1.大体においての怒り
彼はつねに怒っておるよう。笑っているのに、怒っている。心優しい同僚の女性たちとも談笑しつつも、怒っている。何怒っているのか。わからない。自分においてもわからいのかもしれない。でも、怒って怒っている。相当においてそれは自分自身に向けたいかりというのは、基本的な流れなのだろう、ところどうだ。それは他人、もう過去に起こった彼に対するおおきな屈辱に対するものなのだ。愚かしいと思うだろうか。しかし「怒り」というものは、時として心の支えになるものなのだ。WANIMAを聴いて「癒やされた」「笑顔をありがとう」と言っているような、呆けものたちにも伝えたい。怒り、かなしみ、それこそが活力になるのだと!ああ、どういうことなのだろう。
2.「ソシャゲ」に対する蔑視と現実
山手線でをそれらを目にした。込んでいる列車の中、立っている人たちがあからさまに携帯電話、スマートフォン略してスマホ!にて、「ソシャゲ」に嵩じていた。その漏れ伝わる画面の、下品さといったら!緑!赤!黄色!土色!それらが狭い画面の中にあふれ出て、何かをかれらの指がグチグチとフリックタップ!なんと下品なんだろう。それを無意識に他人に見せるおろかさかるさ底辺さといったら。底辺?美意識が底辺だということだ。ああしかし「ソシャゲ」はもうわかもの、のみならずけっこうな年寄りアロフォーたちらにもおいても定番なのだろう、興じる面子をみても明らかだ。どれも同じようなデザインのゲームばかりなのだろう。「ソシャゲ」なんて憎いもの。それには理由がある。「怒り」に結びついているああ、愚かしい愚かしい
3.なぜプロコフィエフを皆理解しないのか
プロコフィエフが不人気である。チャイコフスキーはもとより、後輩のラフマニノフにも後塵を拝すしている現実がある。彼がロシアから日本に来ていただいた作曲家だといことはもっと知られてもいい。オリヴィエ・メシアンも来日した。宮島で京都で聴いた「鳥さんの声」をもとに、作曲もしたということも!NHKの最近まともになった「ららクラシック」でも取り上げられない。スティーブ・ライヒは石野卓球に勝井祐二までゲストに呼んで特集されるのに!!?どうしてこうも孤独になってしまうのだろう。「クラシック好き」な知人がほとんど一人もいないとは。ああ。NHK交響楽団のコンサートなどで「おともだち募集中」のプラカードを持って立ちたい!まじでこれほんと。嗚呼。
4.「柿がキライ」という曲
「柿がキライ」「柿をふみつぶそう」「柿はたんじゅんにおいしくない」というような曲をセルジュ・ゲンズブールのように表現したい。愚かだろうか。しかし、やってみたいと思う。
5.やはり雨には降られない。
僕の心を水、愛しい水たちで浸してほしい。実際はに水浸しの枯れ荒野なのだから、そうしてほしいのに。雨は僕を裂けつづけてしまう。なぜだろう。折りたたみ傘を常備しているからだろうか。なぜだ。なぜだ。台風すらやってこない。僕をさける。海が好きなのに海が遠い人生になってしまった、ということにも関係しているのか。
6.いつも説明するのがめんどうくさいことばかり
いつも説明するのがめんどうくさい。そんなことばかり。「生まれはどこ」と聴かれたら即「愛知県名古屋市港区うまれです!!」と応えることやむなしなのですけれども、「実家は名古屋なんだ」といわれると、「いやあの」と嘘がつけずに「いやあのななながのけん」というしかない。さらに自分の実家は、長野の中でも引っ越しをしていて、それは佐久市ということころだけどそこにはすんだことはないけど、もともとは長門町いまはながわまちということろで、高校の時にはうえだしに住んでいてこのまえいったんかえったのは佐久市のちょう山の中でそのあとに上田市にすんでいて、このまえ杉並区の中野富士見町というところにひっこしてきて、実際にはほとんど中野区なんですけど、住所は杉並区です。
となってしまう。さらに「ずっと東京なの?」といわれると、さらにめんどうくさい!
「最初は埼玉県上福岡市で、いまは上福岡市はふじみ野市になっていて、自分は上福岡市のふじみ野駅が最寄りでした。ふじみ野市の駅は東上線上福岡駅だけで、ふじみ野駅は富士見市に駅が出来た時からそうなんです」とかいわなくてはいけない。
さらに。。「ずっと上福岡市?富士見市?ふじみのだったの?」といわれると「その後は、新大久保、あ、JRの最寄りは新大久保で、実際は副都心線の西早稲田駅が近いんです」とか、言わなくてはいけない。
なんて面倒くさいんだろう。「東京生まれ港区育ちです。学校はずっと慶應義塾です」とかだったサッとわかりやすいのに!!!
7.まさに奇跡を起こされた何もないまちにも
このなんもない、大事なもの、「ふつうのスーパーマーケット」「ふつうの100円ショップ」がないという愚かしい街、中野富士見町に、一気にそれが新設された。しかも同じ建物に!!どういうことなんだろう。やはり自分は「持っている」のではないか。
8.奇跡といえば奇跡からアノ奇跡からもう12年に
このアルバムも佳境にせまってきました。4年に一度「スゥ」とした快感に酔いしれてしまえる時間がやってきたのです。それは、4×3 12年まえ。わたくしは「持っている運を使い果たした」と言っても良いできごと。嗚呼!!一生かけて自慢しつくししたいことがありました。しかし、もうなんどもここでは書いています。もういいでしょう。もういい。自分でも、そろそろ、なんて思いましたが、もう会社の飲み会で3回くらい話してしまいました>><<<
9.つまり僕は欧羅巴に選ばられた人間
そういうことです。僕は、「欧羅巴 欧羅巴 お金はないけど僕は行けるはず欧羅巴 欧羅巴にいこう」というその名も「欧羅巴」という曲を、15年くらいかな前に!?作っていました。友人らには好評で「名曲」という声も。ありました。
そんな、人間が。本当にヨーロッパに行けた。タダで!!まさに奇跡です。だからこそ埋もれし名曲「欧羅巴」を復活させるのです!!
その曲のみならず、わたくしにおける「欧羅巴」そして幻とついえた「ヨーロピアン・ロマン・レーベル」を復興し
10「日本欧羅巴化計画」
これを遂行します。その時はいつか来る!お楽しみに!
Manaさま最高!