今日は、高橋徹也「夜に生きるもの」「ベッドタウン」発売20週年
再現ライブを吉祥寺スターパインズカフェで観ました。
行こうと思ってチケットを取ったのは先週でした。最近はめっきりライブに行くということがなくなってしまったので、思いたちチケットがまだあったので、早速予約をしました。見に行きたくても、完売の場合が多くて、思い立った時にチケットがあるということは、良いことだと思います。それはアーティストにとっては良くないことのかもしれないけど、チケット発売日に即完売ということが当たり前になってしまうと、足が遠いのてしまうのは仕方ないですよね。。
高橋徹也との、出会いは、前にブログにしたためました。
この記事を要約すると「2000年くらいに仲間と再会をして、当時にクラブで聴いていた曲を高橋徹也の新しい世界だということを知って、その後、地方の家に帰って、その曲を聴いたら、自分が歌詞の世界そのままだった」ということです。
そうです。高橋徹也も新しい世界も知りませんでした。が、知っていたという不思議なものがありました。
この日以来、僕は何度も何度も高橋徹也と「新しい世界」を聴いてしまいました。おそらく、2017年に世界で「新しい世界」を最も聴いた人ランキング1位になっているかもしれません。
そのような、この曲に対する過剰な思いをなるべく打ち消そう、打ち消したい、という目的も、今日はありました。
会場のスターパインズカフェは、行ったことがあるという記憶はありますが、何を観たのかはさっぱり覚えていません。しかし場所はわかりました。
まさに「見たことのない 見覚えのある場所」でした。歌詞にありましたね。
会場に入ると、開演前のBGMは、The Smithだけがずっと流れていました。彼はやっぱりThe Smithが好きなんだろうな、と嬉しくなりました。どことなく思いつめたような雰囲気がモリッシーと通じていると感じます。
会場にはたくさんの、おそらくは自分と同じような年代の方たちがたくさんいました。開演待ちで、本を読んでいる人なんかもおられて、知的な空気がありました。
登場した高橋徹也は、目が良くないのと後ろの方だったので、よく見えなかったけれども、「写真写りがよくない」ということは、わかりました。
そして当然なのかもしれないけど、その歌声は20年前にリリースされたCDと全く同じでした。そうしていたのかは、わかりません。
歌詞がとても聴こえてきました。それもCDと同じです。歌詞カードがなくても、何を言いたいのかがよくわかってくる。それも特徴だと思います。現実を見つめ、夢想にも向き合い、そして狂おしいほどに美しい情景を描写する。そして半音でだんだんさがっているメロディーラインも大きな特徴だと思います。だから歌うのは難しいと思います。しかし、生でも見事に歌いこなしていました。
それはお客さん達も同じ事を考えていたんだと思います。自然に彼の音楽を受けいれて、ただ楽しんでいるように見えました。不自然な統一化された動きなど、ありません。
「夜に生きるもの」は、バンド編成の音だけではなく「上モノ」が多い音源ですが、うまく再現できていたと感じました。キーボーディストのシュガービーンズ氏の手腕によるものが大きいと感じました。「夕食の後」などは圧巻そのもの。「女ごころ」は「ムード歌謡とシティ・ポップスの融合」のような雰囲気が会場とよくあっていて、面白かったです。
そして「新しい世界」この曲を待っていた、と思わないようにしました。なぜそう思ったのかわかりません。この日来ていた人たちは当時から好きだった方たちが多いからと思ったからです。
しかし、自然と口ずさんでしまいました。歌詞をもう覚えてしまっていたからです。僕は配信のみで聴いていた、歌詞サイトで歌詞はみていたけど、そんな曲は他にはありません。少なくとも、今、現代の曲では他にはないのです。
「新しい世界」に自分は確かに来られた。でもほんとうに新しい世界なのか、という葛藤もあります。そんなくだらない事を考えていたら、この曲の一番の聞き所と感じている、最後の転調が繰り返される最後の「新しい世界!」が終わった後に、まだ曲が続いているのに歓声と拍手が湧き上がったのに、僕は感動をしました。
続く「ベッドタウン」の1曲めの「テーマ」は僕がこのアルバムで一番好きな曲です。そして、MCで高橋徹也の「ベッドタウン」制作の際のエピソードも印象深かったです。
「夜に生きるもの」後に、同年の1998年にまたアルバムをリリースをすることが決まり、ここまでにもう才能を出し尽くしてしまった、そのような状態で制作をしたアルバムだったと話していました。
だから、「テーマ」はこういう歌詞だったんだなーと気づきました。
なんという朝日 俺はまた生き延びた
この後「ベッドタウン」は街をさまよい歩き、酩酊するかのような曲が続くように、僕は感じました。ライブならではのアレンジもあり、新鮮でした。
非常に親しみやすいMCも良かったです。おそらくいつもはそんなに話さないのかな?と思いましたが、どうなのでしょう。
そして、アンコールで重大なことに気づきました。
「今の曲」ということで歌った曲の時の高橋徹也の声は、この日の20年前に歌った曲と、全く別でした。つまり、20年前と今はもう違うということ。それを再現してみせたのが、今日だったんだと。僕は今日、高橋徹也のライブは初めてでした。今日見られたものは、もう最後になるかもしれないんだと、気づきました。
「新しい世界」に彼はもういるんだ、と気付かされました。
彼は、この2枚のアルバムが「目の上のたんこぶ」のように感じていたと話をして、それはもう今日でスッキリしたともありました。僕もなんだかスッキリしたような気になれました。
会場を後にして、吉祥寺の街をフラフラしました。吉祥寺は僕にとって、思い出の街だということもあり、懐かしくて、フラフラ「夜に生きるもの」をしました。
そして、素敵な喫茶店に入りました。そこで聴きました。
20年という月日は、あっという間、だったのかもしれません。でも僕には長かった。何も成し遂げられないと感じる時間だったからです。しかし、今日、わかった高橋徹也の年齢は僕とあまり変わらないということ。それは希望でもあります。だから僕も新しい世界を探すのです。新しい世界、新しい世界、新しい世界!!
おわり