MIYAVIが国連難民高等弁務官事務所のイベントで、親善大使として、ギターを難民と共に演奏した。このニュースを知った時、僕は驚きました。ワールドワイドな活躍をしている、ということが本当だということが本当にわかったからです。
もう「ヴィジュアル系」「元ヴィジュアル系」で括られるようなことが本当になくなった、必要がなくなったんだ、ということも感じました。
凄いです。
そして今HONDAのCMで流れている曲が、MIYAVIの既発表の曲だったということも、今知りました。凄いです。
彼は「サムライ・ギタリスト」という冠の元に、様々なところ、それは「ミュージックステーション」のようなそして「紅白歌合戦」のようなところでも。
そこで必ず「ギターが凄い」と話題になる。実力だけでここまで這い上がってきた。
凄いです。高田馬場AREAにてDué_le_quartzでライブをしていたヴィジュアル系バンドマンが、ここまで一人で成功を収めた。
彼は、当時から、スターでした。加入したDué_le_quartzが「PSカンパニー」に所属して、人気が出たのも、MIYAVIがいたからです。視線は常に彼に注がれいたように思います。そのスター性の強さがバンドの解散に繋がったのかな、と僕は思いました。
その後、どうなるのか。行く先は厳しかった。彼の歌声はソロのボーカリスト、JPOP的な歌い上げる曲には、向いていないものと僕は感じました。仕方ないです。
「ギタリストなのに歌わなければいけない」という戸惑いもあったと思います。
彼を評価する声が、聞こえたきたのは、ファンや一般人からではなく、ミュージシャン達からでした。そしていろんなところに「呼ばれる」ようになった。それが積み重なった。
テレビでアコースティックギターで披露した「スラップ奏法」と「タッピング」
パーカッシブなアプローチはこれまでにないものでした。斬新です。
そしてテレビでも取り上げられるようになった。
そしてその時は、「歌」を歌っていなかった。歌がなくても評価される。ギタリストして評価された。
歌がない、ということは、言葉がない。言葉の壁がなくなるのです。
そして、アコースティックギターということは、PAがいらない。ギター一本あれば、どこでもライブができる。例えば電気が通っていない紛争地域でも、演奏ができるのです。
もう一つ大事なことがあります。
歌番組で出ていた彼を見て僕は思いました。「なんてカッコイイんだろう」と!
まず身長が185cn、やはり映えます。そんなに身長が高いイメージがなかったのですが、それは顔が驚くほどに小さいからだと気づきました。並んでいる他のアーティスト、アイドル達に勝ってました。
そして醸し出す雰囲気は、普通のギタリストではそれではありません。
そうです。彼は「ヴィジュアル系」の出身なのです。もうかつてのようなメイクはしていないのに、そこに表れてしまう。
そこが凄いと感じました。
もう時代は変わった、というより、海外に近づけた。その象徴がMIYAVIだと言っていいと思います。
ギタリストが無理をして歌わなくても、曲にあったヴォーカリストに歌ってもらえばいい。そしてサウンドメイキングに集中したらいい。
そして「ヒット曲」というものがなくてもいい。オリコン1位とかではなくてもいい。CDなんて売れなくてもいいのです!
更に、俳優としてもまた活動をするようです。問題ないと思います。俳優というものは、そこに立っているだけでもいい、ものだと思います。他の人に出せないものが、彼にはあると思います。
終わり。