僕は不惑の歳。
不惑という言葉の意味がわからないかもしれない。僕も不惑の歳なのに知らなかった。ほんとうは薄々知っていた。そしてその言葉の意味を知りたくなかった。Google様が残酷に真実をあっけなく教えてくれた。
知りたくない情報でもすぐに調べて知ることができる。便利な世の中だ。僕が不惑ではなかった、純粋だったかもしれない時に3年間だけ過ごしていた街で、不惑の歳で帰っきてしまった。そして「ゴミ1個の日」(前日はゴミゼロの日)に、不惑+1となってしまう。
知りたくもない情報ばかり入ってくる。価値のないもの。価値があるとは思わなかったもの。それは、「素敵な出会い」とも言えるのかもしれない。
なんていうユニット名の音楽をまさか僕が聴くだなんて。意外、とは全く思わない。
「ゲスの極み乙女。」に共感をしてしまうような、そして中学生の時に好きだったバンドは「筋肉少女帯」で、自分の姓が入った「元祖高木ブー伝説」を聴いていたような痛いマイノリティだからだ。
マイノリティをこじらせると、更にメジャーに走ってしまう。
あんまりそういう人はいないのではないか。一貫していない。
しかし「ぼくのりりっくのぼうよみ」はその呑気なリア充ラップ・ミュージック、わかものらしい、「僕らは友達YOYO」「ずっと一緒に歩んで行こうHEY YO!LOVE IS ALL」的な、はっきりいってしまうと、ケツメイシ的なお手軽な幸福感溢れる音楽なのかな〜と、ケツメイシの横浜アリーナのライブに何故か行ってしまった過去の記憶を思い出してみたり。
「なんかいやだな」と思っていたら、彼が、俗悪的だと思うけど惰性で見てしまう「ミュージックステーション」に出演していた。
「Be Noble」という曲を歌っていた。映画の主題歌になったらしい。
彼は、思ってはいなかったけど思っていたかのような身長の小さい男の子で、「モテそうだな」と思った。「人生楽しいんだろうな」と勝手に想像していた。
その時は彼らのその音楽にそれほど感じなかった。
でも、歌詞が少し暗いような気がした。曲もマイナー・コードで、暗いもやが立ち込めているイメージを受けた。
ほんの少し、気になった。
その曲名を後に思い出した。「Be Noble」
ぼくのりりっくのぼうよみ - 「Be Noble」ミュージックビデオ
Be Noble 高貴であれ、と解釈した。
19歳のわかものだということは知っていた。19歳のくせに「高貴であれ」だなんて。
ほんの少しの何かが心の中で爆発を起こした。
「Be Noble」の歌詞は、ミュージックステーションでは伝わらなかったが、フルで歌詞を前にして聴くと、印象が変わった。怒りの曲。自分への怒りの曲。震える手にてナイフで自分自身を切り裂いてしまうかのような。
「新しい音楽との出会い」は不惑の僕には、正直精神的不安要素のひとつとなってしまうから、拒絶してしまうのだけれども、続いて後日、Apple Musicにて最新作のアルバム「Noah's Ark」を聴いてしまった。
その日は、恥ずかしながらとてもうつだったと思う。
帰り道、好きではないけどやはり美しいと思う電車からの車窓を眺めて、窓には目が真っ赤になっている自分がそこに映っていた。
スマートフォンでApple Musicは聴けたけれども、パケット使用量がいっぱいで聴くことができなかった。「ばかだなあ。なにやってるんだろう」暗い窓に、真っ赤な目が写った。こんなのは始めてだ。
そして、家に帰って、彼のアルバムを聴いた。
歌詞はこちらで見た。
次々と押し寄せてくるその「りりっく」に僕はうちのめされた。全く希望が感じられない。全曲に渡って、隠さない彼の影と絶望と嘆きが鮮やかに表現されていた。
プロの手によって作られたそのバックトラックが、残酷なまでに彼の絶望を表現していると感じた。彼に何があったんだろう。若いのに。イケメンなのに。全く想像がつかない。
在り処 - ぼくのりりっくのぼうよみ - 歌詞 : 歌ネット
砕け散る様に
雨の中で
僕の心は何処に消えた
偶然なんだろうか、その日の帰り道は雨が降っていた。僕は駅まで自転車で通っている。でも傘をもっていなかったけれども親切な同僚が傘を貸してくれた。でも、傘をさして自転車は乗れないから、コンビニエンスストアで500円の雨合羽を買った。白いやすい雨合羽を着て必死になって上り坂道を自転車を漕ぐぼくは、ほんとう惨めに見えたかもしれない。
そんな彼とはかけ離れた世界にいた僕に、震えてしまうほどの気持ちを覚えてしまった自分がこわくなった。要するに、自分の音楽だ、彼は自分に近いんだと感じてしまった。
そのような言語的なところを超えた曲もあった。
「Water boarding」という曲。その名の通り、「水」をテーマにしている曲。
至る所に、水のような描写がされている。細かいラップに合わせて、右へ左へさまざまな仕掛けが施されている。それはもしかしたらドビュッシーやラヴェル、フランスの印象派のような音楽なのかもしれない。二人ともとても大好きな作曲家で、でもまさか「ぼくのりりくのぼうよみ」と重ねるなんて。やっぱり僕はおかしいのかもしれない。
彼の今後は明るいんだと思う。きっと良いことがたくさんある。そして望まないとこもあるかもしれない。きっと。現実はくそだから。しかしこの真っ暗な世界、それだけではない片鱗もこの作品には感じられる。
人間とは、そういうものなんだ。と、やはり不惑だからか、思ってしまう。
彼とかけ離れた世界いる、こんなおじさんにも彼の音楽が届いたということが伝わればいい。「同じ闇を持っているよ」と伝えてあげたい。
やっぱり気持ち悪いよなあ〜