- アーティスト: キリンジ
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2003/09/26
- メディア: CD
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好きなユニット。キリンジ。堀込兄弟。弟は脱退して、今は6人組バンド。
このアルバムは2003年リリースされた。
キリンジ。
その洗練されすぎたサウンド、深すぎる歌詞、そして普通すぎるルックスのアンサンブルが功を奏さなかったのか、奏したのかはわからないが、とりあえず「大ヒット」をするには及ばなかった。まだバンドは続いているので、未来はあるかもしれない。
なぜキリンジの音楽がそれほど受け入れられなかったのか、よくわからない。
万人に対して、訴えかけるものがなかったのか。
例えばこのアルバム、「For Beautiful Human Life」
ポップな曲も悲しい曲も、楽しい曲も、いろんな曲が入ってる。
兄の歌唱力は本物で、山下達郎を彷彿とさせるが、どことなく憂鬱さが漂う。
「なんとなく残念かもしれない大人」なんて言葉が頭に浮かぶ。しかし、曲は上質なのである。特にこのアルバムの1曲め「奴のシャツ」の歌詞に注目してほしい。
「奴のシャツ」(作詞作曲:堀込高樹)
残念ながらYoutubeにはコピー以外無いみたいだ。
Apple musicならほとんどのアルバムが入ってるから皆んな入ればいいのにと思うけど、みんな音楽にお金かけたくないから聴かないかもしれない。歌詞だけでもいい。読んでみてほしい。
「ボタンを掛け違えたまま 大人になるのは辛い」
この歌を聞いたとき、この部分が強く心に残った。
実はボタンをよく掛け違えて出かけてしまい、人に言われて直す、ということがよくあるからだ。
「あはは、ごめんね」とかいいつつ、「いっつもやっちゃうんだよな なんでなんだろう」ボタンを全部外し、付け直す。
ほんとうにこんなことばかりの人生だった。ボタンを掛け違えるどころか、靴を右左間違えて会社まで行ったこともあった。
これは、僕のことを歌っているのか?監視してるのか?俺の苗字が高木だからか?堀込高樹さん!答えて!
だいたい「奴のシャツ」って何なんだ。お前が来てる服か?俺が来ているシャツか?
だいたい「奴」ってそもそも誰なんだ!
「奴」は歌詞の中で散々な目に合う
金曜日:姪に歯医者で「ボタンを掛け違えたまま大人になるのは嫌ね」と言われる
親父の通夜:「遺産があればしばらくしのげる」とか考える→叔父に「深刻さが足らないお前には」「ボタンを掛け違えたまま年をとるのは恥ずべきことだ」と絡まれる。
そして最後、これが謎を極める。「野郎」が例の言葉をつぶやく。
これを自分の解釈で説明できればいいのだけれど、その答えは深い迷宮に入って見つけることができない。掛け違えたボタンにまた気づかずに、外出してしまう。
もう父も死ぬ年かもしれない年だ。このままでいいのか。よくない。どうしたら?
この曲に関して、極めて興味深い考察をしているブログがあったので紹介します。
画像を一応リンクをつけましたが、無段で引用してしましました。
(引用:癒し系ペット・カイコ様より引用
そして、僕の中の答えがこのブログにも書いてありました
なぜ、ボタンをかけちがえたまま、外出するのか。
「姿見」とはなんなのか。
「奴のシャツ」はとはなんなのかは
書かれていませんがでしたが、「自分自身のシャツ」と気付きました。
よかった。全部解決!
ボタンを掛け違えたまま、おじさん(40)になった僕。
ボタンを掛け違えてなくても、「どこかボタンを掛け違えているかもしれない」と相手が思うかもしれない。
「ボタンは掛け違えてるように見えますか?見えないですよね?」
僕は相手にそう問いかけよう。
「高木さんどうしたの」ともし聞かれたら
「ボタンをねー掛け違えたまま、おじさんになっちゃたんですよ!」
と言おう。
しかしこのアルバムにはもう1曲、猛烈に好きな曲があるので続いてそちらをレビューします
愛のCoda(作詞作曲:堀込高樹)
なぜこの曲が好きなのか。
まず、とってもさみしい曲だから。
歌詞がすごくさみしいです。
「ちょっと悲しい自分をアッピールしようかな」と友人で行ったカラオケで歌ってみたのですが、メロディラインが複雑すぎて、全く歌えず、「不様な塗り絵」のようになってしまいました。
メロディはやたらハネるのです。しかも16分音符で構成された音列がビミョーに早くて遅いテンポで続き、まともなひとなら、わけがわからなくなります、
演奏しているひとも凄いと思います。この簡単そうだけどやっぱり難しいと思われる曲をいとも簡単にこなしています。
そしてそのメロディとともに、悲しみのフレーズがちりばめられていきます。
「不様な塗り絵のような人生が 花びらに染まっていたあの夏」
「今はただ春をやり過ごすだけさ 地の果てで」
今は、冬ですが、僕は地の果てにいます。
不様な塗り絵のような人生を送ってます。
孤独で孤独で漫画みたいです。
漫画みたいな人生です。
「キリンジみたいな」人生に憧れてますが大雪の山の中で
朝を待ってます。
でも、この曲を聴いていた東京の時も、同じように「孤独」を感じていました。
僕は孤独だったんでしょうか。
大崎。
なぜかこの曲を聴くと大崎を思い出します。
大崎駅。北口と南口。
南口は改札口が出入り口と直結している。
陸橋で左と右にわかれる。
僕が働いていた街。
大好きだった街。
そこでいつもこの曲を聴いていた。
そして、思い出した。
僕はこの曲、「愛のcoda」意識した「大崎止まりの恋」という曲を作ったことを。
「大崎止まり」がなんなのか。山手線ユーザーだったらわかるだろう。
山手線はまる1週するはずなのに、「大崎止まり」だと降りて乗り換えなくてはいけない。品川はすごそこなのに。
気づかないひとはずっと乗り続ける。寝てるひと、ほんとうに知らないひと。外国人観光客など。
気づいているひとは、みんな電車を降りて向かいのホームで待つ。
駅員が起こしたり、案内をする場合がほとんどだけど、一度そのまま電車が走りだしたひとがいた。
あの人はどうなったんだろう。
僕は大崎で降りて毎日仕事場に通っていて、その後に品川に仕事場が変わった。
そして「大崎止まり」の洗礼をうけることになる。
みんな降りていく。
みんな、自分を置いて降りていく。
なぜか毎日「大崎止まり」の山手線に乗っていた。
習慣になっていたからだ。
大崎止まりを望んでいたわけではない。
近いのに。歩いていけるのに。
時には遅延して、待たされて、
焦って、やがてくる。。
それが毎日続く。
恋なんてそんなもんだ。
と思って「大崎止まりの恋」を作ったんだった。
今は山奥。大崎が懐かしくて死にそうです。
「愛のcoda」を聴いて、大崎だなんて堀込高樹さんは思いもつかないだろう。
仕方がない。とりあえずこの曲、そしてこのアルバムは最高だ。
みんな聴いてみてください。
ここまで読んでくれてありがとう