何度でもアピールさせてください。自分は20代の時に、ほんとうに渋谷系オア下北系のバンドマンだったのです。ほんとうです。どうしてもこのブログがヴィジュアル系に染メレラレ…刹那ノ刻…狂イ始メタ…殺りくの。。になってしまってちょっと悲しいのですよ… イメージを変えたい!おれはしぶやけい!!
今日も、あの頃は楽しかった的な、遠くなってしまった過去にまたひたらせてください。
お金が以外のもの全てが、バンドマン時代にはありました。
僕たちは、よくある「完全プロ志向!」とか「初心者不可」「見た目重視」「当方杉同化、隆同化求む」とかそういう感じではなかったのです。何のためにバンドをやっているか、なんてそんな真剣な話しは誰もしていませんでした。
演奏も自分を含めて、下手くそでした。初ライブでは演奏が止まりそうになって、「ちゃんと演奏しろや」とジャンキーがステージに乱入してきたほどにへたくそだったのです。
でも、ギターポップ界隈では「アノラック」というジャンルというか概念があるんですよ。パステルズとか、ヴァセリンズとか(Son of a Gunが僕らのテーマソング)そのシーンは「ヘボい」が代名詞のような感じでした。なのでヘボくても良かったのです!!
そこからアメリカのインディーズのレーベル「K records」(カルヴィンという声の低い男がレーベルオーナー、Beckを輩出)とか、そういうものがコアとしてありました。しかし、ほんとうはフリッパーズ・ギターがみんな好きだったんだと思います。僕はそうでした。わるいかフン、という感じでした。
そんな、何でも聴こう!お金はなくてもいろいろレコード(僕はCDだったけど)を聴いている時期でした。知らないものを知ろうとする力が、その時には強くありました。若かったんですね。それは、いつの間にか、直接バンドを組まなかった人たちとも仲良くなった「スモールサークル・オブ・フレンズ」ができていました。このワードもシブヤケイでよく使われた言い回しです…ネオアコ村!!
そんなスモールサークル・オブ・フレンズたちで、クラブに行くことがありました。高円寺のドルフィン?というところです。古いビルにある、小さなクラブに。
当て所なく行くわけではなく、特定のイベント(nameby"ボーイ・ミーツ・ガール")によく行って、うぇーい系の盛り上がりや、激しいダンスなどは、誰もしていなくて、渋谷系界隈やその周り、そのルーツ…のようなものはあまりかからずにDJの人の好みの曲を、朝までまったりと聴いていました。
前に書いた、高橋徹也「新しい世界」も、このときに知った曲です。
そして、Instant Cytron の「Adventure monsters」もこの時によく流れていました。インスタントシトロンという名前も知りました。英語詩で子供がキャンキャンと明るく楽しいけどちょっと切ないメロディを乗せて、そこまでの流れ、渋谷系という土台においてとても聞きやすい親しみやすいアコースティックなサウンド。最初は日本の音楽には聴こえなかったのです。「現在」の音楽にも思えなかった。
当時は、音源が手に入らなかったけど、このメロディは覚えていました。
ドードードー ラシドドシラソーラー ラドミーミレミレーラーシー♪(臨時記号の表記は省きました)このサビのところのメロディとか。
こんな音楽は高円寺の深夜には似つかわしくないのに、あの夜を思い出せてくれます。心配することは明日の生活のことだけ。荒廃しつつある毎日の中で、純粋無垢さしかないこの「Adventure monsters」に救いを感じていたのかもしれないなーーーという気持ちになります。させてくれます。思い出すのが、これを歌っている子供らの頃じゃなくて、まだ子供のようだった大人の自分だという、不思議なノスタルジック。まさに青春だったんだなあの頃は、と遠い日を回想します。
インスタントシトロンは、片岡知子と長瀬五郎のユニットで、この「Adventure monsters」はミニアルバム「CHEERFUL MONSTERS」に収められています。そしてこのミニアルバムはスーパーバイザーとしてファンタスティックプラスティックマシーンの田中知之氏努めてます。…真の渋谷系というには畏れ多い…オサレサウンドクリエイター…いやオサレだなんて失礼ですね。本物のサウンド・トラックメイカーです!
やっぱり、僕は渋谷系バンドマンだったんだ、と感じさせてくれる、素晴らしい曲です。青春はいちどだけ(フリッパーズ・ギターの曲。。)
名前をつけて
冷たすぎるように
シールで閉じて隠して名前をつけて
残酷なくらいに
さあ目を閉じて答えて
終わり