さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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阿佐ヶ谷ネクストサンデーの楽しいイベントで「Takkiduda」(タッキドゥーダ)という凄い即興ユニットを発見しました!

takkiduda.com

 

阿佐ヶ谷ネクストサンデーにて「アコースティックとエレクトロニクスの室内楽 28」というイベントを観ました。月曜に東京に引っ越しをして、ずっと休みを取っていたので、この日が僕もまあ冬休みの終わりとなる日でした。

この日は、「自分は天才」というい恥ずかしい日記を書いたことを思い出しながら、実際には天才とは程遠い、自分をひたすら安うりをしようとするような、そんなひどい一日でした。

一日中、街を歩き、やはりにつかれにつかれ、いつものドトールコーヒーショップにいき、スマートフォンにてこのブログの「僕は天才」の記事を、ずっと読み返していました。

それを読みながら、僕はこう思いました。

やはり、僕は天才だとでもしかししかしなのです。まあ、面接だったのですが、自分に自信がないので、うまくいきません。でもしかし自分はブログにて天才天才とのたまうような途方もない自信家でもあるのです。そんなことを、面接で言えたのなら、それらを思うがままにプレゼンテーションができたのなら、どんなに良いことなんだろう!と思うのです。

「・・・天才って哀しいな」と動かない足を引きずりながら、ネクストサンデーに向いました。

 

この日はイベントの内容を見ただけでこれは面白そうだと思い、参加を決めました。阿佐ヶ谷ネクストサンデーには、わざわざ長野からここに来るために東京まで来ていたとことです。そこに行ってすぐ家に帰ってこれるようになったことを実感したかった、というのもありました。

この日は、どのようなアーティストがでるのかなどは、全く知りませんでした。でも、海外のアーティストも参加したり、いろいろと面白そうです。こちらのオーナーの方の見識の深さから、もう信頼済みでした。

当日会場に向かうと、自分が客一人目のようでした。「今日は誰を目的に来ましたか」と入り口で聞かれ「特にないです」というと、びっくりされていたようでした。

 

https://www.instagram.com/p/Be8JCJ4lYMf/

休み東京生活最初の締めめくりは阿佐ヶ谷ネクストサンデーです!今日は実験的なイベントとのことですたのしみー#ネクストサンデー#ライブ

この画像を見ただけで、普通のライブイベントとは大きくかけ離れていることはわかると思います。しかしこれはまだ序の口です。「普通のライブイベント」とは、自分がしもきたざわやしぶやしんじゅく等で出ていた、あのそのギターポップてきなあのその的なイベントです。男女がメンバーにかならずいるバンド、下手くそで聴いていられないくそバンドがだらだら決められた曲をギターでダラララダララコードはCFG!みたいなのが延々と続く、そんなイベントのことです。・・・ごめんなさい…。

出演は下記のかたたちでした

出演:
Yawning
Re-Drum (from Russia)
sakurako araki
B°TONG (from Sweden)
Takkiduda

ほとんどの方が、テーブルにMac Bookを置き、そしてエフェクターやミキサーを用いて、そして、小さな楽器なども活用し、パフォーマンスをしていました。楽器はキーボードやピアノ弾き語りのひとなど、一部だけ、です。そして打ち込みだけではなく、全てが生で統制をされている音楽でした。

ノイズのような、風の音のような、地の音のような音が常にながれ、時にはループが音楽を支配する。このような音楽をライブで聴いたこと。が、過去にあったのを思い出しました。

僕が対バンをした「メルツバウ」というユニット、個人ユニットです。ノイズミュージック界ではかなり有名な人でした。そんな人と、同じライブに出たなんて。おかしいですよね。「しぶやけい」だとのたまっているのに。でも確かに共演しました。オールナイト、渋谷Deseoでのイベントでした。更にその日は、「ギターポップのイベント」にユニットでの出演でかけもち、の夜でした!その会場は渋谷O-NESTでした!微妙に遠いと思うのですが…若かったなあ〜そして楽しかった。そして「メルツバウ」のライブも強烈でした。

が、この日に聴いた音楽とは似て非なるものでした。こちらの方が、聴きやすくノイズミュージックではありませんでした。アンビエントともいえるでしょう。エイフェックス・ツインアンビエントワークスのアルバムをよく聴いていたので、それを思い出しました。

ここまでの皆さんの音楽を聴いていて、音楽ってこんなに自由なんだ、音楽の主役は音そのものなんだ、と気づきました。言葉や、声だけが主役の世界ではない、そんな世界を間近に感じられたことは、収穫でした!

そしてこのような音楽にも音楽の3大要素は存在するんだ、と思いました。メロディ、リズム、ハーモニー。楽器を使っていなくても、ここには存在する、と感じました。

 

そして、最後に登場したのが、「Takkiduda」です。結論から言いますと、僕は…

凄く、感動しました!!!!!もうひとつ!!!更に!

明らかに、ちょっと見た目がおかしい3人のグループでした。男女2人が向かい合い、やはりMac Bookを囲み、エフェクターとキーボード、その他よくわからない楽器などをセッティングをして、最初に女性の方がこう言ったのです。

「今日、これから私達が演奏する曲は、全て即興演奏です。今日この場所だけでしか聴けない音楽、となります。今日だけの音楽を楽しんでください」そして英語でもその事を言いました。

この日のお客さまは多くはないけれども、外国人の方が多い、日本の他のバンドとは、明らかに客層が違いました。僕の前には、大きな体格の白人男性が座っていました。好きなように過ごしていました。時としてアクビをしたり、ビールを飲んだり。好きな感じで好きなように過ごしている、ように見えました。それはここ阿佐ヶ谷ネクストサンデーが持つハコの所以もあるかもしれないです。なんとなく日本っぽくない、今の日本っぽくないのです。

話がそれました!

「Takkiduda」の音楽には、驚くべきでも普通のことがありました。それは「即興演奏なのにちゃんと音楽になっている」ということでした。

そうです。即興演奏というものを人に聞かせようとすると難しいのです。好き勝手にやることはできる。それは一人だった許されるのですが、彼らは2人で音を出してました。

なので、それぞれに信頼が必要なのです。そして経験もいる。それぞれの出す音に饗応をして呼応をする。そしてそれには波がある。ありました。なので時間をきにせずに聴くことができました。

そしてもう1人のメンバー。いきなりずっと座ってじっとしていて、何をしているんだろう?と思いましたが、何もしていませんでした!!そして、何か動きはじめました…何を動いているんだろうと思いましたが…何を目的にもしていない動きでした!そうです。感情のままのパフォーマンスなんだろうと思います!時折、男性の演奏者の方の演奏を妨害までしていました!わけがわからないのですが、演奏者も全く動じていませんでした!!僕はもう面白くて面白くて。「ダンサーなのかな」なんて思っていましたが、そうではありませんでした。踊りなんかではありません。でも動いていることは確かでした!

そして男性の方が抱えていたギターを弾き始めました。激しい轟音が響き渡ります。ああこれおで終わりなのかなと思いました。そしてこの時が轟音ギターの最初で最後の出番でした。この手のバンドはつねにギターの轟音がずっと鳴っていて「もういいよ」いつも思っていたのですが、この日は最後に効果的に使っていました!すごい!

そして最後は自然に落音が落ちていき、そして合図で終了しました。くどい終わり方、マイブラッディバレンタインのライブを意識したようなノイズ大会などはしなくて、爽快でした。

 

僕は終わった後に「よよし話しかけようかんそうを」なんて思っていて、女性の方がプロジェクタ(会場にお花の模様?を映していました)を撤収していた時、他の男性の方が「すごかったです(;´Д`)」みたいに話しかけていたので、負けずに僕もと思い話しかけました!「すすごかったよかったです(‘д‘)」と話しかけて、感じよく対応をしていただき「フライヤーとかありますか(;´Д`)」ときいたら、フライヤー、というか名刺代わりてきなカードをもらいました。

それを一目みて、僕は…興奮しました!これです。

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ここのセンス!すごくないですか?「こ、これは…」と思わず言葉をなくしてしまいましたが、その後も一方的にこれまでここ↑に書いたようなことを話しかけました!

そして男性の方とも話してここ↑に書いたようなことをまた話しました!

そして謎のパフォーマンス担当の方とも!彼は「電気グルーヴでいうピエール瀧」という認識で一致しました!自由!パフォーマンス!!

 

このグループはほんとうに力があると思います。現にこの日の主役は彼らたちでした。一番に大きな反応があったと思います。

そして彼らはもう3年半試行錯誤をしてやってきたということ。やはり努力をここまでしてきたということも知りました。すごいです。

 

今の日本のバンドというものに、僕は絶望をしていました。まともに感じているのはゲスの極み乙女。くらいというまさしくゲスな状況です…が!このような新しい感性のひとたちもいるということがあったことはよかったです!そしてネクストサンデーのオーナーさんともその後に「彼らはすごいね」と話をしました。

でも、僕はそこでもいいました「僕もすごいんですよここにでますね!」と言いました!負けてられないのです!

僕は東京に帰ってきてほんとうによかったとこの日、思えました!仕事はくそですが、音楽をやるためだけ!に頑張るのです!

そして自分が天才だと…おまえらにも!わからせてやるので!す!ちくしょーー(T_T)

 

おわり!

 

【長野最後の日記】僕が「天才」だということを改めて

僕は自分のことを「天才」だと思っています。

 

その事は一般常識的にみて、恥ずかしい事、「イタい」事だと、当然に思っていました。だから、自分で口にはせず、そして言われることもからも失くなってしまった。

仕事でその天才ぶりを発揮することはできなかった。当然です。ずっと長いあいだフリーターだった。全くやる気なし。それでも、たまたま運良く、誰もが知っている会社複数に潜り込むことができた。

しかし、そこで得られたものは、何もありませんでした。

 

「天才」の僕は成りをひそめたままでした。

 

僕はこの長野県にて、小中高を過ごしました。

その間、何度も何度も、他人か自分のことをこう言いました。

「高木くんは天才だ」

と。

学校の音楽の先生には、かならず言われました。中学の時は吹奏楽部の顧問の先生二人に言われました。絶対音感があるとの指摘もうけました。

高校の時の音楽の先生二人にも、言われました。定年退職まじかの先生に、今までやってきた中で僕は一番すごい。そして後任の先生には、凄いけれども雑すぎる、という指摘もうけました。

短期大学の音楽学科では、その天才性が指摘されることはありませんでした。音楽の試験ではうまくできなかった、というのもあります。

それでも2年の時に赴任してきた先生に、僕が天才だ、という指摘をされました。

僕のやることなすこと、すべてを評価してくれました。誰にも理解されないだろう作った卒業制作のDTM作品「エドヴァルド・ムンクの連作絵画フリーズオブライフによせる交響詩」に最高得点をつけてくれた、そして、卒業演奏フランツ・リスト「巡礼の年第3年エステ荘の噴水」にも高得点をつけていただき、卒業演奏会にも選抜されました。

 

この先生とはこのブログにおける「奇跡の再会」を得て、再度繋がりを持つことができました。そして、メールの中でもやはり、僕の事を「天才」と言ってくれました。

 

そして、長野生活の最後のしめめくりとしたいと思い、同じアパートの違う階に住む御方を自分の部屋にまねき、自分のピアノを聴いてもらいました。

その方は騒音がきになるらしく、僕の電子ピアノはヘッドフォンジャックが2つあるので、2つのヘッドフォンで、演奏をしました。

 

僕はずっとずっとヘッドフォンでピアノを弾いていました。そうです。ずっと一人なのですが、ヘッドフォンなので、一人。でも今日は違うんだ、と思いました。いつもと同じ環境なのに、今日は違う人がいる。

すごく嬉しかった。この体験は初めてでした。いつもと同じように演奏はできなかった。あまり得意ではないジャズとかを弾いたのです。でも、最近はジャズの真似事を弾くのも好きでした。どう評価されるんだろう。

弾き終わり「あああよくないですね」とボクが謙遜で言ったところ。こう言ったのです。

「すごいよ。君は天才だよ。すごいね。なんでこんなところにいるの。もったいないよ」

 

嬉しかった。

僕も、そう思っていたのです。

僕は天才だと、ずっと昔から思っていたことに気づきました。

でも実際はその「天才」から遠くかけ離れた生活になっていることが、もったいない。

それはずっとずっと、そう思っていました。

くだらない社会の中で、居場所がみつけれられない。ただの非正規労働者として、軽く扱われる。

こうしてブログで自分が天才天才だと、アピールしなくてはいけない。

 

でも、実際、過去に僕の演奏を聴いてくれた人たちには、かならず言われたのです。

僕は天才だと。

それはショパンやリストやラヴェルなどを弾いた時ではありません。自分だけしかできない音楽をやった時だったと思います。

 

そして、一番自分の演奏を聴いている人、もちろん自分です。

その自分が、自分を天才だと思う。

 

そして自分の中に客観性を持つために、このブログを始めたのかもしれないということにも気づきました。それは、昔から「文章も褒められた」という経験則に基づくものであったのかもしれない。文章というものは自分にとっては簡単なものです。ラクにすらすらでてくる。そして、楽に発表できる。

だからこれを自分の天才性を世間に認識させるための道具に使っているとも、気づきました。

長期間におよびこのブログが続いてきたのも、それが要因だったのかもしれません。

すべてが「自分の天才性」をアピールするための客観的な視点を持つということへの証明だった、「音楽をわかっている人アピール」をし、「自分が天才だ」と思うことへの正当性を証明したかったのだと気づきました。

 

僕はこの先の人生、くだらないつらいことが沢山おきるでしょう。

でも、こわくないです。

僕が「天才」だからです。

まだ、ライブハウスの2曲程度の演奏だけでは、わからない。

そして、録画録音ではそれを証明できないんだと思います。

 

でもいつかわかる時がくるのです。

僕は、天才です。

14年ブログを続けてきて、辿り着いたこと。

数々のアーティスト音楽家を評してきましたが、

一番天才だったのは

僕です。

 

おわり!

【映画の感想】全員死刑 小林勇貴監督「勇者」「貴族」の名の元による誠実なまでに連続殺人を描写した映画!

先日東京渋谷アップリンクにて映画「全員死刑」を観ました。

 

全員死刑」の存在を知ったのは、小林勇貴という「勇者」「貴族」と一旦名前を打たないと変換がされないという刹那の名前に惹かれた、ということ。お父様とお母様はどのような意図で名を節したのかしら??ふつうに勇樹とか悠希とか優希や勇気有期誘起幽鬼柚姫などでは駄目だったのでしょうか??

そして「おフランスの映画祭でフルチンパフォーマンスをした」という事実に惹かれた、それは改めてフランスが持つ変態性、性やいろいろな事への許容、ダイバーシティを感じさせることだと思ったのですってフランスかよ!

決して全員死刑という言葉の持つ魅力に惹かれたわけ、でした。「全員死刑」だなんて、なんてロマンティックな言葉なんだろう!

しかし、わかりやすすぎるというきらいもありました。そこでもっと「全員死刑」を勉強したいと思い、原作となっている、この本を買いました。

 「ヤクザと原発などで知られるライター鈴木智彦による、ルポライティングの本です。「全員死刑」と元になった大牟田市4人殺害事件の犯人の一人、全員死刑になった家族の次男が、死刑判決出た後に書いた手記を元にした本です。

これは「事件を面白がっている」本などではありませんでした。

 

全員死刑一家は、全員ヤクザでした。

父親は組長。長男もヤクザ。次男もヤクザ。次男ももちろん逮捕歴受刑歴もありのヤクザ、自称札つきの不良!そして母親もヤクザ。一家全員でシノギ(※ヤクザの金稼ぎ恐喝恫喝売春斡旋薬物売買など)をし、そして一家全員で4人をわずかな間で連続殺人をした、という事件が基になっています。

そんな話が実際にあった、そして当事者がそのことについて書いた文章があった。それをただ本にした本では、ありませんでした。

鈴木智彦氏は、この本を出すにあたり、客観的な視点を持つようにし、そして次男が書いた文章や状況が本当であったのか、という検証を実際に大牟田市へ向い、家族の知り合い達、殺された被害者の関係者などに取材をしたりしているのです。

次男が書いた文章は、やはり頭がわるそうに見えるのです。が、ちょっとやはりおかしいのです。連続殺人を起こした時の状況は、もちろん「おれはやつの首をめちゃくちゃしめた!」「むちゃくちゃ快感を感じたヨ!」みたいなアレな感じなのですが。

実際に人を殺した状況などが詳しいのはわかるのですが、僕がちょっと気になったのは、「夜に◯◯通りのコンビニに寄ってお茶と弁当を買った」「どこどこの自販機でコーヒーと父へウーロン茶を買った」「ビールを買った」「どこどこでタバコを吸った後に缶コーヒー」みたいな事が、たくさん書かれているのです。なんでそんなことを覚えて、でたらめかどうかもどうでもいいことですけど、僕はそこがすごーく気になりました。

この本「全員死刑」はとてもおもしろかったです。手記が主体で、手記は捕まったところまでの記述しか無かった。なので、この本にはその後の裁判での一家の明らかにおかしい挙動などは、書かれていなかった、そこが逆によかったのです。これはノンフィクション。虚を書いていけないんだと気づきました。

 

映画「全員死刑」なぜこれを小林族さんは映画化しようとしたのかな、と思いました。彼は「地元しずおか県富士宮市の不良達」を主役で出演もさせた自主制作映画だけ!を何本か録り、それが評価されて、今回は初の商業映画だということを知りました。

しかし初の商業映画が「全員死刑」という眩暈がする事実、良いめまいですが。。

 

長くなってきたので、実際に観た感想を箇条書きにて記します

  • 渋谷アップリンクは松濤にある
  • 梅宮アンナを産み出した狂気の地!
  • 当日はサービスデイ、性別不問!で1100円!
  • だからか満杯、直前にインターネットで手配して間に合いました
  • 椅子はラグジュアリーなキャンプのような…グランピング!女性誌みたい…
  • しかも隣りの席は、おひとりさまのおしゃれ美人!
  • 「アンアン」「ヴィヴィ」とかに全員死刑が載ったのかしら…
  • 間宮祥太朗主演ということだったけれど、この日いたのは明らかにサブカルあがりの男女!
  • 冒頭はインターネットで無料配布をしている、著作権の切れたクラシック音楽
  • 冒頭は、本にはなかった、「のぞきパブ」で女子高生風の可愛い美人な女性たちが官能てきなポオズを取り、それを覗くいやらしい中年男の描写から開始
  • 可愛い女子高生の撮り方はうまいと思った。なんとなく、さすが!と思った
  • その後、主人公の次男と長男が出てきて、安心の脅し恐喝強奪
  • その後は、原作のとおりに筋が進んでいく
  • そして、最初の殺人!!!父親の依頼で金庫強奪!失敗したら殺人!
  • 兄弟2人で、ターゲットの家に、行くと、当人はおらず、その友達がいた。これは原作どおり
  • でも、その友達が「ユーチューバー」だった!!もちろん原作にはなし。しかも生中継中!
  • そして「カレーを入れたカレープールに飛び込む」というあまりのくだらない内容について、兄弟達がぶちギレ!
  • 「なんでこんなくだらねえことやってんだよ!」という言葉にユーチューバーは「みんな、自分よりバカなやつ見たら安心するんだよ!
  • 僕は感動しました。ユーチューバーの本質を見抜いていると思う。
  • 殺されても仕方ないんだ
  • なんて、思いませんよ!!!
  • でも、殺されました。そして金庫も発見。
  • でも金庫の中身は予想した何千万ではなかった。。。
  • 金庫を開けるための四苦八苦「友達に機材を借りたるらぁ」というのは原作どおり!
  • 全体に当然の如く、静岡弁がかつようされていた。原作は…大牟田市なのに!
  • その他、無慈悲なまでの喫煙シーンが多い。これは最近見たごく最近の外国の映画でも感じたこと。
  • その他、印象に残ったのは、小人症の人が出ていたこと。得に小人症であることについての言及はなし。
  • 小人症の人が、後半、性的な描写、もちろん隠す、何らかの理由で包帯ぐるぐる巻きの状態になっていた、それでも性を満たす為に必死に努力をするさまも。
  • やはり、ジョン・ウォーターズを思いだしてしまう。
  • 彼とジョン・ウォーターズに共通すること、それは「地元の故郷が舞台の映画ばかり撮っていること」そしてダイバーシティへの理解があることなのかもしれない。不良やヤクザや夜の商売もマイノリティの一員なんだと思う。
  • 富士宮市は、メリーランド州ボルチモアジョン・ウォーターズの映画は全部メリーランド州ボルチモアがぶたい)なのか??
  • そして、エロスというもの、原作にはなかった。「オンナ」は沢山登場する。兄弟ともに、オンナには不足していなかった。
  • しかし細かい描写はなかった。殺人の間にまたされて、イライラしているくらい
  • それが、ノンフィクションとしては仕方がないけれども、足りないところだった
  • 僕がこの映画で一番感じたのは、そこでした。
  • その他、殺人やヤクザ暴力団てきな描写は、思ったよりも「普通」でした。
  • 間宮祥太朗くんは、頑張っていました。しかし、彼の狂気は「女芸人グランプリ」で見せた怖ろしい様よりも出ていなかったと感じました。でもそれは、彼が役者だからなんだと思います。
  • でも彼がそのような人物かもしれないということを事前に見抜いていたかもしれない監督は凄いとも思いました><
  • 最近、唯一観た商業映画「DESTINY鎌倉ものがたり」と比較してしまう
  • あの映画とこの「全員死刑」に共通していること、それは誰もが褒めていること
  • でも、質は全然違うと感じました。
  • 片方はそれをばっさり削除して、片方はちゃんと誠実にそれを表現した。
  • 「DESTINY鎌倉ものがたり」は原作マンガ「鎌倉ものがたり」にあった、重要なテーマ「殺人」をばっさりといってもいいほどに削除(一人殺されたけど)し、監督のCG趣味を活かすため、そして観客動員をするために、有名な俳優を主演に起用し「夫婦の運命的な愛!感動の冒険ファンタジー」に仕立てあげて、それが大衆たちに支持された
  • 全員死刑」は、原作の信じられないけど現実に起こった一家四人が全員死刑になった連続殺人事件をその通りに描写し、原作にはない重要な部分も足し、そして映画にした。全国上映にはならなかったけれども、支持する人は多かった。そしてに何よりも商業映画で「全員死刑」というタイトルとテーマで映画を公開した
  • 日本の映画界の作品全てを見ているわけではないけれども商業映画の質の低下は年々低下の一途を辿っているように思う。壁ドン顎クイアイドルイケメンシャッフル原作都合のよい商業主義改悪!
  • デステニーなんとかはその象徴なのだと思います。
  • そして「全員死刑」は良い象徴だと信じたい。
  • でも、日本の勇者貴族さまに映画界を変えて、なんて思いません!
  • やつらに何を言ってもわからなさそう、だから作品で反攻するしかない!!
  • まだ監督は20代なのだから、自由に好きにやってほしい!
  • 何かあったら、とりあえず・・「全員死刑!!!」これで良いでしょう。
  • おわり!
  • 全員死刑!!!

【上田映劇】さようなら上田映劇!しばしのさようなら!僕の中のひとつの「映劇」が終わりました。

https://www.instagram.com/p/BekFH58lduB/

今日は、ながの県上田市にある、上田映劇に行きました。

「またまた」と書きたいところですが、今日でしばしのお別れになってしまうので、またまたではなく、ある程度の覚悟を持って行きました。

 

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※ちなみに「あさくさ雷門ホール」というのは映画「青天の霹靂」のロケで使われた時のセットです。劇団ひとりが原作の映画です。中も映画のために、内装を変えてそのまま残しているとのことです。

https://www.instagram.com/p/Bej1b88F8Ty/

ここには2階席もあります。今は行くことができませんが「ハリーポッター」の時には2階席まで埋まったこともあるとのことです。その時には市内にシネコンもなかったと思います。踊り場から振り注ぐ光が、きれいだなーと思い、写真をとりました。

https://www.instagram.com/p/Bej1eZmlfb5/

https://www.instagram.com/p/Bej1hCYlCyc/

https://www.instagram.com/p/Bej1sNRFrgj/

https://www.instagram.com/p/Bej1vMGlyup/

https://www.instagram.com/p/Bej10jaljCk/

「思い出だ思い出だ」とぶつぶついいながら、写真を録りました。なんだかこみあげるものがありました。うまれて初めてです。映画館に思い入れがあるだなんて。考えもしませんでした。1年前、この地、シネコンで「君の名は。」を観た時は、まさかこんなに映画を観ることになるだなんて、予想もしていなかった。でも、本当は映画をみたくてみたくて仕方がなかったんだと、今は思います。そんな自分に気づきました。

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上田映劇の冬は「寒い」です。僕は寒いのが長野出身なのに苦手なのですが、全く気になりませんでした。「◯席から◯席あたりがあったかいですよ」という貼紙もあり、そのような気遣いが暖かいから、なのかもしれません。これは支配人さま、僕と同じ高校出身とは思えないくらいに、仕事ができる人なんだ、と思いました。同じ高校出身の後輩で、警察官になった双子の弟がいましたが、今は何をやっているんだろう。やまうらくん…。 

https://www.instagram.com/p/Bej13tPFFMz/

ここまで観て、ここで3月に公開される「デヴィット・リンチ・アートライフ」のポスターを眺め、なんてここに合っているんだろうと改めて思いました。

 

映画館上田映劇の開幕時の模様ですブザアと共にカーテンが開く…そして暗くなり、予告編なしの映画が始まるのです!すてき! #上田映劇#映画館#映画

 

この上映前の様子、レッドカーテンに覆われて、ブザーがなり、黒い幕が開く。まさにデヴィット・リンチの映画を観るためにある映画だと僕は思うのです。だから僕はまたそのためにここにこようと、いうのが今の希望です。

 

いつからか、ここに行くことが、僕の日常になりました。

かつては、ほとんど映画には行かなかった。好きな監督の新作が上映された時くらいでした。

上田映劇で初めてみた映画は「タレンタイム」というマレーシアの映画でした。内容は高校が舞台で、「タレンタイム」というコンクールに出るため、といっても本格的なものだけではなく、オーディションを観る限りはけっこうダラけた感じのもので、ここでリバイバル上映がされて再度みたのですが、改めてみると凄くみんな楽しそう、そしてやはりラフな感じです。日本で「オーディションの映画」があったら、もっと殺伐としてしまうのかな?と思いました。

 

僕は、凄くこの映画に凄く感動しました。

なぜ感動をしたのか、その意味が最近わかるようになりました。

かつて、この街で通っていた高校生活を思い出したからです。音楽で僕はたくさんの人達を交流を持てていたことを、思い出したんだと思います。愛しいあの日々がスクリーンの中で、広がっている。

うらやましいなあ、たのしそうだなあ、と思っていたら、少しだけ小粒の涙が流れたのを覚えています。

maemuki.hatenablog.com

 

そして、今日は「希望のかなた」という映画を観ました。

https://www.instagram.com/p/Bej2H-KFPZm/

Instagram

上田映劇のオリジナルスタンプです。今日は受付の女性の方が、支配人さまよりも力を入れて、大きな大きなスタンプを頑張って押してくれました!ほんとうに力いっぱい。なので、いつもよりキレイに押せていると感じました。支配人さんごめんなさい!

希望のかなた」は、アキ・カウリスマキ監督の映画です。フィンランド映画、初めて観ますフィンランドの映画。コメディで楽しい映画ですが、白人による有色人種差別なども描かれている映画でした。フィンランドにある大きな問題はそれだけ、なんだなと知りました。

 

ここで他にもイランやハンガリー、ベルギーなど各国の映画を観ることができました。まだ行ったことのない世界の映画も観ることができました。アメリカ、フランスの映画もありました。やはり行ったことがない、けれども、映画というものは、その国の世俗や慣習がよくわかるものだということも学習しました。

 

そして「行ったことがある」景色も、ここで観ることができました。それはひとつだけではありません。

2回目に観た映画は「台北ストーリー」台湾、台北にも何度も行きました。しかしこの映画は80代に撮影公開された映画でした。だけど、日本との違いは感じられませんでした。だから懐かしいなと思いました。

maemuki.hatenablog.com

 

そして3回めに観た映画「夜空はいつでも最高密度の青空だ」は、自分が住んでいた街、新宿と働いていた街、渋谷が主役の映画でした。主人公が「新宿と渋谷どっちが好き?私はどっちも嫌い」と言っていたのを覚えています。もちろん台詞の通りではない、映画でした。ちなみに、僕は今はどちらも好きです。

maemuki.hatenablog.com

 あとは「バンコクナイツ」という映画もみました。僕が一番海外で行ったところです。

歓楽街「タニヤ」の風景が懐かしくて、あと路上の雑然というか雑としかいいようがない露店だらけの街角、なつかしいなあまた行きたいなあシーロムあたりをぶらぶらしたいなあなんて、思いました。

maemuki.hateblo.jp

そしてそしてソフィア・コッポラの「椿姫」これは…僕がローマに旅行をした時に行った「ローマ歌劇場」での撮影でした!これは観た後に上田映劇のポスターに書いてあったのを観て、気づいたのです。あそこに自分が行ったなんて!実際に観たのはバレエでしたが。
maemuki.hatenablog.com

maemuki.hateblo.jp

 

そしてなんといっても、上田市がロケ地となった「エキストランド」これは上田映劇も出てきます。

maemuki.hatenablog.com

 

なんだか凄いなあ〜と思いました。

 

そんな体験ができたこと、本当に良かったです。

僕は毎日、ほんとうにほんとうにつまらなくて、ここを見つけてから、頑張ってでも楽しみでここに通いました。

そして、新しい出会いもありました。支配人さまです。

僕と同じ高校を卒業をした人だった、そして小学校3年生まで名古屋に住んでいたという共通点もありました。

長野に来て、この地にて「知ってる顔」がはじめてできたといっても良いかもしれません。毎週のように顔を合わせて、少しでも話をしていた。

僕は毎日、声を出す、ということが今、なくなっています。仕事は「チャット」での会話だけです。なので、ここで日常に人と話すことがまた加わった、ということも大きいものでした。

 

今日は、最後の最後、彼ともうお一方のスタッフの女性と話しました。もう彼にも何度も話しているようなことを、また言ってしまった自分が、恥ずかしくなりました。しかし彼は人格者です。いつも僕の話を聞いてくれます。

最後、僕は感謝の言葉を伝えました。

上田に20年ぶりに来て、僕のことを誰も知らなくなってしまった。僕は高校生の時は楽しかった記憶しかない、良い思い出の街だったのに。

そんな街で暮らすことは辛かった。いろんな映画を観ることがてきたこと、ここが僕の支えになりました、上田が嫌いにならずに済んだ。ここにまた来る理由を作ってくれた。

同じ高校出身の人と、出会えて嬉しかった。今まで本当にありがとう。そう、話したと思います。僕は、話すことが上手くできなくなったのか、声がうまくだせませんでした。みっともないな、と思いました。泣きそうになっていたからです。が、お二人は僕の話を聞いてくれました。

そして、最後にこれを渡してくれました。

https://www.instagram.com/p/BekFMDQlVBT/

 

映画というものは必ず終わりがあります。どんなに長い映画でも終わる。

そして、人生も終わるのです。でも、僕の人生はまだ続く。

でも、区切りはあります。人には区切りが終わりとなることもある。

 

これを渡された瞬間、僕の中で始まった映画が、終わったような気がしたのです。エンディングテーマが、流れはじめた気がしました。僕の中のひとつの「映劇」が終わった、ということを感じました。

こう思うのは、昨年11月にFacebookの上田映劇のページのレビューにこのような文章を僕は投稿しました。

 · 2017年11月20日

「上田映劇」そのものが、映画そのものであると思っています。
ここで映画を観ること自体が、映画的であるということ。毎度行く度にそう感じています。まるで、自分が映画に出ているかのような気持ちになれる。そんな場所が上田市にあるなんて。
現支配人の方は、映画に精通しておられるだけではなく、映画に関してのアカデミックな教育を受けた方です。そして若いのです。そんな方が、この映画館を切り盛りしている。
素晴らしい事だと思います。そんなところまで映画的だなんて、思ってしまいました。
ここで観られる映画は、希少なものです。レンタルビデオ屋では貸出などしていないものばかりです。ぜひ皆さん足を運んでください。そして映画を観て、ご自身が映画に出ているような気分も、味わってください。
今日は本当にここに行ってよかったと思いました。また後日に行くことも可能でしたが、僕にはまだやらなくてはいけないこと、つまらないことですが、引っ越しの準備があるからです。
この生活を、良い形でこのまま終わらせたい。このままこの街を嫌いなままで、東京に戻ることにならなかった、そうできた。本当に良かった。本当にそうです。人生がハッピーエンディングになるかはわかりませんが、そんな事も含めて、なんて映画的なんだろう、と思いました。
 
終わり
 
 
 
 

【ヴィジュアル系】次の時代は「Aiolin」だと、信じています。

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肩摩轂撃のヴィジュアル系シーンにおいて、数多くのバンドが今、その中で埋もれている状況であります。横に数多くのバンドが並んでいる状況。

皆がその中から「浮上」をしようと、躍起になっている。そのような混沌の時代が、長く続いているように個人的には感じていました。

先日に放送された「関ジャム ヴィジュアル系特集」でも、次世代を狙うバンド達が紹介されていました。それぞれに何かしらの「売り」があり、明確なコンセプトを基に浮上をしようとしている姿が紹介されていました。

皆さんの事を僕はよく知らないのですが、自分がそこで見たものの印象は「広告代理店的なもの」でした。何かを売り出す為には、わかりやすいアピールやキャッチコピーがという付加価値が必要なのです。

 

今回、紹介する「Aiolin」(アイオリン)のコンセプトは「哀愁のヴァイオリン」またはV(isual)×V(iolin)」です。それが非常に明確で的確なコンセプトであり、大きな「売り」であるということは、以前にも書きました。 

maemuki.hatenablog.com

アイオリンの中心メンバーであるヒカリト氏、ヴォーカルを担当し、ヴァイオリンも担当。その腕前は、国立東京藝術大学器楽科ヴァイオリン専攻卒業という経歴によって、証明もされておりイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを弾きこなす動画という実際によっても証明されました。

これは、僕にとっては衝撃でした。まさか、こんな曲を弾ける人がこのシーンから現れる、それが国内最高峰のアカデミックな教育を受けてもの。

前述のブログでは彼の独奏のヴァイオリンのみを取り上げました。

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Aiolinの「From Here」この曲が始まってすぐに、歌の後ろからヴァイオリンが聴こえてきます。非常に悲痛な音色です。ヴァイオリンの音というものは、人の声の高さよりも高く広く出すことができる。この部分で使われている音域は、女性の声よりも高いもの。だけども、弦を弓で弾くということは、その他の弦楽器やピアノを含む打楽器よりも、より肉体的な感覚を表現できると、普段僕は思っています。そこがヴァイオリン、ならびに弓で弾く楽器の魅力であると。ならでは、の音が出るということです。

この曲のここだけでも、わかるのですが、その後も音楽における「新たな体験」ができました。

Aiolinは、エクストリームなロックです。激しいギターのリフと重いドラムとベースが疾走をする。このサウンドに、ヴァイオリンの音色が凄く合うのです。その2つが重なる音像は今までもあったかもしれない。それでも、「この界隈」では聴くことはできなかった、音像でした。「新しい音像」を体験できたのは、MALICE MIZERの「memoire」収録の「記憶と空」のパイプオルガンの音がバンドにうまく入っているのを当時体験した時、以来かもしれません。

まさにこれは、「哀愁のヴァイオリン」またはV(isual)×V(iolin)」です。しかしここまでヴァイオリンヴァイオリン言っておりますが、大事な事は「哀愁」です。この曲に漂う哀愁は、他にはないもの。それはヴァイオリンの力、そしてバンドの全体の力だと考えます。

 

そしてヒカリト氏は、ヴォーカルとヴァイオリンだけではなく、ピアノも弾けます。ソロも弾いているのですが、自分が気になったのは、一瞬だけ曲の繋ぎで和音をポロローンとソロで入れる所です。そこで音の場面が切り替わったのがわかりました。ノリだけでやっていない、当然です。考えてやっているんだと気づきました。

そして、後半にヒカリト氏による、これまた超絶技巧的なギターのソロがあります。どうなっているのでしょう。ピアノは、わかります。音楽大学は入試ではピアノ実技試験があります。そしてピアノの授業を選ぶことも可能です。しかし、ギターは習いません。少なくとも、エレキギターは習わない。しかし、ここまで弾けている。ヴァイオリンもピアノもギターもできる。もちろん作詞作曲も、おそらく編曲も中心になってやっているのではないのでしょうか。

このような人は他のシーンを見渡しても、いないと思います。特に、ヴァイオリンは一昼夜で身につけることは、不可能です。楽器が弾けることは、素晴らしい尊いことだと、僕は考えます。とても手間も暇も金もかかるからです。それが複数もできている、それが、ありがたく思えます。そしてそんな曇った現状を、晴らしてくれた気もするのです。

 

アイオリン | ROCKの総合情報サイトVif

またこちらのインタビューではメンバー2人がDELUHIの大ファンだった、ということがわかりました。DELUHIなんて…なんて懐かしいのだろう。全てが完璧なバンドだったのに、いつのまにかなくなってしまったバンド。確かに彼らはその系譜にあると思います。上記のインタビューではヒカリト氏が「耽美にだけに寄らない」という発言もありました。頼もしいです。わかりやすい道を歩まないことは、忘れてほしくないです。

 

褒める一辺倒だと、宣伝のように思われてしまうので、気になる事をひとつ。3曲入のシングルと8曲入りのアルバムを聞きましたが、どれもテンポ感が同じのように感じました。もう少し抑揚があってもいいのではと。でもまだバンドは1周年になるところ。これからのバンドです。まだ思うように自由にやればいいと思います。若い芽を潰したくないのです!!

 

僕は、こう何度も言っていますが、今「ヴィジュアル系の元祖」といわれるバンドの殆どをインディーズの「有名ではない時」から聴くことができました。その中で「これはイケる」と思ったバンドは、ほとんどメジャーな存在になりました。それは「ヴィジュアル系バブル」の時代があったからかもしれない。その後は売れないで解散する人たちもいました。それは…比較的新しいバンド達です。

彼らには、今の状況を打破するだけの力があると、僕は感じました。しかもまだバンドはこれからなのです。次の時代は、アイオリンだと、信じています!

 

おわり