毎日、途中までバスで通勤をしています。必ず座れるので、そこから見る車窓も毎日観ています。変わらない景色だけど、いつも違う人が歩いている。緑が湧く公園から隙間から溢れる光、道端に植えられた密かな花、などをずっと眺めるのが楽しくて。
それは行き、朝の時です。帰りはもう暗くなっているので、最初は圧倒的な夜景が過ぎ去って、やがて暗い町の中に静かに入っていきます。
そして、僕はその時に音楽を聴きます。イヤフォンで。最近は通勤の時にしか聞かなくなってしまっているけど、その短さ、限定された時に、感覚が研ぎすまれるような気がするのです。車窓とともに。
ある日、僕は荒井由実の「14番目の月」というアルバムに入っている「何もなかったように」という曲をバスで聴いていました。この曲は中学生の時に聴いていた曲です。特に、自分にとって何もない曲でした。もちろん良い曲だとは思っていました。
しかし、この日は違いました。
人は失くしたものを 胸に 美しく刻めるから いつも いつも
荒涼とした風景の描写の中に、歌われるこのフレーズにとても感じるものがありました。それは、自分の心の状態がそのようになっていたからです。
僕は、無くしたもの。美しく胸に刻んだものが忘れられない。そんな毎日を送っています。そんなありきたりな感情でも、このようなサウンドとメロディで歌われると、やはり心が動かされます。が、やはり自分はまた明日、「何もなかったよう」に時を受け入れるんだな、とも気付かされます。
ほんとうの光に満ちていた頃が いつかを知るのは 過ぎ去った後
ほんとうの光に満ちていた頃
そんな時が自分にあったんだな、でも失くしてしまった。もう帰ってこないんだ。
願いこと、一つ叶うなら、あの頃に戻りたい。
でも、美しい思い出は思い出、胸に刻んで、しまっておける。それが人間の良いところなんだな、と思うようにします。
このブログで、ユーミンの曲について書いたのは、この記事が初めてです。僕は中学生の時から、松任谷由実から入り、荒井由実をたくさん聴いてきました。あまり書かなかったのは、思い入れが強すぎるから、だと思います。中学生の時から、自分が生まれる前の曲を普通に聞けたということは、良い経験になったと思います。今後もまたユーミンについては書こうと思います。
おわり