さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



ライブハウス新宿JAM閉店【思い出がいっぱい】

新宿ジャム

新宿JAMは2017年12月31日をもちまして閉店する事になりました。
1980年10月オープンから37年、
関わってくださいました皆様には、
心より感謝申し上げます。

新宿JAMの現ビル(セントラルビル)での営業が
今年一杯でCLOSEすることになってしまいました。
ビルのオーナーが代わり、ビル自体を取り壊しする事になりました。

ご来場のお客様、出演者の皆様には大変お世話になりました。
心より感謝を申し上げます。

営業は12/31まで行います。
ゴールまでは全力で頑張ろうと思っております。
皆様、是非お力をお貸し下さい。
何卒、宜しくお願い申し上げます。

f:id:maemuki:20170719212233j:plain

新宿JAMが閉店。いつかこの日がくると思っていました。だって、20年前に出ていた時からもうボロボロ、くそボロボロだったから。

でも、それが格好良く見えました。ステージも客席も狭くて、楽屋もカオスで狭かったけど、僕にはそれが格好良く見えた。

僕が2000年前後にライブ活動をしていた頃に、一番出た、ライブハウスだったかもしれない。でも、何度も出たことは覚えています。

バンド活動開始直後は、ここに出ていました。バンド活動開始直後に出られるところはここしかなかったからかもしれない。そして出たかったところでもあります。そんな不思議な魅力があるところでした。

現在は大江戸線副都心線が最寄りの「東新宿駅」ですが、そんなところはその頃にはなかった。だから明治通りまで新宿駅からひたすら歩かなくてはいけない。頑張って歩いた。新宿駅から。でも楽しかった。新宿が好きになったから。そのうちに、靖国通りからゴールデン街の裏の小道を抜ければ快適に行けることに気がついた。ミスタードーナッツの裏のところ。

またこれクソボロい練習スタジオも使った。あまり使わなかった。吉祥寺のペンタや、その他の方が、駅から近かったから。他のメンバーがギターやベースを持って歩くのが辛かった。僕はドラムだったからスティックだけだった。スネアドラムを持っていたときもあったけど。

それでも、新宿JAMは特別なものだった。

 

僕がサポートをしていた、けれども公私ともどもにバンド生活を共にした、大切なバンド、De Kooningが主催した「Love Knots Party」というイベントがここで開かれた。

De kooningは、まだまだライブ活動を始めたばかりだった。僕もドラムを始めたばかりだった。久々になんとなくで始めさせられたのだけれども、ライブで叩くことになった。ちなみにDe Kooningの最初のライブは「下北沢シェルター」だった。僕がはじめて「ギターポップ」のライブを見たところだった。ちなみに当日はライブ中に酔っぱらい?かジャンキーかわからないこわい人が乱入してきた思い出がある…

「Love Knots Party」には意外にもたくさんの人が来てくれた。「この人達誰なんだろう」と不思議だった。ちなみに恥ずかしいのだが、自分や仲間たちのユニットの曲が入ったデモテープを配布なんかもしたりした。De kooningはCDのリリース、シングルのリリースはされていたように思うけど、主な作品はデモテープだけだった。インターネットはそこそこ発達はしていて、HPはあって、そこでのファンの人たちとの交流もあった。でも小さなスモール・サークル・オブ・フレンズだった。それでもライブハウスにそこそこ人が入った。そういう時代だった。特別に人気があったわけではないと思う。ちなみに、人が来ないライブももちろんあった。でも気にしなかった。誰も。新宿JAMのそのイベントでは「赤がでなかった」と主催者が安堵をしていた記憶がある。JAMだったから知名度がなくても人が集まりやすかった、なのかもしれない。

 

それからしばらくして、僕は別のバンド、掛け持ちのサポートでライブに沢山でることになった。その中にも新宿JAMはあった。

「帰ってきた」と思えるところだった。またいつか出たいな。と思っていたと気づいた。

 

いつ最後になったのかはわからない。そういうバンドの人もたくさんいると思う。ほとんどの人がバンド自体をやらなくなった。そうだと思う。でも、みんながそうではなかった。ここを根城にして、駆け上がって、もっともっと大きいライブハウスで、ホールでやっている人たちがいる。

それから僕はバンド活動をすっかりしなくなって、普通の社会人になった。ずうっと埼玉に住んでいて、新宿やら渋谷やら後楽園とか都内まで長時間かけて通勤をする日々を送っていたのだが、解放されることになった。それは新宿区だった。都内に引っ越すにあたって、憧れの新宿区に住んだのは、副都心線に勤務地があったことで、たまたま僕の新居は副都心線西早稲田になった。

自転車で明治通りを通る。なんてことが日常になった。それが普通になったことは僕にとってすごく大きいことだった。ことだったはずなのに。

新宿に移り住んで、数年たったころに、明治通りを自転車で走っていたところ「はっ」と思った。そうだ、新宿JAM、まだあったんだ。ここにあったんだ。

 

僕はすっかり忘れていた。新宿JAMのことを。いつも通っていたのに。埼玉から東武東上線乗り継ぎ山手線で新宿駅からひたすら歩いて。なんてことだ。あの頃必死にここに来ていたのに。大切なことを忘れていた。その時は土日で昼でもライブをやっていた。その日の出演者の張り紙に掲示されているバンド、もちろんだーれも知らない。なんて愛おしいんだろう。新宿JAMは変わっていない。僕だけが大きく変わってしまったんだ。遠い遠い、遠いところに来てしまった。と感じてしまった。

近くになったのに。自転車どころか、歩いてこられるところに住めたのに。大事なものが遠くなってしまった。別世界になってしまった。もうここに出入りできる人間ではなくなってしまった。

 

それから僕は「都落ち」をして、遠いところでこのニュースを知った。今はまた「都」にて音楽活動をしていたころをひたすら懐かしくおもい、その時に帰りたい。帰りたい。また新宿JAMに出たい。でも…。 

「ライブハウス」がなくなって、さみしいなんて事を思ったのは初めてだと思う。でも、いつなくなってもおかしくなかった。ひさびさに見た新宿JAMは「そのまま」だったから。淘汰されてもしかたがない。建物がなくなって新しくなって復活する、違う場所へ移転する。そうなるのかもしれない。しかし、古くて使い物にならなくなった音楽なんて、新宿JAMに出ているバンドたちには存在しないと思う。そういう存在なんだと思う。ただただ、郷愁に浸るしかない。世の中とはそういうもの。

 

また、ライブに出たりしたいです。長野から明治通りは自転車では行けないですよね。あまりにもまだ、遠いです。すごく…すごく…。

おわり

 

【財布三部作完結】「財布落としソング」を歌ってピアノ弾いて動画にしました><

www.youtube.com

衝動的にこの動画を作りました!

恥ずかしいことはわかっています!

でも恥ずかしいから、せっかく恥ずかしいのだから、言っていなかったことを、ここで明かしました!

ほんとに恥ずかしいので、動画は消すかもしれません!

でも、なんとかおもしろいものにしよう字幕入れたり、くふうをしています

なんだか虚しいですが、動画作成スキルもあげたいなと思って…

そんなことよりやることはたくさんあります。

でも、今はこのとおり、お金がありません!でももうすぐ入ってくる!

もうお金が入ってきたら、安定するのです。精神も!何もかも!

今だけの狂気を楽しませてくださいね!くれ!

 

そんな僕ですが、今後ともよろしくお願いします!

><

><

><

><

【Kagrra,】「四七抜き音階」が溢れるこの時に「一」はもう無いなんて。 Kagrra Indies BEST 2000~2003【ヴィジュアル系】

(この記事は4月中旬に書いて下書き保存したものを、本日加筆して復興させました)

Kagrra Indies BEST 2000~2003

Kagrra Indies BEST 2000~2003

 

 桜の季節。

f:id:maemuki:20170416131206j:plain

桜というものは、美しいものです。だから人が集う。このひとの少ない街にでも、たくさんの人が集まってきます。

この地は長野です。

数々のヴィジュアル系バンドマンのルーツとなった、この地です。

この写真の「上田城」のある「上田市」には、残念ながらそのような方はおられないようですが、足を踏み入れていたなんていうことが聴こえてきたりします。

f:id:maemuki:20170416171240j:plain

そして、僕は昼の桜に違和感を感じていて、「そうだ夜に行こう」と思いひとり自転車をこぎこぎしながら、向かったのです。

そこで見た桜をみて、僕は内的な心の惑いを感じてしまったのです。花びらのひとつひとつが私に問いかけてくるように、迫ってくるのです。なぜだろう。なぜですかと花びらたち、無数の花びらたちに聴いてみたのですが、やはり答えは帰ってきません。

なぜ、夜の桜にこれだけくるってしまうのか、答えはすぐにわかりました。

昼の桜には青い、素晴らしい青さがある。しかし、夜は黒いのです。

圧倒的な黒と、圧倒的な桜。それを前にしてくるってしまうなんてこともあると思うのですが、いかがでしょうか。なんてことを思いました。

暗闇に見えない空と桜を眺めて、あの人がもし生きていたら

葬春華舞い散るあの丘で…。

 

近頃、「和風」の音楽をよく耳にしますよね。

その人達の音楽を聴いていると、やはり僕としては彼らを思い出してしまうのです。

それはKagrra, です。

f:id:maemuki:20170418204951j:plain

 前身バンド「CROW」(KEY PARTY)を経て、PS COMPANYに移籍し、2000年より活動開始。あの頃が最後のヴィジュアル系バンド界の盛り上がりだったかもしれないと思ってしまう時期に活躍していたバンドです。

こんなことを今更、紹介するのも何なのですが、彼らのコンセプトは「和」でした。

「和」にはこだらわないようになってしまった時期もありましたが、このインディーズ時代の曲を集めたころは、より純然たる潔いまでの「和」を感じさせてくれます。

 

◯四七抜き音階について

ヨナ抜き音階 - Wikipedia

タイトルの「4」と「7」の無い音楽、「四七抜き音階」ということについて。

「4」と「7」が無いというのは、ドレミファソラシドの4番目と7番目が無い、「ドレミソラド」になるということです。これは「ヨナ抜き音階」として、音楽界では知られているものです。「4」は「ファ」で「7」は「シ」です。それが無い。Aマイナーだと「ラシドレミファ#ソラ」で「ラシドミファ#ラ」

それだけでどこか「和」に聴こえるというのはその通りですが、発祥は日本ではないとのこと。

しかしこれを使うと「如何にも和風」な曲が簡単にできてしまうのです。なので、よく使われます。例えば演歌!演歌はほとんど「四七抜き音階」です。「なんか演歌って似ている曲ばっかりだな」と思うのは、そのせいです。

演歌でなくてもそうです。中田ヤスタカさん。最近のきゃりーぱみゅぱみゅの曲、「にんじゃりばんばん」「つけまつける」などなど。ほとんど「四七抜き音階」です。Perfumeの曲もそうです。中華風にも聴こえる四七抜き音階をうまく活用しています。「Perfumeはまた四七抜き音階かー」と、シングルが出る度に思います。

そして、もう一つ大きく使われていることがあります。それは「ヴォーカロイド」の世界です。あまり知らないのですが、その界隈で一番有名な曲「千本桜」あれも「四七抜き音階」そのものです。だから小林幸子が歌ってハマった。

そして、最近話題の和楽器を標榜したバンド、武道館公演までやった人気のバンドがいます。彼らの音源を聴くこともできるのですが、CMでアルバムの曲が少し流れて、その曲たちが全部「四七抜き音階」だったことから、聴くのはやめました。

僕は口惜しいと思ったからです。

 

なんで、なんで今はこんなに「四七抜き音階」が溢れているのに「Kagrra」はいないのって

 

Kagrra,のヴォーカリスト、一志さんは、2011年7月18日、死亡されているのが発見されました。今日はちょうど命日です。

僕は一志さんが亡くなられたことは知っていました。シーンの中でも近いところにいた、蜉蝣の大祐さんがなくなって、1年と3日後。それは偶然だと思いますが、あんなに同時期に頑張っていたバンドのヴォーカリストが続けてなくなったなんて。ショックでした。

 

そして、その死因が自殺だった。それはずっと知りませんでした。そして彼が長野県出身だったということも知りませんでした。ショックでした。長野県出身のヴィジュアル系バンドマンは案外いるということは知っていましたが、彼もその1人だったなんて。大祐さんと同じ死因ににて亡くなってしまった。大祐さんにはその兆候があったことは否めません。彼は必死にもがいていた。しかし、一志さんにそのような兆候はなかった、と僕は感じています。全く素性を知らない、作品を通してでしか、知らない。

だから今日はあえて初期のインディーズ時代のベストアルバム「Kagrra, Indies BEST 2000~2003」を普通にレビューにして、Kagrra, というバンドをこのブログ、インターネットに刻みたいと思います。

Kagrra,は「ヨナ抜き音階」使用していました。それはもちろん無意識ではないと思います。そんなことを思い浮かべながら、再度Kagrra,を聴いてみました。

 

01:あまふらせたんまいな 

呪術的なタイトルの連呼から始まり、土着のリズムに乗って展開していく。いかにもKagrra,らしい「和」の曲。しかしサビは流麗であり、一志の唯一無比の高音ボーカルが冴え渡る。妖精でもあり、女神でもある。天女の方が近いのだろうか。山奥で乞われるのはタイトルとうり「あめ」なのだろうか。歌詞では別の物を乞うているように見える。なにかをふらせてなにかを壊してほしい。そのように。気のせいだろうか。

02:魔笛 

この曲のイントロとAメロ、Bメロとサビは調が異なる。それは聴けばわかると思う。マイナーコードとメジャーコードの違い。それはわかりやすい。けれどもそれだけではない。サビのみ「ヨナ抜き音階」を配している。だから全く別物に聴こえる。ひじょうにポップとしか言いようのないサビ。それはやはて「ヨナ抜き音階」に戻り、また表れて、そのメロディは幻のようにやがてまたそれは過ぎ去っていく。まるで儚き微風のように。

03:白い魔手  

Kagrra,はまがいのことなき「ヴィジュアル系バンド」であるということをわからせてくれる曲。彼らも他のバンドと同じように同じような歩みだった。でも、いつからかそこから脱した。脱しようとした。そしてそれは成功した。このインディーズベストは、インディーズ時代のベスト。インディーズ時代のベストを出したバンドなんてそういない。その後の試行錯誤を考えると、少し愛おしくおもう曲。

04:月下想葬

なんて素晴らしい曲なんだろう。当時テレビ埼玉でCMが流れていてそう思った。サビの部分だけだったのに。もちろん良いのはサビだけではない。歌から始まるイントロから素晴らしい。「月下想葬」月の下で、葬を想う。これは皮肉になってしまったかもしれない。しかし、月と死は似ている。そう感じた。月は人を狂わせてしまうということがあると聞いたことがある(LUNACY) 月のあるところには、死もある。なんて哀しいだろう。そしてなんて美しいんだろう。このメロディはせつなすぎる。イントロのフレーズが繰り返される。そして物語は終わる。月が沈む音とともに。

05:妖祭  

鉦(かね)の音。太鼓的なリズム。うねるベース。ベースラインはもちろんヨナ抜き音階!祭りだ祭りだ。これほどまでにヴィジュアル系で「祭り」を表現した曲があるのだろうか。しかしサビはやはり流麗であり、一志氏の脅威のハイトーンファルセットが「妖祭」を彩る。ギターのソロもリズムに合せたもの、和楽器的ともいえる。かれらがいかに「自分達ができる範囲で”和”を表現しようとしたのか」という思いが伝わってくる曲だ。

06:神謌  

「かみうた」と読む。この曲はこのバンドがツインギターだということをわからせてくれる良い見本だと思う。同じカッティングのフレーズが右と左から流れてくるのだが、違うように聴こえる。違っていい。違うからこそ、人力なんだ。当たり前なのだけれど、全く同じようにしている、それが演出だったいいのだけれど、そういうバンドも多い。時に2つに別れて違う線となる。緩急おりまぜドラムとベースも動く。ドラムの細かい16音符のハイハットが聴きどころ。このような中庸な曲こそKagrra,そしてヴィジュアル系バンドの醍醐味だと思う。

07:徒然なるままに… 

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

鎌倉時代、結局誰が書いたのかは正しくはわかっていない「徒然草」この曲のタイトルを見て、それを思い出した。鎌倉時代なんて、想像もつかないけれども、そんな時代があったということを知られることは素晴らしいことだと思う。この一文が素晴らしいからこそ、語り継がれて来た。この言葉たちに寄り添うこの「徒然なるままに…」はそれにふさわしいものだと思う。何時代かわからない人たちが、つれづれなるままに日々を過ごす。こんなこと書きつくれば、いなくなったあなたを思うのです。そんな時でも美しいKagrra, なのにもういない。なんてやめましょう。徒然なるままに…

08:沙羅双樹の子護唄  

沙羅双樹、サラソウジュと読むらしい。3拍子の落ち着いた曲。静かに咲いて枯れていく花が見えるよう。花はいつか枯れる。最期の時はくるけど、生命は巡っていく。終わっても巡っていく。歌詞からそんな思いが伝わってくる。ひとひらの花びらが散るように終わる。

09:夢イズル地  

こんな素晴らしい曲、つまらない言い方をすれば「売れそうな曲」がこのまま埋もれてしまうなんて。この曲はKagrra,のポップな部分、明るい部分、幻想的な部分、そして和的な部分を全てわかりやすく表現したすばらしいー曲だ!この時期のヴィジュアル系バンドに共通してと感じていることは、曲の組み立て方が非常に上手い。だんだんと盛り上がって、サビで惹きつける。それはヒット曲に必要なことでもあり、聴いているほうとしてもやはり楽しい。この曲が「和風アニメ」の主題歌タイアップが付けばよかったのに。もう、終わったことなのがくやしい。

10:恋綴魂  

黒い曲。黒い中に群青の何かが蠢いている。そんな曲。要するにダークな曲。だけれどもこの曲はとても美しいと思う。暗闇の中で、目に見えないものが蠢いているけど、そこに生命は感じていて、それが血に変わる。アップテンポなのに、遅く感じる。そこに隙間が多いからかもしれない。良い意味で気のぬけたような、何か今までと違う景色が広がったかのような。違う世界に行ってしまったかのような!恋、つづる、魂。魂は見えなくなっても消えることはない。

11:春麗  

「明るいヨナ抜き音階」いい加減ヨナ抜きは飽きたかもしれない。でもそう表現するしか伝わらない。彼らもそうだったのかもしれない。「またヨナ抜きになった」そんな会話が交わされていたのではないか。そうだとしたら、すごく楽しそうにもこの曲は聴こえてくる。和とは本来くらいものではない、明るいもの。明るく「和」を楽しんでいる。良いことではないか。日本が明るい時代だった時もあった。本当はそうなのかは、誰も知らない。しかし今は残しておける。おそらく全ては引き継がれてそのまま記録されていく。そこに残すために、人は何かを…

なんだか疲れてきました。今は夏だけど、春が恋しいです。全てが麗しいはる。チュンリーら。

12:し、み、め、ゆ、き、さ、あ  

日本においては、西洋の文化が入るまで文章は全て縦書き縦読みだった。西洋が入ってからは、一時期はこのように「右から左へ書いて読む」ということもあったよう。平安時代鎌倉時代にあったかはわかりません。源氏物語あさきゆめみしの時代)には無いと思う。この曲は享楽的な生活を送っていた天皇とその側近たちの優雅さを表現したのだろうか。僕には「源氏物語」を図書館で借りて読んで妄想に耽る現代の少年少女が浮かぶ。そんな子たちが現代に果たしているのかは謎だけれども。「源氏物語」を読まなくても、かならず社会の授業で習うのだから。そこで少女はインスピレーションを受けて、ノートにこう印した。「し、み、め、ゆ、き、さ、あ」そのまま書いてもし見つかったら恥ずかしいから…

13:桜花爛漫 

この曲順はメンバーが決めたのだろうか。僕の気のせいかもしれない。最期の桜、最後の桜の曲が待つ丘に向かって一歩一歩、咲き誇る桜を見つめながら、何かを覚悟して、強い風の中歩んでいくような風景が見える。誰かに対して、語りかけている。そこで待っている人に。しかしその人への別れのようにも聴こえる。メンバーの演奏も何かよくわからないけれども、強い強い意思を感じる。言いたいことは「ありがとう」なんて曲なんだ。桜はただただ美しい。そしていつか散る。

14:桜舞散るあの丘で

映画をみていた時に「映画が終わった」とはっきりわかる時がある。エンド・ロール。主題歌が流れて「終わった」とわかる。ハリウッド映画ではそのようなことはない。日本の商業主義的な映画でも、それはない。現代の映画はリスク回避のため「製作委員会」が設立されて、それらに投資をした人たちがさまざまな目論見を持ち込んでくる。「映画の主題歌」「ハリウッド映画の日本版だけの主題歌」はそういうものによる。

この曲を聴いて、映画のエンド・ロールが浮かんだ。終わったんだ。現実的にこの曲がこのベストアルバムの最後の曲。 

全てを包み込んで、高いところから見下げるような曲と歌詞。達観というにはあまりにも純粋すぎる、しかしこのアルバムでKagrra,が終わったわけではない。あとにも続いたメジャーレーベルの時代が彼らの真骨頂なんだろう。

しかし、終わってしまった。すごく哀しい。自ら生命を断ってしまった。

映画は終わったんだ。でも、彼らの音楽はまだ終わっていない。私の生きてきた鬼の街はとてもさみしくて。そうだ。とてもさみしい。長野はさみしい。この地、僕が今いるところとは離れているけれども、同じ都道府県で育って、でもそこでは亡くならなかった一志さん。あなたがえらんだことは間違ったこと、とされています。が、魂は消えても、音はなくならない。それが答えです。生命は儚い。桜もすぐ散る。でもすごく美しい。

 「ヨナ抜き音階」「四」と「七」が無い音楽だらかの時代になったのに、「一」がないのはせつない。せつなすぎる。

おわり

【随筆】 単語を安易に略すのが許せない!例「スマホ」

僕のブログを読んでいる方、マニアックなほどに読み込んでいるかたは希少種だと思いますが、お気づきの方がもしかしたらいるかもしれません。

僕のブログには、単語を略した言葉があまり出てきません。

 

自分は、「単語を安易に略す」ことがいつからか許せなくなりました。

理由はいくつかあります。

「そんな略し方をしていなかったのにいつのまにかそうなってすっかり定着した」もの

例は「スマホ」です。

f:id:maemuki:20170718034925j:plain

◯スーマーホだあ?

僕のブログにおいては「スマホ」とは書きません。「スマートフォン」もしくは「携帯電話」と書きます。

ためしに過去の記事を検索してみたら、ありませんでした。しかも

(スマホという言い方嫌いです!)

 スマホスマートフォンの略称)でカップルの接吻が盗撮される

のような表記だけです。その徹底ぷりにちょっと自分を見直しました。

 

スマホスマホスマホ。いつかそんな言葉がすっかりさっぱり定着してしまったのか。今ではあの天下のNHKでも「スマホ」「スマホ」「スマホ」と連呼しています。そしてアホの民放はもちろん朝から晩まで「スマホ」「スマホ」「スマホ」!!「スマホ」の産みの親ともいえる広告代理店に支配されたCMはもちろん「スマホ」「スマホ」「スマホ」クソバカの集い、SNSでも「新しいスマホ何にしようかな」「このスマホ使いにくい」「スマホばっかり見てる…」「彼氏のスマホ見ちゃった😱」

このように「スマホ汚染」は深刻なまでに広がっている。それは事実です。それは汚染ではない、というのが多勢になってしまった。

恐怖です。なぜ「Smart Phone」「スマートフォン」の略が「スマホ」なのでしょうか。「フォ」を「ホ」で処理するなんて、なんてなんでしょう。

 

しかし、僕の「スマホ」への憎しみをスカッと成敗してくれる方たちがおりました。

それは英語圏の人たちです。「Smart Phone」を日本語ではつおんすると「すまあとふぉん」すう まあ とお ふぉ ん」と母音がいくつもつく日本語らしいハッキリした発音になりますが、英語だと母音としてはっきり発音するのは「スとフォ」だけであとはサラッと言える。「スマァトフォン」だから言うのが楽。「すうまあほお」より明らかに楽です。そしてわざわざSmaphoなんて略して書いたりもしません。

ソフトバンクのCMにて、大スター・ジャスティン・ビーバーが出演していました。彼はそのCMの中で英語でセリフを話していました。画面には字幕がでていて「スマホが新しい世界をなんたらかんたら」みたいなものが出ていました。しかし、彼が口にしていたのは「Smart Phone」そう言っていました。「SU MA HO」なんて言っていなかった。「スマホ」を優先して彼の発言は歪められたのです!

 

僕は仕事において、一般にまだ浸透しきっているとは言えない頃から、スマートフォンを扱うことができました。その時には「スマホ」なんていう言葉はなかったと記憶しております。しかし明らかにスマートフォンの隆盛に従い、ここ数年から「スマホ呼び」は浸透して、ついにはNHKまで陥落した。さすがに報道のニュースでは「スマートフォン」を使っていますが…。

僕の年老いた両親も「スマホ」「スマホ」を連呼しています。まあそれはどうでもいいです。

そして仕事において、使う必要もあるようになってしまいました。今はもう辞めたのですが、コンビニエンスストアのアルバイトにおいて、お客様のスマートフォンになんたらかんたら、と説明をするようなことがあり、「スマートフォン」と言えば別に通じるけれども「スマホ」と言ったほうがいいんじゃないか。でも「スマホ」という言葉は自分に取っては恥ずかしい。どうしよう。ええい、いいや「お客様〜おきゃくさまの…すまほを…」

負けた。。負けてしまった。スマホなんかに負けてしまった。くやしい。僕はそのアルバイトを辞めました。スマホはあまり大きな問題ではなかった。「メルカリ」の独自の送付のやり方がくそ難しくて腹たったことにしましょう(ほんとうにアレはむかつきますなんとかしろ中の人)

 

もうスマートフォンの話はやめにしますね。どうせみなさんどうでもいいと思っているのしょうから。「ヴィジュアル系」「ビジュアル系」Vだからヴィ、ビはB。なんていってもわかってもらえません。どうでもいいから!

 

最後に僕が「略すのが恥ずかしい単語」を並べておきますね。

・コンビニ(コンビニエンスストア

マクドマクドナルド)

・リーマン(サラリーマン)

・ポケベル(ポケットベル

・エアロビ(エアロビクス)

・ケータイ(携帯電話)

ガラケーガラパゴス携帯電話)

・デリ(デリカ)

・スケボー(スケートボード

赤プリ赤坂プリンスホテル

・リゾラバ(リゾートラバー)

・ドリカム(ドリームズ・カム・トゥルー

ミスチルミスターチルドレン

ジュンスカジュン・スカイ・ウォーカーズ

イエモン(イエロー・モンキー)

セクゾSexy Zone

 

もっとあるはずですが、思い浮かびませんでした。でもなんだかこわいです自分が。もしかしたら、精神的疾患があるのかもしれません…。

ああ、もう打目です。図書館にいって調べてみます。しかし果たして「安易な略語が許せない」ということに触れられている書籍などあるのでしょうか

眠れぬ夜が続きそうです。全てスマホ!のせいです!

 

【テレビドラマ】新時代のコメディエンヌ 松岡茉優「ウチの夫は仕事ができない」

www.ntv.co.jp

実際のところ、今の僕はほとんど引きこもりの状態です。お金もすっかりなくなってしまって、外にでても何も買えない。そして、外に行っても暑い。ひたすら暑い。北海道でも暑いのですから、ここナグァノのでも暑くても仕方がない。

そして、仕事は自宅、というこどくだけどありがたい状況に感謝しつつ、仕方がないのでテレビばかりみてしまいます。

サイフをなくす前から、そうだったのだからあまりそれを言い訳にしてはいけないのですが、そういう無駄な時間、テレビを観ることに対しても何かしら発見を求めたりするのです。

 

今日はタイトルの通り「松岡茉優が新しいコメディエンヌの筆頭だ」ということを書きたいのです。

f:id:maemuki:20170715230415j:plain

先週から始まり、先程まで放送された日本テレビのドラマ「ウチの夫は仕事ができない」では、ヒロインを務めています。ゴールデンのドラマでヒロインを演じるのは始めてなのではないでしょうか。大抜擢DAIBAッテキチェキッ娘)だと思います。

彼女の名が最初に知れ渡ったのはやはり「あまちゃん」だと思います。しかしそれほど重要な役ではなかった。途中だけで終わる、役でした。が、演技力というものが良いか悪いか、「ガラスの仮面」を男のくせに通しで(まだ終わっていないのですが出来る限りで)何回も何回も読んでしまったちくしょうの私ですら、わかりません。

しかし、彼女には女優の才能があると感じていました。壊れやすいガラスの仮面を被ることができる人だと。

 

さらにしかし、彼女は寄り道をしてしまった。それは「ガラスの仮面」の北島マヤが、芸能界を陰謀にて失脚して、月影先生に勘当を言い渡されて学校の体育倉庫で一人芝居をして「ギーコギーコ…ここはヴェネチア…」とか跳び箱に乗っていっていたようなすばらしい寄り道ではありません。

「バラエティ進出」です。

彼女は持ち前の器用さ、頭の良さで、さっそく売れっ子になりました。彼女の冴え渡るトークに、おわらい芸人達は共感し、タレントさんとも仲が深まったように見えました。

そして「かわった趣味」である「アイドル好き、しかもモーニング娘。でも全盛期ではなく今のモーニング娘。モーニング娘。15-16!本命は鞘師里保!」ということを公言し、「ハロヲタ」を狂喜させたりもしました。

その中で私はなぜかこう考えていました。「彼女はバラエティに向いていない」と。

ところどころ、言葉を使い方が間違ってしまう。まだその時は10代の終わりなのですから仕方がない。しかし17歳くらいからテレビに出続けた藤田ニコル通称ニコちゃんは、言葉使いが悪くても場を凍らせるようなことは、していたけどしなくなりました。彼女はバラエティ番組に向いていたのです。学んだことを次に活かせた。自分の味を失わず。

彼女は自分の言葉を選ばなくてもよいところに行けばいいのに。と思っていました。

 

そうしたところ、彼女にとってはきっと大きなことだろうと考えられうるニュースが入ってきました。ドラマ「やすらぎの郷」への出演です。

やすらぎの郷」は実は、この「ウチの夫は仕事ができない」より何倍も深く傾倒、生活が「やすらぎの郷」を中心に回っている(恥ずかしい)といっても過言ではない程のドラマなのですが、そこに彼女は「全て全部オールインで無料」という老人ホームの中で唯一現金での支払にて勘定が発生するバー「カサブランカ」のバーテン役として出演しています。役名はあるのですが、「いつも幸せそうだから」というテキトーな理由で「ラッキー」「ラッキーチャン」と石坂浩二さんを始めとした大御所にそう呼ばれています。

このドラマでの彼女の役割、それは「カウンターで飲み物作って提供して”話を聞くこと”」だけです。「カサブランカ」では主要出演者、ゲスト出演者も含めて必ずやってきます。巨大老人ホーム内の施設内にあるだけど、ドラマで定番の「いきつけのバー」と同じようなところです。そこで、話をひたすら聞いて、または盗み聞きをして、そして話の信じられないようなでも結構どうでもいい内容にびっくりした顔をしたりしています。

「びっくりした顔」というのはこのドラマのポイントなのです。なぜならば主演の石坂浩二さんは常に「びっくりした顔」をしているから…

ごめんなさい。また今度にしますね。

そんな中でも彼女はやはり何かを学んでいたということがこのインタビューで語られていました。

pablo.click

主要キャストがほとんどアラウンドはちじゅう、というジェネレーション・ギャップどころではない、どこがやすらぎの郷なのというようなシチュエーションなのですが、そういう極めて面倒くさそうなところにおいても、偉大すぎる先輩たちから、俳優であるということがどのようなことなのかを学んでいることが、このインタビューからこちらも学べます。

さらに彼女のお母様から下記のようなアドヴァイスもあったようです。

でも母はフラットな人なので、バラエティ番組とかで私が余計なことを言ったりすると、「あれは言わないほうがよかったね」と冷静に指摘してくれるんです。

 なんとまあ、この母にしてこの子…という事で感心致しました。

 

そして「ウチの夫は仕事ができない」が始まりました。主演は関ジャニ∞錦戸亮さま。僕にとっては馴染み深い顔です。彼がまだ幼いころによく観ていました。それは日曜にテレビ東京にて放送されていた「ハローモーニング」通称ハロモニ、というハロープロジェクトの番組のあとに放送されていた、ジャニーズ・ジュニアを主体とした番組を「なんとなくの流れ」でよく観ていた。そこに出ていたのです。「8時だJ」にでていたかもしれない。そしてそこにはこのドラマにも出演しているHeySayJUMPの薮宏太さまも出ていた記憶があります。二人とも推されていました。でも成長して見た目が変わってしまった、ということがわかるおじさんもいるのですよ。安心してくださいね。できないですよね。

 

そして、第1回の放送を観て、タイトルの通りのことを思いました。「この人は久々の本格コメディエンヌだ」と。

コメディエンヌ、男性でいえばコメディアン。しかし、コメディアン、コメディエンヌは「お笑い芸人」でも「女性お笑い芸人」でもありません。そしてタレントでもない。「役者」であり「女優」である。でも、おもしろい、笑わせることができる人たち。

 簡単そうで、なかなかできないことです。誰でもバラエティ番組で人気者にはなれない、お笑い芸人と名乗っていても笑いが取れなくて「笑いが取れないことを笑いにする」しかない状況であることは皆々様もご存知でしょう。

わかりやすい例として、日本のテレビドラマ界を代表する原題のコメディエンヌといえば、観月ありささま、彼女です。伝説のシリーズ「ナースのお仕事」ッテテレ テッテレ テッテテ〜(BGM※元ピチカート・ファイヴのメンバーが作曲)「せんぱ〜い」(観月ありさ)「あーさーくーらー(怒)」(松下由樹」の伝説のコンビで有名なアレです。「ドタバタ看護婦コメディ」というものを確立して受け入れられた、あまり語られることはないけれども、「コメディエンヌ」としての観月ありさの才能は明らかでした。それが長く主演ドラマが続いたということに表れていることでしょう。

観月ありさ以外にも「コメディエンヌ」の後継と言われた人たちもいましたが、僕としては、どうもピンと来なかった。演技力の問題ではないと思います。現に観月ありさの演技力を評価する声はあまり聞こえてはこなかった。実は歌の方が上手い、と僕は思っていましたが、それでも「ナースのお仕事」の「コメディエンヌのお仕事」はよかった、感じていました。

それは彼女の持つ「コメディエンヌ」としての素質、生まれもっての素質があるのだと思うのです。人に笑われて笑われる。それだけではなく喜劇王チャップリンにそうであるかのように笑いだけではなく、涙もある。それをこなしてこそ、喜劇は存在する。これがなかなか出来るようで出来ない。相反するものを同時に的確に表現することは、とてもむずかしいものだからです。

そこで松岡茉優はどうなのか。「ウチの夫は仕事ができない」の第1回目を観て、僕はやはりそれ、「コメディエンヌとしての素質」を感じたのです。現実に、これは現実ではなく、彼女が演じている人は存在しないことは事実なのですが、彼女が演じている人は、もしかしたらこの世に存在する人物なのではないか?という思考になるほどに完璧に演じていました。

この作品は「原作もの」ではなく、オリジナルのストーリーだということ。だから誰もが初めて観る物語なのですから、当然説明が必要です。なので、第一回目の序盤は説明が中心になる。しかしそんなことは気にさせないほどに、物語も同時に進行していくのがわかりました。主人公の「仕事ができない夫」がいかに仕事はできない。けれどもそれは人柄の良さの所為である。ということもわからせてくれて、そしてその妻の結婚同期は「仕事ができない」ことは知らずただ単純にその人柄に惹かれたから。このタイトル「ウチの夫は仕事ができない」が表すように、このストーリーの主人公はその夫ではなく、妻が主人公なんだと気づきました。視点は主人公とされている夫が中心ですが、全ての行動は妻へと直結するようになっています。いい人だから話してしまう。彼女はそれに戸惑う。でも単純にいい人だから許す。そんな繰り返しになるのかなと思っていたら、第2回もそうでした。

 このようなパターンが形成されて今後も続いていく。それは良いことだと思うのです。本来コメディというものは一定のパターンで続いていくもの。志村けんの「変なおじさん」もそうです。登場→若いキレイな女性→おじさん近づく→女性に変なことする→悲鳴→どうした?(周りの人)→この人、変なんですう!→変なおじさん?変?そうです私が変なおじさん♪へんなおじっさん♪だから変なおじさんだから変なおじさん→だっふんだ!→破壊的なBGMで全員転げ回る。毎回毎週何年も!…。そのような「お約束」で構成されているものそれが連続ドラマのコメディの正しいところだと考えます。

収集がつかなくなってまいりました。そして更に松岡茉優は、米国ピクサーの「カーズ」最新作の日本語吹き替え版のヒロインの声優に抜擢されたとのこと。それのプロモーションの単独インタビューをたまたまたまたま観てしまったのですが、やはり彼女はおかしいです。この抜擢あたってはオーディションがあったとのこと。「厳しかったでしょう」とインタビュワーの質問に「その時に私は舞台をやっていた、そのせいもあって喉がかっぴらいていたので、かっぴらいていたらか、オーディションでも調子がよくて!受かりました。かっぴらいていたおかけです」「…かっぴらいてましたか」「かっぴらいてました」ドラマでの無垢で天真爛漫な姿は、彼女の演技ではあるのかと思いましたが、このインタビューでの彼女は、ドラマの時となんらかわらない。女はこわいな。と改めて思わせてくれました。

 

長文にお付き合いしてくれてありがとうございます。