さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


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【Cornelius】ファンタズマ 「僕ら」は果たして「フリッパーズ」になりたかったのか

 

FANTASMA

FANTASMA

 

 先日の旧友との再会は、僕にとって大きなものだった。それもそうだ。ついこの間まで山奥の別荘で一人で暮らしていて、孤独で頭がおかしくなりそうな生活だった。その事はもう、忘れよう。忘れようとしていたわけではないけど、そのことを忘れようとしていることを、忘れられた。

でも、それは一瞬だった。しかし今は山奥ではないけれども。山の麓。もう冬の気配がやってきている。あの哀しい冬がまたやってくるんだ。確実に。

 

だから、というわけではないけれども、あの日、あの日の楽しい会話で出てきた一枚を紹介したい。

コーネリアスの「ファンタズマ」97年にリリースされた、コーネリアスのセカンドアルバム。この当時、僕は「バンド活動」をはじめたばかりの頃だった。

新宿にある「御苑スタジオ」によく行っていて、この「ファンタズマ」も、新宿にあったヴァージン・メガストアで買った覚えがある。もう無くなってしまったヴァージン・メガストア。偶然にも、そこでKing of Luxembourgで知られるSimon Turnerがインストアイベントか何なのか、店内でノイズを発していた。King of Luxembourgは、その当時名前すら知らなかったけれども、「el」というレーベルに昔参加をしていて、そのレーベルのコンピレーション・アルバム「London Pavilion」は名盤だということを、後に知って聴いた。

 

そのように、自分の中の音楽の世界が急激にどんどんどんどん広がっていった。そんな時期だった。

そんな時期に「ファンタズマ」はリリースされた。

 

誰もが口にしていたわけではないと思うけれども、「僕ら」の間でこのアルバムを買わなかった人はいない、と断言できる。当時はもう小沢健二は「普通のJ-POP」のようにブレイクしていて、「僕ら」は醒めた目でみる対象だった。僕はそうだった。

でも、小山田くんは、特別だったような気がした。

この「ファンタズマ」を初めて聴いた時、それは僕の「新しい世界」を象徴するような出来事だったと、思う。

 

この「ファンタズマ」の初回限定盤には、なんとイヤフォンが入っていた。バイノーラル録音なので、「イヤフォンで聴いてほしい」という小山田くんの意向によるもの。

イヤフォンが箱に入っているCDなんて、後にも先にも聞いたことがない。白いイヤフォンで、オレンジのカバーが付いていた。かわいい。かわいかった。オレンジと白のカラーのジャケットによくよく合っていた。こわいほどに。

 

「小山田くん」という言い方に、吐き気と疑問を覚える人もいるかもしれない。でもそれは「僕ら」にとっては普通の呼び方だったのだから、許してほしい。

しかし、「小山田くん」「小沢くん」そう呼ぶことが特殊なことだと気づいたときに、僕は複雑な感情を持っていることに気づいた。

「僕は、フリッパーズ・ギターになりたかった、わけではないけど、フリッパーズ・ギターにはなれなかったことは、確かだ。」ということに。

この微妙でキモい考えはわかってくれる人は、少ないのかもしれない。

 

先日このブログで書いた「高橋徹也」の記事を読んだかたから、感想のメールをいただいた。「高橋徹也」の「新しい世界」への思い、思い出などを伝えてくれた。嬉しかった。しかも僕のmomusの記事から検索で来てくれた。

その後のやりとりにて、「フリッパーズがトラウマになりそうなくらい好きだった」という記述があった。トラウマ。そうだトラウマだ。彼は「さわやかトラウマ日記」を読んでくれたのだから、気を使ってくれたのかもしれない。

僕は思った。彼も「僕ら」なんだ、と。顔も知らない人だけど、同じような音楽を趣味を持っている人、長年に渡って同じようなトラウマに悩まされているような人と、このブログで気持ちを伝え合うことができた。

 

僕はそういう人と、もっと知り合いたいけど、知り合いたくもない気持ちもある。そういうシーンだった。「ムラ社会」じゃないけど「ギターポップ村」と自らを揶揄するような、そんなシーンだった。ニコニコもせず、活発でもない。もちろんそういう人たちばかりではなかったけど。

あの「シーン」はもう絶滅、はしてはいないと思うけれども、絶滅に近いと思う。後に続く「メジャー」な人がいなかった。小山田くんと小沢くんとカジくんだけ!ということも話もしたりした。

みんな、何を今やっているんだろう。裏方として音楽業界で働いている、との情報も聞いた。

 

僕はこのアルバムをこの記事をつくるにあたって、聴こうと思ったけれども、聴いていない。今更聴かなくても、頭の中でこのアルバムからあふれる光が再現できるからだ。そんなこと、おかしいのかもしれない。そして僕はコーネリアスのこの後のアルバムも、聴いていない。新しいアルバムも聴いたけど、頭に入ってこなかった。悪いわけではないけど、頭に入ってこないのです。

どうしてなんだろう。

僕は、今でも「ファンタズマ」の夢の中にいる。そう感じてしまった。あの頃に、頭の中が全て戻ってしまうのが、こわいから。

ほんとうに再現できる。史上最強にオシャレな「マイクチェック」ディズニーみたいな曲、2010年になんか全部ぶっこわれたミュージックマシーン、なんか壊れてるおとなしい轟音の曲、史上最強にオシャレなカウントシックス、どうでもいいモンキー、せつないせつないスターフルーツ、懐かしい懐かしいアップルザインステレオ、そのままフリーフォール、哀しい2010年7年前、突然のビーチ・ボーイズビーチ・ボーイズ好きだったけど、フリッパーズの影響からではないよ本当に本当に、というわけでありがとう音楽さん。

みたいな感じです。

 

先程から出ている旧友との会話にて、ある結論が出ました。というより僕がそのような話をしてそう持っていったから。

あの頃はお金はなかったけど、ほんとうに楽しかったよね?」「そうだねえ」「だねえ」なんて、軽い同意を得ることができた。僕が山奥うつ生活で、ずっと思っていたこと。心から思っていたことが、軽くでも同意を得ることができた。

僕はまた「僕ら」と出会い、そのスモール・サークル・オブ・フレンズ(これも定番の言い回しです)を広げたいのです。

 

でもだから、しつこくてすみません。僕はフリッパーズになりたかったわけではない。でも、フリッパーズになれなかったのです。しつこくてすみません。

 

おわり