曲はこんなに頑張って作りました。バンドのノリをあわせるのに大変でした。メンバー間で曲作りで対決しあったけどわかりあえた、こういう情景を思い浮かべてほしい、このギターのフレーズには思いがこもっています。

そんな話が、全くありません。それは仕方ないです。

 

アルバム「キラーチューンしかねえよ」を聴いて、僕は、特に何も思いませんでした。

新しいものがない、それは良いのです。何やっても自由です。

でも、安っぽいなって。商業的だなあと。CDは買わずApple Musicで聴いただけです。

サウンド、曲に関して、特に言うことは何もない。何も感じなかった。ごめんなさい。

 

彼らに「ルサンチマン」を感じている人たち、それはバンドマン達だと思います。

なんで楽器を持たないやつらが、あんなに人気になってるんだ。

でも、誰もそれは言えない。SNSの時代でそんなことは言えません。かつての音楽雑誌だったら、大丈夫だった。でも雑誌はもうないに等しい。そして、今、そんな事は載らないでしょう。

そしてSNSやブログ等で否定をしている人たちが殆ど見受けられません。

ルサンチマンとは、弱者の心です。僕は弱者です。味方が見つけられません。

 

僕は単なる傍観者です。当時者である、他のヴィジュアル系バンドマン達がどう思っているのか、それが明かされることは、永遠にないのかもしれない。あるとしたら、ゴールデンボンバーが解散して、忘れられた時です。

 

終わり