どうしてもサブカル文化人になる夢があきらめきれません。でもその道は遠いのです。
やはりサブカルになりたい、という考えは浅はかであり、所詮はミーハーくそやろうでしかないからです。
「気がついたらそんな感じに扱われてました…」じゃないとダメなのです。今はしょせんお客様にしか過ぎない。サブカル文化人の金づる動員でしかない、傍観者でしかない無名な自分でしかない、のです。
悲しい。
そのように歩もうと小さなころから努力をしてきたつもりです。なるべく周りの他人達とは異なる視点を持とう持とう持とうと、無意識に過ごすようにしてきました。
自称変わった子だったのです。自分が特別な存在になんだと思い込むようにしていたのです。そして気が付きました。自分はみんなと同じでつまらない人間なんだって。
そうなのです。見下していたのです。他人も自分も。最低ですよね。
ここでサブカルどころか、真人間への道へも閉ざされてしまったのです。悲しいです。
文化的なところもそうです。小学生の頃ヒットチャートの上位に甘んじず、下位のものにも目を向けるようにしていました。それがこのブログに現れたのですが、やはり今は日に数ヒャクのアクセスしかない過小ブログになりました。
このブログが長く続いてきたのも、いつか自分に陽の目向けられる、この人はサブカル文化人にあたいすると思われるかもしれない、という期待があったのかもしれません。
打算は全て外れました。悲しいです。
サブカル文化人というものは、ほんとうはサブカルだけではなく、他に何かがある人達です。尊敬するサブカル文化人トップである筋肉少女帯の大槻ケンヂ様は、もちろんロックミュージシャンです。しかし本当は音楽への興味より文学映画漫画プロレスなどの文化の方に大きく影響を受けた、ということは皆さんもよくご存知だと思います。
このようにメインもあり、サブの文化にもいろいろ詳しい、ということがサブカル文化人に求められるスキルなのです。
これも尊敬したおす漫画家の蛭子能収さんもそうです。本業は漫画家、タレントとしてテレビになんとなく呼ばれ出演し、その後もギャラが良かったし漫画を書くよりラクだから、という理由で続けて、今や国民的な人気者になられました。
これは蛭子能収さんの特異な何かが語られる価値があったからです。つまり天性のもの。ガラスの仮面でいうと北島マヤタイプなのです。嗚呼!能収こわい子!
そのような天性も自分にはありません。そして姫川亜弓さまのような、恵まれた環境と努力と根性もないのです。
自分はしょせん「劇団オンディーヌ」で亜弓さまを慕うザコ劇団員でしかないのです。
悲しい。
しかしあきらめきれません。きっと間に合うはずです。サブカル文化人には定年がありません。若さも必要ありません。20代30代活躍中!という求人のようなものではないのです。
どうしたらいいのだろう。まだ答えは見つかりません。なので今後は「サブカル文化人になりたい人」というキャラクターを突き詰めていきたいと考えておる所存であります。
この本を再度熟読するしかない!
しかし最後のライムスター宇多丸さんと大槻様の対談にて「サブカルに必要なのは実家が東京」という結論が出ていました。おふたりとも宇多丸さんは文京区、大槻様はもちろん中野区。ああ、自分はスキー場の横のペンションが実家でした><
先はくらいです。チクショウー