さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



まえむき月間報告書 2017年6月期 足の快方に向けて

前文

 

6月期には私にとって、少しだけの進捗、いや、大きな進捗があった月でした。

それは幽かな希望が見えたことでもありますが、より大きなぜつぼうを感じてしまった時でもありました。

 

1.足の容態について

散々放置されてきた私の足は、通常の生活を経ても全く治ることはなく、長時間の勤務の打診もあったのですが、なくなりました。そのおかげで、6月に入った初給料は、思ったとおりに微々たるもの。なんせ1日4時間しか働いておりません。仕方ありません。前職より時給が1000円以上下がった。それも当然わかっていたことです。

しかし、なんでしょう。たった4時間、週3日だけでも、勤務終了時にはクタクタのクタクタ。情けないのですが、足が起因となっているわけではありませんが、ミスを連発してしまい、何度も何度も同じミスを繰り替えしてしまいます。

それでもなんとか2ヶ月続けてきたのは、店長様マネージャーさまの暖かいお人柄のおかげであります。足の件にきづいても、気遣ってくれます。

 

「散々放置」の件ですが、これは深刻なことでした。5月に市内の「整形外科」を受診しました。もうどうにもこうにもならなかったからです。

「整形外科などを受診したい」と無職山の中生活でも願い出たのですが、それは叶うことはなく、「もう少しすれば治る」なんてことを言われていました。

しかし、治りません。だったら働かなくても良いのか。そんなことはありません。労働は義務なのです。義務の納税も果たさなくてはいけない。そして私はお金がほしい。

 

この地では今までの私の経験、WEB企業での仕事などを活かしたような仕事は、当然のごとく全くありません。

ありませんでした。

だから、足の事を隠そうとして受けた「アルバイト」の面接は開口一番「足」のことを指摘されたりして、打目になりました。どこもかしこも落ちてしまった。ほんとうにくやしい。経歴なんて役にたたなかった。足が悪いとアルバイトなんて採用してくれない!当たり前です。

それでも見つかったお店のこと。感謝しています。でも、このまま続けていても、申し訳ないと思うのです。ああ、なんて悲惨なんでしょうか。申し訳なさが悲惨です。

早いうちに強行的に医師に受診するべきだったのです。人様に迷惑をかけるだなんて、悲しいです。

 

結果、整形外科ではレントゲン撮影のうえ「何か脊髄の神経がおかしいかもしれない。MRIを近くの神経内科で撮ってきてくれ」といわれ、後日撮影に参りました。

そして再度整形外科を受診し「やはり脊髄の神経がおかしいので、神経内科に罹ってくれ」ということなりました。

 

そうです。私の運動不足や、山での引きこもり生活が原因ではありませんでした。

もっと早く受診をしていたら、普通に生活が送れていた。普通に歩けていた。歩くたびに自分を呪うようなこともなかったのです。

愚かでした。あくまで自分がです。

そして、自分を守るのは自分だけ、とも気づきました。

 

2、新しい職務について

今はただ、突然に現れた久しぶりの幸運を冷静に受け止めて、必死に努力をするべきです。そのモチベーションは「冬に外に出なくてもよくなる」ということが主だったこと。それを恥じて、ほんとうに久しぶりに感じた「仕事がたのしい」ということを主にすべきだと感じます。

そもそも、私は東京ではそのような職種についていたのですから、長野では違う仕事を満足にできなくても自分を責めることはなかったのです。残念ですが、そう思います。なんでもできるような器用な人間ではなかった。そして、「ここよりももっと良い景色」を見てしまった。そういう愚かな人間は、この地には相応しくない、と感じます。

 

3,県民との初ともいえる接触

新しい仕事に関連して、ローカル線の駅の前にある、小さな酒屋&軽食品店のお店番のおばあさまと交流したことを報告いたします。

彼女の折衷は計3度。非常にフランクという言葉は相応しくないけれども、ほんとうにフランクなおばあさまでした。久しぶりに人と身のある、本当は全く身のない会話を長野県民とすることができて、本当によかったです。そのお店にてわたくしは「チョコモナカジャンボ」を購入し、おばあさまと会話をしながら「溶けてしまう」と思い、袋ガシャガシャ後にぱっくり食べました。そうすると、床に「チョコモナカジャンボ」の屑が床に散らばってしまいました。「ああ」とおばあさまが声を上げましたので、すかさず私は近くにあった店保有のものだと思われる掃除機を使い、それらを全て吸い取りました。「まあ〜ありがとう」このようなやり取りがあったこと。どうでもよいことかもしれませんが、なんと良い瞬間だったのでしょう。

本当はおばあさまと「2人自撮り」「カップル自撮り」をしたかったのですが、「携帯電話はよくわからないしこわいから、つかってないよお」とのことでしたので、遠慮いたしました。

 

4,都落ち後2度めの東京について

6月を彩るトピックのひとつとして「2度めの東京訪問」あります。

1度目は面接、2度めはその面接が通ったので、契約のための訪問です。東京は遠いところ、と考えていました。それは山の中で自分の足が動くことができなかったから、だけではありません。いつのまにか「東京はひどいところ」みたいな押し付けがあったためか、遠いところのようになってしまったのですが、違いました。

 

2度めの東京は、やはり気分が違います。1度目も「面接が通る」だなんて思っていませんでしたから。今度は違います。鵜喜鵜喜して上野駅にて降車し、「長野では見られない芸術を堪能しよう」と思っていました。しかし、当日はほとんどの美術館は休館でした。仕方なく、私は「上野動物園」に参りました。

https://www.instagram.com/p/BVBMlefjZA5/

https://www.instagram.com/p/BVBRf0GDR5-/

https://www.instagram.com/p/BVBQG5wjdB6/

https://www.instagram.com/p/BVBOftRDDaQ/

このようにパンダさん熊さん、猿さんたちを目視にて楽しみみつつ、如何にも楽しそうに映るのかもしれません。しかしながら、私はこの場にて最悪な事を感じていました。

「足の悪化」です。周りには修学旅行の中学生が嬉々とはしゃぎ、「おらーー」との楽しそうな嬌声を上げて駆け抜けています。なんてうらやましいんだろう。なぜあのように走れるんだろう。私は走れないどころか、足のつかれのようなものが抜けません。

https://www.instagram.com/p/BVBmMAVj49q/

最悪の気分のまま、訪問先近くにある「神田すずらん通り」にある「スヰートポーヅ」にて餃子を食しました。行列店でお昼時でしたが、待たずに座れました。そんな時でもこう考えてしまいました。「足は悪くても良いことはあるんだ」なんていうネガティブ・シンキングなのでしょうか。

そしてお昼時、4人席にお一人様でしたので、相席スタートとなりました。相方は中年の男性です。どうとも思わなかったのですが、その方が私に話しかけてくれてました。「今日はお仕事ですか」から始まり、状況の説明、どこから来たか、何しにここに来たか、どのような目的がきたのか、何処に住んでいるのか、ということを私ではなく先方から全て話してくれました。そうするうちに、私の餃子がきました。「ああ懐かしい味が食べられる東京でしか食べられないあじ」と感慨に耽る暇もなく、相方さまは話し続けました。「ぎょ、ぎょうざおいしですょ」と食しつつも、(ちょっと黙ってて)と心中で言い続けました。

しかし、私は「人と話せた」ということが嬉しかった。相方さまのお話内容も非常に興味深いことばかり。それは矢張り「帰る所」ではなかなか得られないものだと、認識している次第です。

 

この「神田すずらん通り」に向かう前に日比谷公園、愛しの日比谷公園にも東京駅から歩いていきました。少し倒れそうな自分が恥ずかしかった。ですので、やっとたどり着いたそこの手前にある「ペニンシュラホテル」にて、「700円のマンゴープリン」を買って食す余裕などありませんでした。「金銭的に無理なんだ」と言い聞かせました。実際にそうなのですが、このあと餃子を食べたのですから、出来たはずです。

でも、「いけないこと」だと思っていた。そしてかつての自分がそこに見えてしまった。休日に自宅からここまで自転車来てそのような愚行を働いていたことを、完全にお見出したくなかった。

他、神保町には「御茶ノ水駅」から歩いていきました。御茶ノ水のまち、神保町のまち、なんと素晴らしいところなんでしょう。楽器屋と古本屋が山のようにある。何日いても飽きないまち達。悲しいです。失ったものが大きすぎると、ただただ足をひきずりながら、歩いていました。最悪でございました。 

5,芸術的な側面について 

やはり停滞しております。ピアノは5月の「グランドピアノとの斥候」以来、生のピアノを借りる根気がなく、頓挫しております。しかし、電子ピアノは以前よりも弾くようになりました。そしてとある目標、収入が得られるかもしれない目標も定めました。

それは現実的に進行するかどうかわからないという段階なのです。

しかし、それが現実的に進行するかもしれない、という状況だけでも私は満足しております。この才能は自分を救う日が来る。私は愚かですがそう信じているのです。

 

6,ブログ・インターネットについて

ブログに関して「グーグルアナリティクス」の導入をしてみたところ、はてなブログアクセス解析よりも数字が良かったのですが、やはり内容には満足していないところです。でも、どうしようもないのです。「検索にヒットする」記事を書くコツは掴んだとはいえでも、かなりマイナーなネタばかり。AKBの記事だけ、数字が良かったのはそれを象徴しているのでしょう。

開き直って、よりマイナー、他の誰にも書けないことをひたすらに更新するしかありません。ただし、「みんなが好きなもの」を徹底的にディスってみてどれだけ炎上するかという試み…は辞めたほうがいいですね。殺伐は必要ない。でも、ドブネズミみたいに醜くなりたくないのです。

SNSは、もう正直勘弁してほしいと思います。夜中に「いいね」の通知がきてスマートフォンの通知がなるのです。そして目覚めたりする。「くそ」と思ってスマートフォンの通知設定を探すもなく、イライラします。なんでこんな時間にいいねするのでしょう。辞めてほしい。と思いましたが、「夜中にいいねしない」なんてマナーはなかった。だから通知の音量をOFFにしました。

しかし、SNSは「ロム専」だけにしたいと思います。あとはブログの通知ですね。

またこのTweetにたいして80以上の「イイネ」が付きました。これは「H ZETT M」への賞賛Tweetですが、なんと「H ZETT M」のアカウントからリツイートされたのです。

 

しかし、ブログへの導線とは成りませんでした…。Twitterなんて無駄なもの。

だと改めて気づきました。それでも、たまには投稿しようと思います。「ねむい だるい つらい」

 

7,当面の目標

足の完治。それしかありません。現行の仕事では思うような収入が得られず、自立ができない。そしてメインの仕事として決まった仕事の他に、働く、となればやはり接客業しかないのが実情です。東京だったらそんなことないでしょうに。仕方ありません。

ここにいること自体が、自分にとってはつらいこと。さらにそれらに積み重なっていろんなことがやってくる。だけども、いつかその日のために、ひたすら頑張るしか無い。

だから、足をなんとかするしかないのです!くっだらねえなあ・・・。

 

 

以上報告 終わり

 

【ヴィジュアル系】メガマソ 「天使崩壊」涼平くん僕も崩壊してるよ…【うつ気味レビュー】

 

天使崩壊【通常盤】

天使崩壊【通常盤】

 

 

天使が崩壊したって。

僕の中の天使たちもほうかい、崩壊はしていないけれども

天使たちからは離れてしまった。もう近くにいないのだから。

崩壊したのと同じなんだ。

 

ごめんね。

涼平くんからも遠くなってしまった。migimimi sleep tightのプレビューライブが最後だったね。あれから「」しようかと思ったけど、ダメになっちゃった。

ちなみにね、自分語りでゴメソなんだけど、あのプレビューライブをやったライブハウス、僕がね、バンド時代に最後にやったライブハウスなんだよ。今更気づいたんだよ。前にやった事は気づいていたけど、君のはじまりの場所の一つが、僕の最後の場所だったんだよ。

 

不思議だね。

星がキレイだな。

天使がいそうだな。

くそド田舎だから、星だけはきれいなんだな

 

シスタンは、とても切ない曲。ゆっくりはじまったかと思ったら、いきなりツービート!でも歌メロはいつのままだね。実は僕の歌を聴いていてくれた?ほんと?これは現実じゃないよね。天使は崩壊したのだから。

 

天使崩壊 

「いよいよ始まった感」のイントロが燃えるね。いよいよ「天使崩壊」が語られるんだ。でも

「高高度から覗く天の川」「惚けてぽかんと光りの粒々」って歌詞カードあるのに歌は「よぞら」だけになっているよね。これはどういうことなのかな?昔もこういうのあった気もするよ。「高高度すぎてよくわからないお約束」なんてやっているの、君たちだけだよ。なんなんだよ。素敵じゃないか!カラオケで歌詞に「高高」とか入っているのか気になるよ…「髙」じゃなくてよかったよ…

歌詞追う表示が追いつくのか心配で心配で。どうでもいいよね。

 

「もし君がただしくない夜があって… 世界がただしいときに」

ほんとうに僕はただしくないのかな?わかんないよ。だったら僕をド田舎から救ってくれ!自分から出なくちゃだめだよね。

 

インザーギさんのハイトーンと、背後に微妙に入ってくる電子音がいい味だしてる。SF的ともいえるかもしれない。宇宙的、天使は宇宙にいる。そして夜空にいる。

 

いきはよいよい、かえりはこわい。

ゆりかごから墓場まで」って言葉があるけど、この曲は「梱包業者から曼珠沙華まで」だよね。そんなのすごいよ。他のバンドにはないよ。ていうか仮におもいついたとしても、そんなの曲にはしないよ。通常ならね・・。

でも「そんなの関係あるか」みたいな勢いのある曲だよね。昔をやっぱり思い出しちゃうな。ツェッペ氏って結局だれなんだろう。昔のことはもういいよね。昔のことが忘れられない人たちがまだ集まってるみたいだけど。もういいよね。この曲は、過去を踏襲しながらも確実に超えている、違う意味でも超えている曲だよねすごいよやっぱり…。

 

フラワリングピッツィカート

曲名を真面目に捉えることの無駄さ、虚しさを感じさせるスローな曲。

なんとなく通常版のジャケットにある「魚さん」の曲なのかなとおもったけど、いろんな動物たちがでてくるよね。でも動物に関しての曲ではないとはわかる。あくまで人間を歌っている。

「花盛りのピチカート」ピチカートってあれだよね。弦をはじく奏法。そうなんだ。やっぱり意味がわからないけど、すごく素敵だと思うよ。この曲もいいね。インザーギさんのさすがに苦しそうな高音が続いてこっちも苦しくなるけど、それもいつものこと。

 

ふとん史

ふとん史ってなんだろう。ふとんというものに、史実が存在するのだろうか。

そしたら「人参を口に運んで」と来た。人参を口に運ぶ曲なんて、この世に他にあるのだろうか。

そしたら「いかにもヴィジュアル系」みたいな曲調がはじまった。ふとん史なのに!そしたらそしたら、嵐のようにサビになる。わかるようなわからないような描写。こんな変な曲、変だけどなんだか素敵かもしれない曲があったのだろうか。

あった。それは彼の曲のすべて。すべてに共通していること。

「蒲団から」何かがこぼれた。それが「ふとん史」なんなんだろう。これはもしかしてネコちゃんのことなんじゃないか。いやそうではないのかもしれない。そうだったら素敵なんだろう。ふとんに猫がいた。そして死んだ。だから「ふとん史」。悲しい曲だ。そんなことないんだ。僕が暗いだけなんだやはり崩壊しているのかも…

 

juice

3つあった「涼平バンド」の3つ全てにて共通して引き継がれた「涼平なる癒やし」の曲。インザーギさんの素敵なストレートな曲です。良いのです。良いのです。これこそ、涼平バンドなのです。migimimiは癒やしが多そうなのですが、結構僕はそれが好きなのです。他のバンドには無いじゃないですか!ここまでのギャップ!しかもその1つは「非涼平」でも売れやがって結構良い曲もあったり・・・どうでもいい!インザーギさんごくろうさまです!

 

ウイウイ

タイトル「ウイウイ」

何の曲なんだろう、そしたらいきなり「うさぎ消えた、僕は急いで探すよ」ですって。うさたん🐰探す曲なの〜?ファンシー☆かと思ったら、そうではなさそうだけれども、全体的になんだか混乱してます。涼平くん大丈夫なのかなあ〜統合失調症の人の書く歌詞みたいだけど、気の所為だよね。りょうたんが木の精なのかも。

石首魚、いしもち、そんな言葉生まれて初めて聴いたかも、少なくともロック音楽上で聴いたのは初めてだよありがとう。そんなことが毎回あって、本当に自分が無知だって気づいて口惜しいよ。さっすが学士の人は違うねそれは関係ないよね。ごめんね。

全体的に、ハイテンションハイテンションヌだけど、よくわからない。最後の歌詞に何か意味が?と思わせてられてしまう、口惜しさが残りました。それもよくあること

 

削り氷にあまづら入れて

「まさかかき氷🍧、フローズン・スイーツ🍧🍧🍧の曲なのかなあと思ったら、その通りでした。

でも良いでしょう。海!夏!ヴィジュアル系!という本気の居心地の悪さ、そしてやはりよくわかんない世界観に、海に溺れたくなります。湘南のキャンパスで狂ってしまう学生たち。永遠に遠いサマー・オン・ビーチ。たまには良いのではないでしょうか。そういえばヴィジュアル系に「夏ソング」ってあったのでしょうか。あったような気もしますが、別に知りたくない知識です。ひとまずヴィジュアル系の「夏ソング」といえばメガマソの「削り氷にあまづら入れて🍧」これで決まりです。完全にヴィジュアル系

ichigoサマーデイズ楽しみさい

比較的「さわやかまえむき」な「HOOPS」挟んで「ichigoサマーデイズ楽しみさい。」またこれまた、「夏ソング」です!!困りましたねえ〜涼平たんやっぱり…崩壊しているのではないでしょうか。ツッコミことさえ虚しくて笑えてきてたのしい「楽しみさい」偏差値いくつなんでしょうか涼平さん。トホホ。高偏差値の莫迦化かし!さすが!

しかしヴィジュアル系のお約束、「曲調が途中で突然変化する」という伝統は護られているのです!涼平くんはやはりヴィジュアル系のネ申だから護られる!

ところで一連の「夏ソング」を聴いて思い出したのですが、「ヴィジュアル系史上初のサマーバンド」PIECElangを思い出しましたよ!誰も覚えてないと思いますけど!確かに彼らは「ヴィジュアル系」と「夏サマー」を融合させた、かなり裏歴史的なバンドなのですが、ごめんなさい。関係ない話して。動画のLinkだけ貼っておきますね。

PIECElang - TOCO"夏"FANTASY - YouTube

 

フロスチ

いつになく、素直なことばだね。ありがとう。わかったよ。天使は崩壊してしまった。でも存在しないものだから、きみは現実に存在しているもの、言葉を使って、誰にも表現できないものを作ってきた。

そういうものなんだ。天使なんかいない。僕のために、君のために。

 

というわけで、やはり涼平くんは日本ロック史上に残る天才であり秀才であり、そして鬼才、鬼才が一番強いと思うのです。

そんなぼっちおじさんでした。

天使よよみがえれ!!!

「共鳴する音楽」に共鳴しました。 H ZETT M「共鳴する音楽」【レビュー】

 

共鳴する音楽

共鳴する音楽

 

 

H ZETT MH ZETTRIOとの出会いは衝撃的だった。

「ギターが一切入っていないロック」「ピアノが中心のロック」だということ。

日本のロック・ミュージックの中では異色といえる存在だろう。

 

そうなるとやはり、そのピアノの弾き手H ZETT M氏のピアノの腕前が気になるところだが、国立音楽大学作曲科卒業というアカデミズムの極みといえるような、凄いお墨付きだった。

 

しかし、そんなことは重要ではない。クラシック音楽においては、重要なことなのかもしれないけれども、「ポピュラー・ミュージック」においては何の価値もないのだから。

 

「音大に入ると頭が固くなる」と過去に僕に言ったショボいアマチュア・ロック・ミュージシャンがいた。

「ピアノが上手すぎるから、あえてバンドではドラムをやってくれ」と言われて、そのままドラムで参加したりした。

それらは皆、ギタリストたちだった。

 

日本のライブハウス・シーンにおいてギターは絶対的な存在で、ボーカルを超えるような尊大なものになっている。

ギターは大きい音量を出さなければならない。ギターの音の大きさからサウンドが構築される。

だから、他のパートの音は潰される。ボーカルが自分の声がモニターから聴こえないほどに。そんな人たちは極わずかなのかもしれない。僕が見てきたバンドたち、そして僕が参加したバンドもそうだった。

 

H ZETT Mのライブをまだ見たことが無くて、口惜しいのだけれども、ライブの映像を見る限り、ドラム、ベース、ピアノ、それが一体となっているように思えた。

そして、「主役が誰か」というのもはっきりしていた。それを主役以外達も認めて、サポートしていた。

 

ピアノが主役のバンド。なんて素晴らしいんだろう。

僕はピアノを弾いていて、好きなのだけれども、クラシックピアノを人前で弾くような腕前はもう無くなってしまった。

 

だから、圧倒的な腕前を持っているという断言出来る、彼、H ZETT Mには僕の憧れの人なのだ。

 

「共鳴する音楽」を聴いてまず思ったのは、1曲め「ショーがはじまる」

シンコペーションのリズムにて展開されるメロディが、同型で転調を繰り返されて、どんどん高みに登っていき、時にシンコペーションから外れて単純な八分音符になったりする。「この人」は高みあがることに対してすこし戸惑いを感じているのではないか。

なんて考えたりする。ショーが始まる前の演者そして観客の気持ちを表現しているかのよう。

「ショーがはじまる」のような、タイトル、標題がこの曲集には付いている。

繰り返されるシンコペーションと非シンコペーションによって高まっていくその曲調に「ああ、いよいよショーがはじまったんだ」と素直に感じた。

もちろん歌はないのだから、「ショーがはじまる」とされていたものは、曲の中の言葉にんないのに、それを感じさせた。

 

この「共鳴する音楽」は全26曲ある。

「全26曲入ったピアノ・ソロアルバム」という見方もあるだろう。

僕は、そうではない。

 

これは「共鳴する音楽」という名の「曲集」と感じた。

ショパンの「24の前奏曲」(実際は26曲ある)ドビュッシーの練習曲集(24曲)スクリャービンの「24の前奏曲

ここで挙げている24曲というのは意味があるのだが、まあ要するに「24の音階の全て別に曲を作りました」ということ。

しかし、これらの曲は、形式的なものではない。短い曲が、自由に、しかし作曲者の中の何かが共通していてそこには存在している曲達。

「共鳴する音楽」にも共通すると思う。短い、定形にとらわれない鮮やかな曲たちがならんでいる。これは「現在のショパン24の前奏曲」と言ってもいい!というのはちょっと違うかもしれない。全く違う音楽、「共鳴する音楽」はあくまでもポピュラー・ミュージックであり、クラシック音楽ではない。

 

「ポピュラー・ミュージック」の範疇でありながらも、「現代音楽」的な側面もあると思う。

2曲め「極秘時代」これはミニマル・ミュージックを基礎にしていると思う。片手で同じフレーズが延々と繰り返される。規則性のある音楽。そして挟まれる四分音符の極めてジャズ的な和声。

一柳慧という作曲家のピアノ曲「タイム・シークエンス」を思い出させる。機械のリズムをピアノ音楽に昇華した、1976年に作曲された斬新すぎる曲。H ZETT M氏が「タイム・シークエンス」を知っているのかはわからない。音大生だったら誰も知っている曲ではないのだから。この曲にかぎらず「ミニマルミュージック」への理解はもちろんあったのだと思う。

 

「音だけで表現する」ということに対して、タイトルをつけることによって理解が深まった例もある。

「クジラが泳ぐ」という曲。海を漂うかなような一定的な左手による和声が、どんどん濁ってその濁りが広がっていく。

一方、右手はゆらゆらと水辺を揺蕩うような優雅さで、左手のどん、どん、どんを見つめているかのよう。クジラが泳いでいる。クジラが泳いでいるのを表現しているだけではない、それを見つめている人がいるんだな〜なんて思ってみたり。

 

DISC2の1曲め「未完成ワールド」これほどにポジティブアレルギーが刺激されるような素晴らしい曲があるのだろうか。タイトル意外に、そのような言葉はなくても伝わってくる。ポジティブアレルギーなのに、刺激されてしまう。ああ、せかいはすばらしい!なんて思いたくなる。

 

「反骨ワールド」はこれはプロコフィエフだろうか、バルトークなんだろうか。遠慮の無い、暴力的な和声が歯切れよく展開されている。そしてあっさりと終わる。プロコフィエフといえば「束の間の幻影」という曲集があった。このアルバムのように、短いためいきのような曲が詰まった曲集だった。

 

紆余曲折を経て「喜びのテーマ」で美しく完結する。なんとなく「これでよかったんだ」と思う。彼は今、幸せなんだろう。作曲した曲も評価された。「アフラック」のCMで「あしたのワルツ」も使われた。ライブハウスツアーも大入り。

 

でもそれだけではない、人生に対する傍観も感じられた。そんな一枚だった。

 

ここで締めようと思ったのだが

このTweetをしたところ、沢山の人にいいねやリツイート、そして「H ZETT M」の公式アカウントにもリツイートされた。このアカウントは彼が運営しているのだろうか?

まあ、それはどうでもいいです。それよりも「ヒンデミットのルードゥス・トナリス」てなんだお前って感じたと思います。

これは「ヒンデミット」というドイツの作曲家の作った「ルードゥス・トナリス」という曲名です。

www.youtube.com

Ludus tonalis とは「音の遊び」その名の通り、音で遊んで、楽しんでいるかのように聴こえる音楽だと僕は思っていましたが、ヒンデミットはドイツの作曲家。堅牢に構築された建築物のような音楽を作る人、と言われています。

しかし、この「ルードゥス・トナリス」は、理論的にはそうでありながらも、どこか解放されたかのようなただただ美しい曲に聴こえます。この動画は1曲めで実際には全25曲あります。壮大です。

だけども、「共鳴する音楽」に、通じるものがあると感じました。共鳴する音楽に共鳴したのです。

 

僕はいつかH ZETT Mさんのピアノ独演会を観に行きたい。そしてその会場が「サントリー・ホール」だったいいのに、だなんて思っています。

クラシックファンで、彼の音楽を認めている人という人に会ったことがありませんが、きっとわかってくれると思う!

ああ素晴らしいH ZETT Mさま。今日は「新宿は豪雨」です。どうかみなさん足元に気おつけて。僕が長野ですが。

 

NMB48 須藤凛々花の「結婚発表」が明らかにした、本当の彼女たちの素顔

sirabee.com

もう誰もがどうでもよくなっていると思う毎年の恒例行事「AKB48選抜総選挙

ドラマティックさを過剰に演出して、1位になること、「神セブン」に入ること、16位までの「選抜メンバー」に入ること。そして入れないこと、1位が取れなかったこと。前年より順位が下がったこと、そして「順位」がなかったこと。それら全てが話題になっていた。

時もあった。

もう、世間はAKBグループに対して、どう距離を取っていいのかわからない時が、もう来ていると僕は感じている。

 

実際そうだと思う。天候の影響で「総選挙」のイベントが急遽中止になった。会場は沖縄という試みが影響した。沢山の人たちの予定が台無しになった。

それも、大きくは報じられなかった。

 

もうどうでもいいからだ。「総選挙」自体が中止になる、なんていう誤解もされたりもしたけれど。それは無かった。当たり前だ。その結果のために個人の資産がたくさんつぎ込まれていたからだ。

 

「今年も話題たくさんのAKB総選挙」みたいなテレビ局の煽りも、お約束にしか聴こえなかった。結局指原莉乃が史上初の3連覇、渡辺麻友が2位で卒業発表。

 

もし、それだけだったら、ほんとうにそれだけで終わる総選挙だった。

しかし、「史上初」のことがあった。

 

NMB48の須藤凛々花が結婚を発表した。

「生まれて初めて人を好きになりました」と告白した。

誰もいない会場で、パブリックビューイングを通して、発表した。

 

これに対するファンの反応は、予想通りのもの。怒り、悲しみ。そしてわずかの応援の声。これも予想通り。

 

僕は、彼女が心の底から羨ましいと思った。

「生まれて初めて人を好きになった」なんて、僕には経験が無いからだ。

本当に、全く経験が無いことだから、すごいと思う。しかも結婚する。相手は誰なのかはよくわからないけど、一般の人らしい。

 

「現役のアイドルが結婚する」ということは、他のアイドルではよくあること。

48グループでは初めてなのかもしれない。

 

だから、本人意外の、当事者、つまり48グループの他のメンバー達の反応はどうだろう。

 

それは激烈なまでの彼女への攻撃だった。

大島優子は、酔っ払っているかのような下品な動画を上げて、最後は「これが今の気持ちね」と「FUCK」と書かれた帽子をInstagramのライブ動画に上げていた。

その他、一般人は誰もしらない総選挙10位の高橋朱里も、須藤凛々花を批判した。

一部で出ているだけで内幕は想像以上、惨々たるものなんだろう。

 

女の集団は怖い。

僕はそれを知っている。

一人が攻撃を初めて、同調が始まると手が付けられなくなる。

男だって、そうかもしれないけれども、やはり生物的な「事」への執着の違いはそこにあると思う。

 

それは、須藤凛々花もわかっていた。

もうグループは辞めるつもりだったんだろう。

 

そもそも「AKBの総選挙」というシステムは本来はおかしいもの。投票をするために何枚もCDを買わせる。おかしい。おかしいことなのに、CDの購入が正義、愛、だという悲しい言葉によって正当化されて、いつのまにか素晴らしいことのようになってしまった。

 

その結果の場所で、自分の本当の幸せをわざわざ提示した。

すごいことだと思う。しかもスタッフは事前にその事を知っていた。

 

それはこのプロジェクトの大元、秋元康も知っていたと思う。それを知って、許したから、須藤凛々花は結婚することを発表した。

 

秋元康には確か「(AKBでは)別に恋愛禁止をしていない」と言っていた過去がある。歌詞にもそれを匂わせることもあった。

けれども、彼女に対して同胞たちは怒りと違和感を隠していない。

 

須藤凛々花は、いつまでも続くこの連鎖から脱したから。それも一番の見せ場において。彼女も総選挙にランクインしていた。下位だったが「ランクインするだけでもマシ」みたいな世界の中でも、ランクインした。

 

それでも順位発表にあとに発表した。

 

「同僚の結婚発表」に、同性が決して喜ぶものではない、ということ。はタブーに近いことだと思う。

定時後の時間にて、繰り広げられるであろう、本当の姿。男たちは見ることができない本当の彼女たちの姿。

それが、アイドルグループでも見られた。見せてくれた。見てしまった。

 

そんな気がした。

 

「AKB選抜総選挙」の価値はもう無いに等しいと思うけれども、彼女の結婚発表には、意味があったと思う。

 

ファンが一番聴きたくないことを高らかに聞かせてくれて

ファンが一番見たくない、同胞たちの姿、幸せに嫉妬するという姿、本当の姿を露わにしてくれた。

 

アイドルグループの歴史に、美しい、消えない傷を刻んだ。刻んでしまったからだ。

 

maemuki.hatenablog.com

【ヴィジュアル系】Călătorie-カラトリア- 「琥珀の花」僕の「最期」のヴィジュアル系

みなさんこんにちは。

今日は「ヴィジュアル博士のる」さんのソロプロジェクト「Călătorie-カラトリア- 」の1曲入りCD「琥珀の花」のレビューをしますね。

f:id:maemuki:20170615160913j:plain

のるさんとは実際にお会いしたのは1回だけ。しかも「カラオケ」という場所での初対面でした。

その時はのるさんの事を知りませんでした。その会も参加は4人くらい。中には「琥珀の花」の中の紹介文にも登場しているvkdb(https://www.vkdb.jp/)のkuwaさんもいました。kuwaさんとは2回めの対面でした。

 

のるさんは、途中からの参加でした。「ヴィジュアルはかせが来る」みたいな事を聞いたかどうか、覚えていません。

しかし、彼のことはすぐにきになりました。すごく!歌がうまいのです!

カラオケで歌がうまい人は沢山いましたが、彼はその中でも出色でした。どうしても自分とくらべてしまいそうになりますが、そんな比較にはならないほどに上手でした。その後ファミレス的なところでお話をして良いひとだとわかりました。コミュ力高いです。

 

その後はTwitterなどで、お互いなんとなく交流を量るだけでしたが、彼のヴィジュアル系に対する思い、活動、実際の活動には、心を打たれました。

毎日、本人にとって実質的な利益にはならないと思しき、「新しい現在進行系のヴィジュアル系バンド」の情報をTweetしています。そして、彼らの活動にもライブハウスを通じて協力をしたりしている。

彼が「オサレ系」のバンドマンだったということも、憧れになりました。オサレ系バンド…あこがれる…高田馬場AREA…池袋サイバー…

 

そして彼が「ヴィジュアル博士」と名乗るに相応しい知識と見識の持ち主だということも理解できました。

それが特に表れていたのが彼がnoteに書いたこの記事です。

note.mu

ヴィジュアル系バンド界最大の貢献者、そして最大のタブーでもあるKISAKIさまのこれまでの歴史を、完璧にまとめていてくれます。

KISAKIさまに対して、ここまで真剣にその存在意義を問うた記事がかつてあったのでしょうか?ほとんどのV系ライターは「彼がほんとうにスゴイ」ということを理解してないか、無視している、知らない、としか思えないのですが。気のせいでしょうか。

KISAKIさまこそ、真のヴィジュアル系バンドの創始者の一人である!というのがここで証明されています。

 

今回の「琥珀の花」もリリースがアナウンスされて、僕は「ライカエジソン」で通販にて購入しました。

ライカエジソン」で買いたかったのです。インストアイベントには行けませんでしたが、買いました。「ライカエジソン」はV系のCDストアの象徴のひとつなのですから、そこで買いたかった。

 

届いたCDを開けて聴きました。

「白系」を思わせるようなギターのフレーズ CーF#ーGのフレーズ。どことなく deadmanの「盲目の羽根と星を手に」を思い浮かべます。

彼の天を抜けるような高音ながらも、どこか優しさに溢れる歌声は、カラオケで聴いたものとはまた別で素晴らしいと思いました。

その後にシクレトトラクアヤビエ的表現)が入っていましたが、これも素晴らしかった。ピアノをバックに歌う正統派バラードですが、こちらの方が歌唱力が活かされていると思いました。今時、ピアノバックだけでボーカルが歌うなんて珍しいのでは。

 

しつこく何度も言っていて恥ずかしいのですが、

僕は「ヴィジュアル系」という言葉が産まれる前から、「ヴィジュアル系」とされている音楽を聴いてきました。始まりは「X」ですが、やはり「LUNA SEA」と中学生で出会ったのが大きいでしょう。まだインディーズの頃でした。

それから、様々なバンドと出会った。いろんなCDを買った。「ヴィジュアル系」という括りが産まれた。そして「ヴィジュアル系バンドブーム」がやってきて、終わった。

 

そういう中で、僕は、ライブにあまり行きませんでした。行かなかった。一時期は歌舞伎町と高田馬場にも近いところにも住んでいたのに。行かなかった。行けなかった、とは単なる言い訳です。

 

いつのまにか僕は「古いヴィジュアル系バンド」だけしか聴けない普通のおじさんになってしまった。

そう気づきました。「琥珀の花」を聴いて、CDと一緒に付いてきた若いヴィジュアル系バンド達のチラシを眺めて「誰だろうこの人達」なんて思いながら。

 

そして、これが僕が買う、最後の「ヴィジュアル系のCD」になるんだろうな。と思いました。

おそらくそうなると思います。

僕は、いろんな音楽が好きです。

 

「知ったかぶり」でレビューをしていて恥ずかしいという気持ちが矢張りあり、最近は「ヴィジュアル系」のレビューを書くことができませんでした。

でもネタはまだ尽きていません。

 

が、もう新しいバンドには興味は持たないと思います。

「あがる」のです。ついに。様々なバンドをいい加減に手をだしてきて「あがって」きた。それも終わりです。

さようなら、ヴィジュアル系バンド。

僕は一線を引きます。

 

これから、傍からぬるく眺めて観察します。

それは今までと変わりませんけど…。

 

琥珀の花」は僕のヴィジュアル系人生の最期を飾るのに相応しい曲になりました。

 

今後はすべて、のるさんにまかせた(なにをまかせたのかはよくわかりませんが)

ので、よろしくお願いします。

 

さわやかまえむき