さわやかトラウマ日記

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【ゲスの極み乙女。】「達磨林檎」を「若干しつこく」全曲レビュー

 

達磨林檎

達磨林檎

 

 ゲスの極み乙女。の新アルバムがリリースされた。半ば強制的に発売中止にされたアルバムが、出た。

その発売日は12月7日の予定だった。本当に少しだけのブランクだった。もっと先になるのか、または「機を逃した」発売となって、発表されることは無いのかと勘ぐった。

しかし、レーベルunBORDEの主催にして、新しい事務所の「偉い人」のインタビューにてそれらは否定された。

www.cinra.net

ゲスの極み乙女。の活動休止前のラストライブは、個人的にも本当に素晴らしかったと思います。

竜馬:確かに本当に素晴らしかったので、生配信すればよかったなって思ったし、知ったかぶりのコメンテーターのスマホに強制的に映像を送りつけたかったですよ(笑)。まあ、今はとにかく、しかるべきタイミングでリスタートして、作品を届けられたらと思っています。

とはいえ、この1年大変だったといえば大変だったけど、どうってことないといえばどうってことなくて

このインタビューは、その他にも貴重な現場の意見が掲載されている。

竜馬:その意味で言うと、ゲスの極み乙女。はバンドシーンにいながら、蓋がない存在だと思ったんです。音楽的にも、画的にもそうで、きゃりーのときと同じように、出会った瞬間に「これはやらなきゃ絶対ダメだ」と思いました。彼らの3回目のライブのときはもう、うちのスタッフが行ってましたからね。

 

 結成直後、3回目のライブにてもう彼らを発見していた。驚愕の事実だ。僕は知らなかった。本当の彼らの理解者が近くにいた。スペースシャワーとは何だったのか。

 

海外にだってパパラッチはあるし、そういうメディアが日本にもあるのは当然だけど、ここ数年の日本の昼のワイドショーみたいなものは、もちろんすべての番組がそうではないと思いますが、才能を後押しするというよりも、足を引っ張ったり、潰したり、いじめ気質みたいなものが強くて、それは本当にクソだと思う。たとえば彼は、人として反省すべき部分もありますけど、それで音楽のことも否定されるのはちゃんちゃらおかしいと思いますね。

(※ボールド、文字サイズ変更は筆者の加筆)

 

このインタビューは2016年12月28日付で掲載されている。だから、年明けの更なるあの騒動の前だった。

マスコミのバッシングは更に下劣を極めたころだった。僕がこのインタビューを見たのはつい最近だ。

全て杞憂だったのだ。

所属事務所の契約終了も、それは彼らにとっては良いことだった。こんなに理解してくれる人が、近くに、しかも凄い実績を持つ偉い人だなんて。

 

「偉い人」というものは、恐ろしいもので会社にとって全ての意思尊重の基となる。だからこの人に捨てられない限りは、きっとゲスの極み乙女。は大丈夫なんだろう。

◯「達磨林檎」のセールスについて

しかし「達磨林檎」のセールスは前のアルバム「両成敗」と比べても、不振であるという記事もあった。

ゲスの極み乙女。の最新アルバム『達磨林檎』が"大爆死" メジャー契約打ち切りか|ニフティニュース

この売り上げ状況が続けば、「当然レーベルとしても不良債権となるため、いずれはメジャー契約が打ち切られかねない。この売り上げは、昨年のベッキーに匹敵するほどの危機的状況でしょう」(スポーツ紙記者)との声も出ている。果たして川谷は、この窮地をどう切り抜けるのだろうか。

 「当然レーベルとしても不良債権となるため、いずれはメジャー契約が打ち切られかねない。この売り上げは、昨年のベッキーに匹敵するほどの危機的状況でしょう」との伝聞が伝えられているが、ここまでの流れにてこの伝聞がいかに、デタラメでテキトーでそしてクソでゲスな情報なのか、それを証明しているのが、レーベル主催のインタビューだなんて。ほんとうに、ちゃんちゃらおかしいです。

 ◯アルバム「達磨林檎」全曲レビュー

まず「達磨林檎」というタイトルについて。なんなんだ「だるまりんご」って。「シアワセ林檎」が既発表曲の1つで、それが1曲め。林檎とあるから、アルバムを代表する曲なんだろうか。1曲目「シアワセ林檎」は可及的速やかに彼、川谷絵音の苦悩を伝えている。

失った過去への憧憬、それは彼の過ごした青春時代、そして青春だったかもしれない、シアワセだった頃を林檎の赤さに例えて表現している。その「林檎のように真っ赤」といわれても、正直にピンとこない。やっぱりピンとこない。けれども、頬が林檎のように赤い、りんご病(そういう病気があるということを長野に引っ越してから知った)になっているかのような、と考えると、なんとなく理解できた。状況的に今の自分には、やっぱりちょっと聴くのがつらい曲。ピンと来ているのだろうか。

maemuki.hatenablog.com

2曲め「影ソング」は、憂いを含みながらも攻撃的な「影」を見せるという、観念が崩壊したかのような、上品な「うつソング」だと思う。前の流れから考えると、より深く、「影」が濃くなっているけれども、より諦観、あきらめの感も強まっている。

それにしても、アルバム全体に通じることなのだが、このコーラスの分厚さといったらどうだろう。外部のコーラス担当も入っていることもあるだろうが、やはり女性メンバー、とくにドラムのほないこかの存在が大きい。コーラスではなく、リード・ボーカルでもその存在を見せつける。バンド正規メンバーに2人も歌える女性ボーカルもいるだなんて。贅沢だなあ〜。

 

maemuki.hatenablog.com

3 DARUMASAN


ゲスの極み乙女。- 「DARUMASAN」

アルバムタイトルとの関連から、矢張り「何らかの重大な意味が!!?」と考えたのだがそれはたった1分40秒の狂乱にてすべて否定された。

「だーるまさんがこーろんだー あっかんべー あっかんべー♪」あっという間に過ぎるコーラスと、ゲスの極み乙女。のバンドとしての旨味を凝縮したかのような空間に圧倒される。なんなんだ。結局だるまさんはなんのことなんだろう。だるまさんがころんだ。 

 

「だるまさんがころんだ」について調べよう、そういう遊びがあったと気づいたので、検索したら、この画像が検索結果に出てきた。そういえば、木に向かって「鬼」が「子」を背を向ける。そして「達磨さんが転んだ」と言って、近づいて、後ろを振り返た瞬間に動いている「子」は「鬼」に捕まえられる。その瞬間、木に成っていた林檎が落ちたりするんだろうか。

lyricsjpop.blogspot.jp

 簡単に考えると、「鬼」は他でもない川谷絵音、ころんだ「達磨」はクソマスコミ、とも考えられうる。そしてそれが「真犯人」と、考えるのはあまりにゲスだ。しかし彼は「ゲスの極み乙女。」の名付け親であるのだから、それもあるのかもしれない。しかし彼はその名付けを「お昼のワイドショー」(土曜日だけど)にて、「後悔している」と言っていた。まあ、そんなもんなんだろう。やっぱりゲスなんだ。よかった(笑)

 

4 某東京

「某東京」とあるが、これは大いに矛盾した言葉だ。「某」というのは「不特定なもの」に対して使われる言葉なので「東京」はそれに当たらない。「某都市」とか「某首都」とか「某市街地」でも良いかもしれないのに。なぜ「某東京」としたのか。

それは、彼に対しての「某東京」と定義せざるを得ない、複雑な心境があるのだと思う。彼は長崎県松浦市の出身。東京とはかなり離れたところに育って、大学に進学するために、上京した。

www.littleoslo.com

それを踏まえると、このわかりやすすぎる、青臭すぎる歌詞はどうなんだろう。しかし、可及的すみやかなテンポと、ファンキーなコーラス、そして川谷絵音氏の「トーキョー!!」という絶望的な叫び。うーん。こういう曲は今までありそうでなかったのではないのでしょうか。しかしながら、終始弾きまくるベースとピアノ、という彼らの特異性を「見てよ自分たちはここまでできるんだよ!バーカ!」という風情さえ感じさせてくれる。うーん。やはりゲスの極み乙女は、当然だが、ゲスの極み!

 

ちなみに歌詞で言及されている「1K バス・トイレ別で64000円で安いなんて感覚に慣れるなんて思わなかった」というのは具体的にどこなんだろう。やはり彼が通っていた大学辺りのことだろうか。調べてみたら、彼の大学の辺りの「1K」の相場は6万円。それより上りの方だと、もっと安い気がする。「満員電車から吐き出される」ということは、「満員電車から途中で吐き出される」ということは、乗り換えの多い、あの駅やあの駅、終着駅ではない。途中で降りたから、そうなった。どこだろう。

なんて、どうでもいいですね。すみません。

 

 5 id2

前作「両成敗」の「id1」の続編なんだろうか。前からの流れがちょっとゲスすぎたので、クールダウンなんだろう。

浮遊感のあるボーカルと分厚いコーラスと気怠い曲調、ストリングスにリバーブ深めなところに「60年代のサイケデリック」を感じた。

6 心地艶やかに


ゲスの極み乙女。「心地艶やかに」

このアルバムを「一つの物語」だとしたら、また同じ主題の繰り返し、となるのだが、これは物語じゃなくて、もちろん音楽なのだから、そこを感じればいい。

ということで、やはり「より強い悲しみとあきらめ」がこの曲には諦めている。この曲が他と違うところは、その悲しみを産み出したものへ対してのメッセージが感じ取れる。もう、あきらめたけど、やっぱり悲しいよ。もう、あきらめた。という強い気持ちが感じ取れる。

あまりわかりやすくない、美しくない後奏はその表れなのかもしれない。

7 午後のハイファイ

ベース、リズムが主役の曲。いわゆる踊れる曲。踊れるということは、人によっては重要なことらしい。川谷絵音氏にとってもそうなのだろう。踊れる音楽ということは、それなりのソフィスティケートが求められる。リズムのループもそうだし、コードの使い方も「普通」ではいけない。コーラスも、メインのボーカルだけではいけない。

この曲はそれに上手く添っていると感じる。

この曲の次長課長ではなくて、休日課長のベースラインは本当に面白い。試しにベースだけ、を頑張って聴いてみるようにしてみてほしい。彼がモクモクとベースを弾きこなす姿が目に映って楽しくなる。

8「いけないダンスダンスダンス」

DARUMASANの時間「1:41」も衝撃的だった、この曲「いけないダンスダンスダンス」は 「8:40」。これを見て、「うわ来たなこれがアルバムのピークなんだろうー」とか思っていたけど、いきなりまたまたこれまた、スーパーモラトリアム川谷絵音氏の独白から始まる。めんどくさいなあ〜 なんだかしらないけど、四つ打ち。

彼の歌詞、文章に対して、「文学的」という評価もあったりする。実際に彼は読書家らしい。読書していないと書けないような歌詞だから、それはわかるのだけれど。

「ダンスダンスダンス」といえば、村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」をまず思い浮かべる。

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

 

 

実は、村上春樹川谷絵音の文章に対して、小説と歌詞との性質は違うとは思うのだけれども、実は共通するものを感じていた。両者に通じるのは「かんたんな言葉」で「常人には理解しがたいむずかしい情景」を描写しているということだ。この曲の歌詞はすごくわかりやすい。とか思っていたら、突然に川谷絵音の独白が中断されて、いきなり女性(ほないこか)の独白がはじまる。と思っていたら、また1人の女性(ちゃんMARI)の独白が入ってくる。3人に共通するものは、ひどい現実と甘い絶望、そして、俺は、生きている!私は、生きている!どうしたんだろう?みんなで何やってるんだろう。くだらないなあ〜もう、めんどうくさいなあ。私は(以下略)

曲を混迷をきわめる。女性2人によって繰り返されるフレーズ。高揚をして、彼が加わってくる。「ダンス・ダンス・ダンス」のフレーズとともに、ソフトなトランス調に曲が変わる。なんだかもうついていけなくなるけど、むむむと感じながらも、心地よくもある。終盤、突然にお約束のクラシックなピアノソロが挿入されて、しかも間違える!正直何がなんだかわからない。「いけないダンス」「いけないダンスダンスダンス」とは何なのだろう。村上春樹が表現しているものは、本来大衆に指示されないような危険なものかもしれないと感じるのだけれども、川谷絵音氏が表現しようとしていることは、ほんとうはもっとわかりやすいことなのかもしれない。「いけないダンスダンスダンス」とは、そうなんだ。不倫のことなんだ。そう思ってしまう。あーゲスの極み。

9「勝手な青春劇」

前曲「いけないダンスダンスダンス」から続いて聴くと、いきなりキラキラしたピアノが入ってくる。前の曲とは別の世界なんだと気づかせてくれる。全曲は彼らにとっての現実で、こちらはまたまた過去への憧憬なのだが、前の曲の「過去への憧憬」はより強まって、今の現実を踏まえたのか、過去への思いは複雑になって「勝手な青春劇」として表しているのだろう。うつくしい青春の思い出は、ほんとうに美しくて、現在と比較して、どうこう思ってしまう。でも、劇場的な過去は忘れることはできずに今を支配してします。よくわかるんだよなあ〜僕も(以下略)

川谷絵音氏はまだ20代なのだけれども、40代の僕が聴いてもそう思うのだから、もっと僕の同世代に聴いてほしいと思う。無くした青春の思い出というのは、万人に共通していて、それは年齢を重ねた人にほど、あるのだと思うから。


ゲスの極み乙女。「勝手な青春劇」

10 小説家みたいなあなたになりたい

いつものゲスの極み乙女。らしい16ビートの曲。「小説家みたいなあなたになりたい」」っていうのはどういうことだろう。やはりよくわかるようで、わからない。どういうシチュエーションなんだろうか。この曲の主人公は女性のよう。意中の彼は小説家みたいな人。夏目漱石の「吾輩は猫である」みたいなのも書けそう。しかし「消えない文字が浮き出して 世を渡って懲らしめる それが私の願いとあとがきにかいて」「妄想に生きる術見つけたい」「ワインをください」と、彼女の方が小説家みたいで、なんだかおかしい。「君は小説家みたいだよ」という彼の声が聞こえてくるような気がする。

11 id3

冬らしい曲。そういえばリリースは本来冬真っ盛りの時だった。機を逃したとは思わない。この曲のテーマは「寒いな」ではなくて「ストップできない」ということ。リード・ボーカルはドラマーのほないこか。そしてちゃんMARIのピアノが音の数少なめでモノクロームの景色を映し出す。この曲は夜、深い丑三つ刻の曲。そういえば最初に彼が言っていた。

12 Dancer in the Dancer

「アルバムはもう終わりなんだ・・」という気持ちにさせてくれる、そんなさみしい曲。歌詞は全体的に説教臭くもあり、やはり彼らしい。「今日もまた言葉が浮かんでは 歌になって空に昇る 美しいんだ」という締めのことばは、すごく深くて悲しい。彼は、他人に映っている自分のすがたを自嘲気味に表現することがあった。「ラスカ」なんてそうだ。そういうものは定番だったりもするのだけれども、なんせ健康的な精神が求められる「J-POPシーン」にはおいて、今はあまりないのかもしれない。

13  ゲストーリー

結婚式に出席した時、大人になってからは2回しかないのだけれど、2回に共通していたのは「最後に空に大きな花火を打ち上げる」ということだった。この曲、アルバムのラストのこの曲もまさにそれ、「最後に大きな花火」のような曲。しかしその花火は空に向かってではなくて、それを見ている傍観者達すべてに向けられている。花火なのだから、様々な色と光が同時に爆発して、次々と次々とそれらは爆発する。あまりに加速的なテンポと細かすぎる音符、細かすぎるコーラス、川谷絵音の高すぎるけど細かすぎるファルセットのが和声とともに、それらはやってきて、3連符の連打のユニゾンという技を見せて、ササッと去っていく

最後に打ち出された花火は、とんでもない異形、ながらも洗練されている音楽だった。

 

自分は他の人たちとくらべてたくさんの「変な音楽」を聴いてきたという、悲しい自覚がある。それによってなんにも得したことなんていない。ケツメイシ横浜アリーナのコンサートになぜか間違えて行ってしまった時、「愛と友情」の曲達でタオルを一心不乱に降る何万人の人たちに強烈な違和感を感じるなど、損なことばかり。

僕が「歴代聴いてきた変なバンド」と中でも、ゲスの極み乙女。は特筆すべき「変」にあふれている。それは、状況的にもそうなってしまった。ついこの間までは状況的に「普通に売れているなんか変なバンド」だったのに。つまらないこと、ゲスなことで「国民的に変なバンド」に、なってしまった。しかしセールス的には厳しい状況。

 

けれども、「国民的に変なバンド」という称号は誇らしいもの、僕の憧れでもある。

一番の理解者が、そばにいる。彼は所属レコード会社の執行役員でもある。坂上忍の何倍も偉くて実績もある。だから心配せず、のびのびと狂っていてほしい。もっともっと。

 

終わり