ここ最近は公園に行ってボーッとしています。この間は上野の不忍池のほとりでボーッとしたりしました。
ベンチに座って、陽の光を浴びて、風を感じて、好きな水場の風景を眺めていい気持ち。音楽はあまり聞かなかったり、本なども読まず、iPhoneもあまり見ません。
ひたすら何も考えていない、ようにしたいなと思ってずっとそうしていました。
日常でもいつもの癒しの森公園によく行って、同じようにひたすらボーッとしています。ほうけたように。何も考えていないのだと思います。公園にはいつもおじいさんたちがいて、おじいさん同士で仲良く話したり、鼻歌を歌っていたりして楽しそうであります。
自分も老人のようだなと。考えてみたりしました。
・・自分はこんなにほうけた日常を送っているというのに、どこかまだ疲れているままなのです。身体ではなく心です。そうなんだと思います。実際に社会的な生活はなんとか送れているので、問題はないのですが、まだ、ダメなのだと思います。
僕の心に大きな傷を負った2016年からもう6年も経ちました。ここ数年はあっという間でした。そりゃそうでしょう。こんなにユルい生活を送っているのですから、当たり前です。あっという間。何もしなくても、そしてとてもつまらなくても安定はしている生活はあっという間に過ぎます。
6年。
まだ、自分には足りないのだと思います。何も考えていたくない時間が足りない。
でもいつまでもそうではいけない。
そこで考えました。
10年。
2016年から10年。あと4年です。ほうけ生活は概算で2年半くらいになりました。
でも、まだまだです。僕にとっての大きな傷はまだ癒えていません。だから2016年から10年経つまで、僕は何もしない、ひたすら自分のことだけを考えて生きていく、これまで通りに過ごそうと思います。
ただ、不可抗力で何かが起きるかもしれない。人生とはそんなもの。正直めんどうくさいということが大きいです。
が、もう怖いものはなにもない。
こんなことを公園でボーッとしながらズッと考えていました。
終わり