成功者、人はどんなに成功をしても、悩むことはあるのかな、というのがこの曲の印象でした。
この曲を初めて聴いたのは、リアルタイムの時ではなく、少し経ってからでした。
小山田圭吾が、この曲のライブを香港のイベントで見て、ボーカルの音がどんどん高くなっていくのに衝撃を受けた、みたいな事を言っていたのを雑誌でみたからです。
時は、1999年頃だったと思います。ちょうど小室哲哉のブームが一段落したころ、だったとも思います。
公私をともにしていたパートナーの華原朋美が、明らかにおかしくなってしまった頃、正直小室プロデュースの末期のころは、まさに末期、としか言い様が無いひどい曲ばかり、でした。でももっと「ひどかった」のは、彼女が復帰で出したシングル「as a person」です。自ら作詞したその詩には、ただただ未練と、輝かしすぎる過去への疑問とまだ消えない心の中の煌めきが残っている、そんな曲でした。
彼はひどい人なんだ、と僕は思っていました。当然だと思います。一人の人間を駄目にしてしまった。
でも、そんな彼の状況も変わってしまいました。
浜崎あゆみが2000年にリリースした「Duty」という曲に、こういう歌詞がありました。
確かにひとつの時代が終わった時を 僕はこの目で見たんだ
だけど次が自分の番だってことは
知りたくなかったんだ
急速すぎる音楽シーンの流れの中を奔走している人たちが、その戸惑いを曲にして、それが沢山の人たちに、今よりも沢山の人たちに聴かれているような時代があった。
それは豊かなことだと思います。個人的な音楽ができているからです。あくまで、コマーシャルなものとして通用するもので、自分たちの本当の気持ちを表現しようとしていた、人たちがいた。
そして「faces places」の歌詞は、小室哲哉の人生そのままを表したものです。
・1970年:大阪万博
・1981年:SPEEDWAYに加入し、僕のプロが始まったとき
・1984年:TM NETWORKデビュー
・1994年:TMN(TM NETWORK)終了。自分のプロデュースワークの始まり
・1997年:精神的なスイッチングの年(モデルプレス記事より引用)
これだけを見ると、「ふうんなんだそうなんだ」と思うかもしれません。
彼がどんな人生を歩んだのかなんて、正直興味はあまりないけれども、具体的に何年に何があったか、ということをこの曲と共に、綴られると、他人事だとは思えないのです。
年代に添って、彼にはいろんな事が起こりました。成功をした、有名になった、自分のグループもブレイクした。有名なアイドルに曲も提供した。その先は、考えてもしないような更なる大成功を収めた。戸惑ってもしまわないくらいに。
この曲は、年代に添って、どんどんどんどん、自分の居場所をひたすらに探してしまっている曲のように思えました。
いちいち年代をつけることができないくらいのことが、起こってしまった。良い事も悪いことも。
「FACES PLACES」が作られたのは、globeの2枚目のアルバムです。1枚目は、未曾有の大ヒットになった。自分がやりたいことをやるために、自分のグループをまた作った。それもとてつもなく売れてしまった。
もう、これ以上はない。と思っていたのかもしれません。
この曲は、低いテンションとキーのボーカルから始まり、だんだんと悲痛なまでに上昇をし、頂点までに、その苦しみが大きくなります。
何をそんなに苦しんでいるんだろう??贅沢すぎる悩みなのではないか?と思っていました。
成功者の気持ちなんて、一般人には理解できない。
のに、この曲の入ったアルバムも、当然に大ヒットした。顔の見えない人たちが、自分の曲を聴いてくれた。
でもLooking for the faces.Looking for the places.
どこにも顔も、場所も見つからない。なんて。成功者だからこそ思うのでしょうか?
そして、実際にその通りになってしまった。
彼からしたら、端金にすぎないであろう5億円という問題で、名を汚してしまった。
そして哀しい事も起こった。愛妻が病気になってしまった。そして彼自身も。
keikoの見た目は変わらない、普通のように見える、でも高次機能障害を持ってしまい、今は少女のよう。だけど「顔」は変わらない。まだ家という場所にいる。どこにもいくことができないから。
引退の理由は「探し続けていた場所と顔」が見つかったからなのかな?と思いました。
僕の妄想です。
おわり。