さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
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自分はきちがいであれば良い

旅帰りで疲れてしまったのか、週末は無駄に過ごしてしまった。ああもう休みはあと少しだというのに。まだこの長い休みが終わることが信じられない。失業前も失業しているようなものだったから。

長い長い長い休み。これほど長い休みの人間は他にいないのだろう。ほんとうに貴重な時間、膨大な時間を過ごしたと思う。おかげですっかり怠惰が見についてしまった。なので不安で仕方がない。この先またやっていけるのだろうか。

しかし、今度は違うのだと言い聞かせている。まだ具体的にはわからないけれども、自分が得意なことに近い仕事ができるかもしれないからだ。得意な、というか人から褒められるようなことが多いものができるかもしれない仕事だからだ。しかし、自信はない。自身においては自信のないことでもある。

しかししかし、…しかし、こんな雑な接続詞ばかり連続使用をして良いのだろうか。基礎がないから不安になるのだ。基礎が無い、そもそも国語で習っていたはずなのに。なのだろうか。全く覚えてない。国語の授業で何をやっていたのか、漢字の学習はあったけど。

一つ覚えていることは中学生の時に「へりくだる」という意図の内容を文章から読み解いて、それを説明したら、先生に正解だと言われたことだった。例として「私め」の「め」のこと。

そんな褒められたことしか覚えていなくて恥ずかしいけど、そうだったのだから仕方のないことだろう。褒められたことがあまり無かったということなのかもしれない。。。

やはり基礎というものは必要なのだろう。ChatGPTはその辺りは得意だ。なので活用をしたいと思う。よく仕事が奪われるなんて言われるけれども、活用はすれども仕事が減るということは無い、ということはちょっと使ってみたらわかることだ。

プログラミングなど自分が知らないところでは、そうなってしまうのかもしれないけど、創作というものは、ある程度のきちがいでなければならない。それはAIの学習の結果では出てこない、ランダムでの配列でも導くこともできないのだろう。きちがいというものは、人間だけが行なえる不可侵の領域なのである。

 

つまり、基礎はAIにカバーをさせておき、自分はきちがいであれば良いということでもある。そうではないのだろうか。今後はよりきちがい力が人間には求められるのだ。

ほんとうに良い時代になった。もっと自分らしくきちがいでいよう!

自分らしく!

終わり