ひと、他人の気持ちなんて、わからない。
他人が何を考えて、どう思っているのかなんて、自分にはわからない。本当のことは、他人にはわからないものだと思うのです。
たとえ、傍から見てそれがそうであるんだろうと推測して、そうなんだろうと思っても、それはあくまで推測なだけ。ほんとうにことかどうなのかは、他人には絶対にわからないと思うのです。
思うのです。ではなく、実際にそれが真実だと思うのです。ほんとうに笑っていても、ほんとうに笑っているのかは、誰にもわからない。もしかして、笑っていても、心は泣いているのかもしれない。
中森明菜は、傍から見て、事実として傷ついてしまった人でした。きっと今でもずっとあの事を引きずっているのか、なんて思ってしまっていました。
あの事、もう何十年も前のことです。もういい加減悲しみから癒えても良い頃なのかもしれない。一般的にみたら、そうかもしれない。
このアルバム「明菜」を聴いて、僕は思ってしまいました。あくまで推測です。
彼女は、まだ悲しみの中にいるんだと。
もう前のこと。その間にも、いろいろあったんだろう。良いこともありました。出演したドラマは大ヒットをした。なぜかあまり振り返られないけれども。渾身の演技で、女優として大きな結果を残した。女優としても大きな結果を残すことができた。
しかし、大衆の前からはいなくなってしまった。
それは、彼女の消えない悲しみがあったのだろうと、僕は「推測」をしました。
あくまで推測です。
そして、もうひとつ、希望的な推測もしました。
このアルバム「明菜」には、これまでにはなかった、彼女が失ってしまった歌声の強さが戻ってきていると感じました。
もしかして、「消えない悲しみ」が癒えた、なんて思いません。
このアルバムの声は、力強くもありながら、泣いているのです。
声から、悲痛な叫びが伝わってくる。最近の作品にはなかった、細かい譜割りのメロディーライン、最近は聴かなかったような、高いキーのロングトーン。
昔の曲を思わせるような、まだ傷ついてしまう前のころのような曲もあります。オリエンタルな、彼女しか表せない哀愁がここにありました。
これも推測ですが、彼女の悲しみはもう一生消えない、ということに気づいたのではないでしょうか。もうあの悲しみからは逃げられない。だから向き合って、このアルバムでそれを対峙する姿を、見せようとしたのではないか、と思いました。
これは推測です。推測であってほしい。心にできてしまった闇は、いつか消えるはず。そうであってほしいからです。でも、消えない傷だってあるでしょう。それが伝わってくるのです。儚いというには、あまりにも残酷で、そして美しいです。
音楽の世界でよく言われること「思いを込めて表現すれば、必ず伝わる」
僕はそんな言葉を信用していません。どんな思いが込められているかなんて、ほんとうは誰にもわからないからです。明るい歌を歌っていても心は真っ暗だったりするのではないか。さわやかな恋愛を歌っていても、不倫して孕ませたりしている。嘘ばっかりです。
このアルバムには、嘘はないと、僕は思いました。それは彼女が本物の歌手であり、アーティストであるからです。言葉だけではない、声で伝えてくれた。それは、癒えない悲しみがここにあるからです。もう何十年も。ずっとずっと。
彼女がほんとうにどうなのかはわかりません。が、このアルバム「明菜」には、このような推測を覚えることができてよかった、と思いました。
終わらない悲しみ、終わらない悲しい声。