さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

ファンレター&苦情はこちら pinkcoatpiter@gmail.com



【ヴィジュアル系】僕が「ヴィジュアル系」をあがった、本当の理由

 僕は「ヴィジュアル系をあがった」ということを公言しました。

maemuki.hatenablog.com

 その理由は

いつのまにか僕は「古いヴィジュアル系バンド」だけしか聴けない普通のおじさんになってしまった

そう書いています。でもそれだけではありません。

なのでハッキリ書きますね。

理由は、

最近目につくおじさんたちの「90年代のヴィジュアル系バンドへの盲目的な信仰振りが」おじさんぽいおっさん臭くて超かっこわるいから一緒にされたくない!

ということからです。 

 

僕は、今の「ヴィジュアル系バンド」に興味が持てなくなった。それは仕方がないことです。「あの頃」と比べたら、劣ってしまう。そうなのかもしれません。

でもそうではないのかもしれない。でも、そうではないことを確かめることすら、できなくなった。

だからあがった。と公言した。

 

ヴィジュアル系という言葉がまだなかった頃から活動していた90年代のヴィジュアル系と呼ばれる発端になったバンド」は本当に素晴らしいと、思います。でも、僕はそうとも言い切れない事情もありました。

僕は数々のバンドを好きになって、すぐに「あがった」過去があったことも明かしました。

maemuki.hatenablog.com

 こんな本当にどうでもいいことをわざわざ晒したのも、本当の「ヴィジュアル系」への愛があったからなのでは、と今では思います。

僕は、ヴィジュアル系は神聖なもの、だとは思っていません。でも愛を持ってそう思っています。

どのジャンルでもそうですが、輝かしい実績を残した時代でも、そのような輝かしい人たちだけではなかった。ヴィジュアル系もそうです。というかヴィジュアル系は傍からみたらそもそも「基本的にみんなゴミ」なのです。男が化粧をして、気持ち悪い独特な歌い方で、狂ったように激しかったり甘かったり、西洋的だったり。

みんなが理解できないもの、否定されてきたもの。そのような歴史があります。

 

それでもわずかな「理解」が広がって、どんどん広がって、ひとつのシーンを作るまでになった。そのような歴史を体感してきた中で、「もう未来はない」と感じる状況になったとしても、その後継の存在を無碍に否定することは、僕にはできません。

過去と比較して「理解」をしないことが美徳になるなんて、それは「ヴィジュアル系」の終わりとなることになると思います。

 

過去は美しいです。でもあの頃には戻れないのです。誤ちさえ帰せない。

過去にひたること、美しい過去にだけひたることは、自由です。なんでも自由。なんでも自由だから、「ヴィジュアル系」がどのような未来になっても、そっと見守ってあげたい。

それがあがった理由です。

だから、「お前らほんとうにLUNA SEAに比べてクソだな」なんて言えないです。「お前らほんとにカリスマ清春に比べたら説得力ないなステージで首吊れよ」なんて言えません。「てめーらいい加減してくださいCaligariは昔のボーカルの方がよかったお前らなんてくそだよなんて僕前にかいちゃったよ恥ずかしい」なんて言えません!!!ごめんなさい><

 

若いころによく見ていた「昔のバンドはよかったなあ〜最近のバンドはブルースを知らないー」なんていう格好のよくないおじさんだけには、なりたくない。ただでさえ、老化しているのに。

彼らは勝手に進化していって、そして退化する。その繰り返えしです。いままでもそうだった。もう止められない。好きでも嫌いでも。

「わかったふり」だけをして、何もいわない、そんなおじさんが良いと、おじさんは思いますがいかがでしょうか。

 

「人生初ライブ参戦がフリーウィルサミットのオールナイトイベントでhideも観た」なんてことが、自分の誇りであるような事がこれからもずっと続くことを願っています。

 

でもゴールデンボンバーは許せないです!ごめんなさい><

 

 

【Kagrra,】「四七抜き音階」が溢れるこの時に「一」はもう無いなんて。 Kagrra Indies BEST 2000~2003【ヴィジュアル系】

(この記事は4月中旬に書いて下書き保存したものを、本日加筆して復興させました)

Kagrra Indies BEST 2000~2003

Kagrra Indies BEST 2000~2003

 

 桜の季節。

f:id:maemuki:20170416131206j:plain

桜というものは、美しいものです。だから人が集う。このひとの少ない街にでも、たくさんの人が集まってきます。

この地は長野です。

数々のヴィジュアル系バンドマンのルーツとなった、この地です。

この写真の「上田城」のある「上田市」には、残念ながらそのような方はおられないようですが、足を踏み入れていたなんていうことが聴こえてきたりします。

f:id:maemuki:20170416171240j:plain

そして、僕は昼の桜に違和感を感じていて、「そうだ夜に行こう」と思いひとり自転車をこぎこぎしながら、向かったのです。

そこで見た桜をみて、僕は内的な心の惑いを感じてしまったのです。花びらのひとつひとつが私に問いかけてくるように、迫ってくるのです。なぜだろう。なぜですかと花びらたち、無数の花びらたちに聴いてみたのですが、やはり答えは帰ってきません。

なぜ、夜の桜にこれだけくるってしまうのか、答えはすぐにわかりました。

昼の桜には青い、素晴らしい青さがある。しかし、夜は黒いのです。

圧倒的な黒と、圧倒的な桜。それを前にしてくるってしまうなんてこともあると思うのですが、いかがでしょうか。なんてことを思いました。

暗闇に見えない空と桜を眺めて、あの人がもし生きていたら

葬春華舞い散るあの丘で…。

 

近頃、「和風」の音楽をよく耳にしますよね。

その人達の音楽を聴いていると、やはり僕としては彼らを思い出してしまうのです。

それはKagrra, です。

f:id:maemuki:20170418204951j:plain

 前身バンド「CROW」(KEY PARTY)を経て、PS COMPANYに移籍し、2000年より活動開始。あの頃が最後のヴィジュアル系バンド界の盛り上がりだったかもしれないと思ってしまう時期に活躍していたバンドです。

こんなことを今更、紹介するのも何なのですが、彼らのコンセプトは「和」でした。

「和」にはこだらわないようになってしまった時期もありましたが、このインディーズ時代の曲を集めたころは、より純然たる潔いまでの「和」を感じさせてくれます。

 

◯四七抜き音階について

ヨナ抜き音階 - Wikipedia

タイトルの「4」と「7」の無い音楽、「四七抜き音階」ということについて。

「4」と「7」が無いというのは、ドレミファソラシドの4番目と7番目が無い、「ドレミソラド」になるということです。これは「ヨナ抜き音階」として、音楽界では知られているものです。「4」は「ファ」で「7」は「シ」です。それが無い。Aマイナーだと「ラシドレミファ#ソラ」で「ラシドミファ#ラ」

それだけでどこか「和」に聴こえるというのはその通りですが、発祥は日本ではないとのこと。

しかしこれを使うと「如何にも和風」な曲が簡単にできてしまうのです。なので、よく使われます。例えば演歌!演歌はほとんど「四七抜き音階」です。「なんか演歌って似ている曲ばっかりだな」と思うのは、そのせいです。

演歌でなくてもそうです。中田ヤスタカさん。最近のきゃりーぱみゅぱみゅの曲、「にんじゃりばんばん」「つけまつける」などなど。ほとんど「四七抜き音階」です。Perfumeの曲もそうです。中華風にも聴こえる四七抜き音階をうまく活用しています。「Perfumeはまた四七抜き音階かー」と、シングルが出る度に思います。

そして、もう一つ大きく使われていることがあります。それは「ヴォーカロイド」の世界です。あまり知らないのですが、その界隈で一番有名な曲「千本桜」あれも「四七抜き音階」そのものです。だから小林幸子が歌ってハマった。

そして、最近話題の和楽器を標榜したバンド、武道館公演までやった人気のバンドがいます。彼らの音源を聴くこともできるのですが、CMでアルバムの曲が少し流れて、その曲たちが全部「四七抜き音階」だったことから、聴くのはやめました。

僕は口惜しいと思ったからです。

 

なんで、なんで今はこんなに「四七抜き音階」が溢れているのに「Kagrra」はいないのって

 

Kagrra,のヴォーカリスト、一志さんは、2011年7月18日、死亡されているのが発見されました。今日はちょうど命日です。

僕は一志さんが亡くなられたことは知っていました。シーンの中でも近いところにいた、蜉蝣の大祐さんがなくなって、1年と3日後。それは偶然だと思いますが、あんなに同時期に頑張っていたバンドのヴォーカリストが続けてなくなったなんて。ショックでした。

 

そして、その死因が自殺だった。それはずっと知りませんでした。そして彼が長野県出身だったということも知りませんでした。ショックでした。長野県出身のヴィジュアル系バンドマンは案外いるということは知っていましたが、彼もその1人だったなんて。大祐さんと同じ死因ににて亡くなってしまった。大祐さんにはその兆候があったことは否めません。彼は必死にもがいていた。しかし、一志さんにそのような兆候はなかった、と僕は感じています。全く素性を知らない、作品を通してでしか、知らない。

だから今日はあえて初期のインディーズ時代のベストアルバム「Kagrra, Indies BEST 2000~2003」を普通にレビューにして、Kagrra, というバンドをこのブログ、インターネットに刻みたいと思います。

Kagrra,は「ヨナ抜き音階」使用していました。それはもちろん無意識ではないと思います。そんなことを思い浮かべながら、再度Kagrra,を聴いてみました。

 

01:あまふらせたんまいな 

呪術的なタイトルの連呼から始まり、土着のリズムに乗って展開していく。いかにもKagrra,らしい「和」の曲。しかしサビは流麗であり、一志の唯一無比の高音ボーカルが冴え渡る。妖精でもあり、女神でもある。天女の方が近いのだろうか。山奥で乞われるのはタイトルとうり「あめ」なのだろうか。歌詞では別の物を乞うているように見える。なにかをふらせてなにかを壊してほしい。そのように。気のせいだろうか。

02:魔笛 

この曲のイントロとAメロ、Bメロとサビは調が異なる。それは聴けばわかると思う。マイナーコードとメジャーコードの違い。それはわかりやすい。けれどもそれだけではない。サビのみ「ヨナ抜き音階」を配している。だから全く別物に聴こえる。ひじょうにポップとしか言いようのないサビ。それはやはて「ヨナ抜き音階」に戻り、また表れて、そのメロディは幻のようにやがてまたそれは過ぎ去っていく。まるで儚き微風のように。

03:白い魔手  

Kagrra,はまがいのことなき「ヴィジュアル系バンド」であるということをわからせてくれる曲。彼らも他のバンドと同じように同じような歩みだった。でも、いつからかそこから脱した。脱しようとした。そしてそれは成功した。このインディーズベストは、インディーズ時代のベスト。インディーズ時代のベストを出したバンドなんてそういない。その後の試行錯誤を考えると、少し愛おしくおもう曲。

04:月下想葬

なんて素晴らしい曲なんだろう。当時テレビ埼玉でCMが流れていてそう思った。サビの部分だけだったのに。もちろん良いのはサビだけではない。歌から始まるイントロから素晴らしい。「月下想葬」月の下で、葬を想う。これは皮肉になってしまったかもしれない。しかし、月と死は似ている。そう感じた。月は人を狂わせてしまうということがあると聞いたことがある(LUNACY) 月のあるところには、死もある。なんて哀しいだろう。そしてなんて美しいんだろう。このメロディはせつなすぎる。イントロのフレーズが繰り返される。そして物語は終わる。月が沈む音とともに。

05:妖祭  

鉦(かね)の音。太鼓的なリズム。うねるベース。ベースラインはもちろんヨナ抜き音階!祭りだ祭りだ。これほどまでにヴィジュアル系で「祭り」を表現した曲があるのだろうか。しかしサビはやはり流麗であり、一志氏の脅威のハイトーンファルセットが「妖祭」を彩る。ギターのソロもリズムに合せたもの、和楽器的ともいえる。かれらがいかに「自分達ができる範囲で”和”を表現しようとしたのか」という思いが伝わってくる曲だ。

06:神謌  

「かみうた」と読む。この曲はこのバンドがツインギターだということをわからせてくれる良い見本だと思う。同じカッティングのフレーズが右と左から流れてくるのだが、違うように聴こえる。違っていい。違うからこそ、人力なんだ。当たり前なのだけれど、全く同じようにしている、それが演出だったいいのだけれど、そういうバンドも多い。時に2つに別れて違う線となる。緩急おりまぜドラムとベースも動く。ドラムの細かい16音符のハイハットが聴きどころ。このような中庸な曲こそKagrra,そしてヴィジュアル系バンドの醍醐味だと思う。

07:徒然なるままに… 

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

鎌倉時代、結局誰が書いたのかは正しくはわかっていない「徒然草」この曲のタイトルを見て、それを思い出した。鎌倉時代なんて、想像もつかないけれども、そんな時代があったということを知られることは素晴らしいことだと思う。この一文が素晴らしいからこそ、語り継がれて来た。この言葉たちに寄り添うこの「徒然なるままに…」はそれにふさわしいものだと思う。何時代かわからない人たちが、つれづれなるままに日々を過ごす。こんなこと書きつくれば、いなくなったあなたを思うのです。そんな時でも美しいKagrra, なのにもういない。なんてやめましょう。徒然なるままに…

08:沙羅双樹の子護唄  

沙羅双樹、サラソウジュと読むらしい。3拍子の落ち着いた曲。静かに咲いて枯れていく花が見えるよう。花はいつか枯れる。最期の時はくるけど、生命は巡っていく。終わっても巡っていく。歌詞からそんな思いが伝わってくる。ひとひらの花びらが散るように終わる。

09:夢イズル地  

こんな素晴らしい曲、つまらない言い方をすれば「売れそうな曲」がこのまま埋もれてしまうなんて。この曲はKagrra,のポップな部分、明るい部分、幻想的な部分、そして和的な部分を全てわかりやすく表現したすばらしいー曲だ!この時期のヴィジュアル系バンドに共通してと感じていることは、曲の組み立て方が非常に上手い。だんだんと盛り上がって、サビで惹きつける。それはヒット曲に必要なことでもあり、聴いているほうとしてもやはり楽しい。この曲が「和風アニメ」の主題歌タイアップが付けばよかったのに。もう、終わったことなのがくやしい。

10:恋綴魂  

黒い曲。黒い中に群青の何かが蠢いている。そんな曲。要するにダークな曲。だけれどもこの曲はとても美しいと思う。暗闇の中で、目に見えないものが蠢いているけど、そこに生命は感じていて、それが血に変わる。アップテンポなのに、遅く感じる。そこに隙間が多いからかもしれない。良い意味で気のぬけたような、何か今までと違う景色が広がったかのような。違う世界に行ってしまったかのような!恋、つづる、魂。魂は見えなくなっても消えることはない。

11:春麗  

「明るいヨナ抜き音階」いい加減ヨナ抜きは飽きたかもしれない。でもそう表現するしか伝わらない。彼らもそうだったのかもしれない。「またヨナ抜きになった」そんな会話が交わされていたのではないか。そうだとしたら、すごく楽しそうにもこの曲は聴こえてくる。和とは本来くらいものではない、明るいもの。明るく「和」を楽しんでいる。良いことではないか。日本が明るい時代だった時もあった。本当はそうなのかは、誰も知らない。しかし今は残しておける。おそらく全ては引き継がれてそのまま記録されていく。そこに残すために、人は何かを…

なんだか疲れてきました。今は夏だけど、春が恋しいです。全てが麗しいはる。チュンリーら。

12:し、み、め、ゆ、き、さ、あ  

日本においては、西洋の文化が入るまで文章は全て縦書き縦読みだった。西洋が入ってからは、一時期はこのように「右から左へ書いて読む」ということもあったよう。平安時代鎌倉時代にあったかはわかりません。源氏物語あさきゆめみしの時代)には無いと思う。この曲は享楽的な生活を送っていた天皇とその側近たちの優雅さを表現したのだろうか。僕には「源氏物語」を図書館で借りて読んで妄想に耽る現代の少年少女が浮かぶ。そんな子たちが現代に果たしているのかは謎だけれども。「源氏物語」を読まなくても、かならず社会の授業で習うのだから。そこで少女はインスピレーションを受けて、ノートにこう印した。「し、み、め、ゆ、き、さ、あ」そのまま書いてもし見つかったら恥ずかしいから…

13:桜花爛漫 

この曲順はメンバーが決めたのだろうか。僕の気のせいかもしれない。最期の桜、最後の桜の曲が待つ丘に向かって一歩一歩、咲き誇る桜を見つめながら、何かを覚悟して、強い風の中歩んでいくような風景が見える。誰かに対して、語りかけている。そこで待っている人に。しかしその人への別れのようにも聴こえる。メンバーの演奏も何かよくわからないけれども、強い強い意思を感じる。言いたいことは「ありがとう」なんて曲なんだ。桜はただただ美しい。そしていつか散る。

14:桜舞散るあの丘で

映画をみていた時に「映画が終わった」とはっきりわかる時がある。エンド・ロール。主題歌が流れて「終わった」とわかる。ハリウッド映画ではそのようなことはない。日本の商業主義的な映画でも、それはない。現代の映画はリスク回避のため「製作委員会」が設立されて、それらに投資をした人たちがさまざまな目論見を持ち込んでくる。「映画の主題歌」「ハリウッド映画の日本版だけの主題歌」はそういうものによる。

この曲を聴いて、映画のエンド・ロールが浮かんだ。終わったんだ。現実的にこの曲がこのベストアルバムの最後の曲。 

全てを包み込んで、高いところから見下げるような曲と歌詞。達観というにはあまりにも純粋すぎる、しかしこのアルバムでKagrra,が終わったわけではない。あとにも続いたメジャーレーベルの時代が彼らの真骨頂なんだろう。

しかし、終わってしまった。すごく哀しい。自ら生命を断ってしまった。

映画は終わったんだ。でも、彼らの音楽はまだ終わっていない。私の生きてきた鬼の街はとてもさみしくて。そうだ。とてもさみしい。長野はさみしい。この地、僕が今いるところとは離れているけれども、同じ都道府県で育って、でもそこでは亡くならなかった一志さん。あなたがえらんだことは間違ったこと、とされています。が、魂は消えても、音はなくならない。それが答えです。生命は儚い。桜もすぐ散る。でもすごく美しい。

 「ヨナ抜き音階」「四」と「七」が無い音楽だらかの時代になったのに、「一」がないのはせつない。せつなすぎる。

おわり

【ヴィジュアル系】メガマソ 「天使崩壊」涼平くん僕も崩壊してるよ…【うつ気味レビュー】

 

天使崩壊【通常盤】

天使崩壊【通常盤】

 

 

天使が崩壊したって。

僕の中の天使たちもほうかい、崩壊はしていないけれども

天使たちからは離れてしまった。もう近くにいないのだから。

崩壊したのと同じなんだ。

 

ごめんね。

涼平くんからも遠くなってしまった。migimimi sleep tightのプレビューライブが最後だったね。あれから「」しようかと思ったけど、ダメになっちゃった。

ちなみにね、自分語りでゴメソなんだけど、あのプレビューライブをやったライブハウス、僕がね、バンド時代に最後にやったライブハウスなんだよ。今更気づいたんだよ。前にやった事は気づいていたけど、君のはじまりの場所の一つが、僕の最後の場所だったんだよ。

 

不思議だね。

星がキレイだな。

天使がいそうだな。

くそド田舎だから、星だけはきれいなんだな

 

シスタンは、とても切ない曲。ゆっくりはじまったかと思ったら、いきなりツービート!でも歌メロはいつのままだね。実は僕の歌を聴いていてくれた?ほんと?これは現実じゃないよね。天使は崩壊したのだから。

 

天使崩壊 

「いよいよ始まった感」のイントロが燃えるね。いよいよ「天使崩壊」が語られるんだ。でも

「高高度から覗く天の川」「惚けてぽかんと光りの粒々」って歌詞カードあるのに歌は「よぞら」だけになっているよね。これはどういうことなのかな?昔もこういうのあった気もするよ。「高高度すぎてよくわからないお約束」なんてやっているの、君たちだけだよ。なんなんだよ。素敵じゃないか!カラオケで歌詞に「高高」とか入っているのか気になるよ…「髙」じゃなくてよかったよ…

歌詞追う表示が追いつくのか心配で心配で。どうでもいいよね。

 

「もし君がただしくない夜があって… 世界がただしいときに」

ほんとうに僕はただしくないのかな?わかんないよ。だったら僕をド田舎から救ってくれ!自分から出なくちゃだめだよね。

 

インザーギさんのハイトーンと、背後に微妙に入ってくる電子音がいい味だしてる。SF的ともいえるかもしれない。宇宙的、天使は宇宙にいる。そして夜空にいる。

 

いきはよいよい、かえりはこわい。

ゆりかごから墓場まで」って言葉があるけど、この曲は「梱包業者から曼珠沙華まで」だよね。そんなのすごいよ。他のバンドにはないよ。ていうか仮におもいついたとしても、そんなの曲にはしないよ。通常ならね・・。

でも「そんなの関係あるか」みたいな勢いのある曲だよね。昔をやっぱり思い出しちゃうな。ツェッペ氏って結局だれなんだろう。昔のことはもういいよね。昔のことが忘れられない人たちがまだ集まってるみたいだけど。もういいよね。この曲は、過去を踏襲しながらも確実に超えている、違う意味でも超えている曲だよねすごいよやっぱり…。

 

フラワリングピッツィカート

曲名を真面目に捉えることの無駄さ、虚しさを感じさせるスローな曲。

なんとなく通常版のジャケットにある「魚さん」の曲なのかなとおもったけど、いろんな動物たちがでてくるよね。でも動物に関しての曲ではないとはわかる。あくまで人間を歌っている。

「花盛りのピチカート」ピチカートってあれだよね。弦をはじく奏法。そうなんだ。やっぱり意味がわからないけど、すごく素敵だと思うよ。この曲もいいね。インザーギさんのさすがに苦しそうな高音が続いてこっちも苦しくなるけど、それもいつものこと。

 

ふとん史

ふとん史ってなんだろう。ふとんというものに、史実が存在するのだろうか。

そしたら「人参を口に運んで」と来た。人参を口に運ぶ曲なんて、この世に他にあるのだろうか。

そしたら「いかにもヴィジュアル系」みたいな曲調がはじまった。ふとん史なのに!そしたらそしたら、嵐のようにサビになる。わかるようなわからないような描写。こんな変な曲、変だけどなんだか素敵かもしれない曲があったのだろうか。

あった。それは彼の曲のすべて。すべてに共通していること。

「蒲団から」何かがこぼれた。それが「ふとん史」なんなんだろう。これはもしかしてネコちゃんのことなんじゃないか。いやそうではないのかもしれない。そうだったら素敵なんだろう。ふとんに猫がいた。そして死んだ。だから「ふとん史」。悲しい曲だ。そんなことないんだ。僕が暗いだけなんだやはり崩壊しているのかも…

 

juice

3つあった「涼平バンド」の3つ全てにて共通して引き継がれた「涼平なる癒やし」の曲。インザーギさんの素敵なストレートな曲です。良いのです。良いのです。これこそ、涼平バンドなのです。migimimiは癒やしが多そうなのですが、結構僕はそれが好きなのです。他のバンドには無いじゃないですか!ここまでのギャップ!しかもその1つは「非涼平」でも売れやがって結構良い曲もあったり・・・どうでもいい!インザーギさんごくろうさまです!

 

ウイウイ

タイトル「ウイウイ」

何の曲なんだろう、そしたらいきなり「うさぎ消えた、僕は急いで探すよ」ですって。うさたん🐰探す曲なの〜?ファンシー☆かと思ったら、そうではなさそうだけれども、全体的になんだか混乱してます。涼平くん大丈夫なのかなあ〜統合失調症の人の書く歌詞みたいだけど、気の所為だよね。りょうたんが木の精なのかも。

石首魚、いしもち、そんな言葉生まれて初めて聴いたかも、少なくともロック音楽上で聴いたのは初めてだよありがとう。そんなことが毎回あって、本当に自分が無知だって気づいて口惜しいよ。さっすが学士の人は違うねそれは関係ないよね。ごめんね。

全体的に、ハイテンションハイテンションヌだけど、よくわからない。最後の歌詞に何か意味が?と思わせてられてしまう、口惜しさが残りました。それもよくあること

 

削り氷にあまづら入れて

「まさかかき氷🍧、フローズン・スイーツ🍧🍧🍧の曲なのかなあと思ったら、その通りでした。

でも良いでしょう。海!夏!ヴィジュアル系!という本気の居心地の悪さ、そしてやはりよくわかんない世界観に、海に溺れたくなります。湘南のキャンパスで狂ってしまう学生たち。永遠に遠いサマー・オン・ビーチ。たまには良いのではないでしょうか。そういえばヴィジュアル系に「夏ソング」ってあったのでしょうか。あったような気もしますが、別に知りたくない知識です。ひとまずヴィジュアル系の「夏ソング」といえばメガマソの「削り氷にあまづら入れて🍧」これで決まりです。完全にヴィジュアル系

ichigoサマーデイズ楽しみさい

比較的「さわやかまえむき」な「HOOPS」挟んで「ichigoサマーデイズ楽しみさい。」またこれまた、「夏ソング」です!!困りましたねえ〜涼平たんやっぱり…崩壊しているのではないでしょうか。ツッコミことさえ虚しくて笑えてきてたのしい「楽しみさい」偏差値いくつなんでしょうか涼平さん。トホホ。高偏差値の莫迦化かし!さすが!

しかしヴィジュアル系のお約束、「曲調が途中で突然変化する」という伝統は護られているのです!涼平くんはやはりヴィジュアル系のネ申だから護られる!

ところで一連の「夏ソング」を聴いて思い出したのですが、「ヴィジュアル系史上初のサマーバンド」PIECElangを思い出しましたよ!誰も覚えてないと思いますけど!確かに彼らは「ヴィジュアル系」と「夏サマー」を融合させた、かなり裏歴史的なバンドなのですが、ごめんなさい。関係ない話して。動画のLinkだけ貼っておきますね。

PIECElang - TOCO"夏"FANTASY - YouTube

 

フロスチ

いつになく、素直なことばだね。ありがとう。わかったよ。天使は崩壊してしまった。でも存在しないものだから、きみは現実に存在しているもの、言葉を使って、誰にも表現できないものを作ってきた。

そういうものなんだ。天使なんかいない。僕のために、君のために。

 

というわけで、やはり涼平くんは日本ロック史上に残る天才であり秀才であり、そして鬼才、鬼才が一番強いと思うのです。

そんなぼっちおじさんでした。

天使よよみがえれ!!!

【ヴィジュアル系】Călătorie-カラトリア- 「琥珀の花」僕の「最期」のヴィジュアル系

みなさんこんにちは。

今日は「ヴィジュアル博士のる」さんのソロプロジェクト「Călătorie-カラトリア- 」の1曲入りCD「琥珀の花」のレビューをしますね。

f:id:maemuki:20170615160913j:plain

のるさんとは実際にお会いしたのは1回だけ。しかも「カラオケ」という場所での初対面でした。

その時はのるさんの事を知りませんでした。その会も参加は4人くらい。中には「琥珀の花」の中の紹介文にも登場しているvkdb(https://www.vkdb.jp/)のkuwaさんもいました。kuwaさんとは2回めの対面でした。

 

のるさんは、途中からの参加でした。「ヴィジュアルはかせが来る」みたいな事を聞いたかどうか、覚えていません。

しかし、彼のことはすぐにきになりました。すごく!歌がうまいのです!

カラオケで歌がうまい人は沢山いましたが、彼はその中でも出色でした。どうしても自分とくらべてしまいそうになりますが、そんな比較にはならないほどに上手でした。その後ファミレス的なところでお話をして良いひとだとわかりました。コミュ力高いです。

 

その後はTwitterなどで、お互いなんとなく交流を量るだけでしたが、彼のヴィジュアル系に対する思い、活動、実際の活動には、心を打たれました。

毎日、本人にとって実質的な利益にはならないと思しき、「新しい現在進行系のヴィジュアル系バンド」の情報をTweetしています。そして、彼らの活動にもライブハウスを通じて協力をしたりしている。

彼が「オサレ系」のバンドマンだったということも、憧れになりました。オサレ系バンド…あこがれる…高田馬場AREA…池袋サイバー…

 

そして彼が「ヴィジュアル博士」と名乗るに相応しい知識と見識の持ち主だということも理解できました。

それが特に表れていたのが彼がnoteに書いたこの記事です。

note.mu

ヴィジュアル系バンド界最大の貢献者、そして最大のタブーでもあるKISAKIさまのこれまでの歴史を、完璧にまとめていてくれます。

KISAKIさまに対して、ここまで真剣にその存在意義を問うた記事がかつてあったのでしょうか?ほとんどのV系ライターは「彼がほんとうにスゴイ」ということを理解してないか、無視している、知らない、としか思えないのですが。気のせいでしょうか。

KISAKIさまこそ、真のヴィジュアル系バンドの創始者の一人である!というのがここで証明されています。

 

今回の「琥珀の花」もリリースがアナウンスされて、僕は「ライカエジソン」で通販にて購入しました。

ライカエジソン」で買いたかったのです。インストアイベントには行けませんでしたが、買いました。「ライカエジソン」はV系のCDストアの象徴のひとつなのですから、そこで買いたかった。

 

届いたCDを開けて聴きました。

「白系」を思わせるようなギターのフレーズ CーF#ーGのフレーズ。どことなく deadmanの「盲目の羽根と星を手に」を思い浮かべます。

彼の天を抜けるような高音ながらも、どこか優しさに溢れる歌声は、カラオケで聴いたものとはまた別で素晴らしいと思いました。

その後にシクレトトラクアヤビエ的表現)が入っていましたが、これも素晴らしかった。ピアノをバックに歌う正統派バラードですが、こちらの方が歌唱力が活かされていると思いました。今時、ピアノバックだけでボーカルが歌うなんて珍しいのでは。

 

しつこく何度も言っていて恥ずかしいのですが、

僕は「ヴィジュアル系」という言葉が産まれる前から、「ヴィジュアル系」とされている音楽を聴いてきました。始まりは「X」ですが、やはり「LUNA SEA」と中学生で出会ったのが大きいでしょう。まだインディーズの頃でした。

それから、様々なバンドと出会った。いろんなCDを買った。「ヴィジュアル系」という括りが産まれた。そして「ヴィジュアル系バンドブーム」がやってきて、終わった。

 

そういう中で、僕は、ライブにあまり行きませんでした。行かなかった。一時期は歌舞伎町と高田馬場にも近いところにも住んでいたのに。行かなかった。行けなかった、とは単なる言い訳です。

 

いつのまにか僕は「古いヴィジュアル系バンド」だけしか聴けない普通のおじさんになってしまった。

そう気づきました。「琥珀の花」を聴いて、CDと一緒に付いてきた若いヴィジュアル系バンド達のチラシを眺めて「誰だろうこの人達」なんて思いながら。

 

そして、これが僕が買う、最後の「ヴィジュアル系のCD」になるんだろうな。と思いました。

おそらくそうなると思います。

僕は、いろんな音楽が好きです。

 

「知ったかぶり」でレビューをしていて恥ずかしいという気持ちが矢張りあり、最近は「ヴィジュアル系」のレビューを書くことができませんでした。

でもネタはまだ尽きていません。

 

が、もう新しいバンドには興味は持たないと思います。

「あがる」のです。ついに。様々なバンドをいい加減に手をだしてきて「あがって」きた。それも終わりです。

さようなら、ヴィジュアル系バンド。

僕は一線を引きます。

 

これから、傍からぬるく眺めて観察します。

それは今までと変わりませんけど…。

 

琥珀の花」は僕のヴィジュアル系人生の最期を飾るのに相応しい曲になりました。

 

今後はすべて、のるさんにまかせた(なにをまかせたのかはよくわかりませんが)

ので、よろしくお願いします。

 

さわやかまえむき

【未練タラタラ】GACKT、もうMALICE MIZERの名を挙げることはやめてくれ!!

www.excite.co.jp

ameblo.jp

18年前の今日。
ボクがバンドからソロに復活した記念すべき日だ・・・。
と言っても
この日に辿り着くまで
そしてこの日から全国ツアーをスタートするに至るまで
恐ろしいぐらい紆余曲折したあの一年を
未だにはっきりと覚えている。
 
いや
今日ここに来るまでずっと波乱万丈だ。
ボクの人生は常に波乱万丈。
色んなことが脳裏に蘇る。
MALICE MIZERのメンバーそしてあの当時の女社長に突然
なんの相談も前触れもなく
MALICE MIZERは解散する』
と告げられたあの日のことも。
あのミーティングで最後は喧嘩のような状況になったことも。

前々からずっと思っていたことなのですが、なんなのでしょうこの男。

散々にMALICE MIZERの名を挙げて、亡くなられたkami様の名を持ち出して、お墓参り、そこにはカメラも共に。

また、そこで自己弁護ばかりを繰り返す。もう終わったことなのに。

これに対して、MALICE MIZERのメンバー達が発言したことは、ありません。

 

なのになのに、また自身のことにかこつけて、上記のようなブログに「MALICE MIZER」の名前を持ち出して、また自己弁護。ブログの後述には

誰がいいとか悪いとか
今更そんなことには興味がない。
こうやってここまで走って来れたこと
そしてこんなボクを支えてくれた多くのファンのみんなに対し
感謝の気持ちで一杯だ。

 と、きれいに占めています。

今更興味がないなら、わざわざそんなこと言わなくていいのに。なんて未練タラタラなんでしょう。MALICE MIZERが解散する。と、事務所社長に言われたことは、「あなたがいなくなったらMALICE MIZERは解散する」ということなのかもしれません。それだけ大きい存在だったのに、あなたは逃げた。

逃げたことは、事実なのです。

でも、逃げたとしてもいいでしょう。そういう時は誰にもでもある。

 

しかし、逃げておいて、片方からだけ発信力が強くなってしまった状況にて、高らかに何度も何度も、同じことばかり、本にまで書いたりして、本当に惨めです。

 

彼は、今クアラルンプールにて、マレーシア進出の日本人の手助けをするビジネスを行っているようです。またもやテレビ番組にて、豪華絢爛で品のない自宅を公開していらしゃいました。

これ見よがし。という言葉がぴったりに感じました。誇らしいのでしょう。お金があることが。しかし、お金では手にはいらないもの、を彼は得ていない、ということも、僕は感じていました。

彼には、音楽をやる上で、自分名義で音楽をやる上で、一番重要なもの、そしてmana様Kojiさまが保有していたものが、無い、ということを感じていました。

それは「作曲の才能」です。

 

彼が作った曲を全て聴いたわけではありません。しかし、MALICE MIZERで「僕が作曲した曲が一番売れたからメンバーと微妙な関係になった」という曲、唯一の曲は、MALICE MIZERの史上唯一の駄曲だと、僕は思っていました!

 

その後のソロ活動の曲、いきなり未練タラタラなタイトルのソロデビューシングルあたりはまだ聴けましたが、その後は凡庸の名に相応しい、ひどい売れ筋の曲ばかりだったのかと思います。「この人には、何かが足りない」と思っていました。それは、作曲の才能だった。

ルックス、歌唱力、これは全くもって問題がなかった。でも、作曲能力がないことを本人は自覚していなかった。

まさか、あれだけピアノが弾けるのに、と思うのかもしれません。ピアノを弾くことと、作曲の能力は全く別です。ピアノの腕は、確かに横浜アリーナででKamiさまとデュエットにて披露したドビュッシーの「ピアノのために」第1楽章は、見事でしたが、

あの曲は音大生の間では「難しそうに聴こえるけど実は簡単な曲」として知られていた曲なのです!名曲ですが!

それがわかっていたので「GACKTってピアノがうまいな」とは僕は思いませんでいた。ただしそんな曲を選んでくるのは「うまい」とは思いました。

 

MALICE MIZERではそれが他のメンバーによって十分に補完されていた。だから素晴らしい作品が出来ていた。それが誰のおかげなのか、彼は気づくことがその時はできなかったのだと思います。

 

もしかしたら、心のどこかでそれを思っているのかもしれない。

だから、一連の未練タラタラ発言になってきたのではと、勘ぐります。

 

彼のひけらかしている華やかで金持ちの世界も、羨ましいなんて全く思わないです。

それよりも、自分の音楽性とキャラクター、ヴィジュアルを今でもずっとずっと貫いている、mana様とその仲間たちのほうが、ものすごく羨ましいです!

 

mana様もアニバーサリーに向けて、最近は親近感溢れるTweetや、未だに冷めないMALICE MIZERへの「愛」に溢れた、Tweetをしていらっしゃいます。

そして、それに対して、ファンもmana様、MALICE MIZERへの消えぬ熱い思いを伝えます。

そういうものが、本当の音楽のあり方だと思うのです。

 

今後はビジネス活動と、アーティスト活動を並行していくようです。がんばってくれたらいいです。お好きなようにどうぞ。ただし、もうMALICE MIZERのことには触れないでほしい。もう満足でしょう?お金もあって、活動もしてまだファンもたくさんいる。

何がこれ以上ほしいのでしょう?

わからないです。

 

ヴィジュアル系の始祖的なバンド、AUTO-MODのジュネ様が、過去に一緒に活動していた元BOOWY布袋寅泰さんのことをインタビューで聴かれて「あいつらはもう天上界に行ったから関係ない。俺たちは地下で別々にやっている」と言い切っていました。

 

もう、あなたはきらびやかな「芸能界」の世界、そして金満であることが恥ずかしくない「ビジネス」の世界に行かれたのです。

己の芸術のためにになら、なんでもやるような世界にはもういないのですから、触れないでください。お願いします!!

 

manaさまkoziさまYu-kiさま、MALICE MIZERよ永遠に・・・


Malice Mizer - 記憶と空 ~Kioku to sora~ (sub rōmaji+español) HD ☆☆☆☆☆

 

 

maemuki.hatenablog.com

maemuki.hatenablog.com

maemuki.hatenablog.com

maemuki.hatenablog.com