私めの人生に課した目標は「空想の片手間に生活をする」ということでした。
下記の過去ブログもありますが、そもそもなぜ「空想の片手間に生活をする」ということを目指したのかを改めて記します。
それは学生時代、音楽学科ピアノ科時代の友人(心の友)が、ある日の会話の中でこう言ったのです。
「私は空想の片手間に生活しているの。え、みんなは違うの?」
その場にいた他の友人たちは、やはり戸惑ったのであろう、今にしてみればそうであろうかと思うようなものですが、発言主の友人はいつもこんなことをよく言っていたのです。「この強風の名前はリリアンとアンリー。子供の頃からの友達なの。だからリリアンとアンリー落ち着いて!」「私の親友は赤毛のアンだけ」などの発言があった後のこと。
なので、普通のことのように受け流された(しかし数年前に再開をした別の友人は覚えていた)のですが、自分の心にはずっと残っていたのです。
空想の片手間に生活をする。
生活の片手間に空想をする。のではないのです。この順番がとても大事です。
生活に支配をされた上で空想をするなんて、悲しきことです。片や空想の片手間に生活をする。プライオリティが変わっています。おろかしい生活などに支配をされていないのです。
空想の片手間に生活をすることを、ライフ目標にしている中で、生活向上にもつながったことがありました。それは、寝る前です。
私めは寝付きがわるく、電気を消していざ横になり、寝るぞねるぞとなるのですが、なかなか夢の中には行けないのです。
ああ、悲しき生活の毎日。
忘れていました。忘れていたんだと横になりながら気がついたのです。
空想の片手間に生活をする。
この場において本来のことを忘れないようにしたらいいのだと。誰にも邪魔をされない眠りの世界に行くために、これほど素晴らしい手段はないですよね。
そうすると、、やはりくそな現実が浮かんできます。いけない空想空想。
過去の現実。よいこと。わるいこと。かなしいこと。うれしいこと。これからのこと。
そんなものは、全てがくだらないもの。
これをすべて消す世界、それが空想の世界なのです。
導眠をを妨げるもの、現実。たとえ浮かんできても、楽しいことだとしても、全てを消し去るのです。
これはかんたんなようでいて難しいことです。日頃の鍛錬訓練精錬が必要なのです。
「空想の片手間に生活をする」これをライフ目標をしている自分には、容易なことでした。よって睡眠導入も改善されつつあるのです。
なんて素晴らしいのだろう。
皆さんも空想の片手間に生活をしてみてください。
決して生活の片手間に空想をしてはいけませんよ。難しいかなあ。
終わり