さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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1階建てドトールで「かきむしり男事件」発生

思いのままに一日を過ごしすぎていると自戒します。ほんとうにダメです。

だめだと思い、一昨日は区のスポーツ施設のトレーニングルームに行き、昨日は区のスポーツ施設のプールに行ったのです。その実績に、自分なりに達成感があってしまい、今日は自堕落を極めました。極めてしまったのです。

今日、やったこと。それは東中野ポレポレに映画「さよならテレビ」を見に行ったことです。感想はたぶん後ほど><

おおよそ1週間ぶりの本格的な外出でした。街に出たのです。まず夢の街中野に行って、そこから東中野へ。早速いとおしいドトールに行きました。東中野ドトールがあるということも、事前に調べておく徹底ぶり。but東中野ドトールは忌み嫌う「2階だて狭いドトールでした。でも2階建てはまだマシな方かもしれません。

もっと忌み嫌ったのは、恵比寿駅前の4階建てドトールです。しかも階段はほとんど外でした。例え2階でも、ほとんど外階段をアイスコーヒーとミラノサンドAを持って登るなんて、狂気の沙汰だと思いませんか??そして建物がものすごく細いのです><ひどい!

ちな4階建てドトールは歌舞伎町にもあります。ああいやだ。行きませんが。

やはり「一階だけドトールがこの世の真実だといえましょう。私がいつも行く、近くではない努力が多少必要な場所にあるドトールは聖・1階だけドトールなのです。そこを見つけられた自分が誇らしくて仕方がありませんでした。そこは1階だけそして、広めでもあります。

いつもしゃがれた声の店長さんが一生懸命頑張っています。陰ながら応援をしているのです。

 

しかし、そんな平和な1階建てドトールにおいて事件があったことも報告いたします。

そこは真ん中に広い円卓があり、しっぽりと自分の時間を楽しむ人達が集っているのですが。その場所にいつものように座っている、ある男がいました。

その男は。。。新聞などをうめきながら読み漁り、何かよくわからないことをブツブツ。髪をかきむしり、粉をふいています。フケなのでしょうか。ああ不潔きわまりない。

更に、アイスコーヒーが入っていたコップを使って、何杯も何杯も下膳棚横にあるウォーターサーバーから水を汲んで飲むのです。ひっきりなしに。当然に、もよおすわけです。なので、頻繁にトイレに行きます。何度も何度も。

その席は喫煙席、この1階建てドトールは「禁煙席より喫煙席の方がかなり広い」という特徴もあるのですが、その円卓にて、ひたすらに喫煙をします。灰皿は常に吸い殻の山。それは仕方がないのですが。。

ある日、私は彼が、他の人、知り合いでは無い男性に、タバコを無心しているのを見てしまいました。男性はイヤフォンで音楽鑑賞とコーホー愉しみ中だったのに。突然話しかけて・・「タバコください」「ああ・・」結局折れたのか、たばこをあげていました。頭かきむしり男は、お金を払おうとしていたのですが確か「10円で」とか言い出した彼に「いいよいい」と当然に冷たく対応をしていました。

そのうちに、その被害男性は帰りました。「ひどいなあ」とあまりの衝撃に動けずにいると。。

頭かきむしり男がトイレ帰りの場所でずっととどまっていました。何やら、しゃがれた声の店長さんと言い合っているようでした。「!!!」

いつもセンスの良いBGM(ほんとうですよ)に邪魔もされながら、聞き耳を立てていました。

「他のお客さんに迷惑だろ」としゃがれた声が聞こえてしまいました。そうです。しゃがれ店長さんがかきむしり男に怒っているのでした!しゃがれた声で。。

しかし、かきむしり男は何やら反論をしています。こちらの方を指を差したりして。おそらく「別にあそこの人たちに迷惑かけないだろう」みたいな事だったんだと思います。「ひどい」僕はしゃがれ店長さんの所にいって、論戦に加わろうとしました。

こちとら、かつて24時間営業のセルフ式ガソリンスタンドのドトールで夜勤にてフルタイムで働いていた人間です!愛するドトールのために!!

燃え上がったドトールたましい!!

しかし、かきむしり男が席に戻ってきてしまいました。彼の荷物と山盛り灰皿と、ウォーターサーバーの水が入ったコップはまだ席にあったのです。

すると、しゃがれ店長さんが来ました。そして彼に告げました「お前は出禁だ!!」

しゃがれた声で・・ついに引導を渡したのです!!「もう何度も注意しているけど!」とも確かに言っていました。そうだったんだ。「ずっと迷惑しているんだ!クレームもたくさん来ている!」

やはりしゃがれていたけど、たしかに怒り嘆き悲しみが伝わってきました。涙・・。

そうして、まだブーブー言いながら、かきむしり男は退店しました。

 

「すごいものを見てしまった」とほうけていると。

隣にいた一人の女性が話しかけてきたのです。「あの人、ついに出禁になりましたね」

「ああ、そうですね。いつも変な人だなあと思ってました」「ほんと。ひどかった」

「なんであんなに水を飲んでるんだろうって」「ほんと、あと。。お手洗いにも」「そうですね!謎です」「あの人、他のドトールも出禁になってるんですよ」「!!!」

他のドトールも。。こんな僻地!にドトールに来るために来ていたのかなあ。。

「出禁になってよかったですね。私、このドトール好きなんですよ!」「僕もです!」

そんな話をして、再度ほっこりできました。

 

その後に、なぜかきむしり男がこの店に執着していたかを分析したのです。

かきむしり男がドトールに来る目的は

・アイスコーヒーのコップで水大量摂取

・それによるもよおし対応のためのトイレ

・喫煙席

これが叶えられる場所、そこは「1階建てドトールでしかなし得ないのです。できても、通常複数階建てドトールで喫煙席があるのは、2階以上です。またトイレも2階にあることが多いです。1階はカウンターや収納庫、バックヤードがあるので、スペースが無いのです。そして、ウォーターサーバーは下膳、つまりカウンターの横です。

なので、1階建てドトールを探し求め、最果ての地のここにたどり着いたのではないのでしょうか??

ということでした。

 

なんでこんなくだらない文章ですみません。とりあえずドトール大好き!穢すものは許さない!!終わり

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空想などではなく、瞑想に耽る事にしました。スクリャービン氏に即して。

自分の内面はこくこくどうどうと変化をし始めていて、他者を廃した生活を送ることにより、無駄な惑いに惑わさせることも無くなったことで、より自身の中にある者との対話をするようになりました。

ここまで書いて、あなた思うかもしれない。「この人ヤバい」と。

 

なんて愚かしいのだろう。ほんとうに愚かしい。しかし、わたくしは自分が愚かだとか愚かしくないとかは全く気にしないのです。

 

敬愛するロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービンの言葉にこういうものがありました。

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アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン 1872年1月6日 - 1915年4月27日

「世界は、本能的に神を求めている。わたしは世界であり、神を求めている。それは自分が追求しているものが自分自身だけだからである。」

「わたしと神の間には区別がない。したがって私は神である」

これはスクリャービンが自分自身の哲学を求めた時における、メモの中の1文です。この文章を見たときに、自分の中に激しく心臓に閃光が落ちやがて何かが崩壊していくような、風景と汚らしいどろと草に塗れた下界の風景が、見えたような気がしたのです。

神秘主義

神とは自分の中にあるようにすること。そうです。自分自身こそがほんとうの神であり、神を超えるものは、それしかないのです。

なんて素晴らしいのだろう。

 

しかし、私の中に、今、神はいません。信仰心が無いのです。

なぜだろう、ずっと疑問でした。東南アジア諸国に出向いた時に見た、熱心な仏教徒の祈りの姿を見て感慨深いものを感じもしたのに。バンコクインターコンチネンタルホテル近くにある「エラワン・プーム」という祠には、前の道を通りすがるバスの乗客でさえ、手を合わせていた。「ワイ」をしていた。あのときのあの感動。そして、疑問。い、け、な、い疑問が湧いてしまったこと。消そうとしても消せなかった気持ち。

「私こそが神だ」

冗談めいてつぶやいていた、こころの中でささやていたその言葉が真実だったなんて。そうだ。そうなんだ。

われこそがわれの神でしかない。だから信仰心がうすいのだろう。そうなのだろう。

 

まだそれを実感するまでにはいたっていないのは、長らくの唯一の自分以外の神、そして神にも相当しないモノ達からの引導によるものだろう。それらを排泄しなければならない。そして浄化をするべきなのだ。だから、瞑想が必要なのである。空想などという絵空事ではないもの。きっとそれが良いはずだ。

わたくしは瞑想をする。神として。自分自身が神であるという真実、焔に向かって。

以上。


2016PTNA特級二次 村上智則/スクリャービン:詩曲「焔に向かって」Op.72





 

 

【宣言】大場久美子は「ジャパニーズ・ラテン・ポップスの女王」です【レビュー】

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きょうここに宣言します。「大場久美子は和製ジャパニーズ・ラテン・ポップス」の女王であった!ということをです。ほんとうは「大場久美子は和製ソフトロックの女王…」と宣おうかと思ったのですが、ちょっとそれではわかりづらいかな??というのと、やはり「ラテン」であるということは外せない…と考えたので、そうしました。

 

大場久美子ことクーミン(本人はこう呼ばれたたいらしい、理由はユーミンが好きだから)との出会いは、もちろんテレビでふつうになんとなくその存在は確認をしていました。歌番組で代表曲「スプリング・サンバ」を歌っていたり、一条ゆかり大先生の名作漫画「砂の城」が原作の東海テレビ制作の昼メロのドラマに主演していたり。あれは…ちょっと演技が…という印象でした><

そして歌も…。「歌がヘタなアイドル」の代表格として有名ですよね。僕は「歌がヘタなアイドル」がとても好きなので、まずはそこから入りました。

 

ある時、YouTubeで「スプリング・サンバ」以外の曲を聴いてみたところ、まず思ったのです。

「これは・・なんて良質なラテン・アイドル・ソフトロックなのだろう」と!!ので、その曲たちを紹介しますね。

クーミン(大場久美子)のサウタージが感じられる…「エトセトラ」(1978)

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「エトセトラ」は1978年にリリースされたシングルの曲です。「コメットさん」というクーミン人気に火を付けた主演ドラマに出る前の曲です。70年代の曲なので当然に生楽器で生演奏のラテンポップスです!なんて素晴らしいのだろう。光り輝くブラスとストリングス、はじけるパーカッション。

「あなたは泣きたい日がありますか」「あなたはさびしい日がありますか」というダウナーな歌詞を明るく歌い上げるクーミンとは逆に、内向きに進行するコードがたまらないサビの箇所も最高です。ここにラテン音楽らしい「サウタージ」を感じました。「サウタージ」はポルトガル語で郷愁、憧憬、思慕、切なさなどを表す言葉です。ポルノなんとかの同名の曲よりも、クーミンの方に何倍ものサウタージを感じました。

いけない。さらっと批判めいたことを。。反省します。とにかくクーミンのラテンソフトポップ歌手としての魅力がこの曲で伝わったと思います。

和製「ディスコソウルクイーン歌姫」でもあった…クーミン。

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「ディスコ・ドリーム」も1978年に発表されたシングルの曲です。当時はおそらくディスコ文化が真っ盛りに時代だったのかもしれない。アース・ウィンド・アンド・ファイアー直伝の正統派ディスコポップがここでは炸裂しています。ああ豊かなサウンド。現代ではサブカルチャーの一端のようになってしまったディスコサウンド。このゆらめくベースに、どこか落ち着きが見えるけど、躍動感のあるドラム。いい感じにコードをなぞるワウ・ギター。そして欠かせない生のストリングスとブラス!カウベルも良い感じです。カウベルわかりますか?コンコンカンコンカカンという感じで鳴るラテンパーカッションの一種です。

クーミンのボーカルは「ディスコに行ったけどなんかついていけなかった☆」という割とアイドルの王道ともいえる歌詞を、見事に恥じらいをもって歌い上げています。

このシングルのカップリング「ミルキーウェイ」も続いてこの動画には収録されています。これも紹介します。

小沢健二「LIFE」を先に行っていた涙炸裂する名曲「ミルキーウェイ

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数年前、かなり前に「Free Soul」みたいなのがブームになりましたよね。昔のポップスから発掘して「ソウルだ」なんておしゃれなジャケットを付けてCDで出すというムーブメント。外資系CDショップで特設コーナーがあったりして。

そこでクーミンが机上に上げられることはありませんでした。この「ミルキーウェイ」は撲殺されていたのです存在を。こんなに良質なソウルポップがこの世にあるだなんて。オシャレ界の人間らは、クーミンが前述のような普通の過去の芸能人だということに目をくらまされていて、発見できなかったんだアハハハ、と初めて聴いたときに思ったのです。そして今でも思っています。そして思いました。「なんか小沢くんのLIFEに入っているみたいな曲だなー」なんて。僕は「渋谷系脳」なので許してくださいね。なんでも野球の打線で物事を判断する野球脳オヤジと同じようなものなのです。許してください。この輝かしいストリングス、ブラス。久美子も旅に出る理由があったのです。もしかして「僕らが旅に出る理由」の「僕ら」の「ら」はクーミンだったのかもしれない。深い・・・。

 "スプサン"のカップリング「ヘッドフォーン」隠れソフトロックの名曲

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クーミンといえば「スプリング・サンバ」略してプサンですが、ミーハーてきなものを関知しない根っからのサブカル気質がイタい…ことを愉しみとしている自分としては、到底受け入れられないのです。カップリングの「ヘッドフォーン」の方が何十倍も名曲だと、私は言いたいのです。イントロのスタッカートのかかったミュート・トランペット。。これはまさに「ソフトロック」なのであります。ああ血沸き肉踊るソフトロック魂!これに饗応して鳴り響くクーミンのハード・スタッカートな声…。ヘッドフォーンをしているのに「小川のせせらぎ…ふるさとの声…帰っておいでと…ささやいてますー」というよくわからないシチュエーションの歌詞がたまらない。サイケデリック!!アイドルとは矛盾があってこそ、なんだという発見があって素晴らしいですよね。考え抜かれたアレンジと演奏、70年代って素晴らしい時代だったんだなあ、と70年代産まれである自分を愛おしくなって、それも素晴らしいという感慨も正直あるのです。正直に言いました。正直に。

「フルーツ詩集」(1979) これクーミンの究極のラテン・ポップ。絶対に。

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世の中に「究極の◯◯」は数あれど、その中の真実と言ってもいいのが大場久美子の「フルーツ詩集」だろう。フルーツ詩集とはなんだろうか、と矢張り詩人の如きのconsider(深い考察)に陥ってしまう。しかし答えは歌詞の中に込められていたのです。

「2人よく来たフルーツパーラー  思い出すたび詩人になれる」

そうなのだ。この曲ではフルーツがもりだくさん。メロンにレモンにオレンジにソーダ。フルーツソーダなのだろうか。パーラーでフルーツをかじりながら、ここによく来た彼氏のことを思い返す、あの時。フルーツのような2人だったのにー、もう無くなってしまった、そんな私は詩人なのかもしれないな!だからフルーツ詩集…♪という曲なんだろう。この哀しいのに無責任なまでに陽気なサウンド。どこまでも輝くブラスサウンドにコンガ、ボンゴが強く主張をする。これは…MPB??なのかもしれない。MPBはこの頃にもう発祥していたはずだ。そう。大場久美子ガル・コスタ、いやエレス・レジーナ?まさかアストラッド・ジルベルト???違うか・・

違うとわかったけれども、クーミンがブラジル音楽などではくくれない、ロックの禁断の領域にも踏み込んでいたことも、紹介しておく。

クーミンの「ビートルズのカバー」は神の領域。本家を超えている件…

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ジョン・レノン氏はファンを名乗る男性に打った兇弾に倒れ、没しました。時は1980年。偉大なアーティストの死に世界中が嘆き悲しみ、早逝を偲びました。

大場久美子の「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」のカバーは奇しくもその約1年前、大場久美子のコンサートのために企画をされた「クミコ・アンソロジー」の中に収録をされた曲です。

ほんとうに愚かしいことこの上なく汗顔の至りなのですが、私はビートルズさんに取って重要なターニングポイントとなってこの曲を聴いたことがなく、クーミンのバージョンで"初聴き"だったのです。

はじめてクミコサージェント・ペパーズを聴いた時は、世の中にこんな音楽があったんだ!ほんとに夢を見るかなのようなゴージャスで弾けるような豊かなサウンド…。目まぐるしくリズムとテンポが変化をして、「これからどんなコンサートがはじまるのだろう」という、もう過去になってしまったコンサートを夢想をしたり、できました。

原曲の名残が残っているのは、前半だけです。それも「さあよおこそここへ!いっしょにたのしいコンサートを!」と野太いコーラスが加わって…原曲破壊も良いところ、なのかもしれない。「よくクーミンはころされなかっt」なんて思ってしまったことも、正直に申し上げます。真に平身低頭にてお詫びをいたします。

しかし、中盤のハイテンポに変わって目まぐるしく広がるクミコワールド、まさに日本で勝手な位置づけをされてしまったワールドミュージックの類そのものです。革新極まりない!!完成されきったコーラスワークと、クーミンの素朴な音程との対比。。まさにアートです。これぞ「ワールドミュージック」の醍醐味といえるのかもしれません!なんて深いんだろう。クーミンはまだ生きている。懐メロ番組で歌うのはやはり「スプサン」またはドラマ「コメットさん」の主題歌「キラキラ星あげる」に限定されてしまうのです。そしてこれが収録された「Kumikoアンソロジー」を最後にして、歌手を廃業しました。その後ちょっと復活したのですが。

そうです。廃業、死。70年代も終わってしまった。時代は流れる。なんて…素晴らしいんだろう。改めて、クーミンは「ジャパニーズ・ラテン・ポップスの女王」です!!

King Gnu「The hole」四の五の言わずにKing Gnuのこのライブ動画を見てください

四の五の言わずにKing Gnuのこのライブ動画を見てください。

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これが「KING SHOW」に似てるな、なんて思ってはいけません><

 

まず、出だしからピアノの耽美的で技巧的なフレーズ…。この曲は「Sympa」というアルバムに入っている曲で、このフレーズはそこには無いです。そして始まるフレーズはサビと同じフレーズです。後から出てくるものだとわかるのが楽しいな、という発見がありました。

この曲は、とても悲しい曲です。哀しい曲。だから好きになったというわけではありません。言葉には出来ない、比類の無い美しさがこの曲にあります。やるせなさ、どうしようもない状況が、人間の間には存在してしまう。タイトルの「The hole」はそのとおりに「穴」の事です。開いてしまった穴を埋めたいけど、そこは埋めることがどうしてもできない。

ここではその「穴」が何かということを、明示していません。詩人だったら当然そうします。この詞と曲、編曲、そしてこの曲ではピアノを弾いているのは、ギターの常田大希です。長野県伊那市出身。実はここで大きな興味を持ったのですが。更に、東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻を中退していた人でもあった。そこでも大きな興味を持ってしまいました。

この流れだと、やはり同じ長野県伊那市出身のボーカル井口理についても触れなければいけませんよね。彼は東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業した人です。彼のボーカルが他のJロック邦ロックらの人たちとは別物だと感じた理由がわかりました。

彼のファルセットボイス、ミックスボイスは極めて特殊です。その境をはっきりさせていないのです。声楽を専攻するということは、歌を唄うということの根本から勉強をするものではないかと思います。僕は声楽を学んだわけではないのですが。東京芸術大学に入るくらいだから、その時点でもう基本は出来ていたのかもしれません。ファルセットにある意味に騙されてしまって、普通に聞こえてしまっているかもしれないですが、よくよく聴いたらすごいことを彼、井口理はやっています。

「The hole」は常人が歌いこなせることはできない曲です。でもサラと歌っている。それがこの曲にはとても重要なことなのだと感じています。どこでもありそうな悲しみ、でも実はとても大きい穴になって、人の心の疎通を阻害してしまう。何よりも美しい声だと感じました。今までにない声だと思います。強烈さは感じられないけど、不思議な魅力があります。何度でも聴きたくなる、その都度に。

 

トラックも非常に素晴らしい。途中で入ってくるストリングもさりげなく美しくそして、とても哀しいこの曲を盛り上げています。相反するような音像が存在しているということです。そして大げさすぎる飾り立てもなく、曲は終わります。ストリングスが悲しいリフレインを残して、ピアノで出だしにフレーズが途切れるのを待つように終わっていきます。

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この曲のプロモーションビデオも強烈ですね。この内容について言及するのは止めておきます。いろいろな解釈をここからするのは、僕には向いていないです。ただ、この曲だけを聴いていたいかなと思いました。

 

このバンドに2人東京芸術大学関係者いることを書きました。やはり彼らの高いクオリティの因としてそれは大きいと思います。それはパッと聞きではわからないかもしれない。

まず、東京芸大のみならず、音楽学科出身ということは、入試の段階で、聴音や楽典、新曲視唱(譜面を初見で歌う)もあるはずです。国立だから当然他の学科もあります。それだけで凄いのです。また音楽学科には、全教科(邦楽はわからないけど)において、ピアノの試験もあります。常田井口氏が鍵盤も弾けるのは、当たり前のことなのです。

そして、今日ここで名前を上げなかったベース、ドラムのメンバーも相応の経験を積んできた人達であり、すばらしい演奏者でもあります。一流のクリエイターが揃っているということです。つまり、ポッと出かもしれませんが、下地はあった。基礎があるということです。音楽素人ではない、深い知識を持っている人達。やはり憧れます><

King Gnuはまだ新規(Vけいみたい)なのですが、いろいろ良い曲がたくさんありました。また書くかもしれません。おわり

 

【レビュー】Matt / 「予想もつかないStory」父性と「Mattのうた」

白い幻想。その中から表れたもの。人はそれを妖精と呼ぶのかもしれない。

 

しかし、それは定義ができないもの、実在しないものとしての「代わり」として位置づけをされてしまうことなのかもしれない。いずれにしても、定形にあてはめようとする、愚かしい非情なまでに愚かしい、実世界に佇むしか術の無い、私たちには仕方がない事でありながらも、悲しい「実」でもある。

Matt氏も、そのようなものの中の一つのSuite(組曲のこと)になっていたこと、を猛省する私が今、ここにいる事を報告するべきであると気がついた。

その誤ちの猛省となったきっかけは、彼のデビューシングルである「予想もつかないStory」を聴いた時からなの、かもしれない。少し語尾がくるっているのは、その瞬間の心の動揺を引きずったままだから。まだ動機も止まない。句読点をつけたのもやっとのこと。鈍っているこの判断力を!落ち着かせるためだと、言い聞かせている。

 

人は、いくつもの声を持つものだという事を教えてくれたんだ。

この当たり前ようなことの発見したことへの感激に咽びつつ、この心が込められた、ように聞こえたSongを聴いていた。

Matt.

It's Heavenly...

私は白い靄(もや)の中に、いつのまにか佇んでいた。佇んでいたというより、連れてこれらたのかもしれない。もしかしたら、本当に天国の中にいるのかもしれない。

Mattの声の中を泳いでいると、不思議な感覚に包まれている自分に気づいた。これはなんだろう。やさしい包み込むような低音と、ファルセット。ほんとうに天使のようなファルセット。「Nativeか」と思わせる程のネイティブな英語の発音に、酔いしれていた。やさしい気持ち、強いきもち。強い気持ち・強い愛。。

この気持ち、もしかして、これが「父性」か?Mattと父。とくればもちろん思い浮かんだのは「桑田真澄氏」である。くわた、ますみ。真澄。。

むくつけき元プロ野球選手というイメージだが、実早稲田大学大学院スポーツ科学研究科を首席と修了をしたという、インテリジェンスの持ち主だということ。つまり、知性の塊。それがMattというある意味での芸術的な結合物を産み出したんだ!!

そうだそうなんだ。己の拳を強く握った。ドン!鈍い音を立てて机が鳴った。

 

・・・その萌芽を感じていたことも、告白しよう。

それはMattが歌番組で「Mattさんがピアノ初披露〜」というコールが喧伝された時のことだった。Mattは一流ミュージカル俳優の伴奏ピアノを努めていた。私はMaurizio Polliniを少し嗜む程度のピアノの知識しか無いのだが、そのような問題ではなかった。

Mattの姿勢。まるであやつり人形のように、正しく伸びていた。下を向いている様子を見せなかった。おそらく、天性の何かが転生しているのだろう。それに違いない!そのような彼であるからして、この「予想もつかないStory」もこのような出来になったんだ。そうに違いないんだ。

拳をほどいた。目から何かが溢れていた。決して涙ではない。決して。予想外ではあった。予想外のものがたり、だった。

終わり