さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



【完全に入り込みレビュー】竜くんが好きで病んじゃったえみかがレビューするよ 有村竜太朗「デも/demo」

 

デも/demo(初回生産限定盤B)(DVD付)

デも/demo(初回生産限定盤B)(DVD付)

 

 

みなさんこんばんわ。

お久しぶりです。花小金井えみかです。

花子鐘異えみかとしますね。竜くん風です。

竜くん。シューゲイザー・バンドの「Plastic Tree」のボーカル竜くん。

ほんとうにwikiepediaの「シューゲイザー・バンド一覧」にあったの。Plastic Treeが。さすがだわ。つまりPlastic Treeヴィジュアル系バンドじゃないの!SHOXXとかフールズメイトによく載ってたけど、違うの!

えみか、シューゲが好き。シューゲって、シュー(SHOES)を見てる(GAZE)ってことだって。みんな、知ってるよね。ごめんね。知らない。意識が離れて 離れて散っていった 置き去りのえみか 置き去りの竜くん。

 

シューゲが好きといっても、あまり知らないの。マイブラくらいしかしらないの。マイブラは新木場AGEHAでライブみたけど、幻だったのかもしれない。

それにえみかは今、フラスコの底に閉じ込められてるから。情報遮断状態人形なの。でも、知ってるの。竜くんが囁いてくれたら。「マイブラで十分だよ じゅうぶん。だよ」って暗い声で囁いてくれたの。

「竜くん、マイブラだよね。やっぱり、2曲めの【浮融】は「Lovelessだよね。えみかわかったよありがとう。でもね、竜くん、えみかはマイブラは「Strawberry Wine」しか受け付けないの。ごめんね」

「君が 離れていく 見えなくなる どうして 気づいたら憂い 憂い」

「ごめんね竜くん。あと日本のシューゲイザーバンドで一番好きなのは、Plastic Treeじゃなくて、ルミナスオレンジなの。ごめんね。だから3曲めの「魔似事」はちょっとルミナスの2ndぽくてよかったかもごめんね」

「会えないんだし 知らないでいいよ」

「どうしてそんなこというの 哀しいな。竜くんはいつでも暗い声だったね。でも、初めて君を聴いた浦和ナルシスが出したオムニバス『漆黒のシンフォニー』の時は、暗いっていうか、ジキルのタスクさんのモノマネみたいだったね。EBYちゃんも当時言ってたよね。格好も似ているって。後でプロデュースしてもらった人だよね」

「まちがいだって まねごとだって」

「ごめんね。竜ちゃん。でもその後は突然変異して、『奇妙な果実』からはずっと今と変わらない同じ暗い声だよね。ありがとう。ほら、月が見えるよ。えみかがいるところは花小金井から遠くはなれたところなの。どこだと思う」

「気にかけてよ ほっておいてよ めんどくさい」

「ひどいね竜ちゃん。バイバイ。竜ちゃん。全部リセットだよ。人生にはリセットボタンはないけど、電源オフはあるんだよ」

「・・・」

「竜ちゃん寝ちゃったの?」

「・・・zzz」

「寝ちゃったんだね。いま、月が堕ちたのに。」

 

えみかも寝ちゃおう。えみかは猫になるの。夢だとねこになるの。

黒猫かと思うけど、茶色の猫なの。拾い子で行き場がないの。だから公園にいくの。

そこで、防止をかぶったお兄さんがいるの。「青が痛い」って泣いているの。

話かけるけど、一方的に叫んでるの。暗い声で。内容はよくわからないの。だからにゃあってなくんだけど、人間とは会話できないの。これは悲しい夢なのかな。えみかは今猫なの。猫は本能があるの。だからはつかねずみつかまえちゃうの。そしたら、笑ってくれたの。暗い声のお兄さん。これは夢なんだって。最悪な夢なんだ。でもずっと続いたらいいのに。

 

ミセス・オズモンドが扉を叩きました。

わたしは目を覚ましました。「鍵をお開け!えみか!」

「鍵なんてないわ」私は言いました。「鍵がかかっているわよ。それが何よりの証拠よ。いいから開けて」

「開けないよ。これは鍵じゃないの。時計なのよ。回っているから。回っているの。時計は止まらないで回るの」

「鍵をかけているのね」

「そう、鍵をかけているの。」

「わかったわ。きいてちょうだい。今日、あなたの部屋の窓の横に、黒い猫が死んでいるのが見つかったわ」

「・・・」

「後で、自分が戻ったら、埋めて上げて。」

「はい」

「いいこね。えみか。」

 

気づくと、私は病院にいました。

身体じゅうに何かが付けられて、動くことができません。しかし周りの人たちは真摯にそれらを推し進めました。そして耳栓を私を耳に入れて、「動かずにじっとしていてください。20分ほどでしょう。音がしますので、すこし我慢してください」と言って、離れていきました。右から左から、ガシャンガシャン、そして下からブーーっという音が鳴る。ずっとそうでした。

 

私はなんでこんなめにあっているのだろう。そう思っていました。これは夢なのか、現実なのか。わからない。夢だったらいい。夢だったら、いつでも好きな世界にいられるから。幻想。幻想が全て。覚めないで。覚めないでいいよ。消さないでいいよ。

 

「おつかれさまです」

その声で私は還った。

また、ひとりの自分が死んでしまった。

それは毎日続く。

 

おわりです。

 

maemuki.hatenablog.com

maemuki.hatenablog.com

maemuki.hatenablog.com

 

 

【随筆】もう何も信じない

僕は何も信じていません。

それは、一般的な人たちが信じている、話題のネタにしていることです。

例えば「血液型による人格判定」

 

ありえません。

人間の血液型は3つだけ。それで3つだけで人格がわけられるなんて

ありえないのに。

「え?まえむきさんA型なんだ〜わたしぃABのひとと気があうんだよね〜わたしはB型ですうえへへ」

みたなくそな会話をするくそ女がよくいます。

「うわー 出た血液型くそ女」

と内心思いつつも、「ふーんそうなんだ」と軽くいなします。

 

そしてもっと理解できないのが「星座占い」です。

朝の、あの呪わしき「今日の貴方の運勢ランキング」に代表される、腹の立つでっちあげ、一部の人がテキトーに書いた妄想で、人の判断を占うのです。

占いというものが、ほんとうの実態に存在しているなんて、信じている人がいるということが、信じられません。

占い、というものは、他でお金を稼ぐ術がない、または占いとされていることが上手くできた人がやるもの、生活のための手段なのです。金儲けのためのものなのです。

占いに基づいた「◯◯学」みたいなのものに対して「何百年の歴史」がある、とされていたとしても、それは「詐欺のノウハウ」を詰めた込んだ、HOW TO本に過ぎないのです。

 

テレビの朝の番組の「今日の運勢ランキング」は、怪しげな占い師の名前の人がクレジットされています。「今日のラッキーアイテムはカレー」「アンラッキーは双子座のあなた」

こんなのをどうやって、思いついているのか。

それは、適当に書いているだけなのです。占い、なんてものは、適当に言っているだけなのです。「この人の占い当たる」なんていうのは、単なるトリック、または商業主義的な裏のあるもの。真実ではない。

 

大体天体の星の「座」がなぜ人格や人生に影響するのでしょう。

「宇宙」とか言っておけばなんても通用すると考えているからです。「宇宙」は謎なので、何いってもあり。だから、性格や生き様にも関係する。関係なんかしません。

 

そういうものを信じないというのは、自分には「信仰心」が全く無いからなのかもしれません。

神様が本当にいたら、もっと幸せになっていたかもしれない。でもなっていないのです。誰もを救うような神様じゃなかったら、いても意味がない。そして殺し合いをしている宗教もある、ということを考えると、やはりくだらない。

そして個人を崇拝する宗教、現存している人を崇拝している「新宗教」は最も恐ろしいです。マルチ商法と同じです。汚らわしい、恐ろしい存在。

 

何も、信じないのです。何も。

でも、親友に「5月生まれは淋しがりだっていうよね。そういえばまえむきくんもさみしがりだね」と言われて

「そうかもしれない」と思いました。

「でも僕は最後の日だから、あと1日でさみしがりじゃなくなったかもしれないから」

と言い訳をしました。

 

その他、水商売(イオン水とか水素水とか)とか、本厄後厄前厄、マルチ商法ネットワークビジネス、すべての占い、全ての信仰、全ての迷信、全ての言い伝え、全てを信じません!

俺は孤独です!わるいか!

終わりです。

【再開のお知らせ】嬉し涙が悲しくてまた涙

どうです。このタイトル。

難解を極めているような気がします。

そして、底なしの混迷があるような、そんな気持ちを起こさせるようです。

申し訳ありません。

 

嬉し涙、ということは、嬉しいことがあったのです。

それは、実はなんと、実はなんと

先日の「停止宣言」のブログを書いて、各種SNSに共有をした直後に起きました。

電話が来ました。

住宅供給公社からでした。二分の一の確率で抽選となっていたのですが、その相手が辞退したのこと。つまり、当選しました。

一度、近くを通っただけで、行ったことはないマンションでしたが、そこが良いと思ったので、申し込んだところ、受かりました。

よかった。と思ったのです。

 

そして、しばらくがたち、両親と共に、その「当たった家」を見に行ったのです。

セブンイレブンが真後ろにあるということを発見しましたが、行ってみると

そこはまるで、東南アジアの貧困地帯にあるようなみすぼらしい建築物に、壁に落書きと、それを消そうした後が沢山、沢山ありました。

4階までは、階段です。

その階段の幅の狭さ。昭和の本当の良い時が来る前に立てたられたものです。貧しい時代に立てられたものは、やはり全てが貧しいんだ。と実感しました。

やっと思いで4階に辿り着きました。この日は中には入れませんでしたが、玄関のドアから中を覗き見できました。今となってはそれはいいんだろうかと、思うのですが。

そして高台(きつい坂の上)ということ、4階ということもあり、眺めは良い、ようでした。部屋に入ってみたわけではありません。

 

そして、思いもかけないことが起きました。

「上田で2,3万くらいで部屋が借りられるなんて知らなかった」と父が言い出したのです。「見てみようか」と言ってくれました。

さっそく不動産屋に電話して、話をきいて、そのアパートを見に行きました。

 

そして、僕は「ここがいい」と思ったのです。少なくとも、前の公営住宅よりは。

 

みなさんは、普通の街、あるいは普通の田舎にお住まいだと思います。

僕が今いるところは、普通の田舎ではありません。

それは幼い頃もそうでした。

その環境がいやでいやで、いわば東京に逃げてきたのに。

今はその状況に置かれている。

 

ここでの生活の辛さは、その環境に起因するものだけはありません。

襲ってくる自己嫌悪、孤独、後悔、いろんなものが

たったひとりの自分に襲ってくる。

 

この戦いに負けてはいけないけど、明けない闇に負けて

ブログなどを休もうと思っていたのですが、

止めた途端に状況が好転した。

 

だから、それはいいことだと。思うのです。

 

本日は、その新しい部屋の審査結果の伝達があり、問題なく通ったとのこと。

よかったです。

 

ここで、この別荘で、優雅に親の金でこのまま暮らすこともできました。

しかし、僕が今、求めているのは自己承認、他者との接触なのです。

そして、働くこと。お金を貯めて、東京に帰ることのなのです。

 

それが、叶う日がきたのです。

蛭子能収さんが「人生で大切なのは自由と金」と言っていました。

僕には自由がありません。一日中やることがなくて、音楽聴いたり、ピアノ弾いたり、やり放題なのに。自由がない。車がないと、どこにもいけないから。なにもないから。

 

そしてお金もありません。もう全然ないのです。お金は大事です。母は今日お金の話ばかりしていて、うんざりしましたが、つまらないことですが事実なのです。

 

それでもまた今日、ひとりになって、ほろほろ泣いてしまいました。

そして、それが嬉し涙だと、気づいたのです。

そして、なんでそんなに嬉しいのか。なぜここにいることが、それだけ苦しくなってしまったのか、悲しいです。そして泣いてしまいます。

 

引っ越しが急だったので、もしかしたらしばらくはブログの更新できないかもしれません。

しかし「ネットカフェ」が歩いていけるところにありました。

なんて皮肉なんでしょう。佐久の「ネットカフェ」に親に車で連れっていってもらって、久々のPCに苦戦して、何も更新も閲覧もできなかった。その時を思い出します。

今では歩いていけるところに住めるようになる。

ばかばかしいと思うかもしれません。

みなさんに共感してもらおうなんておもわないです。

 

当たり前だと思ったことが、全てそうではなくなった。

そして、一人で行動することができなくなった。

こういう状況にある人は、他にいるのでしょうか?

 

こんななかでも僕を支えたくれた人、その心にすごく感謝しています。

東京で幸せに暮らしているのに、心の片隅で、いつも僕のことを思ってくれた。気遣ってくれた。

ありがたくて、仕方がないのです。

この記事もそのひとたちのために書いているのです。

 

僕はうれしくてないています。

ずっとずっと悲しくて涙が止まらなかった。

 

しかし涙は終結しました。The End of tears

僕は、普通の人間に戻ります。

普通の、普通の人間に。

 

まずは・・・職探しです><

そしてブログ更新も再開します。

 

みなさんここまで読んでくれた人はありがとう!

 

【随筆】こころのなかのひかり

昨日から、その前から、ずっと前から、ずっとずっと前から

人から隔絶された生活を送っています。

もういい加減、こういうのを読み飽きたかもしれません。

何を隠そう、僕も飽きてしまいました。

全てに飽きて、呆れてしまい、もうどうすることもできないのです。

 

人から隔絶された、それは社会からの隔絶も意味するのです。

自分で、一人の意思で、街を歩いていません。

山は歩いています。街ではありません。

 

かつては自由に街を歩き回って、行きたいところにいっていた

日本、外国、好きなところに。

それは働いていたからであって、また働いて好きに動きたいのですが

結局、今の場所で働くところもなく、在宅の仕事もすべてお見送り。

 

「いちかばちか」で送った東京への会社への求職も全て全てお見送り。

 

このまま、どうしたらいいのでしょうか。

親にすがっていきていくしかないのでしょうか。

 

人が恋しいです。

かつてのように、心許し会える人と、いつでも会える環境ではなくなってしまった。

これから、街に、長野の街に引っ越したとしても

もう、誰も自分のことを知らない人だけの街で、ひとりでくらしていく。

かつてあって好きだったものは、何もない街です。

 

ピアノ練習室もない、コンサートも、ライブもあまりない。

映画館もライブハウスもコンサートホールも、あるけれども

文化程度が低くなる。

 

何を望みにして生きていけばいいのか

わかりません

 

これだけ人と隔絶された生活を送っている今

もう社会に復帰できないような気がするのです。

 

この生活で、心が腐って、ボロボロになって

 

光がみえない

 

日差しは部屋に降り注いでいるのに

 

こんな、僕をかつて仲良くしてくれたひとたちは

 

もう受け入れてくれないかもしれない

 

そして、自分が恥ずかしい人間になってしまった

 

そんな自分をみせたくない

 

でも人が恋しいです。

 

でも人が怖い。

 

みなさん、今ボクは泣いてます。

 

情けない。泣きながらブログを書いている人なんて

そんなにいないと思いますよ。

 

涙をキーボードに叩きつけるように書いてます。

 

終わりだ終わりだ。

 

僕は終わってしまった。

 

なぜ

 

見つけなきゃ

こころのなかのひかりを

 

消えてしまったひかりを

取り戻したい

 

そして生き返りたい

 

かつての自分は死んでしまった

 

今はもうゾンビのようだけれども

 

自覚ができているだけマシだと思う。

 

そうだ、俺はゾンビ

 

究極に隔絶された哀れな男。

 

静寂なる傍観者達へ。

 

ありがとう

soundcloud.com