この間、4月に上田映劇で2日に3本の映画を見ました!
もう一ヶ月の時間が経ってしまいました⚡ちょっと遅いのですが、書きたいなと思ったので、書きますね!
この3つの映画をみるまで、僕は映画のブランクがありました。。昨年ここで「カメラを止めるな!」を観て以来だったのです。ちょっと悲しいですね。あんなにさんざんに映画を見続けたのに、という気持ちもありましたが、素直に映画を鑑賞しました!
まず一日目に観た「山<モンテ>」です。
巨匠 アミール・ナデリ監督による、イタリアで撮影された映画!僕はまったく知らない監督と作品でした。暗い山が写るポスターを観て、なんか見たくないなあと正直思ったくらい、でした。山、山、山。僕のブログでは時にに山🌋が攻撃対象になっていました。そうなのです。山にたいしての映画。どんなんだろう。
この映画の予告編の動画を貼りましたが、この予告編と本編では印象が違いました。絵はそのままですが、この本編では、台詞というものが、この予告編に出ている場面以降、ほとんど無いに等しいのです。そしてBGMも無し。何かを盛り立てて演出をする必要がない、映画なんだなと感じました。
暗い山の絵はそのままに、険しい岩山に住み続けて、貧しい生活を送る家族の悲惨な模様が描かれていきます。美しくもなんともないです。中世イタリアがテーマなので、街の場での建物の美しさなどはありましたが、そこで主人公たちは、街の住人に激しい差別を受けます。時には暴力も。仕方がないです。主人公たちは、とても汚れた体と衣服だからです。でも、そこの市場の片隅で、痩せた土地からできた、根っこのようなものを売ろうとしたりするのです。生活のために。もちろん売れません。「こんなもの売れないわ」なんて言われたりします。
でも、山で生きようとします。娘がなくなってもそこに生きて、仲間がいなくなってもそこで生きようとします。主人公の妻もそれを支えようとします。なぜだろう。
その答えのようなもの。は、ありません。なかったと思います。
BGMや効果音はなく、あるとしたら、ずっと「山の音」が流れていました。実際のものかはわかりませんが、山の音はずっとながれていました。山の音と言われても皆さんはわからないかもしれません。僕は山に住んでいたのでよくわかります。山の音。
そんな生活の中で、奥さんの髪飾りを街で売ろうとしたところ、盗品だと疑われてしまい、騒動の中、一家は別れてしまいます。主人公は家に戻れたのですが。
そこで、男はある行動にでます。叫び声と共に、巨大な岩山に向けて、 長い斧を打ち付けます。どうぜんビクともしません。岩のかけらすら出ない。でも、それをずっと繰り返します。ウワー!ガーン ウワー!ガーン それがずっと続きました。
何分続いたのかはわかりません。この間、セリフもBGMもありません。ウワー!ガーン!だけ、でした。
そのうちに、奥さんが戻ってきて、彼を黙って、助けます。特に何も言わなかったしそれ以外しなかった。時おり水を差し出したり、ウワー!ガーンを見つめていたりしました。
そのうちに、いなくなった息子も戻ってきました。そして息子も岩の破壊に加わりました。なぜそうしたのかはわかりませんでした。
そして、ずっとこのシーンが続きました。いつまで続くんだろう。
反復表現という手法なのかな、なんて考えました。 それほど詳しくはないのですが、ある一定の動作を反復することによる表現方法を用いて、なにかを伝えたいのかな、なんて考えました。そしてあることに気づきました。自分はこんな映画を観たのは初めてだったということです。そしてそのような体験が、上田映劇で何回もあったということにも気づきました。
映画のラストは、岩山の崩壊にて、終わります。それが何を意味するのか。エンドロールも全くの無音のまま終わりました。
この後に監督の上映後のトークショーがありました。この映画についても話して、映画は尊敬をしている黒澤明に影響をされた、本当は日本で撮影をしたかったけど、ロケ地がなかった。ダイナマイトが使えなかった、ということでイタリアでの撮影になった。ということを話していました。にこにこしていて、良い感じのお方でした。イラン人は親日なんですよね。
質問コーナーがありました。僕は「山岳信仰」についての影響があったのかなどを聞きたいなと思ったのですが、うまくまとまらずにやめました。まだ頭が動いてなかったからかもしれないです。
このような映画はおそらく、万人には理解はされないでしょう。エンターテイメントとして楽しめるものではないと思います。しかしベネチア国際映画祭にて賞を取ったりもしたのです。評価はされています。僕はこの映画はすごく楽しめました!「勘を取り戻した。。。」なんて思ってしまいました。
「マチルド、翼を広げ」
少女と母、そして小さなフクロウが織りなす色彩豊かで宝物のような物語。
予告編にはこのような解説がされています。僕がこの映画を見た印象とは異なるものでした。確かに、色彩が豊かです。フランス映画なので、細部に渡る美をこだわりが感じられました。美しい部屋、装飾、家具、衣装。
それはフランスというもののパブリック・イメージなのですが、もうひとつのフランスの顔というものもあります。それは狂気です。僕は少しフレンチポップスを聴いたりするのですが、日本で知名度が無いけれどもフランスでは大物のMylene Farmarを聴くと、フランスというところの狂気も十分に感じられます。この映画もそうです。
変わったはみだしものの女の子マチルドと、そのお母さんとしゃべるフクロウの物語。のほほんとしたカワイイ雰囲気の映画かと思いきや、違いました。
マチルドは映画の中では言われることはありませんでしたが、行動を見ると、ADHDの子なんだと思います。突発的な衝動が抑えきれない、クリスマスに母親が来なかったから、部屋を破壊する、カーテンに火を付けたりする。
でも勉強はできる。そして人には誤解されてしまう。だから友達がいない。
母親は、突然ウエディングドレスを買って、そのまま着て、ひとりで街へ繰り出して、すごく楽しそうだったり、地下鉄に乗ったりします。クリスマスの日に、なぜか電車に乗って、お金もないままに、どこかに行って、発見されて、家に返されたり。
母親は、これも僕の偏見かもしれませんが、統合失調症なのだと思います。やがて病院に入れられてしまいました。
しかし、そういう事は、映画の中で詳しく語られることはありませんでした。あくまで二人の様子を移していただけです。ノエミ・ルヴォウスキー監督が伝えたかったことは「こういう人たちもいるよ」ということなんだと思います。実際、これは自伝的な映画だということです。ラストは成長をした娘と、母親で陽光の中降り注ぐ雨の中で、踊りをして終わりました。雨に反射した光がたくさん広がって美しい場面でした。
それにしても、主演のマチルド役の女の子の演技はすごいです。ドキュメンタリーなのかと思わせるほどです。子役は子役の演技をしているよう、と常日頃思ってしまっています。日本の子役にです。また、セリフ回しも一々に洗練されており、言葉の妙に酔いました。これは翻訳の功だと思われます。フランス、あこがれるなーーと思いました!
また、一番に印象的だった場面は、マチルドが学芸会のようなところで、一人で歌を歌うのですが、その曲は僕が大好きなフランスの作曲家フランシス・プーランクのLa 「Reine de coeur」(ハートの女王)でした!
高らかに清らかに、そして悲しげなメロディを歌うマチルドに母親が矢も盾もたまらずに、舞台に駆け寄り、寄り添う場面です。フランシス・プーランクだなんて。フランスでは有名なのでしょうか?しかもこの曲。センスが良いですよね。僕はプーランクの曲だとはわかりましたが、この曲だというのは、思い出せませんでした。更にその後、生徒たちがこの歌を合唱で歌いだしたのです。途中でカットアウトされましたが。フランスってすごいなあーやっぱりうらやましいと思いました!!
世界一と言われた映画館
映画評論家・淀川長治さんが「世界一」と評した映画館グリーン・ハウスについての証言を集めたトリビュートフィルム。大杉漣さんがナレーションを務めた。
実は、この映画を見ないで東京に帰ろうと思っていたのですが、昨日の「モンテ」上映中のノイズ混入に対しての謝罪として、サービス券を頂いて、「マチルド、翼を広げ」を見られたので、これも見ようと思った、というのと上田映劇の支配人 長岡俊平くんさんが、トークショーの中でこの映画のことを、とても称していたので、見たくなりました。この上田映劇で上映されてよかったと仰っていました。
佐藤 広一監督による、山形県酒田市にかつてあった、伝説の映画館「グリーンハウス」に関する、ドキュメンタリー映画です。 監督はこの前の日に舞台挨拶で上田映劇に来ていらっしゃいました。
「グリーンハウス」は洋画を中心に昭和の時代、酒田市の文化の中心であった、先鋭的な映画館だった。本物の花で飾られた幕下、豪華なビロード張りの椅子、フロントにはバーテンダーがいる喫茶店のような場所があり、珈琲の香りがいつも漂っていた。斬新な小規模のシネマ、そして東京の上映に負けないような洋画の質と、公開の早さなど、評判の映画館となり映画評論家 淀川長治に「世界一の映画館」という評を受けた。
しかし、1976年の酒田大火の火元となってしまった。「酒田大火」は海からの風が要因となり、燃え広がって酒田市の繁華街などの市街地をすべて焼き尽くしてしまった。死者は一人も出なかった。
このようないきさつがあったということ。僕は「グリーンハウス」の事は知りませんでしたが、酒田大火の事は、Wikipediaで見て知っていました。
その火元がグリーンハウスという映画館だったということ。
それだけ、この映画が言いたいことはそれだけではありませんでした。
当時のグリーンハウスを知る、働いていた人たちによる証言が続きました。当時の資料はもうあまり残っていないということもあると思うのですが、実際にそこにいた人たちによる熱のこもったインタビューをきいていると、自分の中にグリーンハウスの風景ができあがったくるようでした。
そして、この映画が言いたいこと。
グリーンハウスが火元となったことで、その後、酒田市に映画館が作られることはなかった。文化そのものが、途絶えてしまったように感じている。やがてシネマコンプレックスが出来たけれども、そこに人は映画だけを見にいくだけではなく、映画以外の何かを求めて行っている。それは1976年のグリーンハウスがやっていたこと。先駆けだった。地方の映画館がこの先、シネマコンプレックスに対抗するためには、もっとやれることがある。グリーンハウスには、そこに行くだけでも、満足をさせるような演出がされていた。
このような事を感じました。地方の映画館のみならず、映画館自体、シネマコンプレックスも今、よくない状況なんだと思います。ネットでテレビで映画を見ること。お手軽に見られてしまいます。月々定額で見放題です。レンタル屋ももう縮小傾向にあります。
しかし、東京にはたくさんたくさん小さな映画館があることも事実です。それは東京だから、いや各地方にも小さな映画館、古い映画館はまだ残っています。
この映画を上田映劇で見られたこと、とても良かったと思います。その意味がありました。うまく言えませんが、支配人さんとも、上映が終わったあとに、その感想を分かち合えました!嬉しかった。
この日の次の上映は、「まく子」が上映されていました。草彅剛などが出演していることもあってか、お客さんが結構来ていました。良かったです。そのまま、またねと挨拶をして、僕は東京に帰りました。
映画のブランクがあったことは、素直に良くないことと思い、もっと上田映劇に行くようにします!がんばれ!上田映劇!!