さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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【日記】引続き停止中ですが

順調に停止をしています。といいたいのですが、久しぶりにパソコンに向かったところ、目がおかしいかうまく文字が打てていません。老眼なのだろうか。

久しぶりにパソコンと書いたけれども、仕事はいちおうやっているので、見てはいるのですが。仕事ではWindowsで、今はMacBookなのでその違いもあるかもしれない。

加齢による老眼なのかもしれないけど、加齢のせいではない、と信じたい変化もあった。それはここでも何度か触れていて恥ずかしい自分の体重のことだ。

正直に言うとやはり恥ずかしいけれども「体重が減った自分」にどこか優越感を感じてもいた。なぜか増えたけどなぜか減った。別に減らしたいわけでもなかったけど。

ここのところ、自分の体重値がまた増えている。2キロくらいだから大したことでもないけど、身体つきも変わってきた。わからないけど、たぶんこれは筋肉なんだと思う。

あまりにもヒマだということもあり、スポーツジムに行くようになり、以前より筋肉トレーニングを行うようになった。そのせいというかおかげなんだと思う。ただ、お菓子も食べ続けているので、お腹も出てきてしまった。。

まあ別にいいかな。押したら引いていく。それが人間というものなんだろう。

 

ひとまず、僕の人生は停止中。以前にもまして停止が広がっている。明日もまた停止をするのだろう。えらく晴れるみたいだから、外に出て、ヒマだったらジムにでも行こうと思う。もちろん罪悪感とともに。今、ストレスがあるとしたらこの勝手な罪悪感だけだ。なんて優雅なんだろうと思われるかもしれない。要するに他人にことを気にしているのだけれど、いつも自分のまわりには他人なんてものがいないのに、おかしいなとは思っています。

罪悪感。この言葉が自分の中から出てきただけで、きょうは進捗があったんだと感じた。終わり。

 

無に近い毎日 せっかくなので日記も書きます 2021/03/15

僕はいま無に近い生活になっているということを先日ここに記しました。

一般的に「無に近い毎日」を送っている人はどのような人かというと

・無職

うつ状態うつ病、抗うつ状態

・山奥で免許も無くどうしようもない

 

このようなことに起因をして「無に近い毎日」を送っているのだと思います。

この中には、過去の自分がいくつか当てはまっておりました。無職、山奥で免許もなくどうしようもない、これがあてはまります。

今の自分はどうかというと有職者であるということが、最大の違いがあります。

そのような人間は「無に近い毎日」にはならないはずなのですが、

そうなっているのです。これは極めて面白い毎日なのではないのかと思い、せっかくなので「無に近い毎日」である日常を記録しておきたいと思い、思っているだけなのですが、とりあえず記しておくのです。

 

無に近い毎日を送っている人の一般的な「朝」の兆候としてあるものにはやはり「いつまでも寝て起きない」というものがありますよね。しかし自分は違います。ちゃんと普通に朝早くに起きるのです。そしてなかなかまたの寝付きが無いのです。たまにはありますが。起きたあとは、やはり「無に近い」朝になります。

ちゃんと朝ごはんは食べます。トーストです。トーストにもイタいこだわりがあり「コンビニで売っている安い100円の食パン」は好きではないので食べません。あの味気なさ。最悪です。紙を食べているみたいだなって。矛盾をしているのですが、「安い100円の食パン」はだめなのですが、安い100円くらいの菓子パンは平気で好物でもあるのです。おかしいですよね。でも紙みたいな味はしないでしょう。

今、現在は近くでもない近所にあるブーランジェリーのパン・ド・ミーを食べています。ブーランジェリーのパン・ド・ミーということは、フランス系の食パンてきなものになります。そもそも、海外には「食パン」なんてものはありません。「まさか」と思うでしょう。一度でも海外のホテルの朝食にてビュッフェを食べてみてください。「食パンないかしら」と探してもないのです。デニッシュやバケットなどはたくさんありますが、食パンめいたものは、ないのです。日系ホテルでしたら、あるかもしれませんが。

会社に通っている時は、小田急新宿地下にある外資系のブーランジェリーでパン・ド・ミーまたは似たものを買っていました。まあ食パンですが、けっして怪しい高級ふわふわ食パンなどではありません。廉価なものです。食べきれずにカビる可能性もあるので、いつも4枚切りのものを買います。愚かしい100円食パンの8枚切りのもなんて、絶対に買いません。紙紙紙、紙でしかない。外資系パン・ド・ミーはやはりいわゆる「皮」がおいしい、そもそもパンの主役は「皮」なのです。「パンの耳なんて食べないー」なんて人もいますよね。まさに、笑止千万です。

くだらないパンバケットのはなしになりました。

きょうは無を感じたので、この季節の有さ極まりがない暖かさ素晴らしい天気を感じるために外に出ました。ほんとうに素晴らしい天気でした。いつも行く癒やし100%の公園にて、、癒やし100と書きましたが、実際にはニセ滝人工滝がの水がでていませんでした。あれが好きなのに。がっかり。しかし、傾斜のきつい芝生広場にて、日光浴をしました。かわいい子どもたちがはしゃぐのを見守りながら。

「可愛い子どもたち」にもし話しかけたら、不審者として警視庁の注意情報に出されてしまうのです。マスクが幸運を呼びました。微笑んでいる顔をかくせたからです。悲しい幸運です。

おきにいりのブルートゥースヘッドフォンも持参をして、音楽を聴いたりしました。みなさんがとうてい聴きもしないし、知りもなしない音楽です。ごめんなさい。壁を作っているわけではないのです。でも知らないでしょう三善晃センセイの「ヴァイオリン協奏曲」だんて。とても素敵な音楽なのに。

ほんとうにかわいい子供たちを尻目に、昼食でも、と思い、財布の中の2千円にほっとしながら、おでん屋にておでんを買いました。

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丸佐かまぼこ店は老舗のおみせ。有名な寺のそばにあります。以前は店の横でおでんが食べられたのですが、もう無くなっていました。買って家に食す。はんぺんは絶品。厚揚げもがんもも。大根ももちろん。だし汁が美味しいのですね。余ったので冷凍にしました。おじやにするつもりです。

帰って、ほうけていると、仕事のメールが来ました。サッと終わらせられるようなものばかり。サッと終わってしまいました。

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声を出していないと、声がでなくなる、ということを実感しつつ、夜は自炊をしました。以前作ったトマトジュースを使った雑炊をまた。ちょっとトマトジュースがたらずにリゾットみたいになってしまった。鬱だ。

この後はジムに行き、銭湯に。きょうはいろいろあってしまった。無ではなかった。無て楽しい。正直にそう思いました。でも、この生活がいつか終わる。それは自分にではなくて、地震です。天変地異はかならずやってきます。ずっとこわくて。ほんとうですよ。だから、いちにちいちにち、なんとなくでも楽しくすごしたいのです。みなさんも気をつけて。どうでもいいことでもたのしくすごしましょうね。せっきょうくさい!おわり

 

ブログを再興させたい

どうにもこうにもブログ不調のままです。なので、ブログ不調について書こうと思います。

ブログ不調でも何の問題もないのですが、最近、新しくブログを読んでますよと仰ってくれる方が複数人いて、ありがたくて仕方がないのです。そしてその方たちはほとんどヴィジュアル系のファンの方たちでした。それも嬉しいです。もうあまりV系愛がなくなってしまっていて、それも申し訳無くて仕方がないのです。

更に、先日KURABUHAUSUで、V系界の人たちがあつまるルームに参加をしたところ、やはりブログ読んでますというありがたいお声があったのです。ほんとうに嬉しくて。。しかしやはり今のV系界について全く知らないということも感じてしまったのです。

このブログでアクセスが多いのは、ほとんどV系記事ばかりです。そういうことなんだと思います。

それがブログ不調の原因というわけではないのですが。

 

思い当たることがあります。

 

今、自分は毎日「無」に近い状態なのです。無職ではないけど無なのです。

何もやらなくて良いような毎日になってしまっています。前からそうでしたが、今はもっと無になっています。やりがいがないどころか、無なのです。0なのです。

そのような生活になると、他も無になってしまう、ということを体感しています。

長野でつらい時に、ひたすらブログを更新できたのは、「長野でつらい」ということがあったからだと気づきました。今は「東京でなにもない」から、ブログを書けないのだと思います。

長野でつらい。ほんとうにつらかったのです。上田市で過ごした時は、上田映劇でひたすら映画を観たり、人との交流もあったのでよかったのですが、問題は山奥生活です。ちょうど冬の時期もあって。。つらかった。。もうやめますね。そんなことばかり考えているのです。。

 

しかし、非日常においては何かはあるのです。それはセッション活動です。ドラマーさんと定期的にスタジオに入り初めてもう1年半くらいになります。「即興ロマンス」というユニット名です。今度、ツイキャスや音源の販売をするかもしれません!

そうなんです。それがありました。

それもありますし、今、たらたら書いていたら楽しくなってきました。明日は雨だしヒマなので、ブログをなにか書こうと思います。ネタはまだあるのです。ヴィジュアル系も><

終わり

すごい3年間

いまの会社で働き初めてもうすぐ3年目に突入してしまうことになった。

この3年であったことといえばヒマ。それしかない。ひたすらヒマだった。

在宅勤務になりヒマさに磨きがかかり、最近はさらにそれが磨きに磨かれて拍車がかかってしまった。こうなったらもう開きなお。。開き直るのにも、もう飽きてしまってもいる。

 

3年間と半年くらい働いた会社が過去にあった。

そこでは契約社員だったので、更新無しで終了とはなったけれども、今の3年とは比べ物にならないくらいに身になるもの、勉強になることがたくさんあった。日本のどの会社とも比較にならないくらいの素晴らしい会社だったのが、かえって救いなのかもしれない。

 

3年間。

 

先日「3年間」で自分の人生が変わってしまった過去を発見してしまった。

 

自分は、何度もここに書いていて恥ずかしいけれども、20代の時はとても貧しかった。平日のアルバイトに加えて、貧しさの象徴のような「日雇い労働も」やっていた。学生だったらいいかもしれないけど、もう20代後半になっても、そんなことをやっていた。生きるために必死だった。

ティッシュ配り、看板持ち(駅前でマンションの建売モデルルームの案内のもの)、もっとひどい時は食品加工工場で卵をひたすら割るというようなものあった。手にこびりついた卵のキイロさを今でもよく覚えている。悲しい記憶だ。

そんな日々が、29歳までつづいてしまった。

 

あるホテルに撮まった時の写真が、その生活の「3年後」だった。

 

 

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この写真はリッツ・カールトン大阪に泊まった時の写真。スーペリアルームなので一番安い部屋だったけど「クラブラウンジ」にアクセスができるカテゴリのものだった。

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 クラブラウンジではソフトドリンクやアルコールが飲み放題、軽食も食べ放題。そしてリラックスできるソファーで一流の接客を受けられる素晴らしいところだった。誕生日が近いということで、ホテルのミニタオルももらうことができた。クラブラウンジよりも良かったのは、ホテルの屋内プールの屋外にあるジャグジーバスだった。夜はロマンティックな照明が、大阪梅田南部の高層ビル群の中にポツンとあるジャグジー。自分の他には誰もおらず、ひたすら都会の中の天国のような空間を感じることができた。

 

この時が、あの時代から3年後だなんて。

日付を見てびっくりしてしまった。すごい3年間だったんだ。我ながら信じられない、と、同時に3年後、また良いことがあるかもしれないな、とも思った。そう今は何もないくそ生活、日雇い労働すらしないけど、精神的にはまたあの時代に舞い戻った気がする。

3年後、果たして自分はどうなっているのか。またリッツ・カールトンに泊まれるのだろうか。終わり

 

虚無になってしまった理由

虚無(きょむ)とは。1 何物もなく、むなしいこと。空虚。2 この世に存在するすべてのものに価値や意味を認めないこと。

 今、自分は虚無の状態です。きょむだなあ でもきょむってなんだろうと意味を調べたら、そのとおりでした。何者もなくむなしい。

ほんとうに何もないです。今…空虚な生活になっています。

唯一セッション活動があるので、なんとかなっていますが…。それ以外は空虚です。むなしい毎日。

ブログを書けないのも虚無だからです。

実は、お仕事は続けているのですが。虚無の状態です。それは良いことなんだと解釈するようにしています。それとの戦い「なんとか生活のために」というのがあるので、もしかしたら虚無ではないのかもしれませんが。でも、虚無なので、なにもないのです。一日中、虚無に浸っています。ほんとうにそうなのです。

 

ひとつ原因がわかるのです。それは海外旅行にとうめん行けそうにないということです。なんだくだらないの、と思うかもしれませんが、自分とって海外旅行に行くことは生きがいだったのです。でも、ずっといけなくなって、山奥に押し込められた時はまたずっと行きたいな、こんなつまならない景色の中にもういたくないいたくない、とずっと思っていたのです。つらい山奥生活の反比が海外旅行だったのです。

「この前に旅行に行ってたじゃない」と思うかもしれませんが、旅は楽しかったけど、やはり「日本は日本」だという結論も出てしまいました。たぶん今後どこの日本に行っても「日本は日本」だと思ってしまうのだと思います。

「じゃあネットで旅体験サービスでもやればいいじゃない」と思うかもしれませんが、ネットでヴァーチャル旅体験だなんて、まさにヴァーチャル・インサニティ、仮想狂気でしかありません。ネットだなんて…最悪です。こんな狭い世界は、自分にとっては無いのです。ネットって狭いですよね??英語ができるようになれば、よいかもしれない。そうだ、英語を学びたいです。海外の人とコミュニケーションを取れるようになりたいのです。日本人よりも海外の人の方が、自分を理解してくれるかもしれない。。

 

こんな感じなのです。虚無でしかありません。もうつかれました。明日も虚無な日になるのでしょう。でも生きるしか無いです。ックショー