さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
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スマートニュースとはてなブックマークのアルバイトを書類でお祈りされました(◞‸◟)

今日は悲しいニュースです(◞‸◟)

先週に応募をしたスマートニュースとはてなブックマーク在宅ワークアルバイトを書類選考でお祈りされた、落ちてしまいました。。

スマートニュースさんはコンテンツの内容を監視する、ニュースを見てよくないものかどうかを判断する仕事でした。

自分はWEBのニュースの経験が2社であります。計3年くらいなので、長くはないのですが、この仕事は求人自体が稀なのです。つまり経験者自体が少ないのです。なのでイケるかなと思ったのです。ぜったいに…純粋にお役に立てるかと存じます

だったのに、、送ってからすぐに落とされたような気がします。

もしかしたら、、年齢制限に引っかかったのでは?20代、30代中心に活躍する職場さんなのかもしれません。もちろん入った指導役、上司の人は30代でしょう。

嫌ですよね。40代半ばの中途半端に経験のあるだけのオヤジが入ってきたら。自分だったら採らないと思います><書類だけ。年齢だけを見てサヨウナラされても仕方ないです。日本とはそのような国なのです仕方ない。。

はてなブックマークさんは、はてなユーザー18年だとアピールしてしまいました。。それが良くなかったのだと思います。㈱はてなの従業員平均年齢は34歳くらいだとどこかで見ました。18年前からはてなidを登録した老齢の人間なんていらないのでしょう。

maemuki.hatenablog.com

はてな社さんとはこんな思い出もありました。当時はたらいていた株式会社mixi(まだイーマーキュリー社のころだったかも?)で、同僚のつながりではてなの中の人たちとPerfume縛りのカラオケをしたのです。2006年かそれくらいの頃だったと思います。かなり前です><はてなの人たちはほんとうに良い人達ばかりでした。はてなの中の人と一緒にCali≠gariの「発狂ちゃんねる」を歌ったりしました。その方は好きだというより、Cali≠gari好きな友達のつながりで知っていただけでしたが。楽しかった。。

まあ在宅ワークアルバイトなので、今や京都にいるカラオケにいた方たちとは、関わることは無いのだろうけど

 

ほんとうのことをいうと、給料はどちらも高くなかった。それでも良かったのです。

生活が苦しいということは無いけど、ギリギリなのです。プチ散財をしているということもあるけど、収入が低いのです。恥ずかしいくらいに。なんとか働きたかった。自分のやっていたこと、好きなことで働けたらどんなに良いことなのだろう。ほんの少しでも自分の人生を豊かにしかたかったのです。

そんなささやかな思いも打ち砕かれました。

面接すらしてくれなかった。何の思いも伝えられなかった。そして貴意に添えなかった。テンプレートの落選文章で、終わってしまう。悲しいですね。

チクショー!!

【レビュー】竹宏治(清水宏次朗)「舞・舞・舞」これぞ隠れた昭和の若者文化の象徴!

 


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清水宏次朗という80年代から活躍をしている俳優そして歌手がいて、その方が清水宏次朗という本名でデビューする前に竹宏治という名前でデビューしていた、というのを知ったのは、自分がとても面白くて好きなホームページ、昔のアイドルについてミョウに詳しいページで知りました。

その時はこのジャケットがなんかすごいなと思ったくらいなのですが

いや改めてみると素晴らしいジャケットです。この色使い…これがまさに清水いや竹宏治が活躍きていた、竹の子族的な配色なのでしょう。メイクもしていて…扇情的!素敵ですよね。

そして既出の動画を発見した時、とても感動しました。

忌まわしい平成ナイズドされた「かっこいい昭和」の姿なんて、ここには一ミリも無かったからです。そうです。これが真の昭和なのです。1981年。まさに昭和がこれから弾ける時!もう完全に戦後は終わった時代!

清水宏次朗は高校生当時は竹の子族の一員であり、代々木公園で踊っていたところスカウトされたとのこと。この時は17歳というヤング!でした。

竹の子族出身の芸能人といえば、故・沖田浩之さんがいますよね。沖田さんは前年に涙モノの名曲「E気持ち」で華々しくデビューをして、すぐにブレイクをしました。まさに時代は竹の子!

 

その後に続け!ということだったのかもしれません。プロデュースをしたのは「ブティック竹の子」の大竹竹則さん。このお店で売っている服から着想を得たのが竹の子族の原点だった、つまり真の竹の子エリートだったのですね。なので芸名にも竹を付けてます竹・竹・竹です!

注目したのは、清水、いや竹さんの歌声です。中低音が中心の渋い声。そして当たりが強いです。「あっ」とか「おお」とかを力を込めてなにかが破裂しそう…かっこいいですねよね。

「行きたーいところへ」の「たぁぁ」とかの声の抜き方もすごい。またBメロの「うーつーくーしい」の「うぅーつぅーくぅー」という歌い方、とても17歳とは思えない。この後のアーティスト活動の布石がここで見えますよね👏

この衣装も、今にしてみたらちょっと…かもしれない。しかし当時はこれが最先端。新世代ニュージェネレーションだったのです!そして今も続く原宿カルチャーの走りだったのですよね。

ちなみに「ブティック竹の子」はまだまだ営業中です。素晴らしい!

goo.gl

残念ながらこの曲はヒットしなかったようです。竹宏治としては後にシングル一枚、アルバム1枚を出して活動停止に。その後は、本名にて活動をして、1985年に映画「ビー・バップ・ハイスクール」の主演に抜擢されて、仲村トオルとのコンビが受けて大ヒット。本名で歌手デビューも果たし、活躍しています。

 

 

ビー・バップ・ハイスクール」は言わずとしれたヤンキー高校生漫画でした。

が、清水さんはあまりそっち方面には興味はなかった、そして映画の時にはもう21歳でした。オーディションは「ビー・バップ」の事もよく知らず、先生役なのかな?と思って受けたそうです。ちなみに仲村トオルも同じ感じだったよう。しかし二人とも役に上手くハマってしまって、映画も大当たり。面白いですよね!さすが昭和!

 

ということで、清水いや…竹宏治「舞・舞・舞」は隠れた昭和の若者文化の象徴だと思います!昭和最高!

悲しいことはあったけど、今の自分は平和

最近はまあまあ仕事もやりつつ、あとはなんとなく暮らしています。やはり暑い日の夜は心地よく、遅くまでやっている銭湯にも行ったりしています。いつも行くそこは清春湯。そうです清春の湯です。由来はわからないけど…

 

ここの男風呂だけにある露天風呂がほんとうに好きなのです。小さいほとんど正方形の風呂に、ほとんど外は見えない、空だけがなんとか露天感を感じさせてくれるのですが、お湯が40℃に保たれていて温くていいのです。ずっと浸かって呆けて…ああ最高。

ほんとうに平和です平和。ありがたいですよね。悲しいこと、安倍晋三さんが銃殺されてしまったことは悲しいことですが、とりあえず今の自分は平和なんだな有り難いと思いました。

平和ではありますが、緊縮財政発動中ということもあり、現金をあまり持たないようにしています。銭湯代は約500円。ロッカーに100円、入れて返ってくるもの。それしか現金がなかったので、返ってきた100円と10円いくばかを足して牛乳を買って飲みました。おいしい牛乳。家ではあまり飲まないけど、やはりお風呂上がりはおいしい。

ああ、平和。申し訳ないくらいに。ささやかだけど。

 

帰り道、ここは家から全く近くなくて、自転車でないと来られません。しかし暑い日の夜の心地良さに思わず「ルルールー」「ララロロ」と心の中で口ずさみました。このララロロは平和の証なのです。

「最近はララロンしてなかったな」

とも気が付きました。毎日ララロンだった時もあったのに。愚かしいな。やはり家だとララロンできないのです。全く楽しくない!もっと外に出たいなと。思いました。

この先はまた雨が降ったりするかもしれない。もっと家でも楽しくできるようにしないという課題も見つかりました。平和な課題!

こんなにある本棚の林真理子コーナーの本でも読み返そうかな!?

ちなみにこの中でお気に入りは「真理子の夢は夜ひらく」です。真理子の妄想が夜にひらきまくりの短編妄想小説集です!気が向いたらレビューしますね><

おわり

Giri Giri☆GIRLS「キスミー・トーキョー」無くなったものがたくさん!


www.youtube.com

上半期によく観た聴いた動画について素直に嘘をつかずに書くことにしました。

まずはギリギリガールズ「キスミー・トーキョー」です。この曲は1993年に発表されたセカンドシングル。作詞は売野雅勇 作曲は鈴木キサブローという豪華メンツによるものです。

ギリギリガールズについては名前は知っていましたが、この曲は知りませんでした。無駄な時間を過ごそうとYouTubeを徘徊していた時に見つけた曲です。

ギリギリガールズはいわゆるセクシーアイドルグループ界において、御大CCガールズの次くらいのランクだったのだと思います。セクシーの殿堂番組「スーパージョッキー」でよく観たような気がしました。解散後にメンバーの1人がプライベートのスキャンダルで名前が出ることのほうが多いのだと思われます><

 

徘徊をしつつ気に止まったのは、セクシーアイドルというものが今の世からもっとも程遠いものになってしまったということです。つまらない世の中。なぜ女を武器にしてのしあがることが無くなってしまったのか。ひたすら求められるのは処女性だけ。女の子はみんな仲良くしていつも笑顔でルンルンルン。だなんてことはこの世にはないのです。いや、女性というものを安易にくくっては失礼ですよね。

なので、あえて人間に対してみんなそうだと言いたいのです。みんながいっつも仲良くルンルンルンなんてことは無いでしょう?男女も男間もそして女間でも同じです。

なんだか熱くなりました…セクシーアイドルグループは、決して男に媚びている感じはしないと思うのです。あくまで自分を利用してここからなんとか。だから私を見て!という感じだったのだと思われます。それは…清純集団アイドルでも同じでしょう。同じなのです。アイドルといものは形が違っても同じ。だから、セクシーアイドルグループも今の世に居ても良いと思うのです。

 

「キスミー・トーキョー」は前述の通りに一流のクリエイターが参加した曲です。作詞の売野雅勇は…wikipediaを見ていただければよくわかるのですが、一番わかり易いのは「チェッカーズのヒット曲をすべて作詞をした人」です。わかりやすいでしょう?他にもたくさんヒット曲を生み出した人です。あと中森明菜の「少女A」「十戒」など。カルロストシキ%オメガトライブアクアマリンのままでいて」などなど。

「キスミートーキョー」の歌詞もすばらしい。「麻布十番へふらり 暗闇坂を下れば 誰もが今夜は粋な腰つきして見えて」「飯倉界隈歩き ここがさよなら坂よと 純情なキスにしどと酔って口軽娘」などと、当時の浮かれた…バブルのころ港区の風景が浮かぶような気がします…。しかしこの曲が出た1993年はもうバブル崩壊後だったような。。

 

でも…バブルを忘れられない女だったのかもしれません。。この曲の歌詞は悲しげな雰囲気が漂っているのです。「まだ…あの夜が忘れないの」と暗闇坂や飯倉あたりをぶらつく女!素敵だなあ〜

売野雅勇先生はラ・ムーの大好きな曲「青山KILLER物語」も作詞しておられます。あの曲も悲しい…青山通りを歩いてビルボード(看板のこと)に映る夕日を見て二人の愛はもう戻らないかも でも一度だけ好きだと言って…という歌詞でした。バブルの悲哀!それすらも憧れるバブル退廃バブルです嗚呼。

そして作曲の鈴木キサブロー。この方は中森明菜の「Desire-情熱-」を作曲したお方です。レコード大賞受賞曲!もちろんその他にもたくさんヒット曲がある御方です。

この曲もギリギリガールズに歌わせる前提で作曲の依頼が来たのだと思われます。かなり歌いやすいメロディーですよね。音域も狭く跳躍の幅も広くない。サビのメロディーも覚えやすいです。それが功を奏したのか、歌番組などでもギリギリガールズ がちゃんと歌えています。いや結構上手いかもしれない。

↑上の動画は音楽祭での歌唱のようですが、ちゃんと歌えてますよね。今の比べると振り付けも簡素、というかこれくらいで僕はぜんぜんゼンゼン良いのですけどね。なぜ今のアイドルは全力ダンスなのでしょうか?さっぱりわからない。SPEEDみたいな感じだったらわかるけど、アレより歌も劣るし><この程度で良いのになと思いませんか?

閑話休題です。あともう一つ、ギリギリガールズはセクシーアイドルグループだけあり、みなさんスタイルがとても良いですよね。メイクも衣装もキレイ。指名がたくさん入りそう…だなんて言ってはいけないですよね>< でも高級だということです。あんまり他にはいない感じ。会いにいくにも高そうだなんて言ってはダメですよね><

そのそんな猥雑さも必要だと思うのです。グループ名からそうだし、あとこの曲は「ギルガメッシュないと」の挿入歌だったようですし。ああそんな低俗番組もなくなりましたね><

この曲には、今に無くなってしまったものがたくさんあるのです。当時はいろいろ安かった、言い方は悪いけどそうだったものが、今になっては愛しいものに変わった。それがキスミー・トーキョーなのです。終わり

バブルは無理でもセクシーアイドルをもう一度!

 

【現実め】暑さで空想が はかどりません…

ここのところの暑さで体調が崩れることは特にないけど、肝心の空想がはかどらないのです。困りました。

寒さで空想がはかどらないということは特にはないのです。それは…極限の寒さの中で暮らしていたからでしょう。極限というのは大げさかもしれないけど。

しかし、山の中の木造一戸建て、古い建物。エアコン無し、石油ストーブだけ。石油も尽きる。給油は油は寒いところに貯蔵し地獄。そして真冬。雪も大雪が降ったりした。食料は限定的。買いにいけない。ガスもなし。電気はあり。しかしアンペアが低いのかすぐヒューズが飛ぶ!湯を沸かすのは電気かカセットコンロ。カセットコンロなのでカセットが尽きる場合もあり。そして1人。助けもない。

 

こんな状況において暮らしていたのです。まさにこれぞ極限の寒さと言えましょう。

当然、普通のさむさなんて平気なはずなのです。

 

さてなぜ暑さの中で肝心の空想がはかどらず、「空想の片手間に生活をする」ということが、なし得ていないのか。わからないのです。それだけまだ修行が必要なのかもしれない。

しかし上記のような寒さ修行のごときのことは味わいたくないのです。快楽的な中で生きていきたいのです。嗚呼まよっています。どうしたらいいのだろう。

 

幸い、来週からは落ち着き曇りか雨でふつうの暑さになりそうです。この狼狽も限定的なものになるのでしょう。過ぎたるは及ばざるが如し。ここで「凶悪的な暑さ」に関する空想を深めて一つの物語を考えてみるのもいいかもしれない。

僕ってなんて前向きなのだろう。みなさんも見習ってくださいね🔥

終わり

短かった春が恋しい…