さわやかトラウマ日記

さわやかな音楽ブログです from 2004


さわやかでまえむきな人間になりたい男が
好きな「文化」を語る。
そんなブログです。from 2004yaer。

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タイの「フリッパーズになれなかった僕ら」に完全に敗北しました!V.A Smallroom 006「 Flipper's Player」タイに行くつもりじゃなかった

僕はタイが好きなんです。

海外旅行で一番行ったのはタイです。正直、最初と2回めの人といった時と、ラオスミャンマーに行った時を含めて、一人でバンコクに行ったのは何回いったのか覚えていないくらいです。それくらい行きました。

 

バンコクは面白いです。

都会で最新鋭だけど、どこかずれていて、なんだかおかしいのです。

デパートはきれいなのに、店員さんは自由だし、あんまり高級じゃないデパートではもっとやりたい放題。寝具売り場では店員さんが昼寝してます。そんなの当たり前なんです。みんなリラックスしてように見えます。見えるだけです。「あなたたちはいつもリラックスしてますね。私は日本人なのでいつも緊張してますよ」とか、誰かに英語で言った覚えがあります。伝わったかはわかりません。

 

キレイなデパートがバンコクの一部に固まってあります。サイアムということろです・

そこによく行きました。それは何かがほしいわけではなく、「涼しかったから」です。バンコクに行くのはなぜか雨季が多かったです。ムシムシして凄く熱いです。一番熱い「暑季」にも行きました。3月くらいですかね。ほんとうに暑かった。そういう時は外をうろうろせず、ホテルか、デパートにいくのです。ホテルにはだいたいプールがあったりします。そんなに高いお金をださなくても五つ星ホテルに泊まれるのがバンコクです。手軽にリゾート気分を味わえるので行ってしまったのです。

 

デパートの中に「HMV的な店」がありました。要するにCDショップです。

そこの僕はあるCDを探して買いに行き、そして買いました。それが「タイのアーティストによるフリッパーズ・ギターの1stアルバムのトリビュートカバーアルバム」です。

 

Smallroom 006: Flipper's Players: Tribute To Flipper's Guitar

Smallroom 006: Flipper's Players: Tribute To Flipper's Guitar

 

  これです。タイのレーベルsmallroomからリリースされました。一時期「サイアム系」と言われていたレーベルです。今では普通のレーベルになったようです。が、一時期はレーベルの作品、特にオムニバスのジャケットの感じが「どっかで見た感じだハイラインレコードとか渋谷HMVで売ってたようなやつだああ」みたいな感じでした。

 

フリッパーズのトリビュートアルバム」というと、もちろん日本から出ています。片方の評判の悪さといったらまさに悪夢レベルです。せっかくなのでここに紹介しますね。 
TRIBUTE TO FLIPPER’S GUITAR~FRIENDS AGAIN~フリッパーズ ギター トリビュート

TRIBUTE TO FLIPPER’S GUITAR~FRIENDS AGAIN~フリッパーズ ギター トリビュート

 

 このレビューの炎上っぷりがひどいです。みんな怒りまくってます!これほどまでに絶望感が伝わるレビューが並んでいると、悲しくなってきます。

なので、このアルバムを聴いたことはありません!聴きたくないから!。人生の無駄です。だって、だって今日紹介するバンコク、サイアムの「Smallroom」の「フリッパーズ・ギターの1stアルバムのトリビュートアルバム」が最高だから!

どの曲も、どのバンドも、センスが日本人と違うからか、上に聴こえます。サウンドもすごくオシャレです。渋谷系を超えてます!ほんとに!そう思ったのは僕だけじゃないはずです。まず英語がうまいです。小山田圭吾より。哀しいほどに、英語に聞こえます!

「FMファン」というマニアックな雑誌で「日本人アーティストの英語の歌を批評する」というコーナーがあり、そこでフリッパーズ・ギター最低点を獲得していました。評価対象はもちろんこの全編英詩の「three cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった~」でした。「英語になってない」「これ英語なの?」「日本語に聴こえる」「曲は悪くない」などメタクソで、僕は笑いました。でも、僕も英語がわからないです。しかしフリッパーズの1stは全英詩ですが、全部歌詞を見なくても歌えるようになりました!そんだけ聴いちゃったのです。だから英語が逆にできなくなったのかも。。。

 

このアルバムは日本版もでました。僕は持ってません。

しかし、AmazonのCDレビューに興味深いものがありました。

このアルバムに一つ星を付けた人がいました。 

flipper’s players~タイへ行くつもりじゃなかった~

flipper’s players~タイへ行くつもりじゃなかった~

 

 

 

★ひとつ タイトル「最悪です」

原曲を何も理解しないままカバーしているアルバムです。
パッと見では曲順も考えてあって、久々にまともなカバーかと思いましたが
そんなことはありませんでした。
これを作った人たちは本当にフリッパーズが好きなのでしょうか?
大半がファンでもないのに企画に乗ってCD出したような雰囲気がするのですが。

気になる方は試聴してみてから購入を判断してください。
私はこんなアルバムを作ってしまう人たちには一銭たりとも投資するつもりはありません

 

 それに下記のコメントがつきました。

 

国内で発売されたトリビュートアルバムのどれにも、このアルバムほど原曲への愛情を感じることはありません。smallroomのこのアルバムは実に素晴らしい仕上がりです。
この評者はタイや台湾の若者にUKロックやべスパなどのモッズカルチャーがどれぐらい昔から当たり前に根付いているかなど何も知らないのでしょうし、そんな彼らが渋谷系をどう解釈したかなんて、想像すら出来ないのでしょう。

 

 

なんて素晴らしい返信。その通りです。原曲への愛。それが感じられるような、それは表面的に感じるのは難しいかもしれません。しかしカバーは原曲そのままに、コピーをすることが吉だと思っている日本人が多すぎると常日頃思っていました。そっくりそのままコピー。バンドスコアを見てバンドを始める人が多かった影響でしょうか。そんなことは格好悪いこと。自分達のセンスが無い、我が無いことを表すだけなのに。

 

それをひっくるめてこのアルバムは本当に素晴らしいです。フリッパーズへの尊敬とか影響とかどうでもよくなってくるくらい上質です。

小山田圭吾小沢健二の耳に敵うかどうかはわかりませんが、少なくとも、聴いたことはないけど、日本版よりは。っていうかこのアルバムに★を付けてる人は視聴しただけで買ってないのでしょうか。最悪ですね。僕も「日本版」を試聴しようかなと思ったのですが、このアルバムの先導者、イズミカワソラさん(過去にこのブログにも登場しています)のグルーヴ・チューブ、略してグルチュを聴こうと思ったのですが、ありませんでした。あー残念。

 

フリッパーズ・ギターの1stは「僕ら」にとっては神聖なものです。このアルバムを紹介してくれた友達も「僕ら」の一員です。「☆ミ心の中にいつもフリッパーズの1stがあった」と言うのはちょっと恥ずかしいけれど、そんな僕らが聴いても、良い、悪いどころか「負けた」と思ってしまったのです。どこかどうこう負けたのか説明するのはわかりません。しかし、日本に後継のバンドは現れず、僕らを「負けた」と思わせるような人たちはついには表れなかった。僕らはずっとそれを引きずって行きていくのです。

そんな高い壁をタイの彼ら、サイアムの彼らはラクラクと飛び越えてしまった。哀しい事実です。

youtubeにはこの音源が上げられていましたので、今からコンプレックスに悩まされながらもピックアップしてレビューします。

 

その前に。「タイであった音楽体験で素敵なこと」を書きます。

このCDを買ったデパートだったかはもう忘れましたが、大きなサイアムのショッピングモールの吹き抜けのところで、男の子4人のバンドが演奏を始めるようでした。

「へえ〜デパートでアマチュアのひとたちが演奏か」と思いました。CDとか、ポスターとかなかったので、たぶんアマチュアです。

「どんな音楽かな」と思って、その辺のベンチに座ってみてみました。

それはそれは、ゆるいゆるーい、ソウル・ミュージックでした。ゆるすぎた。ボーカルの人は力なく、優しく、ギターはさわやか。ドラムとベースは軽やか。外は酷暑だけど、建物の中は寒いバンコクで、僕はほろほろと癒やされました。涼しいのがさらに涼しくなる気がしました。「タイっていいな」と思いました。

日本で公共の場で奏でられる音楽は、ほとんど自分に取って苦痛なもの(※過去の例)ばかりでしたが、バンコクでこんな素敵な音楽が聴けるなんて。いつしか演奏が終わって、僕は前にかけよって、思いっきり拍手をしました。が、話しかけられなかったのです。照れ屋だったから。英語が・・・自信なかったからかもしれない。

 

その時に買ったCDの中にタイのバンド「lemon soup」のアルバムがありました。このアルバムにも参加して「Joyride」をカバーしてますが、アルバムはまた別のボーカルのようで、もしかしてこのバンドじゃないかと思いましたが、違うかもしれません。

www.youtube.com

 この曲を聴くと、あのバンド、あのショッピングモールを思い出すのです。

また、あの空間でこんな音楽を聴きたいです。バンコク好き!

 

というわけでピックアップしてレビューします!

1.Hallo / YURIS NOMINEE

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基本的に元のアルバム通り曲が入ってます!ということで「Hallo」からスタートです!いきなり良い感じです。本物にはないアクセントやアイデアが盛りだくさんで、原曲の良さをさらに良くしてます!1曲めからそれがわかりました。この後も最高なカバーばかりです。これを視聴して買わなくてレビューで★ひとつで酷評した千葉のおじさん、ファックでハローって感じです!ボーカルも「小山田くん直系の囁き系」ですが、日本人の「小山田くんのモノマネ系」よりもなんだかよく聴こえます!となりの芝生はなんとかやらかもしれません!近親憎悪!まーいっか負けたって感じです!

 

2.Boys Fire the Tricot / fono 

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原曲のアズテック・カメラはどこへやら!クールなR&Bに変化しています!

女性ボーカルが良い感じにセクシィです!大好きなセルジオ・メンデスの「Timeless」みたいです!古さが新しくなるように加工してあります!「Timeless」はタイのホテルのプールでよくききましたよ〜うへへ。このトラックも良い感じだと僕は思います!日本人にはできない。。。とそう感じます。おかしいですよね。どうしてこうなるのか、本当に不思議です。原曲への愛とかそういう問題じゃないと気付かされました。かっこいいです負けました〜

3.Joyride / Lemon soup

www.youtube.com

joyrideはさきほどの「Lemon Soup」がカバーしてます。このトラックはボーカルが違って、かなり低音の声です。「Kのカルヴィンみたい」と思いました!米国音楽〜!

曲もバンドのRIDEみたいになってると思いました。気のせいでしょう。しかしやっぱり日本人じゃない。と思いました。日本人が作った曲なのに。なんかそういう運命のもとに生まれた「海へ行くつもりじゃなかった」なのではと考えてみたりしました。全英語詩にした意味が・・・解き明かされ・・てません!こりゃだめだ。

 

4,coffee milk crazy/Cyndi Seui

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キターこの曲ですよ!カフェ・オレをそう呼ぶことがあるという曲ですよ!

ボサ・ノヴァな曲ですが、なんだかエレクトリカルなアレンジになってます。

「ちゅ、ちゅる」という可愛いサンプリングのコーラスも入ってます!

男の子の世界だった原曲(当たり前ですが)ここは女の子の世界です!

かわいいです!女の子かわいい!別にボサ・ノヴァじゃなくても、コーヒーミルクでクレイジーなのです!ニューヨークのティファニーでも「コーヒーミルク」というメニューがあるようです!まいったねNYっていえばオザケンこと小沢健二じゃねーか!

なんだか日本より日本だけどあんまりこっちからみたらあってない日本ではないかと思ったけど、余計なお世話ですね!典型的なボサ・ノヴァカバーじゃなくてよかったよ!

この曲もいい感じ!負けた!

 

5,MY RED SHOES /tattoo colour

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聴いていくと「ふんふんなんか普通だな」と思うですが、原曲とは全く違うギタのフレーズが間奏で出てきます!お祭りみたい!なんだこれダサい!都会的な化粧品のCMを見てたら、次に長野のローカルCMが流れた時みたいな感覚です><ビミョー!でも違和感ないかも。東京にいたときは「面白いな」と思えてましたが、今はそう思えません。祭りの季節まで長野にいたくないとか思っちゃいます><ありゃー、でも声も良い感じです。負けました・・

Exotic Lollipop (and other red roses)/penguin villa

 この曲はyoutubeにありませんでした!

なので聴いてレビューします!

これは「exotic」をそのままexoticに解釈したような変なフレーズが入ってきます。exoticな「お祭り」を感じさせます。日本的かもしれません。また祭りか。彼らにしたら「日本こそエキゾチック(異国的)なんだぞ」というメッセージが感じられます!モーニング娘。でいうと「恋のダンスサイト」でしょうか。あんな感じですが、歌の部分は「普通」です。でも間奏はすべて、「お祭り」お祭りへの強烈な意識の高さが伺えます。彼らは遠い国ですが、日本と同じ仏教国なのでした!タイ大好き!

7.Happy Like a Honeybee / 15th scenery

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ピクニックには!なんて!良い日いいいーーー斎藤工風)の曲です!僕にとっては神聖な聖歌です〜♪

このカバーは女性ボーカルによるカバーですが、聞きどころは間奏以降のちょっとサイケデリックでエレクトリカルな展開です!なんか日本人が作ったみたいな展開ですが、タイ人です!曲を作ったのは日本人!でも原曲の「ピクニック感」が別なところでも発揮されていました!すごいです!負けました〜

8.Samba Prade / OnofoN

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日本は「観光立国」を目指しています。そのことばかりテレビではやっています。ほんとうの「観光立国」それはタイなのです。観光客は日本とは桁違い。それは立地的な理由もありますが、行ってみるとわかるのですが「観光立国」です。日本なんて、日本人以外が来て、満足して帰ることできるのか、本当に不安です。だから、タイ人にこの曲は合うのでは。サンバ=ブラジル=ブラジル人はタイによく行くみたいな。ブラジル人が実際にタイに行ってるのかはわかりません。実際に行ったのですが、白色人種のかたが多くて、ブラジル人は人種が決まっていないので、何人かはわかりません。わかるのはお隣の国の人だけです。中国人はすぐわかります・・。理由は・・・想像の通りです。

しかし、この曲は「サンバ感」を増大させることはなく、というかそもそも原曲もサンバのかけらもありませんでした。それを気づかせてくれた、良いカバーです。「だるくてだるくてしかたないけどハッピー」みたいな女性ボーカルは日本人には難しいです。日本の女性はみんなやる気があって、素敵な女性ばかりだから・・・負けました!

9.goodbye,our pastels badges/ball jaruluk

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僕らのーーアノラックーーー!パステルズバッヂ!です!神聖な曲です!

カラオケでは「take!」のところで両手をパッと広げて出すのは常識です!この曲ももちろん英語の詩ですが、歌えます!なぜ歌えるのか、それは日本語として認識しているからだと、最近気づきました!きっと小山田くんそうだったと思います!

これはMr.ballさんによる、正統派R&Bにこの曲は汚されてしまいセクシーな男、アメリカのボビー・バレンチノ、アッシャーのようなアレンジに、普通の渋谷系なら「わたしたちのパステルズバッチをおかされた」と思うかもしれませんが、僕はこういう黒人系のR&Bが一時期好きで聴いてたんです。だから平気なんです。「おう、パステルズバッチ、お前はクールでタンクだぜ」って感じなんですよーラッキー!この曲もかっこいいです。歌っているballさん、有名な方かと思ったら、youtubeの動画の検索ではこの曲が3位でした。アマチュアですかね・・まあいいです!平井堅さんの更なるカバーを希望します!負けーた!

10.The Chime will Ring/the richman toy

この曲もYoutubeにありませんでしたので、レビューだけです!

このバンド「the richiman toy」は結構人気あるみたいですね

原曲では「さわやか青春ネオアコ」なスピーディーな涙あふれる名曲ですが、このカバーではなんと!エモ!エモに変身しています!「エモって何」って言われるとうまく説明できないのですが、エモはエモです。エモーショナル!フリッパーズ・ギターに、表面的には一番足りてないものを補足しやがったのです!でもかっこいい!サビの早口のところでバックがトーンダウンするのが残念ですが、最後のサビではボーカルが爆裂して、エモーショーナールで熱くなります!暑い!タイは暑い!いつも半袖だけど、熱心な仏教徒は半袖着ないでやせ我慢!なんて国だあ!負けたよおおおお

 

ということでいつになくハイテンションで書いてしまいました。

でも楽しかったです!

本当は本来の「three cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった~」のレビューを最初に書きたかったのですが、まあそれはいつか。

ここまで読んでくれてありがとう!

2017年2月24日 「ミュージックステーション」小沢健二 出演の感想 カルピスオザケン

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なんだか壮大な60分間でした。

メンツは公式でも見ていただければと思いますが、小沢健二と自分としては「X Japan」が気になりましたが、前に聴いたことのある曲だったので、少したのしみくらいでした。

他は、大人数系、普通系、そして平井堅平井堅は、映画「ドラえもん」のタイアップということで、映画に声優として出演したプロ・フィギュアスケーター織田信成浅田舞が、スケート靴無しダンスをするという試みだった。

スケート靴なし、でしたがさすがに素晴らしい舞でした。ダンスとはまた違う優雅さに溢れていました。特に織田くんのしなやかさは「ダンサー」には無いものです。

僕は男子フィギュアスケーターでは織田くんが一番好きでした。面白いから。今日は面白いだけじゃない、優雅な織田くんが見れられたので嬉しかったです。

「でも高橋大輔くんだったら、もっと映えたかなあ」と思ってしまったのも事実です。ごめんね織田くん。

 

話がずれました。小沢健二がチラチラ写ります。さすがに年齢を重ねて変わった印象はありますが、先日見かけた某小山田さんよりは「だいぶマシ」だと言ってもいいかもしれません。むしろ変わってないです。某小山田さんよりは・・・あれは見間違いだったのかもしれません。

 

Xジャパンの番になって、小沢さんがニコニコ笑っているのが見えました。この中で「知っている人」はエックスだけだったのかもしれないと思っていたら、やはりそのようで、タモリに指摘されてました。小沢健二に「今」の人たちがどのように移ったのか、感想を聴いてみたいですが、かつてのように雑誌で何万文字インタビューなんかをしなければ、聴けないでしょう。たぶん眼中にないと思います。僕もそうでしたから。「ししゃも」という若い女の子バンドが「働く人に向けて」と歌を披露していました。すごく前向きでさわやか。さわやかまえむきの僕にはぴったりです。なぜならば僕は「働いてない人」「働けない人」だからです。だから「明日もがんばれがんばれ」と連呼されても、困るのです。傷つくのです。無垢な女の子達のようですから、悪気はもちろんない、と思います。しかし、善意の先に、哀しい人達がいる、ということをわかってほしいという気もあります。

 

小沢健二の番になりました。曲は「僕らが旅に出る理由」と「流動体について」です。

「僕ら」は「LIFE」に入っていて、何回も押し寄せる何かに絶えつつも、聴きました。都庁の展望台で聴いた覚えがあります。「東京でキラキラしたような曲が聴きたい」と思っての選曲だった気がします。

そういう思い入れが、今日見ている人達に、どれだけあるんだろうか。

もしかしたら、いや確実に、小沢健二を知らない人たち、または名前だけは知っていてもよく知らない人たちが殆どだと思います。

きっとみんなには彼らの魅力は伝わらないのかも、と思いました。

 

「僕らが旅に出る理由」に関しては、「ああ」と思うくらいで、特に感慨はありませんでした。「イントロが長い曲」という選曲理由とのことでした。歌唱力に関して、なんか言われるのかもと思いました。僕は気にしないタイプです。外れててもいい。クラシックのピアノはミスしたらだめだけど、歌は気にしない

 

そうこう思っていると「流動体について」が始まりました。

「イントロが短い曲」ということで、ほんとうに1小節もなく、2拍くらいだったかも。そして「羽田沖 街の灯が揺れる 東京に着くことが告げられると 甘美な曲がながれ、しばし窓の外を見る」ときます。羽田に到着した便。国際線でしょうか。小沢健二が活躍してたころには羽田の国際便はなかったかもしれません。空港がどこにしても、夜の着立の風景というものは美しいものです。

その後も「神」とか「宇宙」とか、「もしも間違いに気づくことができなかったのなら」など、なんだか気になる言葉がでてきて、そして美しいストリングスに気づきます。すごく力強い音。今までになかった。

そして「ほんの甘いカルピスの味が 不思議を問いかける」とありました。

 

僕はびっくりしました。この曲を聴いたのは今日初めてでした。

 

その時は僕はカルピスを飲んでいたのです。

小沢健二が歌うと告げられた時に「せっかくの小沢くんだからカルピスのおかわりだー」と思って、お代りをしたのです。冷蔵庫からカルピスの原液のペットボトルを出して。氷を入れて、水道水をそのまま。

カルピスは大事なのです。コンビニにも、どこにも歩いていけないから。

「冷たい飲み物」が、飲みたくなったときにのめないと辛いのです。

家にはインスタントコーヒーや紅茶のティーパックはあります。でも、ジュースは飲むとすぐなくなるから、カルピスはなくならないから。

ほんの甘いカルピスの味。

曲はそのまま、偉大さ、尊大さをそのままに終わっていきます。

 

今日、Twitterをみていたら、久しく見ていなかった「オザケン」という言葉をよく見ました。それは「オザケンひさしぶり」「オザケンよくしらないJUMPのほうがいい」「オザケンやっぱ歌下手だ」とか。そういう普通の意見でした。

久々に見ました。「オザケン」という言葉を。

コンサート活動や音源の配信などで、ぼちぼち名前を見かけることはありましたが、やはり大きな話題になることはない、興味のない人に名前があがることはなかったです。なので、「オザケン」という言葉は、ファンだったら使わない言葉だと僕は認識しております。木村拓哉を「キムタク」と呼ぶのを憚るとのと同じです。

 

でも、「オザケン」が地上に降りてきたんだ。と思いました。

小沢健二は、NYで暮らして結婚をして、幸せになって、なんだかよくわからない活動をして、仙人のような人だったけど、「オザケン」と呼ばれてしまうところに出てきてくれた。「流動体について」流れやすいもの。それは、僕たち傍観者のことではないでしょうか。カルピスを飲んで、「歌の中にカルピスってあるー」なんて喜んでいる、普通の人たち。それこそが素晴らしいと問うているような、気がするのです。

 

僕も人から離れて、仙人のような生活をしていますが

いつか地上におりて、生きていると実感したいです。

オザケン、ありがとう。

ここまでよんでくれてありがとう

 

 

 

maemuki.hatenablog.com

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小沢健二「ある光」

本日、小沢健二が「ミュージック・ステーション」に出演するとのこと。

なんだかここのところの動きが、急すぎます。

なので、ついていってないです。

「流動体について」も買うお金も無く、売っている場所にいけず

見られるはずのMVも、なぜか見られません。

 

ただし、小沢健二の公式のチャンネルに過去の曲のPVがあがっていることを発見しました。

そこには入手不可能のシングルの曲もありました。

これです。

www.youtube.com

「ある光」

 

僕にとっては、憧れ、を裏返した「嫉妬」の対象です。

彼がうらやましくて、うらやましくて、仕方がないのです。

素晴らしい家系、素晴らしい頭脳、素晴らしい学歴、そしてフリッパーズ・ギターの伝説、ソロ歌手での名声。

ソロ歌手として、いくつかのアルバムを残しましたが、それはどれも色合いが違います。

一番ヒットした「LIFE」

これが、僕の嫉妬の対象です。

過去に「LIFE」には入っていないけど、同じような精神的系譜で作成されたと思しき「強い気持ち・強い愛」が入っているベストアルバム「刹那」をレビューしました。

その曲にたいしての僕の「強い気持ち・強い愛」をそこに表しました。

 

maemuki.hatenablog.com

 

今でのアクセスのTOP10に入ってくる、古い記事です。10年以上も前。

僕はいま、この曲に対して、違った感情を持つようになりました。

この曲は難しい曲ではなく、その名の通りの「強い気持ち 強い愛」の歌なのです。

当たり前です。キラキラした渋谷の街、東京の街を二人で仲良くあるいて、強い気持ち強い愛、幸せすぎて「今のこの気持ち、ほんとだよね」なのです。

幸せすぎて、それを疑うなんて。なんてうらやましい。そんな経験、あったこともあるけれども、それは恋愛ではなく「社会的に見てラッキー」な、つまらないことです。

誰かと、人間と、そんな気持ちになったことがないから。

完璧な幸せが完璧な人間によって表現されている。それがわかるから苦しい。

 

でも、曲も歌詞も、そしてサウンドも最高すぎるのです。

キラキラしていて、ストリングスが煌めいて、ブラスは華やかで。

 

「ある光」はそういう「キラキラ小沢くん」ではない曲です。

だから、この曲は好きです。

今日も最悪な気分で朝を迎えました。うつくしい朝でした。

その後、父親がこの一人の家にやってきました。予告どおりでした。

しかし、僕が予定を勘違いしていたらしく、灯油の補充をしにきたとのこと。

外出するのかと思い、ズボンを履き替えていたのに。

 

テラスに出て「わーーー」と叫びました。

そんなに大きい声ではありません。

普段はもっともっともっと叫んだりします。

なのに怒られてしまいました。

「山に行って叫べ 人のいないところへ」

とのことでした。

 

「ほんとクソだなあ」

と思いました。それは自分に対してです。

仕事もできず、ひたすら毎日、泣いている。

情けない人生になった自分が本当にいやです。

 

Macに向かって、「ある光」のPVを見ます。

この音源はiPhoneに入っていて、ハードディスクにも入っていたはずですが

なくなっていました。

「ある光」はある場所で聴いて、そのことを今でも思い返してみたりしています。

その日のことが、ブログ上に記してあります。

maemuki.hateblo.jp

イタリア・ローマへの旅にて、その日の思いつきで「ユーロスター」という日本でいう新幹線にのって、あこがれのヴェネチアに行ったときのことです。

その「ユーロスター」のなかで「ある光」を聴いて、なんだか微妙な気分になっています。

でも、その日のことが自分のことだなんて信じられない。

一人でローマにいって、なんとなくヴェネチアにいったなんて。

信じられないけど、自分が書いた文には存在していた。

 

ヒマなので音楽を聴いていた。大好きだけど普段あまり聴かない小沢健二なんかを聴いてみた。「LIFE」から「刹那」まで聴いていたら、だんだん哀しくなってきて暗い気持ちになってきた。(だから普段聴かない)

なんでまたこんな遠くまでたった1人で来たのか。どうしてこんなことになったのか。

自分で大金を叩いて来たのに、ふと突然我に帰ってしまう。

見知らぬ国を1人で歩いて何かあったらどうするんだ。

死んだらどうするんだ。言葉も出来ない。金持ちでも無いのにお金を無駄に使って一体自分は何をやってるんだ。

もしかして自分の頭は本当はおかしいのではないだろうか。

こんなに時代は進んだのに、客観的に自分を見る方法が発明されていない。本当にもどかしい。

イタリアの風景をみながら、こんなことを考えていた。

自分がバカで哀しいです。それはイタリアにいた自分ではなく、そのことを思い出して長野の山奥で一人こんなブログを書いている自分が哀しいからです。

そしてうらやましいです。自由にいろんなところに行っていた、過去の自分が。

今は山の中で、どこにも行けずに、本を読んでも、テレビを見ても、全てが隔絶された別世界のできごとのように感じてしまう。その頃には考えたくもなかった、ひどい現実にいる。

 

この曲が「ある光」が「或る光」ではなく「そこにある光の実体」だと今日気づきました。 

「心の中にある光」という歌詞があります。

心に中に光があり、輝く明日へ連れて行ってくれという歌なのです。普通にきけば誰もそう思うはずなのに、僕は気づかなかった。

今日、気づいたということは、自分の心の中にまったく光がない、と気づいたからかもしれません。

 

この先、続く永遠の闇しか見えない。ある光、がない。

どこにいったんだろう。そして、この旅行記のときは「光」があったうえでの悩みだと、気づきました。

 

旅行記を書いておいてよかったです。

その時の自分の気持ちが残っているから。

このブログは一応「人のため」にかいているのです。

でも、もうやめました。

 

自分のために書きます。

 

僕はとりあえず、光は長野にはない。と考えています。

東京に帰りたいです。

でも、帰る力がないので、それまでは地獄の中で

必死に耐えます。いつか帰る日を夢見て。

 

絶えられなくなったら「夜逃げ」するかもしれません。

逃げて、新しい自分としてやり直すのです。

ここにいて、最悪の孤独を味わいました。

それならば、この自費で買ったMac Book Proさえあれば

なんとかなります。

 

「逃げる」ことになるので、SNS、そしてブログ上にも

姿を表さないことになると思います。

でも逃げないように、頑張ります。逃げるのはよくないから。

逃げたくないのに、逃げなければいけないような状況になった時が

一番つらかったから。

 

見せてくれ

心の中にある光

 

ある光

ある光

 

 

【告白】ヴィジュアル系の歌詞より暗くて絶望的な人生になってしまいました

今朝も目が覚めてしまいました。

カーテンの隙間から、光が見えました。明るい光。

「嫌だな」と思いました。

カーテンを開ける勇気が無く、そのまま横になったまま、灯油ストーブのスイッチを付けて、ずっと何もせず布団にくるまって、動かずに。

 

最近の目覚めのきっかけは「寒い」ということに気づいてしまいました。

ずっと灯油ストーブを付け続けるわけにはいきません。二酸化炭素中毒になるかもしれないからです。だから寝る時には消さなくてはいけないし、自動的にアラームがなって止まります。「ピッピッ」と定期的に、その音が鳴り続けます。

「うっせーな このクソストーブ」

僕は、このストーブが好きではありません。つねに全力投球で、加減を知らずに、温度を設定したとしても、同じペースで温風を出し続けます。なんでこんなひどいものを作ったのでしょうか。テストとかしなかったのでしょうか。まさに「クソストーブ」です。

 

毎日、毎日、こんなことばかり。

しまいには、今住んでいる山奥に対して「クソ山」と命名してしまいました。

クソ山です。クソ山。

 

大好きな「ポッポ牛乳」をコップに入れて、部屋に戻り、カーテンを開けました。

そうしたら、なんという美しく澄んだ青空に、木々が光に照らされて。

そんな風景を毎日のように見るたびに、なぜか孤独感を感じるのです。

 

自分が自分の思うような人生を行きていない。

 

山の中で、ずっとひとりぼっち。

自分のことを、誰も知らない街。

車がないと、どこにも行けない街。

ずっとひとり。ずっとひとり。

 

こんな生活が何ヶ月も続いてます。

心はどんどん弱っていって、人と接していないので、話をするのが怖いのです。

本当は、前のように人と話して仲良くしたいのに。

 

孤独。

孤独なんて言葉はバカバカしいと思ってました。

甘えだと。そんなものは甘えだ。心の持ちようだと。

孤独なのは、ある事情があって、廻りに嘘をついていたので常に孤独なので

慣れていました。

 

それでも僕の廻りには人がいてくれた。

いまはそれがいない。

 

ヴィジュアル系が長年好きで、「ダーク」で「絶望的」な状況の曲を聴き付けられていたのは、自分が本当は幸せだったからもしれません。単なる傍観者だった。哀しい人を演じる人を観察して、心の底では楽しんでいた。音楽とはエンターテイメントだから、それでいいのです。

 

実際に自分がそのような状況、先の見えない暗闇の中に取り残されると、本当につらいということが、わかってしまいました。

以前はなかったことが、自分に起こるようになりました。

突然に叫んで、泣いて。泣き叫んで。

 

それでも一人なので、誰にも心配されません。

一人でいることは、自分で選択したことです。親と住むともっと辛くなるから。辛かったから。申し訳ないけど。傷ついてばかりだったから。きっと親も傷ついていたと思う。

そして、大好きだった姉と妹との心の距離も近づけることに失敗してしまった。

 

うらやましい。

うらやましい。

バンド活動をして、好きな音楽をやっている人たちがうらやましい。

僕も音楽をやりたい。

かつては僕も活動していたのに。

 

ヴィジュアル系の暗くて絶望しているのに、メイクして髪染めて、どっかで聴いたような曲を乱発して、ライブして、ギャーギャーボーボー叫んで絶望的で文学的ではない歌詞を書いたり、楽しそうです。羨ましい。僕も楽しく絶望したい。仲間と。バンド仲間と。ツアーなんて、本当にうらやましい。山以外、どこにも行っていないから。かつて一人で行った海外旅行のことが忘れらません。

そんなに楽しそうな状況なのに、なんで絶望的なのでしょうか。理解ができない。

前に聴いた新しいヴィジュアル系バンドの暗い絶望的なのが売りのアルバムをききましたが「嘘の絶望」だとわかってしまってそんな自分に絶望できたので、それがそのバンドの本望だったのかもしれません。

 

本当に彼らが絶望しているのか、それが音楽から全く伝わらなかった。

絶望的な文字が並んでいる歌詞なのに、まったくそれが伝わらなかった。

彼らには「絶望の才能」がないのです。音楽の才能についてはわからない。

でも、「絶望の才能」がない。良いことじゃないですか。

うらやましいです。

 

僕にのこされたのは「絶望をする才能」だけです。

 

こんなことがあたまをぐるぐる回っています。

 

なんてことだ。

悪夢です。

これが悪夢です。

長年、悪夢のような音楽を聴いてきて、本当に悪夢の中に引きずり込まれてしまった。

 

だからといって、もちろん光に満ち溢れたリア充音楽を聴いても癒やされません。

 

この先、どうしたらいいのか考えて、いろいろ行動をしても

全部ダメでした。全部だめ。

このままこのクソ山で、滅亡していくのか。

 

死ぬのなら、大嫌いな山じゃなくて、海で死にたい。

最近は、生への渇望すら、失ってきつつあります。

自分がこわい。

 

ここまで書いたことは、僕の心の中にある現実です。

フィクションではありません。

これは歌詞ではありません。

メイクでカッコよくみせてる長髪の男の独白ではありません。

40歳の、みじめなおじさんの現実なのです。

 

暗いこころに、現実的な明るい光が降り注ぎます。

なんて明るいんだ。照らさないでくれ。お願いだ。

 

今日も、自分に課せられた自分という人生に引きずられながら、過ごします。

なるべく人前で泣かないように。思いつめないように。

涙が止まる、薬があればいいのに。

薬局で聴いてみようかな。

僕は本気です。

 

ここまで読んでくれてありがとう

【ドラマ「カルテット」の感想】2017年2月21日 第6話 「何が夫婦を殺したのか」

こんばんわー。人生マンネリのまえむきです。

人生マンネリとは、要するに無職でヒマということです。

そんな自分でもドラマみたいなことが起こらないかなと思って、ついつい、「カルテット」のエキストラに応募しちゃったんです。もう終わった撮影、昨日20日に、軽井沢の大賀ホールでの収録の観客役、内容は「第8話」の演奏シーン?(?は募集要項についてました)だったそうです。前話の感想で少し匂わせていたのですが、それが悪かったのか、電話はきませんでした。ただし、前日に「非通知」の電話があって、それには出ることができませんでした。ただ、それがそれだったのか、確認の術はありません。

 

募集要項には「おとなの掟」を守るようにと記載がありました。

実際はそのような気の利いた表現ではなく「収録内容をSNSやブログで書かないように」という通達でした。アラということはここにそのこと、応募したけどオチたことを書いてはいけないのでしょうか。そんな下世話な書き方しないで「おとなの掟を守ってくださいね」くらい書けばいいのに。

 

そうして、今日も憂鬱な気分で、番組情報を見ていると、今日のゲストはなんと大森靖子さんとのこと。大森靖子さん!意外なキャスティング。

大森靖子さんといえば、「ちょっと基地の外だけどオシャレ」で「基地の外だけど可愛いのに憧れる普通の男女」というサブカル界隈で人気のシンガーソングライターです。

℃−uteというハロープロジェクトのアイドルに「無限クライマックス」と曲を提供しました。ショパンの「革命のエチュード」とベートヴェンの「月光ソナタ」を爆裂にリミックスした、ヨーロピアンでクラシカルな名曲です。

そう、「カルテット」はクラシック音楽のドラマなので、近似値があるといえます。。

(※1あんまりありませんでした)

 

 今日から第2幕だそうです。

副題は「何が夫婦を殺したのか」

f:id:maemuki:20170221215919j:plain

ちなみに今日は6話で、全10話。8話の収録がこの前だとしたら、結構ハードスケジュールですね。事前に一気にバーっと撮ることもあるようですが、リアルタイムに近い撮り方のようです。

そういえば軽井沢でこのまえ大雪だったのですが、ドラマの中でもかなり雪が積もっていました。季節感を大事にしているのかな。その季節感にのれなかった自分、とかはどうでもいいでしょう。

今日は、初の試みで東京で自費で買ったMac Book Proをテレビの前に置いて更新しています。これまたどうでもいいですね。

以下、実況

軽井沢のネットカフェ。あるのだろうか。「佐久」の文字あり。

「佐久のネットカフェ」とLINEあり。自遊空間か?行ったことがない。

「佐久のネットカフェ」は2件のみ。よって決定。

「あおいふぐり」検索結果

matome.naver.jp

実在したとは知らなかった。それがなぜ北軽(北軽井沢のことです)の牧場にいたのか。ちなみに私のもうひとつの住まいの「北軽」には牧場は実在しますが、もちろんこのサルはいません。

変わりにかわいいうさたんとアルパカがいます。今は冬だからいません。

 

 開始10分 もうわけがわからない

コンビニ強盗、「巻さん」で反応。「まきむらさん」じゃなかったのか

サルはどうなったのか(※2)

2013年10月 二人の出会い 巻夫の番組で巻妻がゲストでヴァイオリンを弾いた。

そしてひとめぼれ。

初デートは「巻真紀」のはなし。早速その話。

「彼女のミステリアスなところに惹かれた」

クラシックからGREEEN 音量下げ(※3)

彼女の生活はせまい 話題はたいていテレビのはなしで不満

「幸せの象徴」として流されていた曲は下記。

マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲

www.youtube.com

 

※1 大森靖子は端役だった。そして今後も出ないかもしれない。飼っていたペットの名前が「ギロチン」だったのは受けた。そして死んだ。ギロチンは死んだ。極めてサブカル的。

※2 今日は夫婦の話がメインだったせいか、男性2人の出番があまりなかった。家森さんの、変な防寒コスプレや変な動き、そして過去の回想の中のミイラ的な登場、そして「僕にとって結婚は地獄です」という前回からの伏線回収。そして、巻夫との繋がりの判明。このあたりも次回で出て来るのでしょうか。「家森さんの出番が少ない」とTwitterで検索してみたくなりましたが、なんとなく負けた気がしたのでやめます。

 

※3 巻真紀がつまらない話をしている時に流されていた音楽が、国民的な人気のさわやかバンドGReeeeN様の曲でした。真紀のくそつまらない話にあきれて、巻夫がその音楽を徐々に音量を下げる場面が印象的でした。後に「幸せな時間」がくるかもしれない、しかしこなかった場面でかかったのは「幸せな時間」でかかったマスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲」でした。GReeeeN様のファンが僕のような深読みをして怒らないか心配です。つまらない音楽として扱われたのではないかと。ぶっちゃけわたしはその音楽をあまりすk 以下は略します。

 

今日の感想としては「主題はわかるけど、あまり感じなかった」ということです。

夫婦がいかにして、気持ちが別れたのかが、執拗に描かれていました。その姿はわりとこちらの想像していたとおりのものに、僕は思えました。それは僕がずっと独身だからかもしれません。実際の夫婦にしてみればこのドラマのこの回が「共感できる」ものだったのどうか。描ききれていない気がしました。というか、「ああそうなんだあ」という以外にがありませんでした。

からあげにレモン、という描写が夫婦にとっての亀裂を産み出したものだということがよくわかりました。過去の回にもよく出てきましたよね。唐揚げにレモン。

 

そして謎の鍋敷きにされた詩集的なもの。そこに合った絵。

「◯◯的なもの」がこのドラマには多いような気がします。

それが「カルテット的もの」なのかもしれないです。

主題はわかるけど、あまり感じなかった」と書きましたが、それで第6話がつまらなかったかというとそうではありません。「カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲」のような、間奏曲だったんだと、自分に言い聞かせています。

そして「何が夫婦を殺したのか」それは「唐揚げとレモン」だった。それも「カルテット的」だと自分に言い聞かせてます。

 

孤独な「一人カルテット」は来週も続きます。

終わりです。

 

 

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