20代の頃、僕は貧しい、とても貧しい生活を過ごしていた。
その生活は、短期大学を入学した後に、ずっと住み続けていた埼玉県上福岡市、いまはふじみ野市になってしまったところだった。
食うにも困っていた。ロクに働いていなかったから仕方がないけれど、身体を壊してしまったこともあった。貧しい毎日が続くと、何もできなくなって、誰とも連絡を取らなかった、取れなかった時期もあった。人生の空白の時間だった。
基本的な生活が送れていなかった。だから、生活に必要なものも止まってしまった。
電気もよく止まっていた。
初めてそうなってしまった夜に、普通に僕は思った。夜ってこんなに暗いんだな、と。窓から差し込むほんの少しの光を頼りに、少し動いたり、トイレには手探りで行ったりしていた。外にでることも、怖くなっていた。
そんな夜、時計も無い夜の中で、ふと、部屋にあるものがあることを思い出した。
それは、ピアノ。アップライトのピアノだった。名古屋で買ってもらったピアノを長野からここまで持ってきたものがあった。
そして、また当然のことに気づいた。
電気が止まっても、このピアノは音が出る、ということ。
また手探りで、僕は椅子と鍵盤を探し当てた。鍵盤を見なくても、自分の思う通りの音が出てしまう自分が悲しかった。弾こう。弾こう。部屋は楽器が弾ける部屋で、音を出して良いのは23時までと決まっていた。何時かを知るために、また手探りで外に出て、東武東上線の線路を渡ったところにあるサンクスにいって、時計を見て帰ってきた。お金がないから、そのまま帰ってきた。
あと何時間か。僕はまた手探りで鍵盤と椅子を探し当てて、鍵盤を叩くように、なでるようにピアノを弾いた。何の曲とかそんなものではない。心からの音楽を弾いていたのだと思う。自分にはもうこれしかなくなっていたのに。今は、真っ暗な部屋でこれを叩くしかなくなってしまったのか。涙が出てしまったのかもしれない。そんな自分に酔っていたのかもしれない。けど。どんな曲を弾いたのかは覚えていない。全く覚えていない。録音をすることも、例え電気があっても当時はできなかった。何もなかった。他人と自分をつなぐものが。そこには。
やがて時間が来たであろう時、僕はまた外に出た。このまま家にいたくなかったから。
自転車を漕いで、僕は街ではない、野原のようなところに走り出した。春か夏か秋かはわからないけど、心地よい風を感じた。お腹も空いていたかも覚えていない。ピアノを叩く時のように、無心で自転車を漕いだ。何もない、埼玉の中を。
疲れてしまって、自転車を止めた。光の無い街の中。見えるものは、夜空しかなかった。ほんの少しの光が、そこに見えるような気がした。
なんか、宇宙みたいだ。というかここも宇宙なんだ。
埼玉でも、上福岡でもここは、宇宙なんだろうな、と感じることができた。
それから、僕が上福岡を出る頃に、上福岡市は無くなってふじみ野市になってしまった。奇しくも僕の家は住所は上福岡市だったけど、最寄り駅はふじみ野駅だった。ふじみ野駅は富士見市にあるのに。
そのような複雑な環境から、僕は「kamifukuoka」というユニットをやることにして、やった。けど、今はやっていない。
そのユニットの曲で「宇宙 埼玉 上福岡」というのがあった。これはフィッシュマンズの「宇宙 日本 世田谷」のパロディーというか、なぜ音楽になると東京の西側 世田谷、武蔵野、湘南、横浜とかになるのか、埼玉じゃだめなのかと常日頃に怒りと疑問を感じていたことから、付けたタイトルだったけれども、このような背景もあった。
僕の心は、今でも、あの夜のままのような気がする。僕の心はまだ上福岡をさまよい続けているのかもしれない。
終わり