さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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【昨日聴いた音楽】「TOMOVSKY」と「尾崎裕哉」

全く音楽的に違うお二方ですが、僕は確かに昨日この2人の音楽が強く心に刺さったので、ここに記します。

 

まず、TOMOVSKYさん。

カステラというバンドブームの中にいたバンドを解散して、ソロ活動を始めるにあたり「ロシア人を意識して」本名の「大木 知之」からトモフスキーに改名した人。ロシア好きなので気になります。

双子の兄は「The ピーズ」の大木温之さん。「とどめをハデにくれ」などのヤケクソ系ロック、カステラもたぶんそんな感じだったと思う。やけくそ系双子の兄弟。いいなあうらやましい。僕は姉妹とは疎遠になりそうです。

 

気になってはいた。トモフスキー。アルバムのタイトルで「ネガチョフ&ポジコフ」というのがあった。「そこまでロシアなんだ」と感心したのです。ネガチョフ、ポジコフ。「さわやかネガチョフ日記」にまた変えようかな。あ、まえむきだからポジコフかーなんて。。 

ネガチョフ&ポジコフ

ネガチョフ&ポジコフ

 

 テレビ神奈川でよく流れていたので、そこで見てはいたけどまだ作品はちゃんと聴いていない。昨日、なぜ聴いたその2曲に辿り着いたのかはよくわからない。たぶんそのタイトルに感じるものがあったのだろう。


疎遠/TOMOVSKY

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わざわざ連絡することも無いので、連絡したいけど、できない。そしてそれが「新しい疎遠」が生まれてしまうかもしれない。という曲。非常にだるい感じでそんな歌詞を切々と歌われても、ほとんど人が「ふーんそうなんだ」と思うだろうけど、突然に今までいた街を離れて、また新しい街で新しい生活が始まったばかりの人間にとっては、他人の歌とは思えない。

「いつかこんど いつかこんど いつかなんてずっとこない」

ほんとうにそうなんだ。疎遠。この曲のYoutubeに「so end...」と書かれていてハッとした。疎遠、so end ほっておいたら、so end 

でも、疎遠になっているかはどうかは、本当は自分で決めることではない。あーあ。

疎遠とは疎遠になりたい。でもどうしても身近だあ〜 

「疎遠」は「39」というアルバムに入っている。おそらくその時のトモフスキーの年齢だと思う。僕は「40 」だから、同世代の曲だと思うと、なんだか感慨深い。

みんなもう自分とは違う生活を送っている。はぐれたしまった人が、それを感じることがある年齢だと思う。

39

39

 

 

そしてもう1曲「過去のドレイだ、生きた化石だ」


TOMOVSKY 過去のドレイだ、生きた化石だ

 

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過去の奴隷。僕の今をそのまま表している。

歌詞を読んでいただければそのままの僕がわかります」とだけ書いて終わらせたいほどに、同じことを考えている。

いつも今と、いつかを比べている。

昔ながめてた未来と今を(今、高校3年間だけ住んでいた街でひとりぐらしをはじめました)

いつか吸い込んだ空気を今日のをくらべてながめている。

 

かつて知ったるけど、知らない街になってしまったその街で、迫り来る現実と対峙して、よろよろと歩く。ひたすら歩く。

「いつか見ていた未来が、ここにある今ではなかったはずなのに」

そんな自分がこの曲から浮かびます。

「ここよりスゴイ 場所をしってる これよりスゴイ夜を知ってる これよりスゴイ気持ちを知ってる 今日よりすごい 景色を知ってる」

 

残酷だけど、そのとおりのことを日々感じています。やはり素晴らしいところにいた。素晴らしい体験をした。最高の気持ちを味わった。そして、日本ではないところ、ここではない日本でも、スケールの違う景色もみた。みてしまった。みてしまった。

 

まさに、過去のドレイ。今日を生きる化石になってしまった自分。

 

どうしたらいいんだろう。

過去は消せない。過去から逃げても追ってくる。それがスゴイものだった。自分の中では。それは他人からの評価でも、伝わってくることさえある。いいことなのに、厳しい状況。

この曲の救いは「曲調が楽しげで楽観的」だということ。トモフスキーの声質もあると思う。僕なんかがこの歌詞で作曲したらドロドロでやばいことになって誰もきいてくれないと思う。だからいいなーと思いました!

 

ここで、気分を変えて、最近気になっていた「尾崎裕哉」について紹介します。


尾崎裕哉「サムデイ・スマイル」Official Music Video

彼を見たのは「ミュージック・ステーション」でした。

その日は、大人数の出演で、さらに大人数のグループが多いという状況でした。

そこに佇む彼の姿と歌はまさに「イノセントの象徴」のような存在のようにうつりました。

尾崎裕哉 - サムデイ・スマイル 歌詞 - KKBOX

 

彼の詩は、とってもまっすぐストレートド直球です。

しかし、なぜか僕のこころ、弱ったこころだからもしれませんが凄く響きました。

今は幸せではないけれど、いつか幸せになれる。いつか笑顔になれる。そう信じていこう。あまりにもわかりやすい言葉ですが、アイドルや「J-POPアーティスト」が惰性的に書いた歌詞とは違うように、僕は感じてしまった。

それはもしかしたら散々彼につきまとう、「呪い」のようになってしまった存在のことがあるのかもしれない。そして、その歌詞の中で励まされている、光を失くした「僕ら」は彼と、その人に向けてのメッセージだから、と気づいたのです。

しかし、ミュージシャンとして一人で立ち向かってく彼は、どうしてもそれと対峙しなければならない。隠して、その存在がいなかったようにすることも出来たけど、それが出来ない、してはいけない、立ち向かっていって、もう無くなったその存在に向けて、強い強いメッセージを送る。顔をくしゃくしゃにして、まるで、その人のような必死な表情で。

たんなる「メッセージ・ソング」ではないのです。2人、そして2人の周りの人たちに向けて、具体的なメッセージ・ソングなんだと。

気づきました。

 

というわけで、今後も僕は過去のドレイから脱却するべく、なんとかかんとか立ち直りたいです!さらば過去><

 

【お花見文化】お花見の妄想

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(撮影まえむき 京都にひとりぶらり旅をしたときの写真です!)

 

もうすぐ春ですね。

ほらね春が来た

春なのに。

お別れですか。

 

おはようございます。さわやかまえむき日記のさわやかまえむきです。

さわやか「トラウマ」から変えたのですが、あいかわらずそのことに対して、特に何の反応もありませんでした。

「ふーんそうなんだ」という声すら聴こえてきません。「ふーんそうなんだ」というのは、僕がかつて働いていた会社の社長様のモノマネのネタなのですが、それをやることも、なくなったと、ふと思い出したのです。

「ふーんそうなんだ」深い言葉です。そして、今日のテーマは「お花見」ですが。

これに関しても、「ふーんそうなんだ」以外、特にありません。

 

春というものは、僕はとても好きな季節です。春が来て、寒い季節が終わる。

それは心の解放を意味するのです。「解放を・・・!(hyde)」

そして、花が咲き乱れます。あたたかい空気の中で、赤白黄色、そして・・桜も色づく。

 

そして人々は「花見」と称して桜の下に集います。

桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!とはおもわない人たちが(梶井基次郎の文章です)集まっているのです!桜の樹といえば、屍体。そうなのです。

 

それよりも、桜を見るというより、ブルーシートを引いて酒のんでどんちゃんさわぎ!そして「さくらーさくらーんいま〜まいおどるぅ〜」などと、森山直太朗さくら(独唱)をみんな合唱したりするような、さわやかくそまえむきな集い、それが「花見」なのです。違いますでしょうか?しょせん酒飲みのための集会なのです!

 

そのような場所に行った記憶は、もちろんあります。

僕は今や、「究極のスタンドアローン」状態ではありますが、かつては「東京のちょっと有名な企業で働いているOL的な意味でリア充というか平凡なOL的な男」だったのです!当然花見とか、パーテーとかにも行ったことがあります。

しかし、「会社の花見」には行った記憶はありません!断った記憶ならあります。

ただし「二子玉川ちかくの多摩川河川敷での豚の丸焼きパーテー」には行った記憶があります!オシャレでしょう?うっとり・・・

今や、長野の上田城でお堀の鯉を毎日一人で眺めるまいにち・・。田舎で孤独・・。

 

「一般的な花見」が嫌いな理由は、まず集団行動であるこということです。

知っている人との集団行動も基本的に苦手なのですが、次から次へと、知らない人がやってくると、恐怖。恐怖です。

(例:知らない知り合いの知り合いの男性との会話)

「んちわー オオヤマです」

「(誰だろう?あいさつしておこう)こんにちわ!まえむきです!」

「あーどうもー(なんだこいつぱっとしねーな)」

「あ、あの今日はどなたに誘われてききたのですか?」

「ジェイジェイに誘われて。あ、自分ネットシンクのものです(こいつ情弱っぽいから知らないだろうな)」

「ジェイジェイくんとはいつも仕事してました。ネットシンクのオオヤマさん。よろしくおねがいします(全然知らない会社だ・・・でも悪いから知ってるふりしなきゃ)」

「まえむきさんは会社で何やってるんですか?企画ですか開発ですか」

「・・・どっちもともいえないのですが・・(QAなんて知らないだろうな・・)」

「あ、自分トイレ行ってきます。」

「はい」

「ジェイジェイ、なんだよあいつ、まえむきとかいうの、お前の会社変なやつばっかりだな。イメージと違うと思うよ。」

「そんなことないよ。うちの会社、昔CAに「11階の秋葉原」って言われてたし、問題ないよ。」

「お前の会社の受付の美人の子が来てたからそこに移動しよう」

「俺もいくわ」

 

 

(みんないなくなっちゃった・・・。さくら、きれいだな・・)

 

https://www.instagram.com/p/BQ0Si75D8Wy/

 

こんなことが、あるかもしれません・・・

うつですね・・・

行きたくない!

 

とうぜん、知らない人と出会えること、それが花見、知人との花見の醍醐味ともいえるかもしれません。が、

知っている人と話すのは得意なのですが、知らない人と話すのが、あまり得意ではないのです!くつうです!

ただ、「知らない男性たち」は特に苦手ですが、「知らない女性たち」は結構得意かもしれません。

(例:知らない女性たちとの花見での会話)

「はじめまして、まえむきです」

「はじめまして。まえむきさん、わたしえみかです。こちらはよしこです。同じ会社でふたりともデザインやってますー」

「デザインなんですね。デザインの人ってオシャレで可愛い人多いですよね。二人ともかわいいです。」(これで余裕だな・・)

「わあーお上手ですね!」

「本気で言ってますか?」

「よしこ、よしなよ〜たぶん、本気じゃないとはおもうけど。。。」

「本気ですよ!僕はいつだって本気でマジでピュアなんです」

「ピュア!」「マジもピュアもそんなことばひさびさー」

「僕もそうですよ。さいきんピュアなんて言葉マジつかってないです。和久井映見のドラマ以来です。」(ちょっと古かったかな)

「あったあった覚えてるーっていうか小学生のころだったかも。あんまり覚えてない」

「よしこちゃん、若いんだね。私中学生だったかも。。。そういえばまえむきさんはおいくつなんですか」

「18歳なんです。こころはまだ処女です」

「!」

「本気でいってますか?」

「えみか、、まえむきさんはピュアだから・・。まえむきさんはピュア」

「(まえむきうなずいて)ところでみなさん、桜でも、見ませんか?」

「そうでしたね。今日は花見だったーー」

「実は、わたしえみかとよしこと、その他もろもろで”やけざけおとめだコノヤロー会”っていうのをやっているんです。まえむきさんも参加されませんか?まえむきさんは確か男性だと思いますが、残念ながら乙女的であるとお見受けしましたので参加していただきたいです。やけばちに中目黒で開催しています」

「中目黒!それはそれは・・・参加します」

「さすが、中目黒に反応するなんて」

「はい。友人が中目黒に住んでいたので、家にいくついでに花見の季節なので見に行ったら、中目黒で桜を見たい人たちが集結していて、ものすごい数の人たちが、わざわざ埼玉県や千葉県から中目黒に集結していたんです。東急は神奈川に繋っているのに」

副都心線乗り継ぎで埼玉、しかも東武東上線ともつながるようになりました。つまり中目黒は埼玉とひとしい、というのが私達の考えです」

(まえむき:なんだかすごい人達だな・・坂戸とか東松山以北の人たちなんだろうな・・僕はふじみ野に住んでたから、ちょっと彼女らより格が上なのかもれない・・)

「ありがとう。よしこ。説明してくれて。まえむきさん、その点についても中目黒で話し合いましょう」

「わ、わかりました」

 こんな楽しい異性達のふれあいもしたいのです。なぜ僕は異性と気が合うのでしょうか。

基本的に異性はみんな「意識が低い」人が多いという認識です。それは失礼かもしれません。「意識が高い」女性の人は、女子に嫌われる傾向があると、過去に体験したからです。

そして「意識の低い男性」は、誰にでも嫌われがちですが、「意識の低い女性」は、好きではないけど、相手をしてくれます。

 

花見とは関係なくなってきました。

 

花見とはおとなの世界だけではありません。子供も、そして老人も参加します。

こども。こども。

実は、僕こどもが大好きなのです。子供がいたこともあります。

それは妄想なのですが・・・息子、ディール・サジタリウスは死んでしまいました。ディッセルドルフの外れにあるサナトリウムで・・

は、やめましょう。最近、大島弓子の読みすぎで、頭が完全に少女化しているのです。

そして、「子供と仲良くしたい」という気持ちはいつもあるのです。その近づきの手段として「花見」は最適です。

こどもは「外」が大好きで、もちろん「桜」も大好き。純粋に花見だけを楽しむのです。穢れた酒なんて液体(僕は酒が飲めません)を口にしたりしない、おこにあるかもしれないおかしには興味はあるかもしれない。僕もおかしだいすきー

 

こどもと触れ合う機会があって、「子供と仲良く出来る方法」を編み出しました。

それは、「自分が子供と同化する」ということです。もちろん、それは言葉だけではありません。すべてをすべてを子供と同化、同レベルの人間になるのです。

赤ちゃん様でしたらお口を開けてわあわあと言って両手を上げて何かをやっていたら、自分もそれをやれば、気にしてくれます。もし笑ってくれたなら、成功です。

しかし、引きも重要です。その喜びを持続できるのかできないかのか、見極めが大事なのです。おそらくその引き際を知っているのは母親です。母親が仲良しの人だったら、そっと「ソフトな拒絶」を遠回しにしてくれます。こちらもそれを察知してパッと引きます。

でも、赤ちゃんから離れていても、顔が見えていればまたチャンスがあるのです。

顔を見て、目を合わせることができたら、そのまま、口と頬を動かすのです。あとはおめめをパチパチ、そしておめめパチパチと口ぐにゅぐにゅ。これの合わせ技。

これで赤様は喜んでくれます。

 

そして赤様との「会話」もできます。「ばあばあ」といったら、ちょっと違った様子で「ばあばあ」と自分もいうのです。そしたらまた違う「ばあばあ」が返ってくる。返って来ない、そして「泣き出し」の可能性も・・・そしたら引くのです。

あとは「動きの同調」もあります。よくわからない動作を赤様がしたら、同じ動きをするのです!そしたら、なんらかの反応をしめしてくれます。

また、最終的に「体験の同調」ができると良いと思います。たとえば「ママに怒られて泣く」のです。まえむき「ママーおかしたべたいよお〜わーん!」赤さま「うえええ〜」母親「・・・」

その時真の友情が目覚めます!

 

でも、実際におこさまと触れ合える機会はありません。

ショッピングモールのフードコートで遠くから見守るだけ。

目をあわせようと、母親様にみつからないように、ひたすらスキを探して・・・。あやしい。あやしいおじさん!それは「気をつけて」の対象「知らないおじさん」なのです。こんなにやさしいおじさんなのに。「知らないおじさん」は敵なのです。

 

そして子供らにとって僕が「知っているおじさん」であっても、親に敵認定されると、会えません。

そんなことを体験してしまって、またうつです〜(T_T)

本格的にはなしがそれました。「おこさまとはなみがしたい」というのが言いたかったことです!

 

このブログもそろそろ引かないといけません。

しかし、サクラの季節はこれから。

ということで次回(次ブログではありません)の桜シリーズは「サクラ」の話を書こうとおもいます。

 

終わり!

 

【テレビの感想】ドラマ「カルテット」最終回 感想 やっぱりカルテットが好き

 

みなさんこんばんわ。

カルテットの最終回を書くためだけに、ブログを復活させました。

嘘です。もちろん嘘です。いままでも、このブログでは嘘ばかりついてました。

しかし、住んでいるところが軽井沢。ではなく隣のところ。

そして、「別荘」に住んでいたこと。

そして、無職であること。これは事実でした。

 

しかし「無職」以外の事実からは離れてしまったのです。

そしたらまあなんでしょう。ひとり離れて、軽井沢からはすごく近いようで遠い、でも高級な手段を使えばあっという間という複雑な場所でひとりで、今日、カルテットの10話、最終話を見たのです。

今日、私の新しい家にインターネットがつながったのも、なんかの縁だったのかもしれません。

 

本日の演目に、私は満足しました。

最近の「カルテット」はほんとうにほんとうに、本筋から離れた「終わったドラマ」の追憶のような。音楽でいえば、モーツァルト亡き後に弟子たちが未完だった「レクイエム」を勝手に補足して楽章作った、その楽章だけを聴いているような。ああ。なんだかクラシックマニアのような事を言ってしまって恥ずかしいです。ようするに、「近い、というかそのものには違いないのだけれどもどかしー」ということです。

 

そして、なぜ今日満足したかというと、「4人」の出番が多かったからです。余分なものは前回で抹殺されましたね。ありすとか!また出てきたけど。

そして演奏シーンもありました。それは、僕が予想していた「軽井沢大賀ホール」で行われました。

 

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 ここの夜景は本当にうつくしくて、しかし当日は寒くて立つことすら辛かったのです。

今年の3月上旬ごろは、さぞかし寒かったでしょう。その会場をソールドアウトをするために俗物達を利用して、彼は集結し、そして彼らは去っていった。そして俗物達が去ったあとに「ドラゴンクエスト」の序曲を演奏するという、わかりやすいオチ。いいんです。いいんです。それでいいんです。

 

僕は前2回を見るたびに、過去のあるドラマを思い出してました。

それは、昔、90年代に放送されていた「やっぱり猫が好き」というドラマです。

この「カルテット」にも出演しているもたいまさこ室井滋小林聡美、「恩田三姉妹」が、彼女たちが住む家の中だけで繰り広げられるコメディ、というにはあまりに愛らしすぎる、そんなドラマでした。ドラマでもないかもしれない。実際には三谷幸喜が係わっていたので、もちろん脚本があってのことだと思います。

それは自然に繰り広げられ、三姉妹が会話をしているかのようなのですが、会話ではなくて、セリフなんだ。と当然ながら気づいて、それは3姉妹の女優としての才能、スタッフの才能があるからだと。

 

「カルテット」の4人だけ、あの別荘での会話でも、それが感じられて、それが楽しかった。リラックスした世吹さんのファッションの可愛さ、家森さんのオレンジのラインが入った青のジャージ。そして、意味がありそうで、絶対なかったと判明した、数々の伏線などない、「ほめやかし」すべてがオトナの掟だったのです!!きづきました!

そういうところも含めて「カルテット」と「やっぱり猫が好き」は共通点がある、状況的なものだけではなくて、類似したものだと、私は思います。

 

ひとつだけ気になるのが、「手紙」の主です。

5年前に聴いた「カルテット・ドーナツ・ホール」の演奏を酷評し、あなたたちの演奏と存在が煙突の煙のようだ。煙なのに、なぜ音楽をやるのか。なぜ生きているのか。人間なのか。それに対する答えは明示されることはなく、終わったように思いましたが、その主の「なぜですか」の言葉が繰り返されたのが、頭から離れません。

 

なぜやめないのか

なぜつづけるのか

 

個人的に、耳に痛い言葉です。

そう言われたことはないのですが、そういう場所に行ったことがないからかもしれません。カルテットのメンバーはそこに行こうとした。

 

というわけで最終話は僕の「やっぱり猫が好きでカルテットも好き」な難解な欲望だ満たされました。

「死と乙女」も少しわかり易すぎましたが、鬼気迫る真紀さんと世吹さんの表情には感じさせるものがありました。「彼女は死んだ」「乙女は死んだ」「もう誰も生きていない」

 

そしてエンディングのテーマ「おとなの掟」が車の中でのリップシンクで再現されました。この曲でリップシンクをしたのは、PVではありましたが、それ以外では初めてです。「そう人生は長い 世界は広い 自由を手にした僕らは グレー」という歌詞の意味が、わかったような気がします。海を4人で「カルテットドーナツホール・カー」にのって、巡業先へ向かいます。彼らは自由を手にした。

それは幸福かもしれない、そして不幸になるかもしれない。

 

「カルテット」はどうしても、どうしても、自分の状況に当てはめて見てしまいました。だからあまり客観的な印象でないから、離開できないかもしれない。

それでも「そんな人」がいたんだ。ということを分かっていただけたら、届いた!届いてほしいのです!

 

あー

Youtubeで「やっぱり猫が好き」を見て、寝ます!

終わり!

 

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再生の朝

rocklyric.jp

この目に映るもの 留まることなく

僕の目の前を通り過ぎて

いつか見たものは 消えてしまうから

目を閉じた

 

何も残らない

何も残したくない

今日は僕の、そしてこのブログの「再生の朝」でした。

人格ラヂオの「証拠」は、新宿の中古屋に売ってしまって、もうありません。

mp3音源も・・・。

そして人格ラヂオも、もう・・・。くだらない理由で・・。

 

新しい家に引越しをしたのは、もう1週間くらい前ですが、家のネットが繋がったのが、今日でした。なので、「再生の朝」です。

ネットは再生しましたが、肝心の僕はまだ再生していません。

 

社会人的な価値が無くなってしまったこと。

まだ、過去のことが忘れられないこと。

それでもすべてを断ち切りたいということも、考えている。

どうしようも無い、人間です。

 

こんなどうしようもない自分から、ブログがなくなったら、本当にただのクズです。

それに気づきました。

そして、もう自分にはなくすものが何もないから、怖がる必要など無い。

たとえ、本名で検索して、ここが引っかかっても、問題ないのです。

 

ただ、このブログにプライベートなことを書くのはやめにします。

このブログは、「文化」について。自分の好きなものについて書くところにします。

しかし、やはり文化にはその人の精神性がつきまとうもので、少しおかしなものを書いてしまうかもしれません。が、尊敬する大槻ケンヂ様が「キチガイが物を書いたり、音楽をやったりすることこそ価値がある」と仰っていたので、「そうなんだ。じゃあ僕もありのままの自分を書いてしまおう」と思ったのです。

あくまで、文化においてです。

 

僕のクローゼットな日常は、愛しいけどもう誰もアクセスしていない墓場のようなSNSですが、そこだけではなく、内省的(ねむいだるいつらいながのしね等)な日記は他で始めますね。

 

ネットが繋がったので、いろいろ可能性が広がりました。

おピアノ(名前『東京で自費で買った電子P』)とMac Book Pro(名前:Piter Pinkcoat)を駆使して、音源を作ったり。

ただし、マイクもなく、ソフトもガレージバンドだけというアレな環境なので、それをなんとかするために、やはり仕事です。

仕事仕事仕事!お金お金お金!

あーあ

最近「あーあ」とよく心の中でつぶやきます。

ほんとうに「あーあ」と思うようなことばかり。

あーあ、グチはやめようといったのに。あーあ。

 

今日は雨ですが、傘がありません。

「傘がないけど、濡れていけばいいや♪ 雨は冷たいけど〜濡れていたいの〜(森高千里様の超名曲『雨』です)

今日は、止みそうなにないです。

外に出ても、、ずぶ濡れ、、、ずぶ濡れのこころが更に、、、濡れて濡れて。。今、、、心が・・・。

みたいにどうしてもなっちゃいます(>_<)

 

求職活動のついでにまたブログをガンガン更新しますのでよろしくお願いします。

 

おわり

 

 

【僕の原点】いつか、彼のように気高い音楽をやりたい THE DIVINE COMEDY

今日はこの「山」でのぼくの最後の夜になるかもしれません。

そして明日は違う家で、新しい生活が始まるのです。

それを記念して、ここ数日、ずっと書きたかったことを書きます。

 

僕の誇りは汚されて、いつしか地に落ち、光が見えず、血に迷う毎日でした。

 

しかし、最近久々に彼の音楽を聴いて、忘れていた熱い気持ちが心に蘇ってきました。

それは、momusでも同じでしたが、彼はそれよりも、深く深く入り込んできました。

彼の名は、The Divine Comey ニール・ハノンという北アイルランド出身の英国人の一人ユニット。

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麗しき英国の紳士ニール・ハノン公。僕からは遠い遠い、神のような存在に感じる人。ちなみに父親は牧師なので貴族階級ではない。

しかし、彼の音楽こそ、その存在こそ、貴族的であり、そこが魅力なのです。

 

彼は、日本では殆ど人気が無いと思う。

90年代のアルバム「Casanova」はソニーレコードから日本版が出ていた。それを僕は買った。

 

Casanova

Casanova

 

 おそらく、これが出会いのアルバムだったと思う。

なぜ、最初に聴いたのか、きっけかはわからないが、この時は「クラシック音楽と、ロックが融合された音楽はないか」と探していた時期だった。そういうものはどうしてもメタルかプログレにたどり着いてしまう。

そんな中で、彼に出会ったのだと思う。momusの時と同じように「僕の音楽だ」と思ったのだ。

 

日本で人気がないニール・ハノン 

彼の音楽が好きだ、という人に実際出会うことは殆どなかった。ネット上においても。だからこのブログには書かなかった。

みんなディヴァイン・コメディなんて好きじゃないだろう、と思っていたから。

そして、非常に驚いたことに、日本に「The Divine comedy」のwikipediaは無い。

もちろん、ダンテの「神曲」のページはある。

 

誰も作ろうとしなかったのだ。誰も彼に対してそれほどの愛着を持たなかった。

おお!哀れなニール・ハノン。日本で愛されない、ニール・ハノン。レディオヘッドの100万分の1くらいの知名度しかないニール・ハノン!

 

彼の音楽が「日本で」ほとんど人気がないのか、一度も来日公演すらないのか。

その理由は英語のWikipediaを見てよくわかった。

The Divine Comedy (band) - Wikipedia

The Divine Comedy are an orchestral pop band from Northern Ireland formed in 1989 and fronted by Neil Hannon.

 オーケストラル・ポップ

なんのことか、よくわからないとも思う。そんな音楽をやっている人は日本にいないから。そこには「イギリスのロック大好き」な人たちが必ず好きなギターサウンドは、味付け程度、脇役、アコースティックのバッキングに使われる程度。

ほら、もう興味ないでしょう。だから日本で人気が出なかった。ロック=ギター みんな病気のように一つの概念に捕らわれている。

 

そしてそのニールの歌声。

低く、しかし表情豊か。声を張り上げることはあっても、上品で、スカしている。

そう、気障なのだ。キザったらしい嫌味なボーカル。それを大袈裟なオーケストラに乗せて「ポップ」に表現する。かっこいい。ロックなんだ。

高い声で、悲痛と現状の悲観を叫ぶようなボーカルとは対照的だから・・受けない。 

そしてボーカルを支えるのは、金管木管、弦楽器、そして分厚いコーラス、ピアノ。そしてギターはちょびっと!脇役!やっぱり興味ないでしょう。

 

僕はもっと彼に近づきたい。コンサートに行きたい。関わったオペラのような舞台にも行ってみたい。 

彼の音楽を聴いていると、「こんな音楽をやってみたい」と思ってしまう。

でも、できない。壮大なバジェットがかかるから。彼の全盛期にはどのくらいの予算がかけられていたんだろう。日本より小国とはいえども、大英帝国。作人にかける予算は

、違うのかもしれない。それを証拠に近年の作品は少し予算が削られているような気がする。

 

彼の音楽は常に気高く誇り高く、そして鮮やかだ。そして美しい。

他の人には到達できない、煌めきがそこにある。なんでだろう。僕にはそのように感じる。それは、かつてないほど、器楽との同期を経ているからかもしれない。生楽器の楽器の音は、全て生楽器で録音されているからか。それは大きいかもしれない。

 

自分との世界観の違い

そして、そこで奏でられる自分の世界観の違い。

自分とは程遠い、理想の世界。英国人ニールが、英国人の理想のような、映画のような生活。

パブで女性に声をかけ、ふられて、やけになり、また酒をあおり、そして女に声をかけられる。そんな毎晩がつづき、ふとベットで犬のカエルの鳴き声に目覚める。すべては夢だった。みたいな!

そう、サウンドトラック。これは「人間ニール・ハノン」という映画のサウンドトラックなんだ。

 

うらやましい。

その全てが。

だからこそ、そんな状況からは、遠くはなれたいる自分には、支えであり、誇りになっているのです。

 

彼の音楽について、具体的に紹介したいけれども、ベストアルバムがあるので、それをお聴きになれば良いと思います。

 

A Secret History: the Best of

A Secret History: the Best of

 

そして、よくないことなのかもしれませんが、全曲Youtubeで見られます

www.youtube.com

おすすめは3曲めの「Generation Sex」とにかく華麗なオーケストラ、ハープがよくわからない世界を大袈裟に演出して、ボーカルは最高にスカしてます!ティンパニとか最高です。なんだかわからないのですが、ポップです。間奏のストリングスは映画のサウンドトラックの如きなのですが、どんどん、大袈裟になっていって、「どうなるんだろう」という間に終わる!よくわからない曲です!

www.youtube.com

4曲めの「Becoming More Like Alfie」も最高です!インチキギャング映画の主題歌みたいな、カッコイイ曲です!

www.youtube.com

なんとこの曲がブレイクのきっかけだったとか!

なんとへんなくになんでしょう!イギリス!

シングルでリリースされて、そのカップリングでこのベストに入っている「Your Daddy's Car」も良い曲です!バッキングはピチカートとチェンバロです!バロックかよ〜通奏低音まで入ってますが、歌はニール様節です!

 

 

 

そして

僕の一番好きな曲も、このベストに入っています。

「Promnade 」というアルバムに入っている「Tonight we fly」という曲です。

マイケル・ナイマンからの影響が感じられる、高速のピアノと弦による同音連打をバックにニールさまが優雅に歌います。てってけてってけというスネアドラムの音がたまらないです。英国臭いのです。異様に。

高らかな決意と、そして現実からの逃避(Fly)の夢、すごく切なくて、凄くかっこいい曲です。

www.youtube.com

 英語はできないのですが、Google翻訳をもとに意訳してみました。

今夜 僕らは飛ぶんだ。

家を、通りを、木の上を

犬を通りすぎれば、影から吠えるだろう

それでも風のように通り抜ける

 

今夜 僕らは飛ぶんだ

煙突の上、天窓と屋根の上を

そしていつも探してる

幸せを見つけることはすごく難しい

 

医者を超えて、戦士を超えて

農夫を超えて、ギャンブラーを超えて

教師を超えて、作家の上を超えて

弁護士を超え、ダンサーを超え

盗賊を超えて

建築労働者と破壊者を超えて!

 

今夜僕らは飛ぶんだ

山たちと海と砂浜を超えて

 

まだ見知らぬ人友とは会えないまま

そしていつか私たしは死ぬのだ。

嗚呼!僕達は失望していない、そして悲しくない!

何も失くしていないんだ!

この人生は最高のものだったのだから!!

 

僕は新しい一歩を踏み出します。

それは、失われた誇りを取り戻すための一歩です。

なくしたものを、全て取り返したい。

それはなくしたものではなく、得られなかったものを得るためです。

 

それは遠い道のりだろうけど

僕は絶対に、自分を貫きます。

僕の心にはまだ誇りが残っている。こんな状況でも。

僕の右手と左手は、まだ残っています。

それだけが希望なのです。

 

いつか、ニール・ハノンのような完璧な音楽を作りたい。

 

その日まで、よろしくお願いします。

まえむき