全く音楽的に違うお二方ですが、僕は確かに昨日この2人の音楽が強く心に刺さったので、ここに記します。
まず、TOMOVSKYさん。
カステラというバンドブームの中にいたバンドを解散して、ソロ活動を始めるにあたり「ロシア人を意識して」本名の「大木 知之」からトモフスキーに改名した人。ロシア好きなので気になります。
双子の兄は「The ピーズ」の大木温之さん。「とどめをハデにくれ」などのヤケクソ系ロック、カステラもたぶんそんな感じだったと思う。やけくそ系双子の兄弟。いいなあうらやましい。僕は姉妹とは疎遠になりそうです。
気になってはいた。トモフスキー。アルバムのタイトルで「ネガチョフ&ポジコフ」というのがあった。「そこまでロシアなんだ」と感心したのです。ネガチョフ、ポジコフ。「さわやかネガチョフ日記」にまた変えようかな。あ、まえむきだからポジコフかーなんて。。
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テレビ神奈川でよく流れていたので、そこで見てはいたけどまだ作品はちゃんと聴いていない。昨日、なぜ聴いたその2曲に辿り着いたのかはよくわからない。たぶんそのタイトルに感じるものがあったのだろう。
わざわざ連絡することも無いので、連絡したいけど、できない。そしてそれが「新しい疎遠」が生まれてしまうかもしれない。という曲。非常にだるい感じでそんな歌詞を切々と歌われても、ほとんど人が「ふーんそうなんだ」と思うだろうけど、突然に今までいた街を離れて、また新しい街で新しい生活が始まったばかりの人間にとっては、他人の歌とは思えない。
「いつかこんど いつかこんど いつかなんてずっとこない」
ほんとうにそうなんだ。疎遠。この曲のYoutubeに「so end...」と書かれていてハッとした。疎遠、so end ほっておいたら、so end
でも、疎遠になっているかはどうかは、本当は自分で決めることではない。あーあ。
疎遠とは疎遠になりたい。でもどうしても身近だあ〜
「疎遠」は「39」というアルバムに入っている。おそらくその時のトモフスキーの年齢だと思う。僕は「40 」だから、同世代の曲だと思うと、なんだか感慨深い。
みんなもう自分とは違う生活を送っている。はぐれたしまった人が、それを感じることがある年齢だと思う。
そしてもう1曲「過去のドレイだ、生きた化石だ」
過去の奴隷。僕の今をそのまま表している。
「歌詞を読んでいただければそのままの僕がわかります」とだけ書いて終わらせたいほどに、同じことを考えている。
いつも今と、いつかを比べている。
昔ながめてた未来と今を(今、高校3年間だけ住んでいた街でひとりぐらしをはじめました)
いつか吸い込んだ空気を今日のをくらべてながめている。
かつて知ったるけど、知らない街になってしまったその街で、迫り来る現実と対峙して、よろよろと歩く。ひたすら歩く。
「いつか見ていた未来が、ここにある今ではなかったはずなのに」
そんな自分がこの曲から浮かびます。
「ここよりスゴイ 場所をしってる これよりスゴイ夜を知ってる これよりスゴイ気持ちを知ってる 今日よりすごい 景色を知ってる」
残酷だけど、そのとおりのことを日々感じています。やはり素晴らしいところにいた。素晴らしい体験をした。最高の気持ちを味わった。そして、日本ではないところ、ここではない日本でも、スケールの違う景色もみた。みてしまった。みてしまった。
まさに、過去のドレイ。今日を生きる化石になってしまった自分。
どうしたらいいんだろう。
過去は消せない。過去から逃げても追ってくる。それがスゴイものだった。自分の中では。それは他人からの評価でも、伝わってくることさえある。いいことなのに、厳しい状況。
この曲の救いは「曲調が楽しげで楽観的」だということ。トモフスキーの声質もあると思う。僕なんかがこの歌詞で作曲したらドロドロでやばいことになって誰もきいてくれないと思う。だからいいなーと思いました!
ここで、気分を変えて、最近気になっていた「尾崎裕哉」について紹介します。
尾崎裕哉「サムデイ・スマイル」Official Music Video
彼を見たのは「ミュージック・ステーション」でした。
その日は、大人数の出演で、さらに大人数のグループが多いという状況でした。
そこに佇む彼の姿と歌はまさに「イノセントの象徴」のような存在のようにうつりました。
彼の詩は、とってもまっすぐストレートド直球です。
しかし、なぜか僕のこころ、弱ったこころだからもしれませんが凄く響きました。
今は幸せではないけれど、いつか幸せになれる。いつか笑顔になれる。そう信じていこう。あまりにもわかりやすい言葉ですが、アイドルや「J-POPアーティスト」が惰性的に書いた歌詞とは違うように、僕は感じてしまった。
それはもしかしたら散々彼につきまとう、「呪い」のようになってしまった存在のことがあるのかもしれない。そして、その歌詞の中で励まされている、光を失くした「僕ら」は彼と、その人に向けてのメッセージだから、と気づいたのです。
しかし、ミュージシャンとして一人で立ち向かってく彼は、どうしてもそれと対峙しなければならない。隠して、その存在がいなかったようにすることも出来たけど、それが出来ない、してはいけない、立ち向かっていって、もう無くなったその存在に向けて、強い強いメッセージを送る。顔をくしゃくしゃにして、まるで、その人のような必死な表情で。
たんなる「メッセージ・ソング」ではないのです。2人、そして2人の周りの人たちに向けて、具体的なメッセージ・ソングなんだと。
気づきました。
というわけで、今後も僕は過去のドレイから脱却するべく、なんとかかんとか立ち直りたいです!さらば過去><