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さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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「ぜんぶウソ」に関するTwitterの発言についての謝罪文

主文

12月5日の深夜、時は日曜日を迎えていた丑三つ刻の近くに、わたくしmaemukiは自身のTwitter(http://twitter.com/takagin)における発言において、事実誤認に基づく断定的な発言をおこない、関係者各位に多大なるご迷惑をお掛けしたことをここに深くお詫び申し上げると同時に、以降、同様の過ちを繰り返さない事を、固く誓うとともに、何故そのような敬意に至ったのかをご説明させていただくことで、再発防止の糧とさせて頂ければ幸甚に存じます。

概況

12月5日午前1時16分、わたくし、maemukiはふとテレビをつけました。正確に言えば、わたくしはテレビを付けていたように思います。なぜならば、フィギュアスケートファンであるmaemukiはその日の19時より「フィギュアスケート グランプリファイナル 男子&女子フリー」を観戦していたのです。21時に見終わった後、普段あまりテレビを見ないわたくしは、そのまま付けたままにはすれど、ほとんど画面の中を見ていませんでした。しかし、「グランプリファイナル」はテレビ朝日の放送であり、チャンネルは「5」で(地上デジタル放送を既に導入しております)「ぜんぶウソ」は日本テレビなので「4」です。わたくしは、どこかでそのチャンネルを変えたということは、紛れも無い事実です。しかし、それらの行動は全て無意識のうちに派生し、行動としてアウトプットがされました。つまり、私は生きながらもその時間、意識の配下にはなかった、と考えられます。
 さて、ふとテレビをつけた、つけたというのは先程もご説明を申し上げましたとおり、その「ついた」というのは、わたくしの意識の中での「ついた」であり、チャンネルにて「電源」ボタンを押すという行動があったという事実ではございません。ということで「つけた」というのは詐称ではないということをご理解頂ければと存じます。世の中、何かも行動にてアウトプットされる事実だけが、物の真実ではないと私は大きな声で申し上げさせていただくことを、重ね重ねご理解を賜りますよう、お願いを申し上げます。

顛末

「ついた」テレビでは、既にその物語は始まっておりました。
 わたくしはこの「ぜんぶウソ」という番組を、今日の今日まで、昨日の今日まで、いつだかわかりませんが、その「ついた」瞬間、果ては自信の愚行に気づくまで知っておりませんでした。なんという皮肉なタイトルでしょうか。「ぜんぶウソ」とは。「ぜんぶウソ」に騙される30男をあなた様はどうお考えになるでしょうか。しかし哀れな第3者に侮蔑と鞭を喰らわす下品な人間ばかりだとは、わたくしは思いません。ぜんぶウソ にだまされる醜い三十路の男。。。もしその男の起床後の蒲団の匂いが、あなたのお母様の匂いと似ているような、長い長い時を経た肌に溜まった不潔な老廃物が、長時間うごきのない姿勢により、大量に分泌された「それ」の持ち主だとしても、あなた様、またはあなた様方は罵倒されるのでしょうか。いいや!いるはずがない!私は朝の起床後にそれらを感じるとともに、恥と感じつつ、匂いを落とすためにシャワーを浴びて、会社に行くのです。そして今日も無事に帰ってくることができました。すばらしく普遍的であり、平凡ながら力強い社会の営みを行ったのです。このような人間に、あなたは何故侮蔑の言葉を言えるのでしょうか?
 さて、話が道を逸れたことを、平身低頭にて深くお詫び申し上げます。


 頭の良い、あなた様なら、もうだいたいのことがわかってしまったでしょう。


 わたくしは「ぜんぶウソ」という番組にだまされ、今、世界中で日本ではわたくしと同じような三十路、または三十路予備軍、または人生の大先輩であられる勝間和代さん、広瀬香美さんというこの国を代表する美しいセレブレティも利用している、最強最高のコミュニケーションツール「Twitter」で、お笑い芸人の鳥居みゆき演じるヴィジュアル系バンドのロリータファッションの少女が、斉木しげる演じる親に反抗しつつ、本当の愛を知っていくという「ドラマ」をあたかも真実かのように次のようなつぶやきをWEB空間に放り投げてしまったのです。

このときのわたくしの醜さ、汚さ、人間としての浅さには何の言い逃れも許されないと、わたくしは覚悟をしております。
「うひひひ、餌だ 餌だ」
 匂い立つ生肉を見つけた獣は、涎を垂らして、一目散にそれを得ようと生肉に直走ります。その行為とわたくしの今回の行為がどう違うのか?何が違うのか?と問われましても、わたくしには言い訳のひとつも思い浮かばないという体たらくに、どんな侮蔑の言葉も許される状況であると、認めざるを得ません。
 あなたがわたくしを獣だと断定するのであれば、わたくしも認めましょう。わたくしが獣の以外の何者でもないことを。
澁澤龍彦好きには気をつけろ!」という言葉が、古本屋で働く方々の間では、重要なアテンションとして、共有がなされているという噂を聞いたことがありますが、このような事を書いたということは、もうおわかりでしょうか。わたくしは澁澤龍彦好きで、俗に言う「サブカルくん」であります。サブカルが澁澤龍彦を読むということは、ヴィジュアル系好きがディルアングレイを好むと同じくらに普通の事であります。ちなみにわたくしはディルアングレイには興味がありません。
 澁澤氏は名著「快楽主義の哲学」にてこう記しました。「人間なんて、飯食って、糞して、セックスをするだけの動物」だと。その言葉にいたく感動したわたくしは、案外その通りの人生を歩んできたのです。たとえば「嗚呼何故この時点でのミスに気づけなかったのか。1ピクセル横にズレていることに気付かなかったのか」と悔やむことがあっても「うえへへへ、人間なんて、飯食って、糞(以下略)」と思うことで、ずいぶん救われてきました。ただし、楽あれば苦あり。おそらくそのような考え方と脳みそから外部へ溢れ出る下劣な思想が、人々が私を避け、他人との距離を感じて生きるその結果になったのでしょう。
 そんな私が、匂い立つ餌に、無考慮のままに、無尽蔵の欲望の忠実に食いついたとしても、何も問題も無い、とお考えいただけないでしょうか。

再発防止に向けての対策


その後のわたくしの愚かな「つぶやき」は続きます。
流れは下から上へと、お読みください。
この浅さ、深刻なまでの浅さ、人間としての浅さ
まるで、ポンプに流れ込む汚水を目の当たりにした時のような、居心地の悪さがここにあります。
居心地の悪い、、、本当に嫌な言葉であります。しかしそもそもTwitterというところは「居心地がよくてぇ〜」「ゆるくてぇ〜」とインターネットのいろーんなところで散々に語られつくされ、「ねえ、あなたさぁ〜?Twitterが好きなんじゃなくて、Twitterやってる自分が好きなんじゃないのw」と食べかけのバナナをぷっと吹き出して、その無垢で幼い頬にぶつけてやりたくなる欲望にかられるのです。
このことから、尋常ではなこの浅さは、わたくしのせいではなく、このコミュニケーションツールのせいではないかと、勘ぐりたくなるのです。
「いつのまに私はこんなに弱くなったの」と歌ったのは鬼束ちひろですが、全く同じ心境です。
醜いタイムラインを目の当たりにし、「いつのまに、私はこんなに頭が弱くなったの・・・だろう・・テレレーレーレー」と思わず口ずさんだその心の緩さをおゆるしください。
再発防止に向けての対策、を考えつく限り申し上げるとするならば、考えがつく限りの前からその考えは見えておりまして、つまりのところ「ない」と申し上げることをご承知いただければ、幸いの通りでございます。
 なぜ「ない」のか、をご説明申し上げますと、私だって、美味しい肉が食べたい、ということです。

文章ではなく、文字である

 人間とは欲望に始まり、欲望に終わると考えております。しかし、それでは現代社会は成り立ちません。わたくしだって、先程お伝えいたしましたように、普段は現代社会に生きて、キラキラしているオフィスで「1ピクセルずれている」とか、考えておる所存であります。「まえむきさん(実際に会社でこう1度だけ呼ばれた事がある)って何か変わってますよね」なんていわれたらどうしよう、なんて考えつつも、実際は別に相手にされず、「勤怠の報告ができていませんよ」と話しかけられ「うひひ」「すみません><」「きをつけまーす」「あーコーヒーを買ってこようかな」と乾いたコミュケーションをとりつつ、理性と常識の中で生きておる心づもりでございます。
 しかし、それは抑圧であります。これでも自分を押さえに押さえ、もつれた頭の糸を取り繕うことにより、なんとかかんとか社会生活を営んでいる現状はもうご理解できると思います。そんな人間が抑圧から開放された時、何をするか。
 「抑圧からの開放」というのは、至極簡単であり、それは「休日」を表します。わたくしは土日祝休みの完全週休二日制であり、何ヶ月かに1度か2度、ここまで読んでくださったあなたなら、なんとなく理解できるであろう「大人ならではの休み」を行使することが生きがいの、つまらない人間なのです。そんな人間が抑圧から解放。。。というのは3行前に既に書きました。
 開放された人間が、美味しい肉を前にして、一体何ができるというのでしょう。その瞬間の酩酊を文章にできるのであれば、わたくしはノーベル文学賞を受賞できると考えます。できないのです。文章にできないので、文字にする。日本でタイプされたそれらは、文字であり、文章ではありません。つまり、わたくしが「ほんわかコミュケーションサービス」のTwitterにポストしているそれは、単なる文字であり、伝承や懐疑、考察などの文章にしか構築することのできないものとは、異なるわけであります。

結論

つまりのところ、わたくしの一連の「つぶやき」は単なる文字であり、文章ではなく、一切の文責を負わないということであります。あの場のコミュニケーションが価値があるものとしてやり取りをされている以上は、それらは通用しないとあなた様はお考えになるかもしれませんが、わたくしは獣であり、それらを社会常識として認識がされる前に、べろべろと舐め回し、ガツガツと口の中に入れてしまう。あなたの気持ちなど、わたくしの前にとっては、涎の垂れ先でしかないのです。ご理解をいただけましたでしょうか。


以上を持ちまして、謝罪文とさせていただきます。
このたびは誠に申し訳ありませんでした。