茫然自失、という言葉が四字熟語にあるとは知りませんでした。
呆然として、自失する。というのが別々に存在していて、茫然自失というのが
固有名詞として存在しているとは知りませんでした。忘れてました。
なぜ、この言葉が出てきたかというと、茫然自失の状態に自分がなってしまったからです。
その経験は初めてではなく、何度も何度も何度もありました。
しかし今回の「茫然自失」は、その言葉を思い出させてしまうほどのことでした。
その事がなにか、それは書くわけにはいきません。
ここは公共の場です。今まで私は公共の場ということを意識せずプライベートな事をひたすら書きなぐってきましたが、それは反省します。
僕の未来、どうなるかまだ見えません。
社会人として、致命的なブランクができてしまった。しかも年齢も年齢です。
でも、生きていかなければいけない。
そして、僕は本音をいうと、いつか東京に帰って、音楽をやりたい。
グランドピアノのあるライブハウスに出て、人前で演奏をしたい。
成功も名誉も求めない。
自分のやりたいこと、良いと思うことを、やる。
人と一緒でもいいし、一人でもいい。
しかし、茫然自失となった時、全くピアノが弾けなくなった。
僕にとってピアノとは「自分との対話」です。
今回の茫然自失は、全て自分の責任なのです。だから、辛い。
でも
と、一人きり山の中で、ひたすら自分と向きあう日々です。
いつも自分の中の自分と話しています。
それはほとんどが自分への戒めの言葉です。
言い返せないし、言葉がでません。現実でもそうです。
どうしたらいい?
頭は混乱して、音楽を聴く気も食欲も落ちました。
しかし、最近は落ち着いてきて、ピアノも少し弾けるようになりました。
音楽は何故聴けなくなったのでしょうか。
時間があるのに。大音量で聴いても怒られないのに。
でも、身体は健康です。ご心配なく。
僕は幸せになりたい。
幸せになる権利はないかもしれないけれども。
ひたすら自分を責め続ける日々はいつか辞めたい。
先は茨の道。
それでも進む。例え血を吐いても。
失くしたものばかりだけど、わずかにまだ手にあるものがある。
それを信じて。
このブログも僕にとっては重要なものです。
読んでくださる人が1人でもいるならば、続けます。
みなさんありがとうございます。