ピチカート・ファイヴの「陽の当たる大通り」この曲ほど、聴く人によって解釈が分かれる曲、それも極端に分かれる曲は珍しい。明るくて楽しげな曲には違いはない。どう聴いてもそう思うのだろう。そう思うようにこの曲は作られている事に疑いはない。
「死ぬ前にたった一度だけでいい、思いきり笑ってみたい」という歌い出しからして、ハッピーなオーラに満ちあふれている、と感じる人がほとんどなのだろう。
上記のYouTubeのコメントもほとんどがそのような内容でついている。当たり前だ。
歌詞というものは残酷だ。時として聴く人に想像の余地を与えないものだから。
このサウンドにメロディに野宮真貴の歌声で、歌われたらそう思うのが普通なのだ。
しかし、「死ぬ前にたった一度だけでいい」という歌い出しに、後にもずっと繋がっている。「死ぬ前にたった一度だけでいい 思い切り愛されたい」という、ありきたりな事から続いていく願望が、鮮やかな街の風景と共に描かがれていく。
それは「思い切り愛されている」人しか叶えられないような、願望が続いていくのだけれども、これは死ぬ前にたったの一度も叶えられていない人の歌なんだ、と気がついてしまう。
これは最初の通りに「死ぬ前にたった一度だけいい」から、叶えてみたいことを表した歌なのだろう。その中で一番簡単にできそうなことが、陽の当たる大通りで思い切り笑って歩くということ。それすらもこの人は生きてきてたったの一度もできていなかった。
そして、最後は「バイバイ」と笑った感じで終わる。とても悲しい曲だ。
なんてことを、考えない人は果たしているのだろうか。
うらやましい。そんな人達がうらやましくて仕方がないです。
終わり