今日、夜の20時頃に、自部屋のインターホンがなった。
安いアパートだけれども、オートロックになっていて、受話器にて対応をする。
嫌な予感がした。
嫌な予感と思ってはいけないのだけれども。
今日は祝日。荷物の配達の予定はなかった。
僕は出ないことにした。僕の部屋は一階で、道路と建物の入口に接している。
だから、電気を消して、カーテンを閉めた。
意味がないかもしれないけれど、テレビの音も消した。
そうすると、オートロックのドアが開く音が聴こえた。そして、隣の部屋の前から話し声が聴こえてきた。
そーっと、そーっと、その話し声を聞いた。
最初は、何を言っているかは、わからなかった。男の声と女性の声。
隣の住人は女性だった。僕のアパートは1階に2部屋。向かい合わせで、おそらく、逆になっているのだと思う。間には上の階への階段があるので、お互いの声はきこえない。
一度、玄関を出た時に、鉢合わせしたのだ。おとなしい感じの女性だった。
その人と男が話している。
僕はドアに耳をつけた。音をたてないように。
「まだケーブルがつながっていないので」みたいな声が聴こえた。
ああ、そうだ。これは「NHKの集金」だ。
その後「支払う」「支払わない」というやりとりが聴こえてきた。
僕は、その場を去って部屋に戻った。
その現場を聞きたくなかったし、今更外に出るつもりもない。後で手続きしようと思う。
なぜ、聞きたくなかったのか。それには理由がある。
僕はずっとずっと、その集金から逃げていた。
それは、逃げられたからだ。
長野から出て住んだ最初の埼玉県のマンションには、オートロックがあった。そして「とにかく何でも」インターフォンの呼びかけには応じなかった。ので、捕まらなかった。
ただ、新聞の勧誘の人が中に入り込んだ時に、僕が「もうインターネットの時代だからいりません」と言ったにもかかわらず、しつこく迫ってきて、揉めた事はあった。
そして、東京に引っ越した時は、やはりオートロックで、しかもモニタ付きだった。
「とにかく何でも出ない」ということは継続されたが、今度はモニターが、部屋の呼び出しをすると、映し出された。だから、鳴ったときは一応それを見ていた。
配達便の人だと、すぐわかるので、「はいはい」とすぐに「解除キー」を押した。
なんだかよくわからない人だと、出なかった。ただし、変な宗教の勧誘の人に捕まって、でてしまって、延々と話をされて「宗教なんて全く信じていません。何もいいことがないから。あなたはどうかしてくれるのでしょうかあなたはどうせお金がほしいのでしょう?そういうのを仏教では畜生というのをしりませんか?あなたと同じような創価学会会員だった高校の同級生が教えてくれましたよ!!」
とか早口でいうと逃げていった。
そうこうして、僕は引っ越した。
「モニタ付きのインターホン」なんて無い、木造のボロアパートだった。
今までと、違う生活になるとはわかっていたけど、その違いは大きなものだった。
そのボロアパートでも1階だった。やつらはすぐにやってくる。
新聞の勧誘も、2週間だけと言っていたはずがその後も送ってきた。断りきれなかった。断るスキルを養成しなかったからだと思う。
その他、いろいろいろいろ、逃げてきたものがやってきた。
そして、それがある日やってきた。NHKだ。
やってきたのは、比較的若い、男の子だった。
「すみませんね。契約してらっしゃらないですよね」と言ってくる。
僕は、その時は本当にお金がなかった。
だから、払えなかったけど「テレビないんですようち」と言ってしまった。
よくある言い訳なんだろう。
「いや、でもお願いします」
そんな、やり取りが続いて僕は激昂してしまった。
しかし「悪い」と思い、「ごめんね」と謝罪した。
「ごめんね。寒いよね。中、玄関に入ろうか」
その日は凄く、凄く寒かった。玄関のドアを開けて話していた。彼はずっと外にいたのだろう。寒さにふるえていたようだった。
「カイロあるかもしれない。探してくる」
「あ、あの・・・。そういうの、ダメだって言われてるんで」
「え?そうなの?帰るまでに捨てればいいんじゃないの?」
「でも・・」
「待ってて」
部屋に戻って探したけれども、あったはずだけど見当たらなかった。
「ごめんね。なかったみたい。」
「いいんです。」
部屋のドアは閉められていてまた開けて話した。
「中に入らない?玄関だけでもいいから」
「いや、それも禁じられているんです。入れないです。」
「そうなんだ。でも、玄関だけだよ。だめなの?」
「だめなんです」
「・・・」
結局、僕はクレジットカードがあるということで、それで決済するということで落ち着いた。
そうすると、彼は泣きだした。
「こうして、優しくされてすごく嬉しかったです」
「そうなんだ。つらいめにあってるんだね。ぼくもつらいことをしてしまった。ごめんね。」
僕も泣いてしまったかもしれない。
「でも、最後に優しくしてくれる人が他にもいて。。僕、ありがたくて。。」
「・・・」
「学生さん?」
僕は聞いてみた。
「いえ、前は学生でした。中国に留学して、今は仕事を探しています」
「中国に留学だなんて、中国語が話せたらすごいスキルになって就職できるんじゃない?」
「そんなにうまくないので」
「でもさ、こんな仕事よりもっと良いしごとあるんじゃないかな?つらいめに遭わないようなさ。。」
「はい・・・」
そして、彼は名刺を置いて、帰っていった。
「元気でね」と言う僕に振り向いて力なく笑顔で手を振った。
つらい、東京時代の中で、最後の思い出になったのはこれだったのかもしれない。
なんというか、人生において苦しみだけの人たちもいるということをわかってしまった、東京の生活の終わりだった。
彼の名刺も、後日失くしてしまったことがわかった。今更僕が話すことも無いのだから、良いのだけれども。名前だけでも覚えていたかった。
今でも、元気で、なるべくあの時より幸せになっていること祈ります。
僕もね。
今日、これを思い出してしまった、のが出なかった理由です。
おわり