さわやかトラウマ日記

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【Kagrra,】「四七抜き音階」が溢れるこの時に「一」はもう無いなんて。 Kagrra Indies BEST 2000~2003【ヴィジュアル系】

(この記事は4月中旬に書いて下書き保存したものを、本日加筆して復興させました)

Kagrra Indies BEST 2000~2003

Kagrra Indies BEST 2000~2003

 

 桜の季節。

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桜というものは、美しいものです。だから人が集う。このひとの少ない街にでも、たくさんの人が集まってきます。

この地は長野です。

数々のヴィジュアル系バンドマンのルーツとなった、この地です。

この写真の「上田城」のある「上田市」には、残念ながらそのような方はおられないようですが、足を踏み入れていたなんていうことが聴こえてきたりします。

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そして、僕は昼の桜に違和感を感じていて、「そうだ夜に行こう」と思いひとり自転車をこぎこぎしながら、向かったのです。

そこで見た桜をみて、僕は内的な心の惑いを感じてしまったのです。花びらのひとつひとつが私に問いかけてくるように、迫ってくるのです。なぜだろう。なぜですかと花びらたち、無数の花びらたちに聴いてみたのですが、やはり答えは帰ってきません。

なぜ、夜の桜にこれだけくるってしまうのか、答えはすぐにわかりました。

昼の桜には青い、素晴らしい青さがある。しかし、夜は黒いのです。

圧倒的な黒と、圧倒的な桜。それを前にしてくるってしまうなんてこともあると思うのですが、いかがでしょうか。なんてことを思いました。

暗闇に見えない空と桜を眺めて、あの人がもし生きていたら

葬春華舞い散るあの丘で…。

 

近頃、「和風」の音楽をよく耳にしますよね。

その人達の音楽を聴いていると、やはり僕としては彼らを思い出してしまうのです。

それはKagrra, です。

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 前身バンド「CROW」(KEY PARTY)を経て、PS COMPANYに移籍し、2000年より活動開始。あの頃が最後のヴィジュアル系バンド界の盛り上がりだったかもしれないと思ってしまう時期に活躍していたバンドです。

こんなことを今更、紹介するのも何なのですが、彼らのコンセプトは「和」でした。

「和」にはこだらわないようになってしまった時期もありましたが、このインディーズ時代の曲を集めたころは、より純然たる潔いまでの「和」を感じさせてくれます。

 

◯四七抜き音階について

ヨナ抜き音階 - Wikipedia

タイトルの「4」と「7」の無い音楽、「四七抜き音階」ということについて。

「4」と「7」が無いというのは、ドレミファソラシドの4番目と7番目が無い、「ドレミソラド」になるということです。これは「ヨナ抜き音階」として、音楽界では知られているものです。「4」は「ファ」で「7」は「シ」です。それが無い。Aマイナーだと「ラシドレミファ#ソラ」で「ラシドミファ#ラ」

それだけでどこか「和」に聴こえるというのはその通りですが、発祥は日本ではないとのこと。

しかしこれを使うと「如何にも和風」な曲が簡単にできてしまうのです。なので、よく使われます。例えば演歌!演歌はほとんど「四七抜き音階」です。「なんか演歌って似ている曲ばっかりだな」と思うのは、そのせいです。

演歌でなくてもそうです。中田ヤスタカさん。最近のきゃりーぱみゅぱみゅの曲、「にんじゃりばんばん」「つけまつける」などなど。ほとんど「四七抜き音階」です。Perfumeの曲もそうです。中華風にも聴こえる四七抜き音階をうまく活用しています。「Perfumeはまた四七抜き音階かー」と、シングルが出る度に思います。

そして、もう一つ大きく使われていることがあります。それは「ヴォーカロイド」の世界です。あまり知らないのですが、その界隈で一番有名な曲「千本桜」あれも「四七抜き音階」そのものです。だから小林幸子が歌ってハマった。

そして、最近話題の和楽器を標榜したバンド、武道館公演までやった人気のバンドがいます。彼らの音源を聴くこともできるのですが、CMでアルバムの曲が少し流れて、その曲たちが全部「四七抜き音階」だったことから、聴くのはやめました。

僕は口惜しいと思ったからです。

 

なんで、なんで今はこんなに「四七抜き音階」が溢れているのに「Kagrra」はいないのって

 

Kagrra,のヴォーカリスト、一志さんは、2011年7月18日、死亡されているのが発見されました。今日はちょうど命日です。

僕は一志さんが亡くなられたことは知っていました。シーンの中でも近いところにいた、蜉蝣の大祐さんがなくなって、1年と3日後。それは偶然だと思いますが、あんなに同時期に頑張っていたバンドのヴォーカリストが続けてなくなったなんて。ショックでした。

 

そして、その死因が自殺だった。それはずっと知りませんでした。そして彼が長野県出身だったということも知りませんでした。ショックでした。長野県出身のヴィジュアル系バンドマンは案外いるということは知っていましたが、彼もその1人だったなんて。大祐さんと同じ死因ににて亡くなってしまった。大祐さんにはその兆候があったことは否めません。彼は必死にもがいていた。しかし、一志さんにそのような兆候はなかった、と僕は感じています。全く素性を知らない、作品を通してでしか、知らない。

だから今日はあえて初期のインディーズ時代のベストアルバム「Kagrra, Indies BEST 2000~2003」を普通にレビューにして、Kagrra, というバンドをこのブログ、インターネットに刻みたいと思います。

Kagrra,は「ヨナ抜き音階」使用していました。それはもちろん無意識ではないと思います。そんなことを思い浮かべながら、再度Kagrra,を聴いてみました。

 

01:あまふらせたんまいな 

呪術的なタイトルの連呼から始まり、土着のリズムに乗って展開していく。いかにもKagrra,らしい「和」の曲。しかしサビは流麗であり、一志の唯一無比の高音ボーカルが冴え渡る。妖精でもあり、女神でもある。天女の方が近いのだろうか。山奥で乞われるのはタイトルとうり「あめ」なのだろうか。歌詞では別の物を乞うているように見える。なにかをふらせてなにかを壊してほしい。そのように。気のせいだろうか。

02:魔笛 

この曲のイントロとAメロ、Bメロとサビは調が異なる。それは聴けばわかると思う。マイナーコードとメジャーコードの違い。それはわかりやすい。けれどもそれだけではない。サビのみ「ヨナ抜き音階」を配している。だから全く別物に聴こえる。ひじょうにポップとしか言いようのないサビ。それはやはて「ヨナ抜き音階」に戻り、また表れて、そのメロディは幻のようにやがてまたそれは過ぎ去っていく。まるで儚き微風のように。

03:白い魔手  

Kagrra,はまがいのことなき「ヴィジュアル系バンド」であるということをわからせてくれる曲。彼らも他のバンドと同じように同じような歩みだった。でも、いつからかそこから脱した。脱しようとした。そしてそれは成功した。このインディーズベストは、インディーズ時代のベスト。インディーズ時代のベストを出したバンドなんてそういない。その後の試行錯誤を考えると、少し愛おしくおもう曲。

04:月下想葬

なんて素晴らしい曲なんだろう。当時テレビ埼玉でCMが流れていてそう思った。サビの部分だけだったのに。もちろん良いのはサビだけではない。歌から始まるイントロから素晴らしい。「月下想葬」月の下で、葬を想う。これは皮肉になってしまったかもしれない。しかし、月と死は似ている。そう感じた。月は人を狂わせてしまうということがあると聞いたことがある(LUNACY) 月のあるところには、死もある。なんて哀しいだろう。そしてなんて美しいんだろう。このメロディはせつなすぎる。イントロのフレーズが繰り返される。そして物語は終わる。月が沈む音とともに。

05:妖祭  

鉦(かね)の音。太鼓的なリズム。うねるベース。ベースラインはもちろんヨナ抜き音階!祭りだ祭りだ。これほどまでにヴィジュアル系で「祭り」を表現した曲があるのだろうか。しかしサビはやはり流麗であり、一志氏の脅威のハイトーンファルセットが「妖祭」を彩る。ギターのソロもリズムに合せたもの、和楽器的ともいえる。かれらがいかに「自分達ができる範囲で”和”を表現しようとしたのか」という思いが伝わってくる曲だ。

06:神謌  

「かみうた」と読む。この曲はこのバンドがツインギターだということをわからせてくれる良い見本だと思う。同じカッティングのフレーズが右と左から流れてくるのだが、違うように聴こえる。違っていい。違うからこそ、人力なんだ。当たり前なのだけれど、全く同じようにしている、それが演出だったいいのだけれど、そういうバンドも多い。時に2つに別れて違う線となる。緩急おりまぜドラムとベースも動く。ドラムの細かい16音符のハイハットが聴きどころ。このような中庸な曲こそKagrra,そしてヴィジュアル系バンドの醍醐味だと思う。

07:徒然なるままに… 

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

鎌倉時代、結局誰が書いたのかは正しくはわかっていない「徒然草」この曲のタイトルを見て、それを思い出した。鎌倉時代なんて、想像もつかないけれども、そんな時代があったということを知られることは素晴らしいことだと思う。この一文が素晴らしいからこそ、語り継がれて来た。この言葉たちに寄り添うこの「徒然なるままに…」はそれにふさわしいものだと思う。何時代かわからない人たちが、つれづれなるままに日々を過ごす。こんなこと書きつくれば、いなくなったあなたを思うのです。そんな時でも美しいKagrra, なのにもういない。なんてやめましょう。徒然なるままに…

08:沙羅双樹の子護唄  

沙羅双樹、サラソウジュと読むらしい。3拍子の落ち着いた曲。静かに咲いて枯れていく花が見えるよう。花はいつか枯れる。最期の時はくるけど、生命は巡っていく。終わっても巡っていく。歌詞からそんな思いが伝わってくる。ひとひらの花びらが散るように終わる。

09:夢イズル地  

こんな素晴らしい曲、つまらない言い方をすれば「売れそうな曲」がこのまま埋もれてしまうなんて。この曲はKagrra,のポップな部分、明るい部分、幻想的な部分、そして和的な部分を全てわかりやすく表現したすばらしいー曲だ!この時期のヴィジュアル系バンドに共通してと感じていることは、曲の組み立て方が非常に上手い。だんだんと盛り上がって、サビで惹きつける。それはヒット曲に必要なことでもあり、聴いているほうとしてもやはり楽しい。この曲が「和風アニメ」の主題歌タイアップが付けばよかったのに。もう、終わったことなのがくやしい。

10:恋綴魂  

黒い曲。黒い中に群青の何かが蠢いている。そんな曲。要するにダークな曲。だけれどもこの曲はとても美しいと思う。暗闇の中で、目に見えないものが蠢いているけど、そこに生命は感じていて、それが血に変わる。アップテンポなのに、遅く感じる。そこに隙間が多いからかもしれない。良い意味で気のぬけたような、何か今までと違う景色が広がったかのような。違う世界に行ってしまったかのような!恋、つづる、魂。魂は見えなくなっても消えることはない。

11:春麗  

「明るいヨナ抜き音階」いい加減ヨナ抜きは飽きたかもしれない。でもそう表現するしか伝わらない。彼らもそうだったのかもしれない。「またヨナ抜きになった」そんな会話が交わされていたのではないか。そうだとしたら、すごく楽しそうにもこの曲は聴こえてくる。和とは本来くらいものではない、明るいもの。明るく「和」を楽しんでいる。良いことではないか。日本が明るい時代だった時もあった。本当はそうなのかは、誰も知らない。しかし今は残しておける。おそらく全ては引き継がれてそのまま記録されていく。そこに残すために、人は何かを…

なんだか疲れてきました。今は夏だけど、春が恋しいです。全てが麗しいはる。チュンリーら。

12:し、み、め、ゆ、き、さ、あ  

日本においては、西洋の文化が入るまで文章は全て縦書き縦読みだった。西洋が入ってからは、一時期はこのように「右から左へ書いて読む」ということもあったよう。平安時代鎌倉時代にあったかはわかりません。源氏物語あさきゆめみしの時代)には無いと思う。この曲は享楽的な生活を送っていた天皇とその側近たちの優雅さを表現したのだろうか。僕には「源氏物語」を図書館で借りて読んで妄想に耽る現代の少年少女が浮かぶ。そんな子たちが現代に果たしているのかは謎だけれども。「源氏物語」を読まなくても、かならず社会の授業で習うのだから。そこで少女はインスピレーションを受けて、ノートにこう印した。「し、み、め、ゆ、き、さ、あ」そのまま書いてもし見つかったら恥ずかしいから…

13:桜花爛漫 

この曲順はメンバーが決めたのだろうか。僕の気のせいかもしれない。最期の桜、最後の桜の曲が待つ丘に向かって一歩一歩、咲き誇る桜を見つめながら、何かを覚悟して、強い風の中歩んでいくような風景が見える。誰かに対して、語りかけている。そこで待っている人に。しかしその人への別れのようにも聴こえる。メンバーの演奏も何かよくわからないけれども、強い強い意思を感じる。言いたいことは「ありがとう」なんて曲なんだ。桜はただただ美しい。そしていつか散る。

14:桜舞散るあの丘で

映画をみていた時に「映画が終わった」とはっきりわかる時がある。エンド・ロール。主題歌が流れて「終わった」とわかる。ハリウッド映画ではそのようなことはない。日本の商業主義的な映画でも、それはない。現代の映画はリスク回避のため「製作委員会」が設立されて、それらに投資をした人たちがさまざまな目論見を持ち込んでくる。「映画の主題歌」「ハリウッド映画の日本版だけの主題歌」はそういうものによる。

この曲を聴いて、映画のエンド・ロールが浮かんだ。終わったんだ。現実的にこの曲がこのベストアルバムの最後の曲。 

全てを包み込んで、高いところから見下げるような曲と歌詞。達観というにはあまりにも純粋すぎる、しかしこのアルバムでKagrra,が終わったわけではない。あとにも続いたメジャーレーベルの時代が彼らの真骨頂なんだろう。

しかし、終わってしまった。すごく哀しい。自ら生命を断ってしまった。

映画は終わったんだ。でも、彼らの音楽はまだ終わっていない。私の生きてきた鬼の街はとてもさみしくて。そうだ。とてもさみしい。長野はさみしい。この地、僕が今いるところとは離れているけれども、同じ都道府県で育って、でもそこでは亡くならなかった一志さん。あなたがえらんだことは間違ったこと、とされています。が、魂は消えても、音はなくならない。それが答えです。生命は儚い。桜もすぐ散る。でもすごく美しい。

 「ヨナ抜き音階」「四」と「七」が無い音楽だらかの時代になったのに、「一」がないのはせつない。せつなすぎる。

おわり